6‐3 彷徨う銀色狼(1)
* * *
夜が更けていく中、少年や女性も含めた五人の人間は、小屋の中にある丸い机を囲んで椅子に座っていた。窓の外からモンスターの姿も見えるが、小屋の中にいる人間には気づいていないのか、素通りしている。
動かす度に軋む音がする椅子に座りながら、黒髪の女性は腕を組んで溜息を吐いた。
「せっかく寝ていたのに、どうして起きて集まらなければならないのかしら」
「……っは! 寝たきりの状態になったのは、自分のせいだろう!」
女性の斜め右前にいた、鳶色の髪で右頬に大きな傷跡がある青年が吐き捨てる。彼女はそれを聞くと、机を激しく叩いて立ち上がった。
「うるさいわね、時間をかけたにも関わらず、鍵を見つけられなかった貴方に言われたくない!」
「何だと!?」
対して男も怒りの形相を女性に向けて立ち上がる。
お互い睨み合っていると、女性の斜め左前にいた帽子を被った老人が割って入った。
「まあまあ、ヘラにガルザ、ここで口論しても何も利益はありませんよ。お茶でも飲んで、落ち着きなさい」
「落ち着いていられますか! たいした仕事もせず、他人の不満だけははっきり言う男に対して!」
「敵側の能力を見誤って、まんまと殺されそうになった奴が大口叩けると思うか!?」
ヘラとガルザは思い思いに言葉を発していく。どちらも日々我慢していたものが放散した結果だろう。
その様子をヘラの左にいた銀髪の青年は肩をすくめて眺めていた。
見ていて非常に不快である。お互いに罵ることしかしていない会話など、耳障りだ。
このように口論をしあっている男女を見たことがある。しかし、それはお互いのことを思っての発言だったため、聞いていてうるさいとは感じたが、不愉快と思ったことはなかった。
ヘラとガルザの間にいる赤毛の少年ニルーフは大きな欠伸をしていた。それが勘に触ったのか、火の粉が少年にも降り懸かる。
「ニルーフ、貴方はもっと緊張感を持ちなさい。あんなにあっさりとお姫様に負けちゃって!」
「じゃあヘラがお姫様とやればよかったじゃないか! 子供相手で油断するだろうし、光の兄さんたちの気を引くこともできるからとか言って、僕に面倒な役回りを押しつけたのは、ヘラじゃん!」
「はあ? たくさん物を壊したいっていう、あんたの意見を考慮したのに。何よ、その言い方!」
ニルーフまで含めた三人の口論は、泥沼の一途を辿っている。三人の中でヘラはまだ大人の対応をする人物だと思っていた。だが因縁の人物であるメリッグ・グナーに敗れかけたことで、本性である熱くなりやすい部分が表面化してしまったらしい。
ゼオドアはほっほっほっと笑いながら、三人の様子を見ている。ロカセナたちの倍以上は生きている、一人だけ突出した年齢の老人。時として指示を出し、先導も切ってくれるが、今回は仲裁に入らず、状況を楽しむ側に回ったようだ。
〝魔宝樹をドラシル半島に戻す〟という共通の目的で組んだ〝同志〟。
多種多様な人物たちで構成されているため、少しでも意見が食い違えば、まともに議論が進まなかった。
「三人とも、少しは黙ってくれないかな?」
ロカセナが三人の喧噪に負けないくらいの声量を出したが、まったく相手にしてくれなかった。
仕方なく一呼吸を置くと、ロカセナは目を閉じた。
広大な海に人が小さな木の板の上に乗って海を漂っていると、大きな波がその人に襲いかかり、溺れてしまうという光景を思い浮かべる。そしてその光景を思い浮かべたまま、三人に視線を向けた。
少しずつ三人の様子が変わってくる。言葉を多々並べていたヘラの口数が少なくなり、顔色が悪くなっていく。ガルザは顔を引きつらせ、ニルーフに至っては座り込んでぐったりとしていた。ゼオドアはその光景を見ながら相変わらず笑っているが、おそらく内心は心を引き締めているだろう。
「おい、ロカセナ、お前何をしたんだ……。すげえ気持ち悪いぞ。海の中に沈んでいく光景がはっきり脳内に映っているぜ」
「これが僕の召喚の一つですよ。皆さん、少し静かにしてくれませんか? そうすればすぐに召喚は解除しますよ」
ヘラは歯を噛みしめながら椅子に座り込む。ガルザもそれに従うかのように座った。三人が黙りきったところで、ロカセナは召喚を解いた。
途端に三人は肩を激しく上下させながら呼吸をし始める。映像ではあるが、その場にいたかのような錯覚をさせる――ロカセナが使用できる召喚の応用方法だった。
「ロカセナも悪趣味よね。これと似たようなことを、鍵の女にいつもやっていたんでしょう。罪悪感とかないの?」
呼吸を整えているヘラが質問してくる。ロカセナは手を軽く握りしめながら、低い声ではっきり答えた。
「――僕の目的は魔宝樹をこの地に戻すことだ。そのためなら、どんなことでもする」
ごくりと唾を呑みこんだヘラは、それ以上何も聞いてこなかった。
ロカセナの言葉が余韻として残っている中、ようやくゼオドアが笑い声以外の声を発した。
「皆さん、久々の再会だからって、そう騒がないでください。仲がいいほど喧嘩をするというのは、このようなことを言うのですね」
誰からも返答はなかったが、皆、冷たい視線で見ていた。その視線に構わずゼオドアは続ける。
「さて今回は今後の方針を決めたく、お集まり頂きました。先日ヘラが鍵たちと接触しました。しかしながら相手は予想以上に力を付けていましてね、泣く泣く引き上げました」
「予言者の女と鍵の女に殺されかけたんだろう? その二人なら俺が殺してやってもいいんだぜ。女はとにかく接近戦に弱い」
ガルザは握りしめた拳を見せつける。ゼオドアはふるふると首を横に振った。
「鍵を殺してはいけませんよ、ガルザ。――とまあ、ニルーフが姫に倒されたように、相手側の戦力は思ったよりも上ということです」
「どいつもこいつも女で、精霊召喚使いじゃねえか。俺が戦闘にでれば一瞬で終わるさ!」
「そうでしょうか。鍵の戦闘方法は基本槍術ですし、彼女の傍には厄介なあの騎士がいますよ。他にも武道者や戦槌使いの青年もいます。接近戦主体のガルザでも多少苦戦すると思われます」
「騎士って、あの黒髪の奴だろう? 俺にあっさり斬られた奴がどうして厄介なんだ?」
「――あいつを甘く見ない方がいい」
抑えた声で呟いた銀髪の青年を、ガルザは胡乱気な目で見下ろす。腕を組み、背もたれに寄りかかったロカセナは、害した様子も見せずに涼しい顔をしていた。
「昔の相棒を庇いたくなるのはわからなくもねえ。だがな、お前も簡単に斬ることができたじゃねえか。それのどこが厄介なんだ?」
「迷いがあれば人の心は付け入りやすく、簡単に崩せる。だが覚悟をした人間はそう簡単に崩れるものではない。――あいつは学習能力が高い。本気で向かってきたあいつに二回目の戦闘で勝つのは容易なことではないと思う。まあ僕に対しては未だに迷いがあるだろうから、簡単に倒せそうだけどね」
ロカセナは口元を釣り上げる。それを見たガルザはぶるぶるっと体を振るわせた。
「お前、本当に性格悪いな。まるで黒髪の男を自分の手で殺したいみてぇだ」
その問いに関して、ロカセナはいっさい反応しなかった。
ロカセナにとってフリートは表面上とはいえ良き相棒であった。影の動きを主としているロカセナとしては、戦闘中のみならず他の時でも真正面から突っ込んでくれる人物の存在は有り難かった。
だが、それはあくまでも味方の時だけである。
「――さて、いいですか、お二方」
ゼオドアが再度口を開く。ロカセナは軽く彼を見た。
彼は空気を読むのが上手く、適度なタイミングで口を挟んでくる。しかし人が激しく口論している中での仲裁は絶対にしなかった。おそらく人が争っている姿を見るのが好きなのだろう。楽しんでいる姿よりも争っている姿を好むなど……あまりいい趣味ではない。ゼオドアとはこの中では一番付き合いが長いが、未だに本心が読めなかった。
「話をまとめると、敵側に迂闊に近づけばこちらの身が危ないと考えられます。ですから今後接触する際は二人以上で行くように。――ガルザ、貴方、今すぐにでも剣を振りたいと思っているでしょう」
「よくわかったな、その通りだぜ」
腕を組んでいるガルザはにやりと笑みを浮かべた。
「その意気込みは頼もしくてよろしいですが、貴方は既に鍵たちに手の内を明かしている。一人で行くのは危険すぎます」
「ならゼオドア、一緒に行こうぜ。お前くらいだろう、元気なの」
腕を大きく広げて、ガルザは友好的な雰囲気を醸し出す。ゼオドアは逡巡することなく首を横に振った。
「私は他にやることがありますので、動けません。それに今、鍵たちに接触しても無駄だと思っています」
「はあ? ごちゃごちゃ言ってねえで、とっとと潰すのが先だろう! 姫さんたちと合流した後の方がよっぽど厄介じゃねえか?」
ガルザの言い分はよくわかる。騎士団も厄介だが、おそらく最も脅威になるのはミディスラシール姫。リディスたちよりもミディスラシール個人の方が、精霊召喚の技術は遥かに上だからだ。
ミディスラシールの精霊召喚による攻撃を、ロカセナは数回目撃したことがあった。その時の印象としては、最小限の力にも関わらず、破壊力は凄まじいというもの。聞けばもともと力が膨大過ぎて、意識的に力を抑えこまなければ、大きな岩を一瞬で砕いてしまう能力の持ち主らしい。幼少時代にはその能力を抑える為に、結宝珠を応用して作った召喚封じの魔宝珠を付けていたほどだという。
ゼオドアもリディスたちがミスガルム王国側と合流すれば、こちらが動きにくくなるのはわかっているはずだ。それならばなぜ――。
「いいですか、実は最近精霊召喚をする事が難しくなっています。扉が開いたことで自然の変化に対して最も敏感な精霊が、その影響をまず受けた関係だと思われます。その事実はミディスラシール姫が一番わかっているはずです。おそらく彼女は扉が開く前よりも、危険視する人物ではありません」
「だがよ、姫さんは置いておいても、騎士団とかに護られたら、それなりに面倒じゃねえか?」
「騎士たちの力も人によってまちまちです。剣のみで最強の騎士と称されているカルロット隊長は、しばらく戦闘に出られる状態ではありませんし、大鷲や風の精霊を召喚するクラル隊長は、おそらく私の力で止められるでしょう。他の隊長方もあなたたちを適切な相手に対峙させれば、難なく突破できるはずです。たとえば結術を主とした後衛部隊には接近戦が得意なガルザを、還術を主とした部隊には精霊召喚により攻撃ができるヘラを向かわせれば勝てると思います。つまり騎士たちと直接対決をしても、私たちが勝つ可能性は高いのですよ」
その内容を聞き、ゼオドアはたいそうな自信家であるとロカセナは感じた。同時に双方の戦力も的確に見抜いていると知り、若干ながら驚いている。
騎士団は全部で六部隊あり、それぞれに若干ながら特色はあるが、詳細を知っているのは城の内部の者のくらいだ。それにも関わらずゼオドアは平然と言っている。彼の底の見えない情報量が、逆に恐ろしくも感じた。
ゼオドアは口元を僅かに釣り上げた。
「――まあ、そんなことになる前に、城下町にいる住民を惨殺すれば、お優しいリディスラシール姫は大人しく出てくるでしょう。余計なことを考える必要はありません」
ほんの一瞬であるが部屋全体にゼオドアの殺気が広がる。不覚にもその殺気に飲み込まれたのか、ロカセナは僅かな時間呼吸がまともにできず、心臓さえ止まったような感覚に陥っていた。
ゼオドアの口元が元に戻ると、ガルザやヘラ、そしてニルーフは先ほどよりもさらに激しい呼吸をし始めた。胸の辺りの服をきつく掴んでいる。ロカセナは平静を装いながらも、速まる鼓動をどうにか抑えていた。
「おやおや、皆様、どうされましたか?」
「お、お前だけは絶対に敵に回さねえ……!」
「誉め言葉として受け取っておきましょう」
ほっほっほっと笑いながら、ゼオドアはガルザの言葉を受け流した。
(何を考えているのかまったくわからない。下手な発言はできないな)
ロカセナは顔を引き締めて、ゼオドアを見た。彼は首を傾げて顔を向けてくる。
「何か?」
「貴方が言いたいことは、つまりこうですよね。今、彼女を奪いに行ったら、戦力が戻っていないこちら側が深手を負う可能性はある。けれどもどんな展開になっても、あちら側に情がある限りはいくらでも戦況はひっくり返せる……と」
「そういうことです」
「……と言いつつも貴方のことですから、一応罠は張ってあるんですよね?」
緩んでいた口元が引き締まった。図星のようだ。計算高いこの老人が、何もせずに去るはずがない。
「お察しがいいですね、ロカセナ。その通りですよ。おそらく彼らは光の青年が動けるようになってから、城に戻るでしょう。しかし慣れない精霊召喚を使った鍵や、命までかけて召喚をした予言者の力がすぐに戻るとは思えません。結論を述べると、満足に動けるのは五人中二人程度ということですよ」
「なら、やっぱり今襲った方が……」
「それよりも貴方たちにはやって欲しいことがあります。そちらの方を優先して頂きたい」
ゼオドアはゆっくり口を開き、自分の考えを皆に伝える。それを聞いたガルザやニルーフは「しかたねえな」とぼやきながらも嬉しそうな顔をしていた。ヘラもゼオドアに逆らうわけにもいかず、黙り込んだまま了承していた。ロカセナも軽く頷いて肯定の意を表す。
鍵であるリディスを奪うよりも、先にやるべきことだった。
魔宝樹をこの地に戻し、すべてを一からやり直す基礎を作るために。