7‐11 隠れ人の住まう場所(1)
長い夜が明け、もうじき朝日が拝める時間帯において、ミーミル村で光宝珠を持ちながら移動している集団がいた。先頭を歩いているスレイヤは、スピアを両手で持って村の出入り口に向かっている。フリートをはじめとする騎士たちも、いつでも腰から下げている剣を抜けるようにしていた。
「槍を持っていないと、落ち着かないだけだから気にしないでね」
「モンスター、村の中にも出るんですか?」
リディスが心配そうな表情でスレイヤを見てくる。彼女は即座に首を横に振った。
「安心して。リディスたちと共闘した以降、侵入は許していない。ただ、何が起きてもおかしくはない世の中だから……」
村で唯一、中と外の世界を繋ぐ門まで辿り着くと、フリートたちが乗ってきた馬とそれに一頭加えた馬をフェルが引き連れて待っていた。隣では身軽な服装に着替えたケルヴィーが立っている。スレイヤはフェルと視線が合うと、にこりと微笑んだ。
「ありがとう、寝ていないのに」
「お前こそ人のこと言えないだろう。出かける前に風の魔宝珠に祈りを捧げたんだから、今は疲れ切っている時じゃないか」
フリートは耳を疑った。宝珠に祈りを捧げることは、かなり体力を消耗する行為だと聞いている。
しかし、自分の前に立っている女性は何事もなかったかのように、にこやかにスピアを召喚し、微笑んでいるのだ。
驚いているフリートの隣で、リディスは肩をすくめている。
「私よりもスレイヤ姉さんの方が体力はあるよ。多少やせ我慢をしているかもしれないけれど、あの笑顔は嘘じゃない」
迷いもなくはっきり言い切る。やや呆れたようにも見えるが、どことなく誇らしげな表情もしていた。
馬の近くまで行くと、ミディスラシールが団体の輪から離れて、一頭の馬を嬉しそうに撫で始める。一人乗り用の馬だ。
それを見てフリートはこれから彼女が何をするか薄々勘付き、頭をかきながら溜息を吐く。セリオーヌも複雑そうな表情で、右手を腰に当てている。視線が合うと二人でうなだれた。
「……しっかりと護衛するわよ」
「もちろんです、副隊長」
ミディスラシールはスキールニルの手を借りて、軽やかに馬の上に乗る。満足そうな表情で馬を軽く走らせ出した彼女を、リディスは口をあんぐりと開けて見ていた。
「馬、乗れるんですか……?」
「リディスも落ち着いたら習ったら? コツさえ掴めば簡単なものよ。どこにでも行けるわ」
「乗れるようになった頃は、勉強や貴族のおじさまとの会談から逃げていましたよね、姫」
セリオーヌがぼそっと呟いたが、ミディスラシールは背を向けて、聞いていない振りをしていた。
やれやれと思いながら、フリートたちも馬に乗り始める。ミーミル村から目的の地までは馬で数時間程度。今から出発すれば、昼過ぎには到着できるそうだ。
リディスはスレイヤと握手をかわして、別れの挨拶をした。スレイヤの視線がフリートに向くと、沈痛な面もちで深々と一礼してくる。彼女に対してフリートはしっかり頷き返した。
「開門用意!」
門を管理している男が声を上げるなり、複数の男たちが総出で門を開く為のロープを持ち上げる。
その後ろには、開門中にモンスターがきても対処できるように、腕に覚えのある男性たちが風の精霊を召喚して立っていた。さらに柵の上では、ロングボウを持ったフェルたちが指定の位置についている。
ケルヴィーたちを先頭にして馬を歩かせ始めると、スレイヤがその横を早足で歩いてきた。
「リディス、絶対にくれぐれも無理はしないこと。いいわね」
「わかっていますよ、スレイヤ姉さん。ありがとうございます。――では、行ってきます」
門の前まで移動すると、男の号令がかかった。
「開門!」
音を立てて門が開き始める。馬と人間が通れる高さになり、付近にモンスターがいないことを確認すると、一同は馬を走らせ出した。フリートたちは勢いよく村から飛び出る。
ケルヴィーとスキールニルの組を先頭に、一番後ろはトルとセリオーヌ、中央にミディスラシールを置いて、彼女を左右に挟むかのように他の二組が配置に付く。上空から見ると、ひし形のような形で移動し出した。
うっすらと朝日は昇っており、光宝珠がいらない時間帯となっている。
モンスターが周囲にいないのを常に確認し、神経を研ぎ澄ませながら進んでいると、何かが空を切る音がした。
「ミディスラシール姫、前方から鳥型のモンスターが……!」
リディスが叫ぶと、ミディスラシールは険しい顔つきで、夜と朝の狭間の空を見つめた。既にメリッグは水の精霊を召喚して、来るべき相手に備えている。
モンスターは三羽いた。速度を上げて近づいている。攻撃態勢に入ろうとしたが、それはフリートたちに目もくれず、悠々と上空を飛んで、その先へ行ってしまったのだ。
脅威が過ぎ去り、安堵の息を吐こうとしたが、リディスは強ばったまま顔を後ろへ向けている。
「どうした?」
「……あいつら私たちが目的じゃない。ミーミル村よ! 門が開かれたことで、その部分の結界の効力が一時的に落ちる。その隙間を狙って突っ込んでいくわ!」
フリートはそれを聞いて歯噛みした。モンスターに知能が付いているのであれば、フリートたちではなく、人がたくさんいるミーミル村に向かうはずだ。その可能性があることを――失念していた。
だが、ここで戻るわけにはいかない。
今にも飛び降りそうなリディスに、フリートは声を投げかけた。
「たとえそうだとしても、俺たちは進むんだ。それが送り出した者たちへの礼儀だ」
「でも……」
「あの村はヨトンルム領で最も強く風の精霊の加護を受けている。それにお前の槍術の師匠がいる村が、そう簡単に侵入を許すと思うか?」
そう諭すと、リディスは握っていた魔宝珠を離した。そして視線を前に向き直す。
「そうだった、元気になったスレイヤ姉さんがいるものね。万が一もないわ」
それだけ言われるとは、スレイヤという女性はどれほどの力量の持ち主なのだろうか。
リディスの槍の扱いでさえ、フリートから見たら優れている方だとは思っている。
そんな彼女くらいの年齢の時に、数名で旅をして歩き回ったらしい、スレイヤ。
もしもミーミル村に留まるという縛りがなければ、フリートたちと共にこの場に加わっていたかもしれない。
スレイヤはリディスたちが無事に村を脱出したのを見届けると、スピアの先端を地面に下ろそうとした。しかし吹く風に違和感がしたため、スピアは下ろさず、視線を斜め上へ向けた。
殺気が微かにする。黒い三つの点のようなものが動いていた。
すぐさま思考を切り替えて、門に駆け寄る。門を閉じようとしていた男たちがスレイヤを止めに入った。
「スレイヤさん、お下がりください! 門を閉めますので、危ないですよ!」
その言葉を聞き流し、スレイヤは朝日が昇りゆく空を、目を細めて見た。先ほど見えた黒い三つの点が徐々に大きくなっている。
「……思ったよりも速い。――フェル!」
「わかっている! ――前方上空から三羽のモンスターを確認。急降下して、門に向かってくるぞ!」
視力がいいフェルの言葉に誰も疑わなかった。スレイヤの周りでは驚く者、武器を手に取る者、慌てて門を閉じようとする者で分かれている。それを見たスレイヤは一喝した。
「落ち着きなさい! 門を閉めていたら間に合わない。――ここで三羽還します」
ざわめき声が一瞬にして静まり返った。こういう場合はったりでも大口を叩くのに限る。スレイヤの父は実力もあったが、話術も非常に巧みであった。話術は兄であるルーズニルに色濃く受け継がれたが、スレイヤも不得意ではない。
力がある者を何人か呼んで、スレイヤは門の近くで先が十字になっているスピアを構えた。
フェルは朝日に向けて矢を番え、弦を引き絞った。
モンスターの巨体が露わになってくる。そのうちの一羽に照準を絞った。相手が降下する時間と角度を即座に予測しながら睨み――射った。
矢は降下しようとしていたモンスターの右目を射抜く。雄叫び声を上げながら、そのモンスターは後退した。隙を逃さずに、フェルは連続で矢を放つ。
スレイヤは改めて自分の想い人の技量に感嘆した後に、目の前からやってくるモンスターたちを見定めた。
大鷲のモンスターで、素早いのに定評があるものだ。それが二羽、僅かに開いている村の門めがけて滑空してくる。
スレイヤが村から出ると、村を囲む風の魔宝珠による結界能力が落ちるため、迂闊に飛びかかれないのが多少難点ではあった。だが、並のモンスターが二羽程度なら、ほとんど動かずに対処できるだろう。
一歩だけ踏み出す。村と外の世界との狭間の手前で止まり、スピアの先端を空に向けた。
そしてモンスターが今まさに入り込もうとするところで、スレイヤはスピアを大きく横に振った。
強烈な風が発生し、それがモンスターたちに襲いかかる。だがそれにも怯まず、一時的に動きを止めたモンスターたちは再度向かってきた。
スレイヤは反応が遅い方に向かって、もう一振りして風を起こし、牽制をかけた。
その隙に残りの一羽が飛び込んでくる。もう少しで村に入れる喜びか、一声鳴いていた。
しかしそれ以上、その声を聞くことはなかった。
「――還れ」
鈍い音と一人の女性の呟きと共に、モンスターは動きを止める。
モンスターの横にいたスレイヤは瞬時に真正面に移動し、迷わず頭を貫いていた。断末魔を上げることなく、それは還っていく。
もう一羽も妨げる風がなくなり、村に侵入しようと飛んでくるが、入る直前で羽から血が吹き出した。動きを止めたそれの心臓に向かって、スレイヤは一突きする。モンスターがぴくりとも動かなくなり、黒い霧となっていくのを見届けることなく、スレイヤは門番たちに向かって大声を発した。
「閉めなさい!」
呆然と見ていた男たちは、急いで門を閉める作業に移る。
風の吹き方から判断すると、おそらく他のモンスターがすぐに来ることはないだろう。
スレイヤはその場で門が閉じきるのを見守った。やがて音を立てて門が閉まると、柵の上にいたフェルが軽やかに降りてきた。
「さすがだな、スレイヤ。二羽も還すとは。しかも片方は一突きか」
スレイヤはスピアの召喚を解いて、にこりと微笑んだ。
「当然でしょう。無駄な争いはしない。一瞬で終わりにするわ」
相手の動きをよく読めば、それは不可能ではない。
反撃されない究極の方法――それは一発で還すことであった。