後日談‐6 嘘と真の間の言葉(3)
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翌朝、フリートはいつもより早い時間帯に第三部隊の部屋に向かった。朝の鍛錬の前に、ロカセナの件をカルロットに報告しようと思ったからだ。
部屋に向かっている途中、庭で大剣を握って素振りをしているカルロットを発見した。肩が剥き出しの服を着ているため、普段は団服で覆われて見えない筋肉をはっきり見ることができた。
振る度に汗が飛び散る。既に長い時間、剣を振っていたようだ。
しばらく見ているとカルロットが振るのをやめて、フリートのことを背中越しから胡乱げな目で見てきた。
「いつ帰ってきた? もう少し長い間、あっちにいると思ったぜ」
フリートは彼の傍に駆け足で寄った。
「おはようございます。昨日の夜です。アスガルム領のイズナさんからの報告書は、後ほど姫に渡してきます。あとあいつの件ですが、こっちに連れてきて、今は俺の屋敷にいます」
カルロットは軽く目を見開く。そして大剣を鞘に納めて、肩に担いだ。
「親父さん、何か言っていたか?」
「いえ、特に何も言いませんでした。俺の旧友だからいいだろうみたいな雰囲気でした。あいつの細かい事情を話さずにすんで良かったです」
「息子のことは無条件で信用しているんだな。いい親父さんだ。俺なら無理だな、絶対に追及するな」
カルロットは苦笑した後に、真顔に戻った。
「今日にでも当日の警備計画が発表される。それと付随して、残り二週間の姫の動きも大まかに知らされるだろう。その合間を縫って会わせる形でいいか? おそらく正確な時間は直前で言うことになるが」
「それでいいと思います。あいつもそれくらい覚悟で来ていますから。あとで伝えておきます」
一礼をして、足早にその場から去ろうとする。だが踏みだそうとしたときに、後ろでぼやかれた。
「このまま会わせても、二人の関係はどうにもならないぞ。最後の言葉をかわすだけになるかもしれねぇ」
「……どういう展開になるかは、二人次第だと思います」
立ち止まって背を向けたまま、カルロットは鋭い口調で次の言葉を発した。
「お前もあの女のこと、そろそろはっきりしろ。リディスが困っているだろう、わからねぇのか?」
「困っているというよりも、避けられている気がしますが……」
「女心っていうのは複雑なんだよ。平和ぼけしている間に、他の男に寝取られても知らねえぞ」
「は……?」
フリートは眉をひそめて振り返る。カルロットの口元はにやついていた。
「お前の相棒に奪われる可能性だっておおいにあり得るってことだ。報われない恋よりも、身近で親しい友人を選ぶっていう展開がな。自棄になった男は面倒だぞ」
「あいつがそんなこと――」
否定の言葉を発しつつも、ロカセナがリディスの唇を奪った光景が蘇った。皆既月食の夜、フリートへの当てつけとはいえ、口づけをしたのは事実である。少しでも気がなければできない行為だ。
フリートは口を閉じて、踵を返して大股で進んでいった。そして城に足を踏み入れる直前で、カルロットに言い放った。
「朝の鍛錬までに戻ります」
それだけ言って、フリートは槍を振り回す金髪の女性のもとへ急いだ。
「隊長、あの子を悪者扱いしなくてもいいじゃないですか」
赤い短髪の女性が、溜息を吐きながら柱の影から出てくる。彼女の言葉を聞いたカルロットは頭をかいた。
「しょうがねぇだろう。あいつの話題を出すのが、フリートには一番効果があるんだよ。あいつは相棒であり、好敵手だからな」
「それはそうですが……。まあフリートたちのことは、彼ら自身に任せましょう。――隊長、先ほど伝令がありまして、団長は一週間後には戻ってくるらしいです。何点か知って欲しい事柄もあるので、あの方たちが来る前に会議を開きたいそうですよ」
「おいおい、面倒なことにでもなるのか?」
「さあ、どうでしょうか。なにせ初めての事例ですから、先が読めないそうです」
「できれば先を読みたいが、無理だろうな。アルヴィースの調子はまだ戻っていないんだろう?」
「しばらく療養させて欲しいと言っていました。集中的に予言をさせすぎましたね」
城の専属予言者であるアルヴィースは歳のせいか、長時間に渡って予言をしたり、数をこなすのが困難な状態になっている。そのため状況を見ながら数を絞って頼んでいるのが実状だった。
「どうせ予言ができたとしても、警戒しろっていう内容だろ。それを考慮して、ここじゃなくてあっちで会わせるんだが……。ここまで考えているのに、何も起こらなかったら怒るぜ?」
「不謹慎なお言葉は謹んでください。何も起こらない方が万々歳ですよ。隊長は総指揮官になる予定ですから、その点は自覚してください」
「自覚を俺に持てと言われても無理なことだって、分かっているだろ?」
カルロットが言い捨てると、セリオーヌは静かに笑った。随分と落ち着いた仕草を見せるようになったと思いつつ、カルロットは彼女の腰からぶら下がっている剣を指し示した。
「せっかくだからちょっと付き合え。暇だろ」
セリオーヌはわざとらしく溜息を吐いた。
「子育て中の女性に言う内容ではありませんよ。隊長の剣は重すぎです。朝の鍛錬開始まで大人しく素振りをしていてください」
きっぱり言い放ち、セリオーヌはきびきびとした足取りで城の中に入っていった。
改めて見るが、出産のために戦線離脱としたとは思えない体つきだ。子どもを産んでいない未婚者と間違って、声をかける男も少なくないらしい。
子育てもあるため、まだ完全に復帰はできていない。しかし指導や伝令ならできるということで、その点に関しては以前と同様にカルロットを助ける役に戻っていた。おかげで彼女が復帰してから、滞りなく物事を進めることができている。
実は彼女が離れている間、もう一人の副隊長にその役割を頼んだが、ほとんど機能しなかった苦い経験があった。周りが思っている以上に、彼女は部隊内のことに関して気を回していたのだ。バタバタしている第三部隊の部屋を見て、それを痛感していた。
見かねた平騎士のフリートが補佐に入ったりして、何とか難を乗り越えたが、第三部隊にとっては要の存在が浮き彫りになった時でもあった。
このままフリートにその役を押し付けたいが、彼の立場や未来を考えると、無理かもしれない。
「異性とくっつくっていうのは、本能みたいなもんだからな。そこで俺がとやかく言う筋合いはねぇ。お互いの気持ちが同じ方向ならくっつくのが一番いい。俺みたく別の方向に進まざるを得なくなった奴は別だがな」
時は確実に流れている。
かつて死闘に挑んだ若者たちは、自分たちの未来へ続く分岐点に差し迫ろうとしていた。
カルロットと会った後、フリートはリディスの部屋に向かったが、彼女は既に中にいなかった。朝食まで時間があるのに行動が早すぎだろうと思いつつ、ミディスラシールがよく散歩をしている庭へ向かった。
廊下を歩いていると、腕を組んでいる薄い灰色の髪の青年スキールニルと鉢合わせる。彼はフリートが口を開く前に、きっぱり言い切った。
「今はお喋りの時間だ。お前は中に入るな」
「俺はリディスに用が……」
「姫にとって息抜きでもある談笑の時間を潰す気か。節操がないな」
スキールニルの容赦のない言葉を受け、フリートはたじろぐ。
「これからお前も鍛錬があるだろう。お前が会いたがっていたことをリディス・ユングリガに伝えておくから、ここは遠慮しろ」
「あ、ああ、よろしく頼む……」
しどろもどろに答えながらフリートはスキールニルに伝言を頼んだ。気合いを入れて来たが、勢いが削がれてしまった。感情を出さずに淡々と物事を進める護衛騎士に、ミディスラシールでさえ頭が上がらないらしい。
「そういえばフリート、お前はいつか城を出るのか?」
唐突な内容にフリートは返答するのに数瞬間を置いた。
「それはまだ何とも……」
「つまり出る可能性はあるのか。もし時間があったらでいい、あのお転婆姫を扱える人間がいたら、紹介してくれ」
「それはどういう――」
フリートが問い返す前に、スキールニルは離れてしまった。隙のない身のこなしに鋭い眼球、少々近寄り難い雰囲気ではあるが、常に一歩先のことを見据えているのは確かだった。
昼過ぎに開かれた第三部隊の会議は、午前中に行われた幹部級の会議の内容を元にしたものだった。
二週間後にバナル帝国の皇子が、城の者からミスガルム王国の話を聞くためにミスガルム領を訪れる。そして、その相手としてミディスラシールが抜擢されたというのが、公にされる情報である。和平を結んでいる間柄ではないため、あくまでも歳の近い者同士の会合ということで話は進められるらしい。
その裏に縁談話が含まれていると知っているのは、城の上層部とミディスラシールと近しい者だけのようで、会議には話題が上がらなかった。
場所は不必要な混乱を引き起こしたくないので、ミスガルム王国ではなくラルカ町の近辺にある屋敷を借りるそうだ。
その内容を聞き、フリートは微笑みながらも思考を巡らしているミスガルム国王のことを思い浮かべた。
何かあっても即座に対処することで、大事にはなりにくい場所を選んでいる。城の内部であれば嫌でも貴族たちに見られるし、その噂が城下町へ広がってしまう恐れがある。だが極力人の目に晒されない場所であれば、どうにでも誤魔化せると見込んだようだ。国だけでなく領全体のこと、さらには魔宝樹を含めた五つの領のことを考えると、当然の対応かもしれない。
会合までの大まかな流れとしては、前日にミディスラシールが護衛を伴って密かにラルカ町を訪れ、翌日郊外にある屋敷で皇子と会うことになっている。ミディスラシールの護衛には近衛騎士団がつくが、その他の細かな警備には、騎士団の第二、三部隊の何班かが付くことになっている。一部隊丸ごと警備に当てると怪しまれる可能性があるので、あえてばらけさせたらしい。
当然というのかフリートもその警備の一人に入っていた。警備人員の一覧をざっと見ると、カルロットやセリオーヌはもちろんのこと、ルドリの名前さえもあった。団長自ら出てくるとは、ただ事ではないと穿った見方をしてしまう。
「ルドリは最後の砦みたいなもんだ。万が一収集が付かなくなったら、でてきてもらう。あいつは元が規格外の女だから、平時で出てくると色々と面倒なんだよ」
気になっていた点をカルロットが頭をかきながら、付け足してくれる。
その言葉を聞いた誰もが、苦笑いをして彼のことを見返していた。
カルロット隊長も充分規格外の人間ですよ――と。
彼は両手を叩いて、緩んでいた空気を引き戻した。
「だいだいのところはさっき言ったとおりだ。あとは班ごとに会議を開き、細かなことは決めて、俺に報告してくれ。いいな!」
カルロットの声の後に、皆ははっきりと肯定の意を発した。