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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第八章 魔宝樹への道標
185/242

8‐31 扉を開ける者達(5)――走り出す未来への道

 * * *



 声が聞こえる。はっきりとした低い男らしい声と、それよりもやや高い中性的な声の持ち主の二人だ。二人で言い合っている声は、久々に聞くものだった。

 閉じられていた瞼がゆっくり開かれる。

 まず視界に入ったのは暗い雲に覆われた空。心が萎縮しそうな暗さを物語っている。

 次に入ってきたのは見慣れた黒髪の青年の顔と、疲労が見える銀髪の青年の顔だった。ロカセナと視線があうと、彼は右手をすぐ傍にまで差し出してきた。

「お帰り、リディスちゃん」

 その手を取ると直に人の体温が伝わってきた。まだ自分は生きている。肉体も精神も死んではいない。

 引っ張られながら起きあがり、リディスは口元を緩めた。

「ただいま、ロカセナ。そしてフリート、ありがとう」

 ロカセナはにこりと微笑みながら返し、先に意識を取り戻していたフリートは素っ気ない言葉で返答した。

 だが再会の余韻に浸っている時間はない。すぐに三人の表情が険しいものになる。

「フリートから軽く話を聞いたけど、ラグナレクの封印をこの場で一度解くって正気かい? 危険だとは考えなかったの?」

 ロカセナは目を細めながらスピアに突き刺さっているラグナレクを見据える。

「もちろん考えた。でも樹の力を借りるには、封印を解いて二つを切り離すしかない。どうせいつかは離さなければならないことでしょう。今、やってもいいじゃない」

「……自ら責務を負いに行くなんて、血は争えないね」

「え?」

 首を傾げると、ロカセナは首を軽く振った。

「何でもない、続けて」

 釈然としないが、リディスは話を続けた。

「おそらくスピアを抜けば二つは切り離せて、樹に刺激でも与えれば、留まっていた負の感情は抜けていくと思う。そうでなかった場合、再度検討することになるけど……」

「リディスちゃん並みの能力があれば、それでたぶん大丈夫だよ。世の中は意外と単純に作られているから、余程複雑な工程を踏んでいない限り、思ったことを実行すればいい」

 ロカセナはリディスとフリートに、交互に視線を送る。

「僕が二人の援護をするから、リディスちゃんは魔宝樹の解放を、そしてフリートは手に持っている鍵を使って、僕が創り、リディスちゃんが閉じた扉をもう一度開けて。膨大な魔力を持つ樹の力が少しでも戻ってくれば、おそらく開けられるはずだ」

「本当にフリートが開けられるの?」

 リディスは思わず半信半疑の言葉を漏らすと、フリートに不服そうな顔を向けられた。

「俺にはできないっていうのか」

「いや、そうじゃないけど……」

 しどろもどろになっていると、ロカセナが助け船を出してくれた。

「フリートも立派な扉を開ける人物の一人。こいつとその鍵の力でここまで来られたんだよ。……理論的には僕もできるけど、今の時点ではちょっと体力的に厳しいかな」

 苦笑しながら自分の左脇腹に軽く触れた。止血用に何重にも積み重なっている布を見ると、リディスは胸が引き締められる思いになる。自分を庇ったせいで負った怪我だ。もし当たりどころが悪ければ、即死だっただろう。

「そんな顔しないで。騎士の努めはお姫様を護ることだから」

「私は姫じゃない。お願いだから無理はしないで」

「承知しました、リディスラシール姫。貴女様も危険な行為はくれぐれも避けてくださいませ」

 にこにこしながら、わざと姫をつけて呼んでくる。こんな状態にも関わらずからかうとは。彼なりに少しでも空気を柔らかくしたかったのだろう。おかげで肩に入っていた力が、多少緩んだような気がした。

「そうだフリート、これは返しておく。今度はお前の方があのモンスターと接触する時間が長いだろう」

 ロカセナが土の魔宝珠の欠片を投げると、フリートはそれを軽々と掴んだ。手を広げて中身を確かめてから、ポケットにしまい込む。

「悪いな。少しは加護が欲しかったところだ」

「精霊がいない中で加護に(すが)りついても、無意味だと思うけどね」

 素っ気ない言葉を吐いて、ロカセナは腰を上げる。それにあわせるかのように、リディスとフリートも立ち上がった。

 視線の先にあるのは、魔宝樹とスピアに刺されたラグナレクの姿。

 殺気が強くなっていた。一刻も早くこの場から逃げるべきだと、頭の中で警鐘が鳴り響いている。しかしそれはできないことだった。

 胸に手を当てて、深く息を吸って吐く。

 心を少しでも鎮めたところで、リディスは二人の青年に視線を送ってから、魔宝樹に向かって駆けだした。

 後ろから援護してくれるのは、フリートとロカセナの騎士二人。

 リディスが魔宝樹から負の感情を解放している間に、フリートがラグナレクの相手をし、ロカセナが二人の援護をする。そして解放次第、フリートが地上への扉を開いている時に、残りの二人で援護とラグナレクの相手をする。

 ふと三人で初めて行動した、ルセリ祠での戦闘が脳裏によぎった。

 あの時はフリートに散々駄目だしを食らい、自信がなくなっていた時だったため、余計な躊躇いのせいで彼に怪我を負わせてしまった。初めての連携で上手く噛みあわなかったのも、その原因だと思われる。

 だが今回は違う。

 ロカセナと離れていた時期があったとはいえ、多数の戦闘を繰り返したことで、二人は何ができるか、何がしたいかはおおよそ判断できた。それだけでなく、自分がその瞬間にできることも察することができた。

 絶対に失敗できないという重圧もあったが、二人がいるからこそ、格が違いすぎる相手でも何とか突破できるのではないか、という妙な自信もあったのだ。

 ラグナレクからやや離れて、リディスは魔宝樹に近づいた。

 フリートはバスタードソードを召喚して、ラグナレクの視界にぎりぎり入るように構える。事前に三人の周囲に簡易結界を張ったため、彼の周囲はうっすらと緑がかって見えた。

 ロカセナはリディスの傍に寄り、ラグナレクの様子を注視する。

 そして樹の傍に寄ったリディスは大きく深呼吸をし、両手を胸で握りしめながら、高らかと声をあげた。


「魔宝珠よ、我が想いに応えてくれて、ありがとう――」


 召喚を解除する言葉を述べると、ラグナレクを突き刺していたショートスピアが消えた。ラグナレクがその場に片膝を立てて着地する。先ほどよりも殺気が色濃くなる。魔宝樹の中で蠢いていた黒い霧のようなものの動きは遅くなった。

 リディスは再度ショートスピアを召喚し、はやる想いを抑えながら、切っ先に力を込め始める。切っ先の両脇には、色とりどりの四つの石が浮かんでいた。

 ラグナレクが揺らめきながら膝を地面から離す。

 フリートはごくりと唾を飲み込む。ロカセナは彼らの動向を気にしつつ、リディスのことをちらりと見た。

 スピアの切っ先がうっすらと輝き出す。同時に体に重しのような負荷がかかる。四大元素の欠片を所持しているため、負荷は和らいでいるはずだが、それでも体力はかなり奪われ始めていた。

 表情のない顔をラグナレクはフリートに向けた。緊張感が一気に高まる。彼はすぐ動けるように重心を前に置いた。

 ラグナレクは軽く手を一振りした。小さな光の線が飛び出て、フリートの元に辿り着く前に消えていく。

「召喚物の威力が落ちている。魔宝樹が再びこの空間を支配しようとしているぞ!」

 ロカセナが伝えてくれた言葉は、状況が好転しているのを知らせてくれるものだった。

 ラグナレクはこの空間内では、先ほどのような強力な召喚はできない。大規模召喚ができない三人にとっては戦いやすくなった。

 しかし、リディスたちが所有している召喚物の強度や威力なども落ちている可能性がある。手放しでは決して喜べなかった。

 重力球が小さなものしか召喚できない、モンスター召喚も無理だとラグナレクは悟ると、背丈ほどある大剣を召喚した。そして目の前にいる敵、フリートに向かって切りかかる。甲高い音が鳴り響く。

 リディスは加勢に出たいという想いを押し込めて、切っ先に力を込めた。

 光は強くなり、先端から小さな球ができる。樹の傍に寄って、言葉を掲げた。


「人々の負の感情よ、在るべき処に――」


 そして踏み込んで、スピアを突き出した。


「還れ!」


 先端が魔宝樹に突き刺さると、光はあっという間に樹を包み込んだ。うっすらと黒いものが漏れ出てくる。

 スピアを突き刺したまま、リディスは四大元素の欠片が入った袋をロカセナに手渡す。彼はそれを受け取ると、ラグナレクと間合いを取っているフリートの元に駆けていった。

 樹の生命を食っていた負の固まりは、四方八方から徐々に放出されていく。リディスはスピアを抜くと、その場から急いで離れた。

 次の瞬間、樹の全包囲から黒い霧が拡散した。それらはリディスたちの体を通り抜けていく。

 その際、脳内に人々の憎しみや悲しみが結集した、見たくもない光景が流れ込んできた。必死に意識を逸らそうと試みるが、情報量が多すぎて嫌でも見てしまう。

 フリートはラグナレクからよろめきながら距離を取っている。だがその間に負の感情を吸収し、動きが機敏になった相手が彼に向けて剣を振り上げていた。

 瞬間、眉間にしわを寄せた銀髪の青年が、リディスが貸した短剣でラグナレクを後ろから切りつける。背後からの攻撃に気づいたラグナレクは、攻撃対象を変更して、後ろに剣を凪いだ。

 軽々と跳ね返されたロカセナは、弾かれた衝撃を利用して間合いを取った。

「僕に負の感情を入れ込んでも無駄だよ。自分が今まで他の人にやってきたことを受けるんだ。これくらいのことで屈してたまるか……!」

 ロカセナは肩を激しく上下に動かしていた。僅かに攻撃を受けたとはいえ、あまりに呼吸が激しすぎる。リディスは彼の手元に視線を向けると、左手の甲が赤く染まっているのに気付いた。

 我を取り戻すために、自分の身を傷つける。

 彼が即座に行ったその決断は、ある意味では最善のものだった。

 負の感情に支配されそうになったリディスとフリートは、ロカセナの決死の覚悟を見て、自分の意識をはっきりさせた。

 三人の周囲に漂っていた黒い霧は少なくなっていたが、ラグナレクの頭上にはその霧が集まり始めていた。あのモンスターがあれを吸収したら、戦況はかなり悪くなる。

 ラグナレクから離れようとしているロカセナの元に、リディスはスピアを手にして全速力で向かった。そして間合いを取っていたロカセナと流れるように入れ替わる。

 援護を受けた彼は、鍵を握りしめるフリートに魔宝珠の欠片を届けに行った。

 リディスは小刻みに震える手を、スピアをきつく握りしめて抑え込んだ。

 大剣を軽々と持つラグナレクが近づいてくる。攻撃するのではなく、かわすことを念頭に置いて見据えた。

 視線を一瞬、黒い霧がある空に向ける。その隙にラグナレクは一気に間合いを詰めてきた。

 避けるのは無理と判断し、振り降ろされた大剣をスピアで弾いた。

 手に重い負荷がかかる。

 まともに大剣と相手をすれば、スピアが砕けるか、手にヒビが入る可能性が高い。

 牽制のために、こちらから突きを次々と繰り出す。軽々とかわされるが、すぐに相手から反撃されることはなかった。

 こちらから何度か行うと、ラグナレクは大剣を大きく横に振ってきた。

 リディスはとっさにスピアを引っ込める。スピアを体にまで引き寄せている間に、相手も迫ってきた。

 しかし慌てず、スピアを上から叩きつけるようにして下ろす。ラグナレクの頭上に触れる寸前で、相手は下がった。

 リディスは思わず悔しさを表情に出した。スピアの先端に僅かだが火の精霊(サラマンダー)の加護を付けていたのだ。触れれば瞬間的に発火するように仕掛けてあった。

 それを直前で気づくとは、さすが絶望の使者。もう二度とこの奇襲は使えないだろう。

 ラグナレクはより警戒して近づいてきた。

 こちらは先端を突き出し、いつでも迫られていいように構える。

 黒い霧の一部がラグナレクに取り込まれると、目の前から消え去った。

 驚きのあまり思わず息を呑む。

 枯れている草木がささやかに揺れる。風の流れがいつもと違う。

 スピアを固く握ったまま、勢いよく後ろへ振り返った。目の前には大剣を振り上げているラグナレクの姿。

 がら空きになった腹に突き刺すのは造作もなかった。真っ直ぐスピアを突き出す。

 直撃こそできなかったが、腹にかすめる事はできた。

 ラグナレクの傷ついた腹から仄かに黒い霧が漏れ出る。すぐに傷は塞がったが、相手も完全無敵ではない、モンスターであるということが証明できた。

 喜ぶ間もなく、大剣が迫ってくる。スピアを上下に動かし、風の精霊(シルフ)の加護を付けて後ろへ下がる。

 ロカセナがリディスの左横に近づいてくる。

 背を向けているフリートは、現れた光の扉に鍵を差し込もうとしていた。

 黒髪の青年の行動を見たラグナレクは、すぐさま彼の元に向かう。リディスとロカセナが左右からそれを阻止にかかる。相手の臑に武器を向けるが、回転するかのように剣を振り回された。

 傷は付けられなかった。だがそこでできた時間は、鍵を回すには充分だった。

 扉が開くと中の光が巨大化し、大きな魔宝樹を吸い込める大きさになる。

 やがて地響きがなり始めると、魔宝樹が根っこと共にその場に浮上したのだ。

 一瞬呆気にとられていたが、ラグナレクがフリートに切りかかろうとしているのを見て、考えるよりも先に駆け出していた。

 ラグナレクの剣の振りがやや速くなっている。空中に漂っている黒い霧の量は少なくなっていた。力をかなり取り戻しているようだ。

 リディスは声を発しながらラグナレクの前に滑り込んで、その剣を全身全霊ではね返した。

 持ち手部分が擦り切れようが関係ない。上下左右に振って牽制を仕掛ける。

 ふとリディスは領全体に加護を与えている精霊の力が、背後の光から流れ込んでいるの感じ取った。

 この加護があれば、より強力な召喚ができる。

 即座に土の精霊(ノーム)を召喚して、ラグナレクの足下を泥濘にさせた。それに追加して、水の精霊(ウンディーネ)による薄い氷の壁で相手の周りを覆う。数秒か数十秒程の足止めにはなるはずだ。

 その隙にフリートの傍にリディスとロカセナは駆け寄った。黒髪の青年は二人を見ると、口元を少しだけ緩める。そして視線は魔宝樹へと向けられた。

 浮かび上がった大樹は、光に吸い寄せられるように移動していく。そして光に触れると、前触れもなくその場から消えていった。

 ドラシル半島に降りて行ったのだろうか。そうであって欲しい。

 切に想っている間に、ラグナレクを閉じ込めた氷の壁が壊れようとしていた。

 リディスは立ち止まってスピアを構えようとする。しかしフリートに腕をしっかり握りしめられた。彼は逆の手でロカセナに欠片が入った袋を押し付けている。

 強く握られる手。

 絶望には瀕していない瞳。

「行くぞ」という力強い声。

 自然とリディスは口元に笑みを浮かべていた。フリート側に体を向ける。

 先に進んでいたロカセナの声に従って、二人は走り始めた。

 後ろからは、絶望の使者が追いかけてくる。

 恐怖が胸の中でいっぱいになるが、目の前に見える光はそれを打ち消してくれた。

 フリートとロカセナと同時に、リディスは眩い光の中に入る。そしてフリートに抱きしめられながら、その光の中へ落ちていった。

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