終章 魔法の宝珠がなる樹(1)
柔らかな光が窓越しから射し込んでくる。その光は金色の髪を明るく照らし出していた。
廊下を歩いていた金色の髪と緑色の瞳を持つ娘は、ある扉の前に立つと姿勢を正して軽やかに扉を叩いた。すると中から凛とした声で入るよう促してくる。それを聞くとドアを引いて踏み入れた。
「こんにちは。ご無沙汰しています、ミディスラシール姫」
大量の紙や本が積まれた机の奥にいる同じ色の髪と瞳を持つ娘が、軽く手を振りながら出迎えてくれた。笑顔であるが、若干目の下に隈ができているのが気になるところである。
「お久しぶり、リディス。ごめんなさい、すぐに会えなくて」
リディスは扉を閉めると、首を軽く横に振りながら近づく。
「いえ、お忙しそうですから、気にしていませんよ。私も皆さんにご挨拶していて、ようやく一段落付いたところですから」
「そう、なら良かった。――早速だけど、お昼食べに行きましょう! といっても庭にあるテーブルに料理を運んでもらうだけだけどね」
庭と聞き、リディスは籠のような屋根付きの建物を思い出した。
「昔、よくお茶をしていたところですか?」
「その通り。時間もないし行きましょう。スキールニル、昼食はどれくらい時間がとれるの?」
ミディスラシールは彼女の傍で静かに佇んでいた、薄い灰色の髪の青年に声を投げかける。彼は表情を変えずにきっぱりと答えた。
「二時間です。貴女様にその時間だけは仕事を入れるなと強く言われましたので、その間の他の予定は一切ありません」
「わかったわ、ありがとう。――ではリディス、行きましょう」
ミディスラシールが意気揚々と部屋から出て行く。リディスは慌てて彼女の隣に寄った。スキールニルは肩をすくめながら、大股で近づいてくる。その姿を見てリディスはぽつりと呟いた。
「スキールニルさんって、騎士というより秘書みたい……」
「頭の回転が速い、有能な秘書よ。剣を抜く機会も減ってきたし、当然の成り行きでしょう」
ミディスラシールは悪びれもせず言い放つ。リディスは苦笑いをしながら、彼女と他愛もない話をし始めた。
月日は流れ、ドラシル半島に魔宝樹が復活してから約三ヶ月が過ぎようとしていた。
* * *
ラグナレクとの戦闘直後は、樹の傍で戦った者は誰もが疲労困憊かつ怪我を負っていたため、城まで連れていかれて治療を受けさせられていた。
リディスはそこまで重傷ではなかったが、精神的にかなり消耗していたらしく、ひたすら眠り続けていた。まともに動けるようになった頃には、既に多くの人が働いているほどだった。
動けるようになった者から、既に始めている城下町や城の復興、そして周辺にいるモンスター掃討をする部隊に合流していく。フリートも早々と怪我を完治させ、第三部隊長のカルロットや副隊長のセリオーヌと共に奔走していた。
リディスも当初はラグナレクの攻撃によって多大な被害が出た城下町の復興を手伝っていたが、一ヶ月経過したあたりで国王から直々に言われたのだ。
「手伝ってくれるのは有り難いが、一度はシュリッセル町にいる父親に顔を出しなさい」――と。
手紙で育ての親であるオルテガに無事を伝えていたが、受けた側としては直に会わなければ胸を撫で下ろすことができないらしい。
途中で投げ出すことを嫌っているリディスとしては、なかなか首を縦に振れなかったが、ファヴニールがシュリッセル町周辺の様子を見に行くから一緒に行こうと言われて、ようやく承諾したのだ。
フリートも着いて行きたそうな雰囲気を出していたが、騎士団の部隊に所属している者が迂闊に単独行動にでられるものではない。名残惜しそうに見送られながら、数週間後の再会を誓った。
シュリッセル町に戻ると、白髪が増えたオルテガとすぐに再会した。そしてまるで存在を確かめるかのように、しばらく抱きしめられていた。
一方、ファヴニールが再び還術ができるようになったと聞くと、非常に喜んでいた。在るべき樹が戻り、正しき循環が戻ったおかげだろう。すべては丸く納まったようである。
その後、屋敷で一息ついてから、リディスはファヴニールと共に町の中や周辺の巡回を行った。町は強力な結界で護られていたため、中の被害は最小限に抑えられたようだ。
外に出れば未だにモンスターの気配もあるが、リディスが生きてきた中では最も数が少なくなっている。城から派遣された騎士がいなくても大丈夫なほど、平和だった。
それらを踏まえてリディスたちも戻っても大丈夫だろうと判断し、一通り巡回を終えたところで、再びオルテガの元から離れて、被害が大きかった城に戻っている。
* * *
ミディスラシールと共にリディスは城の中庭に出ると、石でできた円柱の鳥籠のような場に案内された。その中央には丸テーブルと椅子が二脚置いてある。お待ちしていたと言わんばかりに、フォークやナイフなども置かれていた。にこにこしながら、ミディスラシールは席に着いた。
「そういえばリディス、メリッグさんたちのこと聞いている?」
「本人たちから聞きましたよ。途中でシュリッセル町に寄ってくれたみたいです。正直言ってびっくりしました。まさかあの二人で旅に出るなんて」
「そんなに驚くほど? 前々からいい関係だとは思っていたから、特に違和感はなかったわよ」
リディスは紺色の長い髪を持つ美しい女性と、赤茶色の髪にバンダナを結んでいる青年を並べて思い浮かべる。傍から見えれば正反対のような二人組。だが反対だからこそ、惹かれるものがあったのかもしれない。
* * *
リディスがシュリッセル町に滞在している頃、馬に大量の荷物を括り付けたメリッグが、トルと共に訪ねにきたのだ。こちらが城から出る時は、彼女は図書室に籠もって調べ物をしていた。何を調べているかは教えてくれず、自分には読めない古代文字を訳して、ひらすら紙に書き連ねていた。
リディスは屋敷に二人を通し、紅茶を淹れてから話を切り出した。
「メリッグさんにトル、どうしたんですか?」
「ちょっとご挨拶に。……あら、意外と元気そうね。フリートと離ればなれだから、元気がないかと思ったわ」
「な、何を言っているんですか! どうしてここでフリートの話題が……」
「公衆の面前で想いを伝えあったのだから、今更隠す必要もないでしょう。彼、寂しそうにしているから、用が済んだらすぐに戻ってあげなさいよ」
「……わかっていますよ。もう少しで戻りますから……」
顔を真っ赤にして、リディスはぶつぶつと呟く。メリッグは腕を組みながら、くすっと笑った。
「ここに寄ったのは食料の補充と、貴女への挨拶ね。――しばらくドラシル半島から離れて、隣の大陸に行ってくるわ」
リディスははっとして顔を上げた。メリッグはとても穏やかな表情をしている。
「別に気の迷いじゃないわよ。――探しに行きたいの、もしかしたら生きているかもしれない両親たちを」
その言葉を聞いてリディスは目を丸くした。
メリッグから、彼女の両親たちを含めたプロフェート村の多くの村民たちは、バルエールの召喚によって消えたと聞かされている。その人たちを探すとはどういう意味だろう。
「ロカセナがある召喚を応用した結果、空間と空間を繋いで、離れたところに物を召喚した、というのは聞いたことがあるわよね」
「はい」
「それを聞いて思ったの。大規模にできたらどうなるのかしらって。そこで城の図書室で調べていたら、少し気になる記述を見つけたのよ。アスガルム領民が訪れた地で、数日だけれどとある村が丸ごと消え、その後戻ってきたという記述が」
リディスはあっと声を漏らした。メリッグは両親の遺体を見ていない。目の前から消えただけだ。
彼女は軽く前髪を後ろに払う。
「その記述から想像して、もしかしたら両親は別の場所で生きているかもしれないって思うようになってしまったのよ。――そんな解釈、ただの自己満足だってわかっているわ。けれど貴女の突飛な発想を目の当たりにして、僅かな可能性でも縋ってみるのもいいかもしれない、と思うようになったの」
「それで旅に……」
メリッグが前を向いて歩いてくれることは非常に嬉しい。罪の償いではなく、自分のために進み出してくれることは、とてもいいことだった。
だが半島の外に出るということは、今後リディスたちと会える可能性も低くなる。
視線が下がり気味になると、メリッグは軽く覗き込んできた。
「別に今生の別れになるわけではないわ。私だっていつまでも若くないから、何年かしたらこっちに戻って、この地で落ち着く予定よ。そしてエレリオ先生が考えている、水の魔宝珠を護る村の再建の援助をしたいと思っているわ。あと――」
メリッグがくすりと笑みを浮かべた。
「あなたたちの結婚式を観てあげるから、式を挙げるときは教えなさいよ」
一瞬で耳たぶまで赤くなり、リディスは慌てふためく。オルテガやフォヴニールが屋敷から離れているのが幸いだった。
「な、な、何を馬鹿なことを言っているんですか! 冗談はやめてください!」
「口が悪いのは難点だけど、文武両道の騎士で、貴族の次男坊でしょう。いい優良物件じゃない。それに何だかんだいって貴女には甘いから、絶対尻に敷けるわよ」
「フリートは物じゃないし、そこまで考えていないですって! 今はお互い色々と忙しいんです!」
「忙しさにかまけていると、あっという間に歳を取って、他の女にとられるわよ。あの人、最近丸くなったから、狙っている人も出てきたらしい」
「え……」
思いも寄らぬ言葉を聞き、リディスは顔をひきつらせる。
「それなりの地位の貴族の父親がいて、お姫様との繋がりもあったら、政治的な意味合いで取り入ろうとする人がいてもおかしくないわ」
「その立場を利用されるのは、フリートが一番嫌っていることですよ。彼に限ってそんなことは……」
「そうかしら。無理矢理とはいえ一緒に寝たら、生真面目な彼はさすがに首を縦に振るしかないんじゃない?」
リディスの表情が固まった。訪れる沈黙。
それを打ち破ったのは、今まで発言しなかった青年だった。
「……メリッグ、そろそろやめろよ。リディスが可哀そうだ」
トルがあからさまに溜息を吐いている。メリッグは鋭い視線を送ったが、彼は動じることなく緩めた表情をリディスに向けた。
「フリートはたしかに恋愛に関しては超鈍いが、そこら辺は大丈夫だろ。あいつに限ってそんな器用なことできるわけがないからな!」
右手の親指を立てながら自信満々に言われたが、なぜかあまり説得力はなかった。
用事を手早く済ませて、フリートに会いに行こうとリディスは心の中でしかと決めた。
ふと、リディスはトルに向かって首を傾げる。
「トルはどうしてメリッグさんの旅に同行するの?」
「こいつが心配だからさ。精霊の加護が小さい大陸に行ったら、それに頼り切っているメリッグがどうなるかわかんねえだろ。それにいい機会だから大陸にも行ってみてえんだ」
僅かにメリッグの口元が緩んだが、すぐにいつものように口を尖らした。
「荷物持ちに使えそうだと思ったから、同行を許しただけよ。それ以外使えないでしょう、こんな男」
「まあそれも兼ねて一緒に行くってわけだ。リディスたちとしばらく会えないのは寂しいけどよ、また会いに行くから元気でやっていろよ。面白い土産話集めてくるな」
笑顔でさばさばと答える、トル・ヨルズ。以前はメリッグに苦手意識すらあったように見えたが、何だかんだいって馬が合うようだ。
寂しいと思いつつもリディスは再会を誓って、二人と握手をかわしあった。
* * *
「メリッグさんとは時々手紙を交換しています。ルーズニルさんとクラル隊長から頂いた伝書鳩を使って、手紙を送ってくれるので、それに返信という形で手紙のやりとりをしています。――城を出る前に馬術を練習したおかげで、もうそろそろドラシル半島を抜けようとしているらしいです」
リディスは鞄から何通か手紙を出すと、ミディスラシールはにこりと笑った。食事も進み、主食である肉を頬張っている。
「加護がない地に行ってしまうのは心配だったけれど、トルがいるなら大丈夫だと思うわ。彼も体を張って、メリッグさんを護るでしょうから。楽しみね、あの二人の関係も。そういえばリディス、スレイヤさんからの招待状は受け取った?」
「はい! 今朝ルーズニルさんから受け取りました。三ヶ月後、ミーミル村で挙式です」
幸せそうな雰囲気を振りまいているルーズニルのことを、リディスははっきりと思い出す。
* * *
「あ、リディスさん! 今から君の部屋に行こうと思っていたんだ」
いつも以上に雰囲気が明るいルーズニルと、リディスは廊下で会っていた。彼は小走りで近寄るなり、一通の手紙を渡してきた。上質な紙の封筒に分厚い中身。差出人には『フェル・コールド』と『スレイヤ・ヴァフス』の文字が書かれている。
封をルーズニルから借りたペーパーナイフで開けると、中から結婚式の招待状が出てきた。リディスも思わず表情を綻ばす。
「いよいよ結婚するんですね!」
「そうなんだ! ミーミル村の復興も進んでいるから、周囲からいい加減に結婚しろと言われたらしいんだ。風の魔宝珠の守り人としての役目も終わるから、いい機会と思ってこの時期に式を開くらしい」
「色々と忙しくなりますね……。けど喜ばしいことですから、スレイヤ姉さんも頑張れるでしょうね。ルーズニルさんはお手伝いとかしないんですか?」
「手伝いたいけど、新しい事業を始めるからたぶん無理かな。当日は行けるよう、予定だけは空けておく」
「新しい事業?」
「――ケルヴィーと共同で、ヨトンルム領内で移動学校をやろうと思っている」
リディスはきょとんとしていると、ルーズニルは紐で留めてある分厚い紙の束を鞄から取り出した。
中身は移動学校の概要のようだ。内容を簡単に言えば、ルーズニルたちが旅をしながら各村に立ち寄り、そこの村の子供たちに勉強を教えるというものである。
「あとニルーフにも手伝ってもらう、というよりも移動学校を通じて勉強してもらうつもりだ。ヨトンルム領は良くも悪くも知識の差がありすぎて、教養的なことを知らない人も少なくない。この前の彼の行動に関しても、正しい知識がなかったために、悪い知識を吹き込まれて信じた、という経緯があるからね」
「ニルーフも一緒に……」
リディスたちと敵対していた同志の一人である、十歳の少年ニルーフ。ロカセナの話によれば、殺されたゼオドアからよく話を聞かされていたらしい。少年が起こした行動から、その話は彼に対して悪い影響を与えたというのは容易に察することができた。
「初めは嫌そうな顔をしていたけど、ケルヴィーが城に寄ってシルを見せると、目を輝かせていたよ。やっぱり子供だね。珍しい物には興味があるみたいだ。各地を転々とすれば、もっと面白いものが見られるよって言ったったら、嬉しそうな顔をしていたよ」
「今までは淡々と指示通りに動いていただけですからね。外に出ることで、たくさんの新しいものが発見できるでしょう」
同志たちには少しでも明るい未来を歩んでほしかった。
たしかに彼ら、彼女は多くの危害を加えたが、それは目的を達成するための手法が乱暴過ぎただけだ。その事実を肯定するわけにはいかないが、彼らがそのまま人生の末路を迎えるのは忍びなかった。
凄腕の剣技を使いこなすガルザは、今ではムスヘイム領の領主スルトの用心棒になっている。髪を刈り上げられ、さっぱりした風貌になっているらしい。
レリィを情報収集屋として迎える以上に、周囲から猛反対があったのは当然だった。しかし、町の郊外で貧富の差によって発生した乱闘の仲裁を任し、彼が誰一人殺さずに平定したことで、どうにか周囲の者の首を縦に振らしたらしい。
ガルザは「金持ちのぼんぼんなんて、死ねばいいのによ」などと呟いていたらしいが、殺めることまではしなかった。己の職を失い、追われることを恐れたためか。もしくはスルトに出された交換条件に考慮したためか。どのような想いを抱いているかは、本人に聞かなければわからなかった。
スルトはガルザを引き取る際、彼の弟分を殺した者を探し出すよう、傭兵たちに指示を出したらしい。数年前の話であるため、見つかる可能性は低いが、行動を起こさなければ可能性は限りなくゼロのままだろう。
さらにスルトはもう一つ思い切ったことを始めていた。
日々の鬱憤を晴らす場として、ヘイム町の傍にあった闘技場を建て直し、そこで月に何度か大会を開催して、ガルザをはじめとする多くの者たちに競わせているそうだ。結果として、以前よりも乱闘や事件は減ったと聞いている。ガス抜きをする場は、どの時代でも必要だった。
水の精霊を使いこなすヘラは、ニルヘイム領に戻り、エレリオのもとで水の魔宝珠を護る村の再建の手伝いをしていた。メリッグに激しい憎悪を抱いていた彼女は、よほどゼオドアに裏切られたのが衝撃的だったのか、死闘後はしばらく塞ぎ込んでいたらしい。
そんな中でエレリオが再建を考えているという話を聞き、かつて住んでいた地に戻ろうと決めたようだ。メリッグが僅かな可能性の中で両親たちを探しに行ってくる、と言ったことも後押しした要因だろう。
しかしメリッグは、再建に協力したいと言った三十近い青年にヘラが一目惚れしたというのが一番の理由だと、苦々しい表情で言っていた。自分への意識が削がれるのはいいことだが、ここまで恋愛体質だったとは思わなかったらしく、かなり驚いていた。
「恋が人を変えるっていうのは、自分も周りもしているから納得できるけど、ここまで極端なのは初めてだわ」
メリッグはリディスをまじまじと見て言う。視線を逸らして笑いながら、リディスはその場を受け流した。