6‐21 歴史を見守る大樹(4)
* * *
ミディスラシールは、城の中の階段を踏みしめながら上っていた。ゼオドアは結界の外から城を見下ろしているらしい。彼と話をするならば、距離が近い城の屋上が妥当だろう。
スキールニルとセリオーヌだけでなく、出会った騎士も何人か連れている。もしものことを考えて、護衛は多めにしていた。
階段を上りきるなり、陽の光がミディスラシールの目に入ってくる。手をかざしながら見ると、結界のすぐ傍にいる、大きな鳥型のモンスターに乗った、白い髭を生やし、帽子を被っている初老の男性と目があった。眼鏡の奥に潜む瞳を突きつけられ、一瞬ミディスラシールは後ずさりそうになった。
殺気の質がまったく違う。
ニーズホッグを召喚するニルーフもそれなりに凄かったが、彼は格段に質が違った。いるだけで圧倒される存在である。
平静な態度を装いながらミディスラシールは屋上を歩く。
「貴女が責任者ですか? お若そうに見えますが」
「ええ。若いからと言って、甘く見ないでいただきたいですわ」
「その髪と瞳の色、そして強気な発言……、ミディスラシール姫と判断してよろしいですか?」
ゼオドアが目を細めてミディスラシールを見てくる。既に分かったうえで、確認を取っているようだ。軽く髪を払って、きりりとした顔つきをする。
「そのように判断してもらって結構です。さて、お話とはなんですか? こちらも貴方もあまりお時間はないと思われますが」
「こちらの準備はほとんどできておりますよ。あとは再び時が来るのを待つだけです。時間がないのはそちらでは?」
鎌をかけたおかげで、思った通りの返答を得ることができた。彼らの準備は既にできている。次の満月までにリディスを手中に収めることができれば、今度こそ扉を開ききるつもりだろう。
ミディスラシールは開いた扇子を口元に当てた。
「こちらも来たるべき日に向けて、日々準備しておりますわ。ご安心を」
「別に準備などしなくていいと思いますよ?」
ゼオドアがミディスラシールの後ろにいる騎士たちを眺める。
「はて、先ほどまで城内からあの娘の気配がしたと思うのですが、彼女はどこに行ったのですか? 本当ならば直接彼女とお話をしたかったのですが……」
(気配を感じた? リディスの精霊の加護はそこまで強くない。結界越しでその気配を感じたなんて、なんて敏感な人なの?)
やはり同志たちの中で、ゼオドアが一番力を持っていると断定していいようだ。
「……さあ、私はわかりませんわ。彼女にも都合がありますから。代わりに私がお話を聞きますよ?」
「――ミディスラシール姫、さすがミスガルム王国ですね。こんな世界になっても、城下町では人々は元気に商売をしている。なんて素敵なところでしょうか」
ゼオドアの視線が城下町に向かれる。その些細な行為だけで、ミディスラシールの毛がぞわりと逆立ったた。それを隠すように言葉をどうにか返す。
「そう言って頂き、光栄です」
「あの風景が無くなってしまったら、さぞ寂しいでしょうね」
ゼオドアが胸元にある魔宝珠に軽く手を触れた。ミディスラシールの眉間にしわが寄り、扇子を閉じる。それを見たゼオドアは笑いながら、手を離した。
「ほっほっほ、そう怖い顔をしないでください。今回はお伝えしたいことがあって来ただけですよ。危害を加えるつもりはありません」
「あらそうですか。すみません、ご気分を害したようで。近頃モンスターが襲ってきたりと、物騒なことが起こっておりますから、つい反射的に」
ミディスラシールも笑みを浮かべる。このまま彼の思い通りに話を進めたくない。少しでも余裕がある振りをする。
「それで貴方は何を伝えに来たのですか?」
「十日後は満月ですね、ミディスラシール姫」
ミディスラシールだけでなく、セリオーヌや事情を知っている者たちは、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ええ、そうですね。美しい満月になるといいですわね」
「――その日にリディス・ユングリガを旧アスガルム領に寄こしてください。あの何もない大地に」
「彼女の身に危険が及ぶとわかっているのに、易々とその提案に応じると思いますか?」
「もしそうしなければ、ミスガルム領にある町か村を少なくとも一つは潰したいと思います」
騎士たちが殺気だつのが振り返らなくてもわかった。ミディスラシールは手を伸ばして、剣を抜くのを制す。
脅しというのは予想された展開だ。迷いもせず言い返す。
「こちらに不利な条件しかないお話ですね。はっきり言って受け入れがたいです。そのようなことをするのならば、全力で止めに入りますよ」
「果たして止めることはできるでしょうか。モンスターはますます凶暴になっています。いくら貴女や騎士たちがお強いとはいえ、それらからすべての町村を護りきるのは至難のことでしょう。……それにいい加減にお気づきにならないのですか? 無駄に抵抗しても、選択肢はもうないと」
最も言われたくないことを突いてきた。ゼオドアの言葉の奥に潜む内容は、ミディスラシールも薄々勘付いている。諸事情を知れば知るほど選択肢は狭まっていた。
モンスターが今のように溢れる世の中を変えるには、扉を閉めるのが絶対条件である。
つまり、ミディスラシール側としても、リディスの体に大きな負担をかける行為――鍵を使わざるを得ない状況にあるのだ。
一方、扉を閉めたとしても、それでモンスターの脅威が完全になくなるわけではない。なぜならば扉云々以前に、魔宝樹が消えたことで循環が狂い、その影響で不安定な状態になっているのが今だからだ。
それを解消するには、一度扉をすべて開けて樹をこの地に戻すしかない。同時にかつて樹と共に封印されたモンスターを、再度封印しなおす必要がある。
それらを実行するには、鍵の力が必須。
扉を開けて樹を降ろし、現れたモンスター封印して、再び扉を閉じるという、三段階の工程が必要なのだ。
それが彼女の体、精神にどれほどの負荷がかかるだろうか――計り知れない。
その考えを胸に秘めながら、ミディスラシールはゼオドアに鋭い視線で突き返した。
「たとえ無駄な行為であっても私は最後まで諦めません。ただ壊すだけが、すべてではないですから」
「その強い瞳が絶望に染まるところを見てみたいものですね。せいぜい残りの僅かな日数で足掻いてください。――私がお伝えしたいことは以上です。リディス・ユングリガにもその旨を必ずお伝えください」
ゼオドアがそう言うと、彼が乗っていたモンスターは少しずつ上昇し始めた。消え去るまでは警戒を解くことはできない。睨みつけながら、彼の様子を視線のみで追った。
その時、思いもよらぬ人物から上空に向かって声が投げかけられた。
「待て、ゼオドア!」
「その声は……アルヴィースか?」
モンスターが上昇をやめると、ゼオドアは予言者のアルヴィースを眼鏡越しで見下ろした。
「お久しぶり。そちらも元気なようでなによりだよ。窮屈な城での生活は楽しいかい?」
気さくに話しかけてくるが、アルヴィースは険しい表情を変えようとはしなかった。
「お主は何をしたいんだ。他の者たちとは若干考えが違う気がするぞ?」
「根本はみんな同じさ。葉先の考えは違うかもしれないが……」
「二十五年前と似たようなことを、今度は大陸中にするつもりか?」
「それはどうかな? ご想像にお任せするよ。――いい加減にそろそろ失礼する。あまり目立った行為は好きではないからね。生き抜けたら、また話でもしよう」
ゼオドアはモンスターを急上昇させた後に、かつてアスガルム領があった地へ飛び立っていった。
彼の姿が見えなくなると、騎士の一部が座り込んだ。呼吸は荒く、辛そうに見える。ミディスラシールも自分の額に手を触れると、汗をかいているのがわかった。
「かなり危険な男ですね」
セリオーヌがミディスラシールの傍に寄ってくる。
「ええ。ある程度力がなければ、立っているのも難しいでしょうね」
ミディスラシールは踵を返して、階段を下り始めた。
「リディスたちのもとに戻るわ。これ以降のことは追って連絡をする」
「わかりました。……決戦は十日後と考えてよろしいのですか?」
セリオーヌは小声でそっと尋ねてくる。
「そうなるわね。ただ、セリオーヌにはその前に少し付き合ってもらう予定だから、早めに支度しておいて」
「私が、ですか?」
「もちろんスキールニルも連れていくけど、若干心配で。……貴女がいなくても、第三部隊の方は大丈夫かしら?」
「姫からの指示であれば断る理由はありません。第三部隊は、隊長以外は空気が読めるしっかり者ばかりですから、予め指示しておけばきちんと動いてくれるので大丈夫です」
「ありがとう。頼りにしているわよ」
ほんの少しだけ微笑むと、セリオーヌもつられて笑い返してくれた。
時間は限られている。
だが、その中でもどうにか足掻くと、ミディスラシールは決めたのだ。
今はただ、僅かな希望を探しながら、前を見据えて進んで行った。
* * *
「ねえ、フリートはどこに出たの?」
大樹の周りをリディスとフリートは並んで歩いていた。ロカセナへの募る思いは多々あるが、今は互いにその話題は出さなかった。意図的に別の話題を振る。
「たぶんリディスと真逆の方向じゃねえかな。あの声の主の女性と会って、リディスを探してくるようにって言われた。それで樹の周りを数十分歩いていたら、ようやくお前の声が聞こえてきたな」
「あの声の人物と会ったの!?」
ロカセナの話の中にも出てきた相手だ。会わなければならない、すべてを知る人。
「ああ。だから今からお前をその人のもとに連れて行っている」
「何か話したの?」
「いや、たいしたことは……。……ああ、覚悟はあるかって、聞かれたな」
「覚悟……」
その単語は、最近リディスの脳内に突き刺さっているものだった。
「ロカセナと戦う覚悟はあるって言ったら、その人は寂しそうな表情で軽く首を横に振っていた。それについての覚悟ではない。今はとりあえずリディスを探してこいって言われたのさ」
フリートはまだ知らないようである、彼自身も扉を開ける者と言われていることについて。嘘を吐くのが下手な彼がいつも通り会話をしていることから、それは確かだと思われる。
いったいどういう経緯で、彼はそのような立場になるのだろうか。
それとも、ただ単にリディスの傍にいる人だから、そう言われたのだろうか。
やがてより青々しい緑が広がる空間に出た。柔らかな風が吹き抜けていく。
フリートが目で促すと、その先にはフードを被った人間らしきものが佇んでいた。背筋がぴんっと伸びている、凛々しい人だ。彼女はリディスたちの存在に気づくと、顔を向けた。
「連れてきてくださったのね、フリート君」
「すみません、少しお時間がかかってしまい」
「構いませんよ。数十分など、何十年と比べたら一瞬のことですから」
改めて聞く彼女の声は、ムスヘイム領で度々見た夢の中、そしてプロフェート村跡地の祠の奥で意識が飛んだ時に聞こえた女性の声と同じであった。
「貴女は誰ですか?」
「リディスラシール、お久しぶりですね。生まれて間もなくして別れたから、むしろ初めましてでしょうか」
女性は被っていたフードを脱ぎ、穏やかな笑みでリディスを見返した。
彼女の姿を見てフリートは息を呑む。リディスも目を丸くした。
そこには腰までつく金色の長い髪と緑色の瞳を持つ、リディスとよく似た女性が立っていたのだ。
「いらっしゃいませ、魔宝樹の地へ。私はこの樹に祈りを送り続けている護り人、ノルエール・ミスガルム・ディオーンと申します」
ノルエールが右手を横に広げると、風が吹いた。背後にあった大樹の葉が音を鳴らして揺れている。雄大な大樹は風に触れると、より美しさを増したものになっていた。絵画のような美麗な風景に、二人は呆然として眺めていた。ノルエールは微笑みながら二人を見渡す。
「最後にあなたたちに伝えておきたいことがあり、呼ばせてもらいました。お時間を少しいただきますね」