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魔宝樹の鍵  作者: 桐谷瑞香
第八章 魔宝樹への道標
183/242

8‐29 扉を開ける者達(3)――光り輝く天地

 * * *



 ここはいったい何処(どこ)なんだろう――。


 暗闇の中で一際目立つ金色の髪を持ち合わせている娘が、ぼんやりとその場に立っていた。

 握りしめる感覚があまりない。周囲の音が聞こえない。ここが寒いか暖かいかもわからない。

 先ほどまでとは違う場所にいるという考えしか、今は思い浮かばなかった。

 リディスはラグナレクと共に扉の向こう側に行き、扉を閉じた。だがラグナレクは毒に侵されているにも等しい魔宝樹がある地に降り立ったにも関わらず、意識を辛うじて残していたのだ。もし意識が完全に戻り、この地で暴れでもしたら、地上に通じる道をこじあけられて、再び厄災がもたらされてしまう。それを防ぐためにより強力な封印をしなければならないと思った矢先、魔宝樹に目がいったのだ。

 かつて樹と共に封印されたことで、五十年の安寧の歳月を得ることができた。今回も同様に樹を用いて封印ができれば、ただこの地に留まらせるよりは、長い期間維持できるはずだ。

 枯死が進行している樹に対して負担をかけるのは躊躇われたが、ラグナレクの指が動いたのを見ると、頭よりも先に体が動いていた。ラグナレクを刺したまま、勢いよく樹にスピアを突き刺す。

 弾かれるかと思ったが、簡単に樹に触れることができ、そのまま深々と突き刺せた。ラグナレクはぐったりと項垂れた。ぴくりとも動かなくなり、殺気も限りなく小さくなる。

 そしてリディスは手からスピアを離し、三歩下がった。傷ついた手のひらは小刻みに震えている。それを抑えるかのように両手を胸の前で握りしめた。

 先ほどまでの喧噪とはうってかわり、静寂が周囲を包み込んでいる。

 激しい戦いの音、悲痛な叫び、そして愛してやまない青年の声も聞こえなかった。

 唐突に感じる孤独。その時は何でもいいから寄り添っていたかった。傍にある大きな樹に触れて、温もりを感じていたかった。

「ごめんなさい、魔宝樹。あなたにまで余計なことをしてしまい。あなたはここにいるべきではないのに……」

 何気なく魔宝樹に触れた瞬間、頭が激しく痛み始めた。叫ぶ余裕すらない。何歩か下がって、その場に座り込む。

「この感覚、知っている……」

 ロカセナから脳内に召喚術を受けた時と同じものだ。だが流れ込んでくる情報量が多すぎる。

 なぜ樹に触れただけで負の感情が流れ込んでくるのか……、疑問に思う時間すらなく、リディスは意識を失い、その場に倒れ込んだ。



 そして次に気がついた時には、何もない暗い空間に立っていた。

 死後の世界と言われてもおかしくない場所。だが致命傷を負った覚えもないし、感覚は辛うじてある。死後ではないだろうが、異質な空間に来たことは間違いなかった。

「ラグナレクを封印したことで、一時的に危機は去ったから、私の役目は最低限果たせたのかな」

 多くの人を傷つけてしまった後だが……。

 嘆息を吐きながら立ち尽くしていると、目の前に手のひら程度の大きさの光の玉が現れた。それはリディスの全身から背後まで光を与えている。

 怪訝な顔で見ていると、光の玉がゆっくり動き出した。リディスはそれにつられて追いかけ始めた。

 黙々と闇の中を進んでいく。あまりにも静かで調子が狂いそうだが、深呼吸を繰り返すことでどうにか平静を保とうとした。

 皆は無事だろうか。自分の判断が遅かったせいで、亡くなった者が出ていないだろうか。

 様々な思惑が脳裏によぎっていると、唐突に少年の震えている声が飛び込んできた。

『母さん、父さん、俺はどうすればいいんだ……!』

 聞き覚えのある声にひかれてリディスは右に向く。赤茶色の髪で褐色の肌の少年が、地面に両膝と両手を付けていた。オレンジ色のバンダナは巻いていないが、面影から察すると幼き頃のトルのようであった。

 彼の頬には飛び散った血が付いている。

『くそっ、あいつさえいなければ。あいつさえ、家の中に入ってこなければ……!』

 少年は右手で激しく地面を叩きつけて、リディスを睨みつけた。突然の豹変ぶりに思わず後ずさる。

 トルが幼い頃、家に強盗が押し入り、そこで両親が殺されたという話を彼から聞いたことがあった。もしかしたらその時の様子が、リディスの目の前に現れているのかもしれない。

 常に明るく元気に飄々と振る舞っている青年。だが内に何を秘めているかはわらかない。

 光の玉が移動すると少年の姿も見えなくなった。暗闇を見て、リディスは少しだけほっとした。



『兄さんが一緒にいるから。もう大丈夫だよ』

 誰かに対して優しく語りかけている青年の声が聞こえてくる。

 次にリディスは左に視線を向けると、亜麻色の髪を短く切りそろえた眼鏡をかけている青年と、彼の胸の中で嗚咽を漏らしている少女が視界に入った。抱きしめられている少女の顔は見えないが、青年がルーズニルと判断できることから、おそらく妹のスレイヤだろう。彼らの両親もまた、七年前に暴走したモンスターによって殺されたと聞いている。

 眼鏡をかけた青年は涙を流しながら、リディスに真っ直ぐ視線を向けてきた。

『他に応援がいれば還せたはずだ。せめて両親たちに危機を知らせる声を投げかけてくれる人がいれば……。まあ疑心暗鬼状態の村では、それすらも叶わないことなのかな』

 諦めに似た声を漏らす。泣いていた少女は、ぎゅっとルーズニルの服を握りしめた。

『酷いよ、どうしてみんな力を貸してくれなかったの? どうして見捨てたの!?』

『自分の身が第一なんだよ。たとえ目の前で人が死のうが関係ない』

 吐き捨てている青年を見て、リディスはぞっとし、口元を手で抑えた。彼の眼鏡の奥にある瞳からは憎しみが垣間見える。

 いつも笑顔で皆をまとめてくれる青年の姿は、そこにはない。

 一刻も早くここから離れたいと思っていると、光は移動し始め、ルーズニルたちの姿は見えなくなった。

 リディスは視線を即座に逸らして、光に駆け寄った。



『愛していたからこそ、彼を殺したのよ。生き続けていたら、きっと彼は永遠に罪の意識に(さいな)まされる。それを見ていられなかっただけよ』

 物騒な言葉を流暢に紡ぐ女性の声を聞いて、リディスはおそるおそる後ろを振り向いた。見覚えのある美しい紺色の髪の女性。彼女の服には血が飛び散り、腹の辺りは真っ赤に染められていた。彼女は怪我を負っていないようなので、他の人の血が付いたようだ。

 今よりも数歳若いメリッグらしき女性が、冷めた目でリディスを見下ろしている。

「殺したって、どういうこと……?」

 ぽつりと呟くと彼女は冷笑を浮かべた。

『文字通り私の手で彼の胸を貫いて殺したのよ。肉を切る音、そして彼のか細い悲鳴が聞こえたわ。……周囲の人が彼を恐れるあまり事件が起きた。それは私のせいでもあり、人間たちの恐れのせいでもある』

 赤い血に染められ、嘲笑っている彼女を見ていられなくなり、リディスは背を向けて走り始めた。

『人間と人間は永遠にわかりあえることはできないわ。だって能力を等しく持っていない他人ですもの。強者に対して弱者は恐怖を抱く。それは生命が誕生した頃から変わらない事実よ』



 メリッグが見えなくなると、リディスは走るのをやめて呼吸を整えながら歩き出す。光はリディスの歩調に従うかのように、速度を合わせてくれた。

「何なの、この世界は。どうすればこの場から立ち去ることができるの!?」

 手首でも切れば、この世界から逃げることはできるだろか。思わず腰に手をやるが、あるべきはずの短剣はそこにはなかった。

「意識を無理矢理断ち切るのも無理なんて……」

 肩を落としながら歩いていくと、左右から聞いたことのある声が次々と飛び込んできた。今まで出会った人たちの声だ。

 還術の師匠であるファヴニール、騎士団の部隊長である快活なカルロット、隊長に厳しい言葉を吐くセリオーヌ、大鷲を召喚する優男の部隊長クラル、無口な姫の護衛騎士スキールニル、ヘイム町を守る領主スルト、風の精霊シルに愛されているケルヴィー、男勝りな女医のエレリオ、そしてリディスの育ての父親であるオルテガの声まで聞こえてきた。

 その誰もが激しく落ち込み、憎しみの言葉を吐いている。どれもが聞くだけで、気分が下降気味になる内容だった。

 当初は耳を押さえて必死に走って逃げていたが、徐々にその速度は遅くなっていった。やがて生気をなくした表情で、リディスはよろよろと歩いていく。

 最後に聞いたのは、オルテガの言葉。

『友への表面上の優しさが、時として自分の未来に大きな影響を及ぼす。……あの時引き取らずに、私も誰かと結婚して、同じ血を引く子どもを育てれば良かった』

 本心なのかはわからないが、リディスの心を砕けさせるには充分な言葉だった。

 何もない場所で躓き、リディスは膝と手を床につける。それと同時に目に溜まっていた涙が零れ落ちた。落ちたものは暗い床に吸い込まれていくかのように、消えていく。

「もうやめて……。お願いだから……!」

 ロカセナに何度憎悪や悲哀の映像を見せつけられても、それが他人だと思っていたから、どうにか割り切って意識を断ち切ることができた。

 だが今回は違う。知っている人間たちの心の奥底だ。

 割り切ることなどできず、リディスの心を蝕むかのように入り込んできた。

 人は誰しも負の感情を抱いている。だがそれを隠すかのように、人々は苦しくても辛くても、偽りの笑顔を他人に向けていた。

 それは果たしていいことなのだろうか。勝手気ままに感情を爆発させる場を与えた方が、人のためになるのではないだろうか。

 そう、たとえばラグナレクのようなモンスターに負の感情を押し付け、共通の目的という敵を作った方がいいのではないだろうか――。

『それは責任転嫁よ。推奨されるものではないわ』

 よく通る凛とした女性の声が聞こえてくる。リディスは涙を流しながら顔を上げた。金色の髪の女性が銀髪の青年を傍に従えて、背筋を伸ばして立っている。

『負の感情を抱きつつも、それを抑え込んで生きていくのが、本来在るべき人間というもの。私だって、そういう感情は当然あるわよ。リディスだってそうでしょう?』

 容姿が似ている女性からの言葉に、リディスはどきりとする。否定はできなかった。

『それらの感情をモンスターとして具現化したとしても、結局は恐怖や苦しみといった感情は生まれるわ。つまりモンスターが作られても、何も意味はなかったのよ。最終的には自分たち、人間たちでどうにかするしかない』

「そうでしょうか? それが正しい行為かなんて、わからないじゃないですか?」


『その通りよ。正しいのか間違っていたかは、様々な要因や時の流れを読み解いても、永遠にわかるものではないわ。人によって考え方は違うもの。だから人間たちは、死ぬまで悩みながら生き続けることになる』


 女性は一歩前に出る。


『けれどそこで悩まなければ、何も始まらない。何か大きなことを為すには、人は当然のように悩むから。だからそこから考えを導き出して、実行した人だけが――前に進めるのよ』


『僕もその通りだと思う』

 銀髪の青年が躊躇いがちに言葉を加える。

『僕はいつも悩み続けていた。過去の出来事と今の決断が未来へどのような影響を与えるか必死に予測していたけど、結局明確な答えは出てこなかった。――けどね、ある日ふと思ったんだ。数年先の未来ではなく、その瞬間の今を見て動くのも、必要なんじゃないかなって』

 視界の左端で小さな光が揺れ動いている。

『確固たる目的のために動いているあいつを見ると、そう思うよ』

「あいつ?」

『君のために扉を開けると言った、馬鹿者だよ。目の前のことだけでなく、きちんと未来も見据えている、みんなから信頼されている人間さ』

 視界の左端にある光が徐々に大きくなっていた。不思議に思ってそれを眺める。

 やがてその光の持ち主が見える範囲まで来ると、リディスは目を丸くした。

「どうして……!」

 リディスは銀髪の青年たちの方に振り向いたが、すでに二人の姿は消え去っていた。闇の中で小さな光がリディスだけを包み込んでいる。

 呆然として座り込んでいると、もう一つの光はすぐそこまで近づいていた。


 光とは真逆の漆黒色の髪の青年。

 最後に無理矢理突き放した騎士。

 未だに諦めの色を見せていない、フリート・シグムンド――。


「やっと……見つけた」


 息を切らしたフリートが眩い光と共に、リディスの傍にまで寄ってきた。

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