8‐11 未来へ踏み出す理由(5)
メリッグの放った氷の槍と、ヘラが防御のために召喚した氷の盾は、衝突と同時にお互いに砕け散り、粉々になった氷がヘラの体に降り懸かる。ヘラはメリッグの攻撃が不発に終わったのを見て、にやりと笑みを浮かべた。
「あれだけ話をして時間稼ぎをしたのに、この程度の攻撃ですか。メリッグさんが思ったよりも弱くて、本当に残念です」
そう思うなら少しは落ち込んだ様子でも見せればいいのに、とメリッグは思いつつ、ヘラが攻撃に転じそうになったのを見て、即座に自分の周りに薄い水の膜を作った。
ヘラは細かな氷を多数召喚し、メリッグに向けて投げつける。それはすべて水の膜に吸収されて、水へと変化していった。攻撃が無効化されたのを目の当たりにしたヘラは、やや後ずさる。
隙を逃さず、メリッグは水の膜を多数の水の玉に変化させ、それをヘラに向かって投げつけた。彼女はすぐに横へ飛び退いたが、数個の玉が左腕に直撃した。くぐもった音と共に倒れ込む。
腰に左手を当てて、メリッグはうずくまっている彼女を眺める。地味な攻撃であるが、受けた方は非常に痛い攻撃を仕掛けたのだ。
ヘラは直撃した部分を右手でさすり、痛みに耐えながら体を起こした。
「直前で氷にするなんて……メリッグさんも人が悪いんですね」
「内出血か骨を折る程度で済ませたはずよ。骨が粉々にならないよう加減したのに、その言い方はないわ」
ヘラがよろよろと立ち上がろうとするのを見たメリッグは絶句しつつも、腰に当てていた手を再び魔宝珠に伸ばした。
彼女の左腕はもはや使いものにならないのか、重力に従ってぶら下がっている。多数の傷を受け、右の太腿の出血も止まっていないのに、彼女は立ち上がったのだ。戦意は喪失するどころか、むしろ殺気は強くなっている。
メリッグはぎりっと奥歯を噛みしめた。
なかなかヘラの心が折れない。このままでは殺す気で攻めなければ、こちらが殺されてしまう。
ヘラはメリッグを殺したい一心で攻撃してきているが、メリッグは彼女のことを殺したくはなかった。
彼女は同じ村で過ごした数少ない人間。そして非常に優秀な精霊使い。
今は危険な存在かもしれないが、導く者によってはきっといい働きをしてくれると信じている。
メリッグは結界の外で高笑いをしている老人をちらりと見た。
人を傷つけることを快楽としている彼に、いったい何人が犠牲になったのだろうか。
たしかにヘラは気性が激しく、自己中心的過ぎて、性格に難はある。メリッグのせいで大勢の人が消えてしまったために、さらに性格が歪められたのも察していた。だが、それでも多くの人を犠牲にしてまで事を為す少女だとは思えない。
もしかしたらゼオドアに惑わされる言葉を吹き込まれ、誤った道に進んでいるのかもしれない、という考えがメリッグの中に生まれていたのだ。
(あれだけ彼に対して甘いと言っておきながら、自分の方が甘いんじゃない。本当に呆れるわ)
溜息を吐きながら、双子の狼のモンスター、スコルとハティを見事に還した青年のことを思い浮かべる。
彼なりに一つの答えを出して、ここにいる。
ではメリッグはどうであろうか――自分もまた、答えを既に出してここにいる。
「メリッグさんがこないなら、私が攻めるまでですよ。ここで終わらせなかったことを、後悔してもらいます」
「後悔……か。もう何度もしたわよ。今更そんなことはしないわ」
右手を突き上げるヘラを眺めつつ、メリッグは自分だけに聞こえる程度の小さな声で詠唱し始めた。
ルーズニルが考えている以上に、ヨルムガンは厄介な相手だった。蛇の視界は前方しか見えないと言われている。そのためリディスが囮になって気を引き付けている間に、素早く後方に回って攻撃を繰り出そうとした。しかし、すぐに振り返られ、牙を向かれていた。皮膚に感じる僅かな振動で気付かれているようだ。
これでは思うように近づけない。拳を握りしめていると、走り続けているリディスの息が少し上がっているのに気付いた。終わりが見えない状態で逃げ回るのは精神的にかなり辛い。一刻も早く決着を付けねば。
風の精霊の力を最大限に使って、大量の風の刃を放つことも不可能ではないが、その後の体力の減少を考えると、極力したくない。
ルーズニルは周囲から精霊を使いこなしている人間と思われているが、それはあくまでも補助的な意味での使用のみだ。メリッグやミディスラシールのように、爆発的に扱うのは難しい。
一度大きく息を吐いた。不利な状況下でも、思考を巡らせば必ず突破の糸口はでてくる。状況を見極めて、一つの案を弾きだした。
目に見えない風の精霊に対し、自分の考えを思い浮かべて、これから行いたいことを伝える。するとルーズニルが望んでいた、人の腰くらいの高さの竜巻を多数発生できた。
「リディスさん、下がって!」
必死に逃げ回る娘に声を投げかけると、彼女は顔を向けて力強く頷き返す。ヨルムガンの動きに注視しながら、下がり出した。
彼女の後を追うかのように、大蛇は長細い体をくねらせながら、リディスに迫っていく。
ルーズニルは瞬間的に移動速度を速めて、リディスとヨルムガンの間に割り込んだ。突然の乱入者に驚いたヨルムガンは僅かな時間動きを止めた。
次の瞬間、獲物をルーズニルに変更し、毒が付いた牙を見せつけるかのように大きく口を開いた。それから逃げずに、むしろ向かっていく。
獲物を絡めとる長い舌を持ち、目を光らせている大蛇を直視すると、萎縮しそうになる。
しかし周りで奮闘している仲間たちの頑張りを感じとると、弱音を吐いていられなかった。
ヨルムガンは動くのをやめて、ルーズニルが来るのを待ち受ける。さらに距離が縮まると、まるで跳ねるかのように上下に激しく動き出した。異様な動きに眉をひそめつつも、突っ込んでいく。
大蛇はルーズニルが間合いに入ると、牙を寄せてきた。その移動の際、こちらが作り出した竜巻が衝突するが、すぐに消え失せる。
ルーズニルは大蛇と直撃する前に、軽やかに飛び上がった。そしてヨルムガンの頭の上に足を乗せる。
頭を動かされたら、転がり落ちる危険な位置にいるルーズニルを見て、リディスは息を呑んでいた。彼女を安心させるために、口元に笑みを浮かべて見る。
予想通りヨルムガンは頭を上げて、ルーズニルを振り落とそうとしてきた。だが唐突に動きが止まった。
「目の前の敵を倒すのに集中しすぎていて、周りのことが見えないんだよね。――蛇の視界は一周の約六分の一程度。僕に意識が集中していたら、さらに視界は狭まるだろう」
ヨルムガンの体から血が滴り落ちている。そこには鋭利なもので切られた跡が残っていた。
その傷は真空の刃の攻撃によるものだ。ヨルムガンの周囲に吹く風の速さを調整し、移動中に真空の元となるものを竜巻の中に散りばめさせ、蛇が起きあがる直前に真空にし、それで攻撃したのだ。
端から見れば、突然傷ができたように見えるだろう。しかし能力がある人が見れば、同じような罠がヨルムガンの周囲に多数あるのがわかるはずである。今回はモンスター相手だからできた攻撃なのだ。
「動きが細かい相手には、攻撃を連打した方が当たる確率は高いからね」
傷ついたヨルムガンは体を横にくねらせ始めたが、動く度に風の刃が突き刺さっていく。甲高い声がルーズニルの耳元に飛び込んできた。
「毒は怖い。でもだからこそ、決死の覚悟で攻めることが大切なんだ」
あまりの痛さにヨルムガンは激しく悶える。ルーズニルは右の拳に風の精霊を宿し、勢いよく脳天に拳を入れ込んだ。
「――在るべき処へ還れ」
拳の先端から放たれた真空の刃は、ヨルムガンの頭の上から下に突き抜けた。断末魔を上げながら大蛇は黒い霧となって還っていく。
完全に還る前に頭から飛び降りると、リディスが表情を緩ませて駆け寄ってきた。召喚されたモンスターを還すという最低限の事を為せたことに、ルーズニルは少しだけ安堵しつつ、未だに続く同志たちとの戦闘の動向を注視した。
(フリートの野郎、一人で二匹もモンスターを還しやがった。メリッグが足止めするので精一杯だった奴らだぜ……)
トルは息を切らせて、ウォーハンマーのピック部分をガルザに向けて立っていた。頬からは血が滴り、両腕、両足も至る所から血が流れている。
モンスターを還され、少しは意気消沈するかと思ったが、むしろガルザの攻撃の手は激しくなり、あっと言う間にトルは血だらけの状態となっていた。幸いにも急所はすべて避けきっている。
ガルザは人がいないところでシミターを軽く一振りして、付いた血を振り払った。トルの赤い血が辺りに撒き散らされる。シミターから血が消えると、相手の纏っている雰囲気が一瞬にして変わった。
皮膚に殺気が突き刺さってくる。その空気を感じるだけでも息が詰まりそうだ。
シミターの剣先を地面に向けて、ガルザが一歩一歩近づいてくる。
「お前ら、調子に乗るんじゃねえぞ。お前を殺って、すぐにあっちの騎士も殺してやる」
彼はフリートが加勢に来る前に決着をつけるようだ。全速力で走ってくるが、それよりもガルザの方が先に動くだろう。
逆を言えば、この攻撃さえ受け止めれば勝率は跳ね上がる。
(ガルザは一瞬で速くなるのが特徴だっけ。見えない程の速さなんて、どうやって対処すればいいんだ)
蔑むような表情でガルザは近づいてくる。
無駄とはわかりつつも、半歩だけトルは下がった。
ふと一つ妙なことに気づいた。フリートが向かってきているにも関わらず、ガルザは未だに悠々と歩いてくる。下手したら、メリッグから遠距離攻撃を放たれる可能性さえある。
(もしかして瞬間的に移動できる距離が決まっている?)
トルは左足を大きく一歩後ろに下げた。そしてウォーハンマーを両手でしっかり握りしめて、その反動で一気に前に飛び出す。
間合いが変わったガルザは顔をぴくりと動かす。即座に彼も反応し、移動速度を急上昇させて、トルの前から消えた。
その瞬間にトルは唐突に立ち止まると、数歩先に進んだところに大きくシミターを振り被ったガルザが現れた。殺そうと思っていた相手がおらず、目を丸くしている。その間にウォーハンマーのハンマー部分を腹に向けて突きだし、よろけさせた。ウォーハンマーの端を持てば、シミターよりも間合いが多少長くなる。
思わぬ不意打ちにたたらを踏んだガルザは、すぐさま戦闘態勢に戻った。トルに向かって走り、シミターを下から上に向けて振りきろうとする。しかし目に見えない速さではなく、視力で確認できる範囲の速さだった。
トルは一瞬立ち止まる。間合いが縮まったところで、自らの足を使ってガルザとの間を意図的に縮めた。
シミターとウォーハンマーが音を立てて交差。そのまま力任せに押した。
攻撃力は明らかにガルザの方が上で、まともに武器を混じりあわせるのは得策ではない。
また小回りのきく剣と違い、トルが持っている武器は大振りとなって攻撃せざるを得ない代物。考えもなしに突っ込んで弾き返されれば、その隙に攻撃を仕掛けられる。
いっそ拙い体術に切り替えた方が、隙を突きやすいかもしれない。だが長年親しんでいる武器を簡単に手放すつもりはなかった。
ガルザはシミターを滑らせて、剣を離脱させようとする。それをさせる前にトルは重心を後方に置いて、自ら離れた。シミターはウォーハンマーから抜け、攻撃は空を切る。思い通りに事が進まず、ガルザは舌打ちをしていた。
ウォーハンマーを召喚物にしたのは、ただの憧れ。強盗に襲われた際、通りすがりの傭兵がそれを持っていたからだ。きっかけは些細なことであったが、今では心の拠り所となっている。
トルは護るのではなく、今度は攻め始めた。できるだけ小回りで扱えるよう、ウォーハンマーを短く握りしめて振り回す。ただしこまめに握る柄の場所を変えた。
攻撃のパターンを覚えられたら攻め込まれると考えたトルのささやかな抵抗だ。それが功を奏したのか、まだ反撃されていない。
『攻撃は最大の防御。せいぜい最後まで攻めて足掻きなさいよ』
メリッグがさり気に助言をしてくれた言葉だ。
彼女がトルに対してまともな助言をしてくれることなど、今まであっただろうか。
口元を緩めつつ、目の前の相手を見据えた。鳶色の髪の男の表情は変わっておらず、無表情のまま淡々と攻撃を返している。自分が攻める時がきたら、今度こそ一振りで終わらせる気だろう。
その時、突然トルの手元が乱れた。今まで受けたところのない方向からシミターが振られ、攻撃に耐えきれなかったのだ。
ガルザがにやりと笑みを浮かべた。トルの顔に冷や汗が流れる。
相手は至近距離で正面からシミターを振り上げた。こちら側は避ける時間などない。
ウォーハンマーを手から離し、魔宝珠へ戻す。降りかかるシミターを両手で挟むように捉えた。
ガルザは一瞬目を見開いたが、すぐに眉を吊り上げて、シミターを押し込んできた。刃を抑えている手のひらの間から、血が滴ってくる。皮膚の表面が切られ、トルは顔を歪ませた。
あと数秒で僅かな抵抗も終わり、切っ先がトルの体を真っ二つに斬る。絶体絶命の状況下に、周りを見る余裕すらない。フリートがどこにいるかも判断できない。だが最後まで足掻くと決めていた。
歯を食い縛りながらシミターを両手で挟んだまま、両足を土から離し、ガルザの腹に蹴りを入れた。
思わぬ奇襲に、ガルザは体をくの字にする。シミターと共に数歩離れようとしたが、トルがなかなか離さなかったため、手元が乱れ、落としそうになった。
「くそっ……!」
ガルザが力みながら引っ込める前に、トルは手を離す。そしてウォーハンマーを召喚し、彼の手元に向けて下から上にハンマー部分を突き上げた。
手から離れたシミターが高々と上がる。彼の視線が宙に向いた隙にトルは回り込み、ハンマー部分を振った。
「少しは寝ていろ!」
ハンマーは綺麗にガルザに直撃し、彼は勢いよく飛んでいった。僅かに火の加護も付けていたため、軽い火傷も負わせた。
ガルザは地面に転がり、呻きながら立ち上がろうとしたが、その前に駆け寄ったトルの拳が彼の腹にめり込むのが先だった。その攻撃には堪えたようで、再度地面に転がると、今度こそ動かなくなった。
ウォーハンマーを握りながらおそるおそる近づく。手首に触れると脈は打っていた。
「まったく……俺ってかっこ悪いな」
フリートが縄を持って駆け寄ってくるのを見ると、へなへなとその場に腰を下ろした。手は真っ赤で、握っていたウォーハンマーの柄の部分には赤い手形が多々残っている。このまま何もしなければ赤黒く変色して残ってしまうだろう。武器も体も酷い有り様だが、どうにか生きている。
「形振り構わねえって言うのはこういうことだ。ちゃんと足掻いてやったぜ」
フリートがトルに「大丈夫か」という声を投げつつ、ガルザの自由を奪うために縄で縛り始めたのを眺めながら、今度こそ安堵の息を吐いたのだった。