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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
後日談 悠久なる恋情の果て
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後日談‐1 静かに擦れ違う関係(1)

後日談 悠久なる恋情の果て 連載開始

「リディス、少し話したいことがある。今、大丈夫か?」

「少しならいいですけど……。何でしょうか、お父様?」

 背中にまで伸びる金色の髪の女性は椅子に座り、眼鏡をかけた初老の男性――オルテガ・ユングリガと机を挟んで向かい合った。緑色の瞳を父親の瞳と合わすと、途端に目を逸らされ、溜息を吐かれた。

「……お前は本当に美しくなって、あの人に匹敵するくらい綺麗になったな」

 オルテガが隠語のように使う“あの人”とは、彼がかつて遠くで見守っていた女性のことを示していた。その女性はリディスを産んだ今は亡き母親のことでもあった。

 机の上で両手を握りしめているオルテガは、視線を下げたまま口を閉じている。リディスは思案している父親をしばらく辛抱強く見ていたが、何も変化はなかった。待てども待てども口を開かない。こちらとしては時間が惜しかったため、我慢しきれず言い返した。

「お父様、早く言ってください。もうじき私は城に戻ります。その支度をしなければならないんですよ?」

 その言葉を聞いたオルテガは顔を上げ、ようやく眼鏡越しから自ら視線を合わせてきた。

「フリート君が迎えに来るのか」

「ええ、まあ。一人でも帰れるって言ったのですが、心配って言われて……」

 頬を赤らめながらリディスは返す。

「……リディス、正直に言ってくれ。――フリート君との関係はどこまで進んでいるんだ?」

「どこまでって、どういう意味ですか?」

 フリートとの関係に対して、滅多に言及しないオルテガらしからぬ発言だ。父は一拍おいてから言い放った。

「――付き合っているだけなのか?」

「はい?」

 付き合う以外に、どのような表現があるのだろうか。

 オルテガは裏返しにしていた羊皮紙をひっくり返して、リディスに差し出した。

「実はお前に縁談話がきている。お前の返答次第では、こちらを受けなければならないだろう」

 その言葉を聞いて、リディスの思考は一瞬停止した。



 ドラシル半島に新たな魔宝樹(まほうじゅ)が芽生えてから早三年――、モンスターによる脅威がほぼなくなった頃、リディスは女性としての魅力が出てくる二十三歳になっていた。

 己の知識を深めつつ、交流という目的も兼ねてミスガルム城とシュリッセル町を往復している中、オルテガの口から出された言葉はあまりにも唐突だった。

 二十代半ばに結婚する人が多いため、リディスの年齢で縁談話がくるのは決して珍しいことではない。

 だが、シュリッセル町の町長の娘として他の町村に顔を出している機会がほとんどなかったため、他の人から目を付けられる要素などないと思っていたのだ。

 固まっているリディスを見ながら、オルテガは淡々と続けた。

「ミスガルム領の北にある、ラウロー町の町長の次男がお前のことを恋い慕っているそうだ」

「恋い慕っている!? 私、その人に会った記憶なんてありませんよ!」

 ミスガルム騎士団第三部隊所属のフリート・シグムンドの仕事の付き合いで、ラウロー町に一度行ったことはあるが、それだけだ。出歩いている最中、ずっとフリートと一緒だったおかげか、男に声をかけられることもなかった。

 心当たりがなく首を傾げていると、オルテガは躊躇いがちに口を開いた。

「……一目惚れだそうだ。金色の髪は目立つからな。すぐに身元が判明したらしい」

 リディスは金髪の毛先を摘みながら肩をすくめる。

 金髪に悩まされたことは幾度もあるが、まさか縁談にまで影響を与えるとは。

 がっくりうなだれていると、机の上で手を組んでいたオルテガははっきり声を出した。

「お前が嫌なら断る。だが断るにはそれ相応の理由がないと、私もできない。だからもしフリート君と今後のことを考えているのならば、それを理由にと思ったのだが……。実際のところ、どうなんだ?」

「フリートとは――」

 そこまで言って、言葉が途切れる。

 魔宝樹が戻ってきた時、お互いの想いを伝えあったことで、護衛や仲間以上の関係になった。

 一緒にいられる時は共に行動し、離れる時は手紙を出し合うと約束している。時折、想いを確かめ合うために口付けもしていた。世間的にはいわゆる“恋人”という関係にはなっているだろう。

 しかしそれ以上のことは行っていないし、話もしていない。ただ傍にいられるだけで安心して、何も考えていなかったのだ。オルテガに溜息を吐かせることになるが、ありのままの状況を伝えることにした。

「……フリートとは想い合っている仲ですが、それより先のことは今のところ何も……」

「フリート君もいい歳だろう。あちらから動きがあってもおかしくないと思うが」

「あの人はそういうことに関しては非常に奥手ですから、簡単に動かないと思います」

 それだけは断言した。普段は頭がよく回る青年だが、恋愛関係になると途端に鈍くなる。自分の感情でさえ上手く把握できていなかったのに、先のことまで彼が考えているとは思えない。

 オルテガは息を吐き出して、立ち上がった。

「次に戻ってくる時までに、二人で結論を出してほしい。先方に痺れを切らされた結果、ラウロー町と商品のやりとりができなくなったら困るからな」

「返事が遅くなくても、断ったら圧力をかけてくるのではないのですか? それなら私に選択肢は――」

 リディスが俯きがちになると、オルテガが軽く肩に手を乗せてきた。視線を上げると、穏やかな表情をした育ての父親がいた。

「娘が望んでいた未来を引き裂くようなことはしたくない。理由をはっきり言った上での断りにも関わらず、しつこく言い寄ってきたり、圧力をかけてくるようなら、いっそあちらと縁を切った方がいい。そのような心の狭い人たちとはお付き合いできないからな」

「お父様……」

 実の娘のように気遣ってくれる言葉は、何よりも嬉しかった。

 シュリッセル町の安泰と繁栄を考えるのならば、受けたほうがいい縁談だろう。だがリディスとしては首を縦に振れなかった。

 胸元できらめく魔宝珠が埋め込まれた鍵のペンダントを、贈られた相手がいるが故に。



 * * *



 オルテガから縁談話を持ち出されて三日後、リディスを迎えにきたフリートはシュリッセル町を訪れていた。

 出会った当初よりもさらに精悍な顔つきになり、凛々しさが増した青年だ。その外見を見て、惚れてしまう人もいると聞いている。しかし黒髪黒目で一見して好青年に見える彼が口を開き、乱雑な言葉や怒鳴り散らす姿を見れば、たいていの人は引いてしまうようだ。リディスとしては口うるさいのがフリートという男だと知っているので、特に接し方は変わらなかった。

「おい、お前、様子がおかしくないか?」

 町の入り口で馬に荷物を括り付けていたリディスは、フリートの言葉を聞くなり、びくっと反応した。

「そう?」

「俺と視線を合わせない」

「……気のせいよ。それよりもちょっと手伝ってくれる? 上手く括れないの」

 話を流して、リディスは括り付けられない荷物の一つをフリートに手渡した。受け渡す際、彼に手を握りしめられる。頬が仄かに赤くなった。

「な、何?」

 フリートがリディスの手のひらを開いて、渋い表情で見下ろした。

「毎日どれくらいの時間、スピアを振っているんだ。豆がまたできているぞ」

「別にいいじゃない、私がどれだけ振ろうが」

 素っ気なく返すと、フリートはむっとした顔つきになった。

「その言い方はないだろう。豆がたくさんできた影響で、いざというとき満足にスピアを振れなかったらどうするつもりだ。もう少し自己管理というものを、しっかりしたらどうだ?」

 その言葉を聞いて、かちんときた。自分を省みない行動をしがちなのはリディスも重々承知だったが、同様の傾向のフリートには言われたくない。

 ここで口を開いたら、怒濤のように言葉を並べそうだったため、口を閉じて想いを封じ込める。そして自分で無理矢理荷物を括り付けて馬に飛び乗った。

「おい、リディス、聞いているのか!?」

 フリートの苛立った声が聞こえるが、すぐには返答せず、笑みを作ってから顔を向けた。

「早く行こう、フリート。陽が暮れるわよ」

「そんなのわかっている。おい、俺の話――」

「何度も言わないで! 私が悪かったですよ、ごめんなさい!」

 地面に足を付けているフリートは、目を丸くしてリディスを見上げた。数瞬の間をおき、彼は顔をひきつらせて馬に飛び乗る。

「何でいきなり怒るんだ。注意しただけだろう」

「逆に聞くけど、どうして注意するのよ。私とフリートとの護衛関係はとうの昔に解消されているし、師弟関係でもない。指示される覚えはどこにもない」

 リディスはゆっくり馬を歩かせ始める。シュリッセル町の門番に一礼して、町の外に踏み出した。少しずつ速度を上げて走らせていく。そのすぐ後ろをフリートは追ってきた。

 しばらく黙ったまま走らせていたが、ほどなくしてフリートは口ごもりながらも言葉を発した。

「……たしかに今の俺では、お前に注意する権利はないかもしれない。だがよ……、好きな女の心配くらいしてもいいだろう。俺がいない間にお前の身に何かあったら――」

 頬が一瞬で熱を帯びた。心拍数が一気に上がる。フリートが真横にいないのがせめてもの救いだった。

(どうしてこの男は、恥ずかしいことを平気で口に出すのよ!)

 馬の速度を落として歩く程度にする。視線を逸らして、小さく言葉を吐き出した。

「ごめん。これからはあまり振りすぎないよう気を付ける。もう少し自分の体に気を使うわ」

 そう呟くとフリートの表情が僅かに緩んだ。その表情がリディスの心を震わす。

 どうしてこんなにもリディスのことを想ってくれるのだろうか――。

 それを再認識したことで、暗かった気持ちが少しだけ明るくなった。

 彼に縁談話を持ち出せば、さすがに二人の関係について何らかの動きを示してくれるだろう。

 城に着くまでは、そのことを信じて疑わなかった。



 * * *



 シュリッセル町から出発して一週間程で城に到着した。馬を馬小屋に入れてから二人は入城する。

 到着した時は昼の半ばであり、騎士の鍛錬時間だったため、廊下をすれ違う人間は侍女ばかりだった。

「部屋まで荷物を運ぶ。その後、お前は姫に会いに行くんだよな?」

「あちらの都合が大丈夫そうであれば。色々と手間かけさせて、ごめんね」

「いつものことだろう。気にするなって」

 ふとリディスはフリートの横顔を見上げた。改めてまじまじと見る。思わず呆けて見入ってしまいそうな、大人びた顔つきだ。その顔がこちらに向き、真正面から見つめ合う形になる。

「俺の顔に何かついているか?」

「違うわ。……あのね、フリート、話したいことがあるの。今夜時間があれば――」

「そこにいるのはフリート様ですわね!」

 明るい調子の少女の声が、リディスの耳に飛び込んできた。その声を聞いたフリートの表情は途端に険しくなる。

 視線を廊下の先に向けると、明るい茶髪の少女が腕を広げながら笑顔で駆け寄ってきた。彼女の後ろでは栗色の髪の少年が顔を引きつらせていた。少女は一目でわかるほど、値段が高そうな服を着ている。背丈はリディスよりも低い、小柄な子のようだ。胸は大きく、足が床をつくたびに、胸元が激しく揺れていた。

「お帰りなさいませ、フリート様!」 

 フリートのもとに寄ると、躊躇なく抱きついた。それを目の当たりにしたリディスの顔が強張る。

「おい、こら、やめろ!」

 フリートは拒絶の言葉を発するが、仄かに耳が赤かった。

「ヒルダはずっとフリート様のお帰りをお待ちしておりました。ご無事の帰城で何よりでございます!」

「挨拶はいいから、離れろ!」

「寂しかったのですから、少しはいいじゃないですか。フリート様とヒルダの仲ですよ?」

 あどけない表情の中に含まれる、どことなく甘ったるい声。

 呆然と眺めていたリディスは我に戻り、フリートにおそるおそる声をかけた。

「フリート、誰、この子……?」

 リディスが口を開くと、ヒルダはようやく第三者がいるのに気づき、こちらに向いて目を瞬かせた。

「あなたこそ誰でございますか? フリート様にそのような無礼な口のきき方をして」

「私はフリートの――」

 彼女または恋人と言っていいのか一瞬躊躇った。

 リディスとフリートの関係は、三年前の事件を詳細に知る人や、第三部隊の人々には周知の事実である。

 しかし大々的に公表している内容ではないため、ここで言い切っていいのかという考えがよぎったのだ。もし話に妙な尾ひれがついて、あり得ない噂が流れてしまったら、フリートの立場が悪くなる。

 だから無難過ぎる関係しか言えなかった。

「――昔共に戦い抜いた仲間です」

 それを聞いたヒルダの表情が、ぱっと花開いた。

「そうでしたの? フリート様がこんなに美しい方と(いくさ)に出ていらしたなんて、ヒルダびっくりです!」

「ヒルダさんが俺の元に来る前の話だ。知らなくて当然だ。……とりあえず離れろ」

 そう言うと、ようやくヒルダはフリートから離れた。豊満な胸も彼から離れる。リディスの表情が少しだけ緩んだ。心に余裕ができたところで、ヒルダに対して知るべき問いを口にした。

「失礼しますが、ヒルダさんはフリートとどのようなご関係ですか?」

 彼女はにこにこしながら答えた。

「将来を誓い合った関係ですわ」

 それを聞いたリディスは表情を固まらせて、その場で立ち尽くした。

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