8‐20 絶望の使者(4)
* * *
もはや逃げ回っているしか術はなかった。
放たれる光の線に、投げつけられる重力の球。時として召喚されるモンスターの大群。
それらの攻撃はフリートたちがいるくぼ地内だけでなく、半島全体に及んでいた。村や町、そして中にいる人間たちに被害が出ていないことを切に願っているが、現実問題としては難しいだろう。
リディスはフリートと共に逃げつつも、隙を見て、スレイヤが行っていたように槍で風を起こして攻撃をしかけていた。軽々と跳ね返されるが、その際に力を使わせたと思えば、多少気分は軽くなる。
ロカセナは後方に下がって無防備な状態で紙を広げて詠唱をし、彼をミディスラシールとスキールニルが護るという、不思議な光景が広がっていた。
樹をこの地に戻すために、まずは壊れてしまった扉に代わる、新たな扉を召喚する必要がある。これに関しては能力があるアスガルム領民であれば誰でもできるらしい。そのため今回はロカセナが召喚を試みている。
現在、メリッグの水の精霊による遠距離攻撃が中心となって、戦闘は続いていた。彼女の援護にはルーズニルとトルが入っている。
トルが小さな炎を発生させ、それをウォーハンマーのハンマー部分で様々な方向に飛ばしたのを見た時は、ここまで成長したかと驚いたものだ。しかしその喜びも圧倒的な力を前にしては無に等しい。
攻撃をしたトルの顔がひきつり始める。それを見たメリッグは攻撃の手をやめて、彼の頬を思い切り叩いた。
我に戻ったトルの目の前に、重力球が飛んできている。彼はメリッグを抱えて、慌ててその場から離脱した。よく見ればメリッグの左太腿から血が流れ出ている。戦闘の途中で光の線にかすっていたのをフリートは思い出す。まともに止血する時間すらないようだ。
強い者と戦うことで高揚感を抱いているカルロットでさえ、苦悶に満ちた表情をしていた。小さな重力球であれば一刀両断していたが、巨大なものは避けるしかない。ラグナレクに直接剣を振り上げていた時もあったが、あえなく反撃に遭い、攻撃を受けている。彼が唾を吐き出すと、そこには血と折れた歯が混じっていた。
「手応えがなさすぎて、ある意味つまらねえぜ」
そう吐き捨てながら、視線をラグナレクに戻した。
セリオーヌは他の騎士たちに指示を出して、一緒に果敢に攻めていく。息の合った連携により、若干であるが戦闘当初より攻撃に転じている機会が多くなっていた。
離れたところでは、ニーズホッグの下でぐったりしているガルザとニルーフ、そして息を潜めているヘラがいた。何度も逃げようとしていたが、荒れ狂う戦闘が多発しているため、そこから出られずにいた。
フリートは視線を戻して自分の体を眺める。腕や足からは多数の出血があり、若干動きが鈍り始めているが、リディスについては細かなものだけで、充分動ける状態だった。だが彼女は精霊召喚を度々繰り返しているため、怪我の具合以上に表情は辛そうだ。肩を激しく上下させている。
「攻撃を繰り返せばいいって言ったけど、いつまでやればいいのかしら……」
「ロカセナの進み具合によるんじゃないか?」
「そうね、今はロカセナに任せるしかないわね。……けどその後はどうするつもりかしら。扉の召喚って結構体力を消耗するはずよ……」
リディスが声の音量を落として呟く。フリートはラグナレクから光の線が放たれたのを見ると、彼女に視線で促して、すぐに二人で横に移動した。小さな光の線は地面を深々と抉ることはなく、表面に線を描いた。威力は先ほどよりもないが、人間に直撃すれば致命傷になる攻撃だ。
二人は引き続き逃げながら、減少した体力を戻すことに専念する。するとかつて扉があった所から発生している黒い渦の回り方が、遅くなり始めているのに気づいた。
視線をロカセナに向けると、彼は紙を掲げて高々と声を発していた。
「道を切り開く扉よ、今こそ我らの前に現れよ!」
渦の下部から細長い木の枝らしきものが現れ始める。それは徐々に伸びていき、四角く形作って渦を囲んでいった。やがて四角い扉の外枠ができると、扉部分が出現し、黒い渦はその中に納められた。半開きになった扉の隙間から、僅かであるが枯れ葉が付いた樹の枝が覗かせていた。
「フリート!」
「ああ!」
嬉しい声をお互いに漏らす。微かに見えた希望に、期待の意味も込めて視線を送るが――それまでだった。
待てども枝はそれ以上伸びず、樹はそれ以上姿を見せなかった。
扉の召喚をし終えたロカセナはその場に膝をつき、拳を地面に叩きつける。
「内部で樹がひっかかっている……! ラグナレクの仕業か!? せっかく扉まで召喚したのに!」
悔しさを顔に滲ませながら、ロカセナはラグナレクを睨みつける。ラグナレクは視線すら合わさず、現れた扉を見ると、人差し指を伸ばした。そこから放たれた光は、出ていた枝を一瞬で消し去った。
希望が見えなくなり、愕然とする一同。扉が出現しただけ状況が進んでいるかもしれないが、フリートにはこの後どうすればいいかわからなかった。
「……フリート、ミディスラシール姫のところに行こう。扉を召喚した後、何をするか聞いていない」
リディスは若干俯きながら呟く。汚れた金色の髪が顔にかかっているため、表情が読みとれない。返事がないフリートに向かって振り返ると、彼女は堅い表情で言い切った。
「行こう」
ミディスラシールの隣では扉の召喚を終えたロカセナが、疲労困憊により両膝を付けていた。フリートとの戦いでも相当な数の召喚をし、かつ攻撃まで受けている。体力が万全でない状態での召喚は、自殺行為に近い。それでも耐え抜いた彼の精神力に喝采を送りたかった。
スキールニルにラグナレクの様子を見ているよう頼むと、ミディスラシールは腰を下ろしてロカセナと視線を合わした。彼は歯噛みをしながら、消された枝の跡を目で追っている。
「扉さえ召喚できれば何か変わると思いましたが……、駄目ですね。行きあたりばったりで行動しては」
「ロカセナが気に病むことではないわ。扉がなければまず樹は戻せないと誰でも思うもの」
ミディスラシールはポケットから封筒を二通取り出し、そのうち封が空いているものを抜き取った。
ロカセナがミディスラシールの手に触れてくる。血だらけの彼の手を、逆の手で重ね合わせた。銀髪の青年にぽつりと呟かれる。
「……すみません、本当に」
「私が失敗したらあとは頼むわ。この中でアスガルム領民の血を引いているのは、私を含めて三人だけだから」
「ミディスラシール姫、体に違和感がしたら、すぐにやめてください。貴女はまだ死んではいけない。僕が死んでも代わりはいますが、貴女はいません!」
ロカセナの叫びを胸中で受け止めつつ、ミディスラシールは淡いピンク色の石が付いているネックレスを服の外に出し、彼の頭を軽く触れて立ち上がった。
「貴方の代わりもいないわよ、ロカセナ」
穏やかに笑みを浮かべてから、視線をラグナレクに向けた。隠れて行おうとしていたが、皮肉にも視線があってしまう。ぎゅっと握りしめた手を開き、スキールニルの横に移動して紙を開いた。
土の精霊が宿っている魔宝珠を取り外し、空中に浮かべさせる。魔宝珠からは凛々しい顔をした小人が現れた。それと視線を合わせて、お互いにしっかり頷きあう。
「さあ、土の精霊、最後の戦いに行くわよ」
召喚した杖の先端に力を込める。紙に書かれた文章を、小さな声で唱え始めた。
慣れない古代文字を発音しているため滑らかに言葉を出すことはできないが、一音一音懸命に声に出す。だが唱え切る前に、隣にいたスキールニルがバスタードソードを正面に突き出す方が先だった。
「重力球が飛んできますので、弾きます」
軽やかな足取りで迫ってくる重力球に剣を向けた。ミディスラシールはその様子を一瞬だけ確認し、古代文字の部分を最後まで言い切る。すると杖の先端が激しく光を発し始めた。
小さな重力球のみだったため、スキールニルはすべての球を鮮やかに弾き飛ばした。今までの攻撃からすると、重力球の後に少し間を置かなければ、次の攻撃はこない。これで安心して動ける。
頼れる護衛に微笑みを送り、杖をラグナレクに真っ直ぐ向けた。
「――大地が誕生したからこそ、人類は生を受け、文化を発展させることができた。我の守護する精霊、土の精霊の力もなければ、この場に立つことはできなかった」
光が段々と強くなる。杖を握りしめる手が震えてきた。
「未来を切り開くために、我の想いを聞きたまえ。愛する妹の未来のために、道を開きたまえ」
喉がからからで、背中には重しのようなものが伸し掛かってくる。気を緩めれば押しつぶされてしまう。
だが何としても言い切るために、最後は声を張り上げた。
「――魔宝珠は樹の元へ、魂は天の元へ。――ラグナレクよ、在るべき人々の心の中へ――還れ!」
杖の先端から発せられる激しい光と共に、ラグナレクに向かって波の形をした土の塊が押し寄せていった。それは近づくと左右に分かれていき、円を描くようにしてラグナレクの周りを取り囲む。そして囲み終わると土の波は四方から迫り、抵抗する時間もなく、ラグナレクの全身を覆い被さった。ミディスラシールが杖を軽く振ると、土は堅さを増していく。
堅くなる度に、杖を握りしめているミディスラシールの手から血が滴った。自分の限界を超えた召喚をしたためだ。これが続けば全身から血が吹き出す可能性がある。
それでもやめるわけにはいかなかった。
妹の未来を護るために――。
ラグナレクから出てくる黒い霧が現れるまで、手を抜いてはいけない。
リディスが血相を変えて駆け寄ってくるのに気づいていたが、視線を返すつもりはない。
まだかと思いながら力を入れていると、土の固まりの一部から黒い霧が見えた。ほんの少し表情を緩める。
その瞬間、山のようになった土の固まりにヒビが入った。それに対応する前に、ミディスラシールの右太腿に激痛が走った。小さな光の線がそこを通過していったのだ。
ロカセナから離れていて良かったと思いながら、杖を落とし、倒れ伏した。太腿から血が流れ出ていく。
意識が遠のきそうになる中、眉間にしわを寄せたスキールニルが太腿に布を押し付け、ミディスラシールを抱え上げて、その場から離脱していった。二人がいた場所にはさらに大きな光の線が抜けていく。流れ出た血の跡は、地面が抉られたのと同時に消失してしまった。
「どうして還術しようとしたんですか。貴女様はたしかにお強いですが、あれは一人ではどうにもなりません!」
初めて見るスキールニルの怒りに驚きつつも、ミディスラシールはぐったりと彼に身を預けた。