8‐18 絶望の使者(2)
* * *
「どうやら予想以上に戦況は悪いようです。あそこにいる者たちは、もう殺されたのではないですか?」
漆黒の長い髪を一本にまとめている女性が、窓を通じて外を睨みつけている。扉が壊れ、黒い空間からラグナレクが出現したのは、気配からはっきりと感じ取っていた。
ミスガルム城の玉座の間において、豪華な椅子に腰をかけていたミスガルム国王は立ち上がり、窓の傍にいるルドリの横に移動する。部屋の中は光宝珠の光が広がっているため、歩くのには不自由がなかった。国王は自分の魔宝珠を一つ見ながら、彼女の問いに返す。
「この魔宝珠に異常がないということは、土の魔宝珠にも異常がないということ。それは土の加護が私に続いて強く受けているミディスラシールが殺されていないということも意味している。戦闘は始まったばかりだ、おそらく策を練っている頃だろう」
「この状況では封印をするにしても、かなり苦戦するかと思います。死人が確実にでますよ。その時、貴方様はどうするつもりですか?」
「リディスラシールが殺されていなければ、どうにでもなる。あの子はまさしくこの戦いの鍵だからな」
「鍵だからこそ、殺される可能性も高くなるわけですが……」
突然、ルドリが眉をひそめて、国王の手を引いた。国王はその勢いで窓から離れさせられる。ほぼ同時に扉が開き、アルヴィースが血相を変えて飛び込んできた。
「国王、急いで避難してください!」
「どうした?」
「数瞬先の未来を見たら、この城が――」
「アルヴィース、貴様も死にたくなかったら壁に張り付け!」
ルドリが足早に部屋の端に寄ると、それにならってアルヴィースも移動してきた。
瞬間、窓から入り口のドアめがけて眩い光が一直線に走った。その光は人の体を一人包むほどの幅である。
光は通過するとそのまま消えてしまったが、その後に残されたものを見て、国王たちは愕然とした。
「これは何だ……? まるで地割れでも起きたようではないか!」
「あのモンスターの力かと思われます。王国を見事に真っ二つにしてくれましたね」
中央に作り出された崖を境にして、部屋が二つに分かれてしまったのだ。国王が先ほどまで座っていた椅子やアルヴィースが通った入り口は見る影もない。窓もほとんどが破壊され、外から冷たい風が吹き込んできた。
部屋の東側にぽっかりと空いた穴を、国王は注意深く覗き込んだ。その先には黒い物体が蠢いている。
「アスガルム領の中心から、こちらに向かって光の線を放ったのか?」
「そのようです。幸いにもあれの殺気は既に違う領へ向けられています。この間に城や城下町の被害の確認をさせましょう。状況によっては避難させます」
「私たちも行こう」
国王は腰が抜けたアルヴィースを立ち上がらせると、ルドリが先頭になって廊下と接している壁に向かっていった。入り口はもはや使えないため、新たに入り口を作るしかない。
ルドリは愛用している剣を召喚するのではなく、携帯しているショートソードを鞘から引き抜いた。
消えた入り口の間から見える廊下では、左腕から下を無くし、ぐったりと壁にもたれ掛かっている近衛騎士がいた。消失した体の部位からは血が止めどなく流れ出ている。一刻も早く医者に見せなければ命が危うい。
ちらりと彼を見たルドリは僅かに眉をひそませた後に、ショートソードの持ち手を固く握りしめた。
ソード全体にうっすらと炎がまとわれていく。それを国王は息を呑みながら見つめる。精霊の加護を強く受けている者でなければ、その炎は見えないものだった。
炎がまとわり終わると、それは消え去り、刃が赤く色づく。それを確認したルドリは素早く壁に何度も罰印を描いた。手を止めると、音を立ててその壁は砕け散った。
頑丈な石でさえ、ルドリの前では防御壁の意味をなさない。どのような条件であっても、彼女に斬れぬものはないのだ。カルロットは土の精霊の力を得て、似たようなことをしているが、せいぜい力任せに両断する程度である。彼女のように細かな動きはできなかった。
廊下には国王の身を案じた騎士たちが部屋の前をうろついていた。そのため姿を見せると誰もが安堵の息を吐いて寄ってくる。
だが国王は窓の外に広がる景色に意識が向いていた。廊下から外を見て、固い表情のまま口を開く。
「……現状の把握を早急に。特に城下町だ。大通りが無くなっている。夜に外出しないよう勧告は出しているが期待はできない。急げ!」
「はっ!」
すぐに班長格の一人が、その場にいた騎士たちに指示を出し始める。そして足早に下の階に降りていった。
ミスガルム国王は廊下にある窓枠をぎゅっと握りしめる。
「これが世界を荒廃させる力。人間の怒りが集合したもの――」
城の中心を突き抜ける道から城下町の大通りまで、綺麗になくなっていた。王国を囲んでいた壁もあっけなく壊されている。さらに視線を遠くに向ければ、その先にある港町の光がいつもよりまばらに輝いていた。
五十年前に体験した時は、アスガルム領の一部が被害を受ける程度だった。だが数十年の時をへて、人々の負の感情がさらに結集したことで、このような事態になってしまった。
もはや余計な感情など入れていられる状況ではない。
娘たちに託したこの大陸の未来を案じながら、国王はルドリを従えて歩き出した。
* * *
光の線がミスガルム領を横断する前、ファヴニールはクラルと一緒に城下町に向かっていた。満月が雲の間から薄らと出始め、そろそろ本格的な戦闘が始まると察した二人は、その間に城下町の様子を見に行こうと意見を合致させていたのだ。
その途中、城に忘れ物を取りに行っていたフリートの兄ハームンドと合流している。ひ弱な青年に見えたが、内に秘めている頑なな想いは弟そっくりだ。ハームンドは弟がいる地をちらりと見ながら呟いた。
「フリート、戻ってきますかね」
「すまんがこればかりは返事ができない」
「……わかっています。この前久々に会ったとき、『今までありがとう』なんて、あいつらしくないことを言ったから、すごく驚いてしまい……。危険な所に行くとは言っていましたが、帰らない可能性もあるのいうのは聞いていなかったです」
ハームンドは城から町へと続く舗装された大きな道から少し外れて、一本の大木に向かって歩いていく。ファヴニールたちはそれにつられて、道から離れた。
その大木は二十年以上前からある樹で、ファヴニールがこの地に初めて訪れた時には既にあったものだった。ハームンドは懐かしげな表情で、その木を見上げる。
「よく母がこの下で絵本を読んでくれたんですよ。フリートも僕も大人しくそれを聞いていました。……母を失ったのも非常に辛かったのですが、さらに弟までいなくなったら、僕も父も一生後悔の念を抱くことになります。あそこで騎士になるのを止めていれば良かった……と」
「それは違うと思いますよ」
ファヴニールが否定する前に、クラルが穏やかな表情で首を横に振る。文官出身の彼はフリートの存在を知った時から影ながら気にしていたらしく、昔から彼の諸事情は知っていたと言っていた。
「フリート君は自分が危険な身にあうことを覚悟して、騎士になりました。叙任式の直前に非常に危ない任務に参加しましたが、そこで見事活躍して功績を立てました。命の危険に晒された任務の後に、騎士団を脱退する者は多くいます。ですが彼はそれを経験した上で、忠誠を誓いました。……もしご家族が止めに入ったとしても、おそらく彼の気持ちは揺るがなかったでしょう」
「そうなのですか。それほどフリートは騎士になりたかったんですか。ならば自分たちがとやかく言ってはいけませんね……」
ハームンドは少し寂しそうな顔をしながら、木を見つめていた。二人の心の隔たりを完全に解消するには、お互いに話す時間をもっと長く設ける必要があるのかもしれない。
不意にファヴニールはほんの僅かだが焦げ臭さを嗅ぎとった。首を傾げながら、中央の道に視線をやると、眩い光の線がその道の上を走った。
光りが消え去ると、道は跡形もなく無くなっていた。道の代わりに細い地割れのようなものが出現している。
突然のことに腰を抜かすハームンド。クラルは彼に声をかけつつ、険しい表情で辺りを見渡した。
ファヴニールはファルシオンを召喚して、かつて道があったところに用心深く近づく。ぎりぎりまで移動し、下を見た。底が見えないほど地面が割れ、小さな崖となっていた。
表情を強張らせながら、地面に沿って視線を左右に向ける。城は半分に割れ、城下町まで被害は及んでいた。
「これは天変地異……?」
クラルに支えられながら立っているハームンドがぼそっと呟く。彼は目を大きく見開いて、わなわなと震えていた。ファヴニールはその言葉をばっさり否定する。
「天変地異よりも、もっと性質が悪いものだな」
城から遠く離れた地にある、黒い空間の手前には何かが浮かんでいた。そこから禍々しい殺気が感じられる。五十年前に樹と共に封印されたモンスターが解放されてしまったようだ。そうでなければこのような桁違いの攻撃はされないはずである。
相手の顔が見えないにも関わらず、突き刺さるような殺気がファヴニールたちを襲う。一般人であるハームンドの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
このままでは殺気にあてられて倒れてしまう。どこかで彼を休ませようと思った矢先、助けを求めるか細い声が聞こえてきた。視線をそちらに向けると、城下町に向かう方面に騎士の一人が倒れていた。ファヴニールは駆け足でその者に寄る。クラルやハームンドも後からついてきた。
近づいた三人は思わず眉間にしわを寄せた。ハームンドにいたっては、その騎士を見て口に手を当てていた。騎士の右手首から先が無くなっていたのだ。
ファヴニールは口を閉じて、血が流れ出ている手首を布で覆う。一瞬で布は真っ赤に染まった。
「すみません、隣にいた奴は……?」
苦しそうな呼吸をしている彼が発した言葉は、ファヴニールたちを苦悶の表情にさせるには充分だった。
騎士の右隣は地割れが走っている。手が一瞬で無くなったことを考えると、隣にいた人物は光の線によって消失した可能性が高い。
「……まずは自分の心配をしろ。歩けるか?」
「足は怪我していませんので……歩けはします」
「そうか。急いで救護室に行ってこい。出血が多過ぎる」
「その通りですね……。これではまともに動けません。お気づかい、ありがとうございます」
彼はよろめきながら城に向かって歩き始める。見かねたハームンドが駆け寄ろうとしたが、その前にファヴニールは彼の肩に手を置いた。目を丸くして振り向かれる。
「何でしょうか?」
「これから救護室は血生臭い場所になる。さらに抉られた人もいるかもしれない。それでも行くのか。吐くぞ」
「だから行くんですよ」
ハームンドは首からかかっている魔宝珠をオカリナに召喚した。実用性に乏しい召喚物を見て、ファヴニールは目を細める。
「人々の心が荒んでいる場所こそ、僕が行くべき場所なんです。フリートが戦っている今、僕は僕のやり方で戦いの援護をします」
そう言って、ハームンドは騎士に自分の肩を貸しにいった。美しい音色を発することで、人々の心の中に癒しの効果を与える人物がいるという。数はあまり多くないが、彼はその一人なのかもしれない。
ファヴニールは足を城下町に向けた。隣ではクラルが大鷲を一羽召喚している。
「上空から城下町の様子を見てきます。被害を受けて生きている者がいれば、救護室に連れていきます」
「そうしてくれ。俺は下から様子を見てくる」
簡単なやりとりをしてから、二人は別行動をとった。早歩きでファヴニールは城下町へ向かう。
来た道を背中越しから垣間見る。ハームンドが道を逸れなければ、三人は確実に先ほどの光の餌食になっていた。そう考えるとぞっとしてくる。
第二撃は来るだろうか。もし来るなら、どうやったら被害を最小限に抑えられるだろうか。
不安を抱えながら、ファヴニールは走り始めていた。不気味なくらい真っ暗な夜空を背景にして。