番外編一 若き騎士達の誓い(4)
カルロットと、セリオーヌが班長を務める班員たちと、スキールニルも含めた近衛騎士たちが、先に洞窟の中へ入った。フリートたちは外で息を潜めて待機している。
実戦は見習い時代に何度か行ったことがあり、だいたいの内容がモンスターを還すことだった。そのため人間の救出、ましてや一国の姫の救出など初めてである。
腰に帯びているショートソードの鞘を握る手も強くなった。このまま何事もなく、無事に救出できればいい――と思った矢先、洞窟の中から大量の煙がでてきた。
「煙幕だ!」
先輩騎士が叫ぶと、洞窟の外にいた者は煙から逃れるように、その場から少し離れる。煙の中での戦闘は視界が悪くなるため、避けるのが鉄則である。
ほどなくして馬を走らせてくる音が中から聞こえてきた。それが飛び出してきた瞬間、フリートたちはその前に立ちはだかった。
ぐったりとしている美しい金色の長い髪を巻いた少女を抱えている男が、包囲していることを知り、ぎょっとした表情になる。
「くそ、まだいたのか!」
「返してもらうぞ!」
「誰が返すか。こいつに傷を付けられたくなかったら、とっととどけ!」
男が姫を持ち上げ、首筋にナイフをあてようとした。
だが、騎士たちは既に動いていた。
一人が瞬時に馬の手綱を奪い、それに気を取られている隙に、二人が後ろから男に迫る。
男は慌てて態勢をとろうとしたが、何者かの手によって背中を押され、馬から落とされた。
呆気にとられている間に、男は抵抗することもなく、取り押さえられてしまったのだ。
先輩騎士は姫を馬から丁重に降ろし、地面に横たえると軽く頭を下げた。
「ありがとうございます、ミディスラシール姫。今、この男を押しましたよね。動けるんですか?」
「まさか……。ちょっと軽く動いたら、相手が勝手に落ちただけよ。ありがとう、助けに来てくれて」
元気のない笑顔だったが、口調ははっきりしていた。どうやらスキールニルの言った通り、毒が徐々に抜けているらしい。間近で姫の顔を見るのは初めてだったが、ついつい立ち止まって目に留めるくらい非常に美人である。
騎士の一人が持ってきた縄で男を縛り上げ出した。果敢に抵抗するが、鍛えられた男が二人がかりで抑えているため、それは無意味な行動となっている。
フリートはその様子を見ていて、引っかかることがあった。
思った以上に簡単に男は取り押さえられた。もう少し抵抗してもいいはずである。偶然とはいえ、一国の姫を連れ去った力量の集団だ。
もしフリートが盗賊側だったら、囮として弱い人間を先に行かせ、そこで油断したところに力の強い者が仕留めていく――。
その考えに至るやフリートは顔色を変えて、ミディスラシールの傍にいる騎士に向かって叫んでいた。
「姫を連れて、早く離れてください!」
「そんなの、わか――」
口を開いている途中で、その騎士の肩に矢が突き刺さった。そして何も言わずに倒れ込んだ。男を押さえていた騎士たちにも次々と矢が刺さり、地面に伏した。
少し離れた場所にいたフリートとロカセナは、ショートソードを抜いて姫のもとに駆け寄る。
煙の中から矢が何本も放たれたが、それを的確に弾き返していく。
「かなりの弓の名手だ。僕たちだけでは姫を守りながら逃げきれるかわからないぞ」
「わかっているって!」
荒々しく返事をする。今後の展開が予測できないが、今は姫の安全を確保することが最優先だ。
滑り込むようにしてフリートは彼女を抱え込み、すぐさま移動した。その間に放たれる矢はすべてロカセナが弾いている。見事な捌きっぷりにフリートは心底驚いていた。見習い期間中では、一度も見たことがない動きだ。
「……お前、実はやり手だろう」
「人間、必死になっていると、何でもできるものだよ」
涼しい顔をしつつ、再び矢を薙ぎ払った。その隙にフリートは近くにあった大木の裏へ逃げ込む。
ロカセナも木の裏に駆け込むと同時に、その大木に連続で五本の矢が突き刺さった。フリートが顔を覗かせようとすると、容赦なくその位置に矢が刺さる。
「煙の中からでも正確に矢を射ることができるなんて……、本当にいい腕をしているよ」
「敵を褒めるなよ。隊長たちはどうしたんだ。まさかこいつにやられたのか?」
「たぶん大丈夫だよ。相手、かなり焦って矢を連射している。早々に姫を回収して、逃げたいというところじゃないかな。洞窟の中から隊長といった手練れが出てくる前に」
ロカセナがちらりと相手を見ると、すぐ横に矢が飛んできた。それを慌てることなく避ける。
「煙が晴れてきた。相手の影がこちらに寄ってきている。どうやら一気に仕留めにかかるらしい」
「何だって?」
「――フリートは姫を連れて奥へ。巡回しているもう一班と頑張って合流してくれ」
「おい、ロカセナは!?」
ロカセナはフリートに向けて微笑んだ。
「僕もすぐに合流するよう、頑張るよ。森の中にはモンスターもいる可能性がある。還術もできるフリートと一緒の方が、姫を守りきれる確率が高い。――あとはよろしくね」
剣に刃こぼれがないか確認すると、ロカセナは大木の陰から顔を出した。その顔の横を矢が通過する。銀色の髪が切れて、地面へ落ちた。
フリートはロカセナに対して言いたいことをすべて飲み込み、ミディスラシールを抱え直し、森の奥を睨み付けた。矢が少しでもフリートに刺されば、ロカセナの覚悟も無駄になる。
意を決して走り出そうとしたが、ロカセナが直前になって止めに入った。
「ちょっと待って。中から人が出てきている」
煙の中の人の影が増えている。その一人はかなりの巨体の持ち主で、大きな剣を振りかざしていた。その人間に弓使いが気を取られている隙に、脇からやってきた双剣使いが一瞬で斬り裂く。弓使いは為す術もなく倒れ込んだ。
鮮やかな動きに見とれていたフリートたちは、煙が晴れた場所を見て胸を撫で下ろす。
「まったく、せこい手ばっかり使いやがって。おかげで引きずって連れて帰る人間が増えたじゃねえか」
「煙幕だけでなく、目を刺激するものも投げるなんて、とんでもない集団ね。――姫はどこかしら。ミディスラシール姫!」
「セリオーヌ班長、姫ならここに――」
ロカセナがフリートの方を見て、目を大きく開いて叫んだ。
「フリート、避けて!」
「……は?」
次の瞬間、背中に激痛が走った。その衝撃でミディスラシールが腕から落ちる。ロカセナが彼女の体に触れようとしたが、目の前に現れた大きな尻尾によって、投げ飛ばされ、近くにあった木に叩きつけられた。
フリートが地面に倒れ伏しているうちに、一匹のモンスターが近付いてきた。
人間の背の二倍近くあり、長い尻尾を有し、赤色の鱗に覆われた二足歩行の巨大なトカゲ。目玉はぎょろりと飛び出し、長細い舌をちらつかせている。それはミディスラシールを見ると、手を伸ばしてきた。
「どうしてこんなところに巨大なグリマラーが!」
セリオーヌが舌打ちをして駆け寄ってくる。
グリマラーと呼ばれるモンスターは、もっと山沿いの方に生息している、騎士団でも苦戦する相手だ。たいていは遠征中に遭遇し、班でまとまってかかることにより、どうにか還している。だが今回は班としての機能が乱れているところに、通常よりも大きなものが現れた。場馴れしているセリオーヌたちでさえも、驚きの声を上げている。
必死に走るセリオーヌの横を、薄灰色の髪の青年が颯爽と抜いていった。そして持っていた魔宝珠に触れて、速度を落とさずにバスタードソードを召喚するなり、スキールニルはグリマラーの腕に一斬り入れた。
突然の襲撃を受けたグリマラーは僅かに後退るが、すぐに目標をスキールニルに切り替え、鋭い爪を向けてきた。彼はフリートたちに軽く顔を向ける。
「すぐに姫を下がらせろ。こいつは姫を狙っている」
「どうしてだ?」
「精霊の力に引き寄せられているからだ」
それだけ伝えると、スキールニルは単独でグリマラーへ突っ込んでいった。フリートは痛みに耐えつつ起き上がり、薄らと目を開けているミディスラシールを抱え上げる。
「……あのグリマラーは火の精霊に仕えている。どうやら水の精霊の気配を漏らしている私に、牙を剥いたようね……。やっぱり精霊の力を抑え込む努力はした方がいいみたい」
苦笑しながら、ミディスラシールは瞳をフリートに向けてくる。美しい緑色の瞳だった。
「姫のせいではありません。どうかお気にならさずに……」
少しでも気持ちを和らげるために、当たり障りのない言葉を述べる。彼女は小さな声で「ありがとう」と呟いた。
フリートは軽く首を動かして、戦況を見た。スキールニルが果敢に攻めているが、グリマラーに傷をなかなか与えられていない。他の騎士たちも加勢に出ようとするが、騒ぎを嗅ぎつけた他のモンスターたちがそれを妨げるかのように立ちはだかっている。カルロットが苛立ちながら掃討するために剣を振り上げていた。
フリートは駆け寄ってきたセリオーヌにミディスラシールを託し、自身の首元にある緋色の魔宝珠に手を添えた。それを見たセリオーヌは、まだ見習いを終えたばかりの少年に鋭い言葉を突き付ける。
「待ちなさい! 怪我をしているんでしょ!?」
「痛みはひきましたから大丈夫です。――魔宝珠よ、我が想いに応えよ」
解除の言葉を唱えると、緋色の魔宝珠は光を発し、そこからバスタードソードを召喚した。まだ数回しか握っていないが、自分用に作った召喚物であるため、よく手に馴染んでいる。
「セリオーヌ班長、ミディスラシール姫をよろしくお願いします」
「もちろん。命に代えても守る。貴方たちも無理しないでよ。正式な入隊前に何かあったら、こっちが面倒なんだから」
「貴方たち?」
フリートが振り返ると、銀髪の青年がサーベルを召喚して近づいていた。柔和な笑みは消えており、きりっとした表情を向けてくる。
「フリートも行くんだろう。僕も行くよ」
「おい、お前の方が怪我は酷いだろう!」
「お互い様だろう。――僕が援護するから、フリートは思い切りグリマラーに向かって還してこい」
さも当たり前のように出された言葉をフリートはなかなか受け止めきれなかった。
ロカセナが森の奥を見据えていたが、いつまでたっても動かないフリートに気付くと、背中越しから軽く視線を送ってきた。
「どうしたんだ? 何か不満でも?」
まだ本格的に二人で連携を組んで動いたことはない。経験値からすれば、不安な点ではある。
しかし、躊躇いもせず「援護をする」と言った彼であれば、フリートの背中を任せていいと思っていた。決して媚など売らず、実力だけを見てくれているロカセナと一緒であれば、安心して敵と対峙できるだろう。
「何でもない。行こう、ロカセナ」
二人の少年の道はそうして交わり、その後一時ではあるが共に並んで道を歩き始めた。