1‐12 好戦的な上官(1)
城内の第一印象としては、天井が高くて廊下が非常に広い。光宝珠は遥か上にある天井に括りつけられ、それが辺りを照らしていた。石畳の上を歩くと靴の音が反響する。いつもとは違う環境だと実感し、リディスは急に緊張してきた。
しかし騎士団員の青年二人は、リディスに構うことなく平然と話をしている。
「とりあえず隊長のところに行く? ファヴニール様のこともあるし」
「そうだな。その後にでもリディスの部屋を用意してもらおう。カルロット隊長や副隊長が指示してくれればすぐに手配できるからな」
「その前に小言を聞く羽目になりそうだけど」
「……仕方ない。怪我といい、俺たちの判断が甘かったせいだからな」
フリートとロカセナは同時に溜息を吐いた。ようやく城に戻ってきたというのに、何か頭を抱える問題でもあるのだろうか。状況が掴めないリディスにとっては、ただ首を傾げるしかできない。
歩を進めている間、何人かと擦れ違った。フリートたちが自主的に頭を下げる相手が大多数で、相手から挨拶をしてくる者は少ない。それは二人の地位を表しているように見えた。二十歳の青年たち、役職を得ている立場ではない。
何度か角を曲がり、ある部屋に辿り着くと、他の部屋より一回り大きいドアが見えた。
「ここは俺たち第三部隊が集まる部屋だ。普段はあまり人はいないが、奥には隊長の個室――」
言っている途中、ロカセナは血相を変え、リディスの手を引いてドアから離れさせた。フリートも顔をぴくりと動かし、数瞬遅れて下がろうとしたが遅かった。
「どの面下げて、帰ってきやがる!」
その言葉と共にドアが勢いよく廊下側へと開け放たれた。ほぼ同時に壮大な音を立てて、ドアがフリートの顔に当たった。あまりの痛さなのか蹲っている。
呆気にとられていると、中から現れた人物を見て目を丸くした。リディスより頭一つ半以上背が高く、がっちりした体格の四十過ぎの男性。左頬に残っている切り傷は、そのまま彼の実績を表しているようだ。ここが戦場なら、あまりの目の鋭さと威圧に足が竦んでしまうだろう。
彼はリディスと視線が合うと眉を跳ね上げた。
「嬢ちゃん、誰だ?」
「カルロット隊長、彼女はシュリッセル町で出会った町長の娘さんですよ」
ロカセナは淡々と涼しそうな顔で答える。カルロットは彼を見るなり、不機嫌さを露わにした。
「お前……、予定よりも遅く戻ってきやがって。何をしていた!」
「シュリッセル町での出来事に関する報告書は、すでに送っていますよね。フリートが怪我をしたため――」
「そうだ、あの馬鹿はどこだ! 宝珠を守るモンスターごときに怪我をするなんて、弛んでいる!」
その本人はあまりの痛さに蹲っているのですが、とリディスは思ったが、口には出せる状況ではない。
間もなくして、少しだけ痛みが薄れたフリートは背筋を伸ばして立ち上がった。
「カルロット隊長、フリート・シグムンドはここです! ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳――」
「フリート、今から特訓だ! 俺との互角稽古に付き合え。いいか、手を抜くのは許さない。抜いたとわかった瞬間、腕が一本なくなるからな!」
「帰ってきたばかりの俺に稽古だなんて、貴方は人に対しての思いやりってものはないんですか!」
「いいから黙って付いて来い! 怪我したのは事実だろう!」
カルロットはリディスたちが来た逆側の通路を大股で歩き始める。フリートが盛大に肩を竦めて立ち尽くしていると、ギロリと視線が向けられた。ロカセナに両手で背中を押され、やむなくその後を追う。
突風のような気迫にリディスは圧倒されていると、ロカセナが軽く肩を叩いた。振り返ると苦笑いしている。
「ごめんね、いきなりあんな血気盛んな人と会って。びっくりしたでしょう?」
「……びっくりした。フリートは大丈夫なの?」
「大丈夫だろうけど、おそらく夜は死んだように寝ているだろうね。……あ、隊長にリディスちゃんのことをきちんと説明し損ねた。あの調子だと、しばらく戻ってこないし……どうしたものか……」
「あら、その姿はロカセナ?」
ロカセナが腕を組んで考え込んでいると、凛とした女性の声が投げかけられた。振り向くとロカセナより少し低い身長で、赤色の短髪の女性が寄ってくる。引き締まった体と出るところは出ている体の曲線に、同姓のリディスでも思わずドキッとするくらい綺麗な体型だった。二十代後半だろう、一目で魅力的な女性だとわかる。
「セリオーヌ副隊長、お久しぶりです。ただいま戻りました」
「お帰りなさい。シュリッセル町の結界強化の貢献と、ファヴニール様の勧誘お疲れさま。後者は無駄足みたいかと思ったけど……、そうとも限らないか」
不敵な笑みをリディスに向けた。すぐにロカセナとの話に戻る。
「ここにいるということは、隊長に会ったの?」
「会いましたが、フリートに難癖付けて、二人で鍛錬場に行ってしまいました。――この子が例の娘です」
話が自分に向いたのに気づき、リディスは慌てて挨拶をする。
「初めまして。シュリッセル町長オルテガの娘、リディス・ユングリガです」
「こちらこそ初めまして。私はミスガルム騎士団第三部隊の副隊長をしているセリオーヌ・フェリアよ。副隊長といっても隊長があんな感じだから、雑用のほとんどは私がやっているわ。何かあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます」
明るくサバサバした付き合いやすい人だなと感じた。その歳で副隊長という立場なのだから、かなりのやり手だということも推測できる。
「リディスはしばらく城に滞在するのよね。手続きはこっちでだいたい終えてあるから、あとは書類に必要事項を記入して。それが終わったら、部屋に連れて行くわ」
「さすが副隊長、隊長宛に手紙を送ったにも関わらず動いてくださり感謝です」
「さりげなく私の名前も入れたのはどこの誰かしら。――その後の城内の案内は、二人に任せるけどいい?」
「ええ、大丈夫ですよ、鍛錬量を減らしてくれるのなら」
「それは難しい話ね。隊長が作った予定表を見たけど、明日からしっかり鍛錬時間が確保されていたわよ」
「……あの隊長の馬鹿みたいに貪欲な剣術への向上心には、頭が上がりません」
ロカセナはがっくりと項垂れる。非常に好戦的な隊長のため、隊員たちがたとえ旅で疲れていたとしても、量を減らすなどは一切しないようだ。
「ねえ、そうだ。リディスはどうやって還術しているの? 武器派? それとも精霊召喚派?」
急にセリオーヌに話を振られて、一瞬きょとんとしてしまう。だが、少ししてその意味合いに気づく。
還術には、主に二種類ある。
一つはモンスターを攻撃するための武器を魔宝珠によって具現化し、還術印を施したものを用いて還すもの。
もう一つは精霊と呼ばれる人外のものを召喚、それらを利用して天変地異を起こし、還すというものである。
前者の方が圧倒的に母体数は多いため、還術士とは還術印が施された武器を使用する人、という考えに至るのが普通だ。
逆に後者は精霊を召喚する人があまりいないため、存在自体知らない人の方が多い。精霊を召喚できる者は、優れた才能か血統を持つ者、かつ使いこなすために相当な努力を有した者だけだ。
リディスはセリオーヌの質問に対し、右手を振りながら受け答える。
「もちろん武器派ですよ。精霊召喚なんてそんな恐れ多いことはできません」
「あら、そうなの。数は全然違うけど、武器派よりも精霊派の方が女性の割合が多いから、つい……。ちなみに武器は?」
「ショートスピアです。護身のために槍術を始めたのがきっかけです」
それを聞いたセリオーヌは口元をつり上げた。にこにこしながら、リディスに近づいてくる。
「ねえ、疲れている?」
「長距離移動は初めてだったので、多少疲れています。ただそこまで疲れは溜まっていませんので、動くことは可能です」
セリオーヌは若干残念そうな顔をしていたが、最後の単語を聞くと左手を右腕に、そして右手の指を口元に当てながら笑みを浮かべた。
「ねえ、それなら少しでいいから、私の相手をしてくれない?」
「え?」
「少しだけだから。槍使いは隊内でも最近減っていて、相手をする機会があまりないの。還術できるということは、それなりに扱えるんでしょう?」
「いえ、まだまだ鍛錬が必要な段階ですよ。副隊長様のお相手など、とても……」
「私は構わないんだから、いいのよ!」
そこまで言われると、断るのが難しくなってくる。困ったような表情をロカセナに向けると、彼は少し前に出た。
「セリオーヌ副隊長、彼女は騎士になるために来たわけではありません。もし何かあったらどうするんですか」
「準備運動程度の内容よ。私は斬れない模擬剣、彼女は自前のスピア。彼女が怪我をする要素がどこにある?」
「ですが、道中疲れているのに、それを強要するのは。せめて別の日にでも……」
「私、明日の午後から少し出かけるの。今しか機会はないのよ。――ねえリディス、いいわよね?」
彼女の爛漫と輝いた瞳に対して、ねじ伏せる言葉が思いつかなかった。大きく息を吐いて首を縦に振った。
それを見たセリオーヌは、子供のように声を上げて喜んだ。リディスは横目で銀髪の青年を見る。
「ねえ、ロカセナ、貴方たちの部隊はこのような人ばかりなの?」
しっかりした面倒見のいいお姉さんが第一印象だったが、その印象は見事に裏切られた。
リディスの問いを聞いたロカセナは、横目で乾いた笑い声をあげていた。
「正直な話、僕がこの城で出会った人たちは皆個性が強い、というのを否定することはできないね」
ある意味とんでもないところに来てしまったのではないかと、リディスはつい思ってしまった。
一方、フリートはリディスまでもが気まぐれに振り回されているのも知らずに、半円球状の建物の鍛錬場でカルロットと一対一で睨み合っていた。足場は石でできているため足元に気を取られることはなく、純粋な剣だけの勝負となる、
カルロットの剣はファヴニールのように大振りの剣で、それを鍛え抜かれた体を使って振り回す。その一振りが非常に強烈であり、まともに受けようものなら吹っ飛ばされる可能性がおおいにあった。さらに大剣使いにも関わらず、長年鍛え抜かれた勘のおかげで、目立った隙すら見せない。
はっきり言えば、体力が万全のときでも相手をしたくない。疲れが残っている今など、論外である。
そのような気持ちも知らずに、カルロットは楽しさを顔から滲み出しながら剣を召喚し、立ち位置につく。
「モンスターごときに怪我をしやがって。性根を叩き直してやる!」
「自分を弁護する気はあまりないですが、なかなかの相手でしたよ、一人、二人で相手をするには、かなり分が悪いモンスターでした」
「それはあとでじっくり聞いてやるさ」
「……聞く気なんて、ないくせに」
深呼吸をしてからバスタードソードを召喚する。ここはせっかくの機会だからと割り切って、正々堂々と相手をしてもらおう。実際の戦闘では疲れ切っている最中に、真剣勝負をする機会も多々あるだろうから。
開始の合図は決まっていない。
柄をしっかり握りしめ、カルロットを見据えた。いつの間にか彼の笑みはなくなり、戦闘状態に入っている。
目で駆け引きをし、カルロットが地面を蹴って走り始めたのと同時に、フリートも駆け出していた。
剣が交わるや否や、フリートの剣にかなりの体重がかけられてくる。それを足で踏ん張って受け止めた。
カルロットの攻撃は体格からもわかる通り、力で一気に押し切ることが多い。
フリートは瞬間的に剣を引き、数歩下がって間合いを取ろうとした。しかしカルロットはすぐに追ってくる。大きな体からなかなか距離がとれない。カルロットとしては、自分の得意な型に持っていきたいがための行為だった。
近づかれて振り下ろされた剣をフリートは弾く。僅かな隙を探すために後退したいが、それは徹底的に潰された。至近距離で攻撃に耐えながら、反撃するしかない。
一瞬後ろに下がるが、その反動で勢いづけて、自らカルロットの剣にぶつかっていく。
カルロットは少し驚いたような顔をしたが、すぐににやける。
「そうだ、男なら自分からかかってこい!」
「勝手に貴方と同じにしないでください!」
力任せに何度も振り下ろしてくる剣を、受け止めては流す行為を数回続けたところで、受け止めずにすれすれのところで左に避けた。カルロットは完全に虚を突かれた表情になる。その隙に、彼の鍔に剣を当てて跳ね飛ばそうとした。
だが、それまでだった。
「攻撃が単調過ぎる!」
カルロットは剣を握っていなかった左手で拳を作り、フリートの腹へと入れ込む。
「……痛っ!」
フリートは顔を歪めながら、勢いよく鍛錬場の壁に飛ばされた。