7‐6 駆け行く想い(2)
その後も道中モンスターと遭遇したが、基本的にはメリッグとミディスラシールが連携して還していた。フリートも馬上から数回剣を振るったが、牽制目的が主であるため、ほとんど還すという行為はしていない。
そのような中、一回だけ地に足をつけて還したことがあった。砂の中から突如現れたモンスターに対してのことだ。
走りにくい地帯の中で馬を進めていると、急に足場の砂が盛り上がり、その影響でフリートとリディスは馬から投げ出されたのだ。突然のことに目を白黒させるリディスを抱えながら、フリートは背中から地面に落ちる。下が砂であったため、多少痛みを軽減できたが、起き上がるにはやや時間がかかった。
「くそっ、いったい何だ……!」
リディスを引き寄せ、フリートはバスタードソードを握りしめて、現れたモンスターを睨みつけた。
大きな牙と多数の脚を持ち合わせている、アリジゴクとムカデを合わせた巨大な生き物が、砂の中から顔を覗かせていた。足と牙などの先端は黒みがかっており、毒が含まれているのが容易に想像できる。大きな目玉はフリートたちを凝視していた。逃がす気はないようだ。
他の者は落馬すると思わなかったのか、先に進んでいる。この場はフリートたちだけで納めるしかない。
「こんな砂の中にモンスターがいるなんて、聞いたことがない」
「循環が崩れている影響かもしれねえな。――リディス、俺が還すから、お前は自分の身を守れ」
フリートは抗議の声を上げるリディスを自分の背中に無理矢理追いやる。
「一緒に倒した方が早い!」
「そうかもしれねえが、一人の方が動きやすいこともあるんだよ!」
リディスが言い返す時間も与えず、フリートはモンスターのもとに走った。
獲物が来たのを喜ぶかのように、足をばたばた動かし、大きなあごを開いて、牙を向けてくる。あまりの気持ち悪さにやや眉をひそめつつも、フリートは一気に足を斬り裂いた。金切り声をあげられる。しかしモンスターの動きは鈍くならなかった。
足や牙にどんな毒が付いているかわからない。触れるだけでも即死する可能性がある。そのため余裕を持って攻撃を避けようとするが、唐突に相手の動きが速くなった。目と鼻の先に牙が通過する。呼吸を整える時間も与えられないまま、今度は鋭く尖った毒付きの尻尾がフリートを襲ってきた。
舌打ちをしながら、態勢も整っていない状態で、剣で弾こうと試みる。
だがそれをする前に金色の髪が目の前を通過した。リディスがいつもより距離を保ちながら、ムカデに突きを入れた。尻尾はリディスの顔にかすりそうになったが、直前で風の精霊の風により、やや吹き飛ばされたため、難を逃れている。
リディスの絶妙な支援を受けると、フリートは横から頭を両断した。その場にぐったりと地面に平伏すなり、黒い霧となって還っていった。
フリートは辺りにモンスターがいないことを確認してから、口笛を吹いて馬を呼び戻す。
ショートスピアの召喚を解いたリディスは、フリートの顔を見るなり、ほっとした表情になる。
「無事で良かった」
「……ありがとな。だがお前も危なっかしすぎる。あと少しで毒を受けるところだったんだぞ。気をつけろ」
「ごめん、気をつける。だからフリートももう少し慎重になってね」
リディスは謝りつつも、フリートにとって痛いところを突いてくる。それを無言でかわし、フリートはバスタードソードの召喚を解いてから、駆け寄ってきた馬に彼女と共に再び飛び乗った。
そして前に進み出した頃、戻ってきたミディスラシールたちと再度合流できた。
* * *
城を出発して二日ほど経過した夕方、空き小屋を見つけたので、そこで一晩を過ごすことになった。前日は小さな村で宿を借りることができたため、城を出てから幸いなことに野宿にはなっていない。
森からも適度に離れているので、結界を緩みなく張っていれば襲撃される可能性は低いだろう。小屋に着くと、ミディスラシールとメリッグが四方に結宝珠を置き始める。
フリートは小屋全体をざっと見渡した。台所や机も備え付けられており、埃は被っているが木は腐っていないところから、最近まで人が住んでいたことが推測できる。この小屋を拠点として狩猟にでも出かけていたのかもしれない。
ほどなくして、辺りを巡回していたセリオーヌが馬を連れて戻ってきた。
「少し進んだところに整備された大きな道がありました。もう少しでミーミル村に着くと判断していいのでしょうか?」
地図を広げているルーズニルにセリオーヌは問いかける。
「そうですね。おそらくその道は、かつてムスヘイム領からアスガルム領まで繋いでいた東の道。それを越えればもう一息です。予定通り進んでいますね」
「それは良かったです。――では姫、私は見張りにでてきます」
セリオーヌは双剣を召喚し、ミディスラシールから結宝珠を一つ受け取って出て行った。
フリート、セリオーヌ、スキールニル、そしてトルの四人は交替で見張りにつくことになっている。リディスやルーズニルは自分もと名乗りを上げたが、普段から傭兵や騎士として活動していない二人に頼むのは気が引けた。どうにかして断り、二晩目を迎えている。
フリートはふとある疑問を思い出し、ルーズニルに視線を向けた。
「ルーズニルさん、ニルーフは十歳くらいですよね。どうしてニーズホッグを召喚できるんですか?」
自分専用の魔宝珠を持つのは十八歳からと決められており、それ以前に魔宝珠を受け取っても勝手に召喚できないようになっている。それにも関わらず、あの少年はニーズホッグと呼ばれる黒竜を自由自在に召喚していた。
ルーズニルは壁に寄りかかり、口元に右手を添えて思案する。間もなくして視線をフリートに合わせてきた。
「たしか彼の村には代々受け継がれている、竜を封印した魔宝珠があったはず。その竜の加護を受け、さらに能力があれば、崇めていた竜を召喚できるはずだよ。あの黒竜を精霊に置き換えた感じかな」
「なるほど。それなら納得できます」
精霊召喚も加護を強く受けている者であれば、指定の年齢に達していなくても召喚はできる。だが実際には年齢に達していないと加減ができないという欠点もあるため、たいていはその年齢まで召喚できないよう意図的に封印していることが一般的だった。
つまり、あの年齢で黒竜を操れているのは凄いことなのである。
少年の未来を考えると、一刻も早く今回の件から手を引いてほしかった。しかし、あの老人がいる今の状態ではそれは難しいかもしれない。
リディスは差し出されていた乾パンを食べ終えると、肩をもんでいるミディスラシールに目を向けた。
「今更ですが、どうしてミーミル村に行こうと思ったのですか? 私たちの援護のためについてきただけではありませんよね」
リディスの質問はもっともだ。あの姫がそれだけのために行くとは考えにくい。
ミディスラシールは静かに微笑んだ。
「ミスガルム城の代表として聞きたいのよ、アスガルム領民はいったい何を考えているのかと。彼らは数少ない生き残りだから、それ相応の身分の高い人が行った方が、真実を話してくれると思ったのよ」
「真実?」
「大樹に最も近かった人しか知らない、真実よ」
言葉以上に、ミディスラシールなりの深い考えがあるのかもしれない。
* * *
出発して三日経過した夕方、ようやくミーミル村の中心にある塔が見えてきた。あと一息で一休みができると思うと、フリートの心持ちは軽くなる。だが、村の周りに群がっているモンスターを見れば、嫌でも気を引き締めざるを得ない。よく見る獣型のモンスターが五匹いる。還すのは造作もないことだが、下手に断末魔をあげられて仲間を呼ばれたら面倒だ。
疲労が見え始めているミディスラシールに顔を向けると、彼女は肩を竦めてフリートを見返してきた。
「頼んでもいいかしら。フリートとトル、そしてルーズニルさん」
「自分は大丈夫です。――二人とも行くぞ!」
「おう!」
「了解!」
フリートはリディスに手綱を託す。数日間馬を走り続けたせいか、短い時間であれば、彼女は落ちずに姿勢を保つことができていた。
モンスターの近くまで馬を寄せ、急転回するところで、三人は馬から飛び降りる。
三人を敵と見なした五匹のモンスターは、我先に噛みつこうとしてきた。まずはルーズニルが先陣を切って、己の拳と共に突っ込んでいく。
すべての攻撃を流れるようにかわしていくと、整えられていた陣系が乱れた。モンスターの動きを熟知していなければできない行為だ。
その隙間をぬって、フリートとトルが一匹ずつ還していく。フリートが二匹還している間に、トルはウォーハンマーの先端に火の精霊を宿して一匹還す。ルーズニルも背中を向けた一匹を還していた。
あと一匹である。その一匹はミーミル村を目指していたリディスたちへ方向転換していた。
フリートは舌打ちをし、すぐさま駆け寄ろうとしたが、人間の足など獣の足の速さには到底敵わない。
セリオーヌが左手で手綱を持ち、右手で剣を抜こうとした瞬間、そのモンスターの脳天に矢が突き刺さった。
フリートが目を丸くしている間に、次々と矢がモンスターの首や頭、体に深々と刺さっていく。そして止めのように心臓に刺さると、モンスターは還っていったのだ。
鮮やかな攻撃にフリートは思わず見とれていた。矢が放れた方向にはミーミル村がある。その村の門が音をたてて開き始めた。
「皆さん、早く入ってください!」
大きな声を発したのは、亜麻色の長い髪を高い位置から一本に結った女性。手には彼女の背丈よりも大きいスピアが握られていた。
リディスが心配そうな表情を後ろから駆けてくるフリートたちに向けている。前に集中しろという意味合いも込めて力強く頷き返した。それに従うかのように彼女は視線を前に戻す。
幸いと言うべきなのか、その後追ってくるモンスターはおらず、リディスたちが村の中に入ってほどなくして、フリートたちもミーミル村の中に入り込むことができた。
全員中に入ったのを確認した後に、門は閉ざされる。門の内側には村の自警団だろう、槍や剣を握りしめた青年や中年の男たちが立っていた。
フリートは歩きながら呼吸を整える。そして馬を引いて寄ってきた、安堵の表情を浮かべているリディスと向かい合った。
「フリート、怪我はない?」
「ああ、これくらい。援護もあったしな」
誰が矢を放ってくれたのかと思いながら辺りを見渡していると、二人の男女が駆け寄ってきた。一人は見覚えのある女性――ルーズニルの妹であり、リディスの槍術の師匠であるスレイヤ。そしてもう一人は赤褐色の短髪の青年である。彼の手にはロングボウが握られていた。
「リディスにフリート君、無事のようね」
「スレイヤ姉さん、すみません、急に」
事前にスレイヤ宛に伝書鳩を飛ばし、リディスたちが来ることは知らせておいた。ただし名前などの固有名詞は一切使わない内容だったため、読むべき人が読まなければ気付かなかっただろう。
「流し読みした時は、何が何だかわからなかったわよ。読み込んだことで、切羽詰まった状態だとはわかったけど……本当に来るとは驚いた。時間がないと言っても危なすぎでしょう」
「ごめんなさい。……あの、隣の方って、もしかして……」
リディスが視線を赤褐色の髪の青年に向けると、彼は軽く手をあげた。
「リディス、久しぶりだな。二年ぶりってところか」
「そうですね、フェルさん。お二人がシュリッセル町を去ったのが、それくらい前ですから……。ご無事だったんですね、良かったです」
「まあ色々とあったがな」
フェルと呼ばれた青年は頭をかきながら笑う。その隣でスレイヤが溜息を吐いた。
「……あのねえ、色々とありすぎ。こっちがどれだけ心配したと思っているの!?」
「何度も謝っているだろう、ごめんって。もうお前の傍から離れないから許してくれよ」
「わかった。とりあえず今晩の夕飯はよろしくね。人がたくさんいるから、作りがいがあるわよ」
「えっ……」
フェルの顔が若干ひきつったのがわかった。彼はミーミル村に飛び込んできた集団を見て、人数を確認すると、さらに肩を萎ませる。
「早く用意して。そろそろ陽が暮れ始めるから」
「わかったよ……」
渋々と返事をしながら、フェルはロングボウの召喚を解いて、村の中心部に向かって走っていった。
一連のやりとりを見ていたフリートは、スレイヤが抱える事情を思い出す。
「スレイヤさん、もしかしてあの人が貴女の婚約者ですか?」
彼女は笑顔で首を縦に振った。
「そうよ、フリート君。あなたたちが出てからしばらくしてようやく戻ってきたの。もともと村の自警団の団員で、扉が開いた以来は村から出ずに、さっきのように村に近づくモンスターを還しているのよ」
「かなりの腕前の持ち主ですね」
「半島中を歩き回って、生きて帰ってきたのよ。強くないほうがおかしいでしょう。よくあの人の弓には助けられているわ」
スレイヤが初めて可憐に微笑む姿を見た。心の底からフェルのことを信じ、愛しているのだろう。
ふと彼女がフリートやリディスなど、今来た集団を見返すと首を傾げた。
「ロカセナ君がいないみたいだけど、どうしたの? リディスの護衛じゃないの?」
リディスは思わず唇を噛みしめて、視線を下げた。フリートも軽く目を伏せる。スレイヤは二人の行動を見て、眉間にしわを寄せた。
「どうしたの、二人とも」
「――スレイヤ・ヴァフスさんですか?」
フリートたちが答える前に、フードを被った女性が話しかけてきた。
「スレイヤは私ですけど……。貴女はリディスたちと一緒に来た方ですよね?」
「はい。少々込み入ったお話をしたいので、場所を提供させていただけませんか?」
「私の家でよければ構いませんが……。すみませんが、貴女はどちらさまで?」
スレイヤが警戒しながら聞くと、フードを少しだけ外して、彼女だけに顔を見せる。金色の緩い髪に緑色の瞳――一目で高貴な身分の者と判断できたのか、スレイヤは目を丸くした。
「初めまして。ミディスラシールと申します。しばらくご厄介になります」
名前を聞くと唾をごくりと飲んでいた。ミスガルム城によく出入りをしている兄を持っている彼女だ、身分を言わずとも、姫であることがわかったのだろう。
スレイヤは少々緊張した面持ちで、村の中央にある塔に視線を向ける。
「あの塔のすぐ近くに家があります。お連れしますので、ついてきてください」
「ありがとうございます。お手数をおかけします」
そう言うと、ミディスラシールはフードを再び深々と被った。
やがて馬を置いてきたルーズニルとトル、メリッグ、セリオーヌと合流して、ヴァフス家へ移動した。