1‐11 広がる外の世界(2)
* * *
馬車に乗り始めて四日経過した頃、少しずつ他の馬車との擦れ違いも多くなっていた。人が多く住んでいる場所が近くなってきたと感じられる。
途中から徒歩ではなく馬車移動に切り替えたため、リディスはあまり体力を消耗せずに進むことはできたが、逆に動かないのは退屈だった。そのため休憩した町でロカセナが本を購入しようと提案したのに従ったのは、正解だった。本を読むことでその世界に没頭できる。今までゆっくり流れていた時間だが、本を開けばあっという間に過ぎ去っていた。もし読んでいなければ、馬車での長時間の移動に耐えられなかっただろう。
ほとんど動かないフリートの様子も見ていて気付いたが、どうやら馬車の揺れに酔っていたらしい。
「揺れに弱いんだ……」
「違う、眠いから寝ているだけだ!」
強がりもいいところで、顔の青さはそれを肯定するには充分なものだった。
しばらく黙々と進んでいたが昼過ぎに、急に荷馬車の主に言われて馬車から降ろされた。その存外な扱いにフリートは目を剥くと、馬車の主は後ずさりした。
「そんな怖い顔するなよ。馬車に乗ったまま入ると手続きに時間がかかるから、徒歩で入った方がいいだろうって思ったんだ。城壁が見えるし、歩ける距離だろう」
「お前……」
フリートが何かを考えながら言葉を選んでいる。なぜそれだけ憤っているのか、リディスはわからなかった。
「なあ頼むよ。四日間も乗せてやっただろう?」
男が四日間という言葉を強調して出すと、フリートは小さく舌打ちをしてから口を開いた。
「……わかった。今回だけだ。次に会った時は一緒に入ろうか。是非ともお礼はたっぷりしたい」
「お礼なんていらないよ。今回もただのついでだったんだからさ」
荷馬車の主は乾いた笑い声をあげる。道中、挙動不審にリディスたちに接していた。不思議に思い、理由を聞こうとしたが、ロカセナがやんわり遮ったため聞けなかった。結局その場で挨拶をして荷馬車の主と別れた。
降りた場所は見晴らしのいい草原。周囲には何もないため、ミスガルム王国に奇襲を試みようとしても目立つことから、実行する人はまずいないだろう。
歩き始めてしばらく進んだところで、目がつり上がっている黒髪の青年が真っ直ぐ指を伸ばした。
「城壁が見えるだろう。あそこがミスガルム王国だ」
草原が広がる中で、一際目立つ一帯がある。石でできた城壁で囲まれた奥にある城の上部。城下町は壁によって隠されている。モンスターだけでなく、人間さえも近づくのが一瞬怯んでしまうほどだ。
「もっと華やかな感じかと思った」
「見ていないのに勝手に妄想だけで作り上げるな。中は予想しているとおり、華やかなはずだ。外壁がこうなのは、中で安心して過ごせるための手段に過ぎない」
「モンスターの脅威から町の人を守るための?」
「ああ。見えない結界だけでは弱い部分があるから、結宝珠を防壁に埋め込むことで侵入を防いでいる」
フリートの話をリディスは頷きながら聞いていた。
ミスガルム城にはミスガルム領だけでなく、ドラシル半島全体に影響力を及ぼしている国王がいる。近年稀にみる華麗な統率力だけでなく、強力な召喚もできるとして、注目が集まっているのだ。
一方、話題には出なかったが、おそらくあの防壁は、王国に害をもたらす人間を易々と入れないために作られたものでもあるだろう。長年安定して繁栄し続けられているのは、そのようなことも考慮しているからだ。
その他、王国に関する基本的なことをリディスは聞きつつ、三人は歩を進ませた。
入り口の門が見えてくると、そこを先頭にして人が一列に並べられて順番に中に入っていた。
「あれは検問だ。一般人はああいう風に並べられて、いくつか質問に答えてから入ることになっている。だが俺たちが通る門はそこではない」
フリートはそう言って、少し道から外れて壁伝いに歩いていく。するとまた別の小さな門が見えてきた。そちらの門の周辺にはほとんど人がいない。
そこに近づくと、きりっとした顔つきの門番がいた。騎士の一人だろう、槍の柄の部分を地面に突き刺し、無駄のない様子で立っていた。そしてフリートの存在に気付くと彼は左手で敬礼した。フリートたちと同年代か少し上くらいの青年である。
「お疲れさまです! 身分証の提示をお願いします」
フリートとロカセナは、胸ポケットから手のひらに乗る大きさの何も書かれていない真っ白いカードを取り出す。そして力を込めると、カードが淡い緑色を発し、文字が浮かび上がった。
その文字は日常使用されている文字ではなかったため、即座に読むことはできなかった。しかし勉強している最中にリディスは少しだけ見たことがあるので、古代文字ということには気づいていた。
「ありがとうございます!」
はきはきした様子で言うと、二人は再び身分証を元に戻した。門番の青年の視線はリディスに向く。
「後ろの方は……」
「連れだ。身元は保証するし、事前に入城できるよう封書も送ってある」
「そうでしたか、申し訳ありません。扉を開けますので、少々お待ちください」
青年は扉に備え付けられている小窓を開け、そこを通じて中に指示をし始める。
その間にリディスは近くにいたロカセナの肩をつついた。
「どうしたの?」
「封書って、いつ送ったの?」
「シュリッセル町を出た時だよ。入城するには必要な手続きだからね。僕たちが送っても構わなかったけど、オルテガ様が直にお書きになって、送ってくれたんだ」
「お父様が……」
町を出ることにあまり賛成しているように見えなかったため、入城手続きを進んで行うとは意外だった。口には出さないだけで、多少なりともリディスが町を出たことに肯定的なのかもしれない。
やがて軋んだ音と共に小さな扉が開いた。その扉の隣にはさらに大きい扉があるが、それは馬車などを通す時に使用するもののようだ。
フリートが歩き始め、リディスはロカセナに促されて門をくぐった。
城壁内に入ってまず見えたものは、視界からはみ出す程の大きな城だった。白く明るい石を用いた城壁。何百年もこの地で建ち続けているはずだが、綺麗な状態を維持している。
「あとでゆっくり見られるだろう。今、時間を取って見る必要はない」
立ち止まっていたリディスにフリートは注意をする。背を向けて、さらに追い打ちをかけてきた。
「仮にも貴族なんだろう。そんな様子で突っ立っていると、そこら辺の田舎者と変わらないぞ」
「な……っ! 初めてなんだから、良いじゃない!」
「一応シュリッセル町の名を背負って来ているんだ。少しぐらいお淑やかに振る舞っておいた方がいい」
リディスが唖然としている間に、フリートは何事もなかったかのように進んだ。口を尖らしながらその後ろ姿を睨み付ける。だが近くにいたロカセナがぷっと吹き出したのに気付くと、勢いが削がれてしまった。
「ロカセナまで、何なのよ!」
「いやいや、やり取りが面白かっただけさ」
「そういうつもりじゃないのに!」
「まあいいじゃないか。城に入ってから色々とやることはあるんだ、早く行こう」
どうにも腑に落ちないところはあったが、視線を下げて歩き始めた。
リディスたちが入ったところは王国の正門ではなく、城下町を通らず直接城の敷地に入れる西門だった。そこは城に滞在する者のみが歩ける場所であり、道を歩く人も商人や農民などではなく、貴族や武装した騎士、学者など、高そうな服を着ている人ばかりだ。
ちらりとリディスは自分の服装を見る。短いとはいえ旅をしてきたのだから、動きやすさ重視の格好だ。他の人と比べて浮いている気がしてならない。城に入る前に、城下町で着替えたいというのが本音だった。
リディスがそのようなことを考えているなどフリートは露知らずに、石の階段を十段ほど上がり、城の内部へ続く扉の前に立った。町に行きたいという思惑は呆気なく消え去り、溜息を吐きながらリディスはそれに従う。すると上ったところで、声を弾ませた少年の声が耳に入ってきた。
「フリートさん!」
栗色のくせ毛がよく目立つ少年が、顔を綻ばせながら駆け寄ってくる。フリートは彼を見ると、顔をやや明るくした。
「クリングか。久しぶりだな」
「どこに行っていたんですか! 一ヶ月以上もフリートさんに会えなくて、もの凄く寂しかったんですよ!」
「隊長たちの頼まれごとで、外に出ていた。落ち着いたらまた稽古に付き合うから、しっかり準備しておけよ」
「はい! ……あの、後ろの女性は?」
クリングは胡乱な視線をリディスに向けてくる。フリートへの態度とまったく違い、少したじろぐ。
「寄った町で知り合った女性だ。非常に勉強熱心で、城の蔵書に興味があると言われて連れてきた。顔を合わせることもあるだろうから、よろしく頼むな」
フリートはクリングに当たり障りのない言葉を並べて、簡単に紹介する。リディスは笑顔で頭を下げたが、彼は依然として警戒した様子を見せていた。それを見て、作り笑いを浮かべながら若干首を傾げてしまう。
騎士と一緒に城に入ることは、珍しいことなのだろうか。
たとえそうだとしても、初対面の相手から嫌悪が感じられる視線を向けられるのは、気持ちのいいものではない。不愉快な表情を出さないよう努めながら、リディスは振る舞った。
クリングは視線をリディスからフリートに切り替えると、口元を緩ませた。
「そうですか、わかりました。お会いした際は丁重に扱います。本当はフリートさんともっと色々とお話をしたいのですが、用事がありますのでこれで。……あ、カルロット隊長が、お二人のことを探していましたよ。予定より長く城を離れて、何をしているのだと」
「隊長が探していた? 手紙を送ったのに読んでいないのか、あの人は……。わかった、ありがとう」
「ではまた後日。失礼します」
クリングは頭を下げて、庭へと小走りに進む。ふと立ち止まると、背中越しからリディスを鋭い視線で射抜いてきた。殺気に近い視線を感じたリディスは、思わず身構えそうになる。だがすぐに彼は去っていった。
「……憧れの人とか、リディスちゃんにもいるでしょう。その極端な状態があれ」
肩をすくめてロカセナは小声であえて指示語を使う。
「もしかしてロカセナも……」
「あれがフリートに夢中になり始めた頃は酷かったね。僕はフリートと組むことが多いから、二人で城にいる時はいつも監視されているような感じだったよ。――彼は騎士見習いでね、実戦経験で騎士と一緒にモンスター狩りに行った時に、たまたまフリートが一人で大型獣を還したのを目の前で目撃して、心打たれたらしい」
城の出入り口の扉番である騎士と話しているフリートをちらりと見る。てきぱきと事情を話していた。
「あいつも変なところでマメでさ、剣術を教えてくださいって頼まれて、快く引き受けてから……まあ、こんな感じが続いているわけ。そういうことだから城の中で妙な視線を感じても、気にしないでね」
「え、ええ……」
返事はしたが気にしないで過ごせる自信はなかった。しばらくは視線を感じる度に、びくっとする日々が続くだろう。
城の中へ通じる扉が開く低い音がした。扉の隙間から城の内部の明かりが漏れている。フリートに視線で促されて慌てて中に入った。