5‐21 光の道を導く鍵(4)
メリッグが手を叩いたのを皮切りに、薄らと靄のようであった青い糸は、目にはっきりと見えるくらいに実体化し、魔法陣内にあるものをきつく巻き付け出した。巻き付けられた部分はひんやりとし、それは徐々に氷に変化していく。その氷は痛みを発生させるだけでなく、凍傷までも起こしていった。
一瞬だけでも楽になりたく、リディスは火を発生させたく思ったが、それは我慢して言葉を飲み込んだ。
ヘラは叫びながら、自ら召喚した氷と衝突させるかのように魔法を使っていく。だがそれを行う度に氷の糸は激しく絡まり、いつしか彼女の下半身は身動きがとれないほど、氷漬けにされていた。
メリッグはその様子を淡々とした表情で見ている。自分の下半身も氷漬けになっているにも関わらず。
氷漬けは着実に進行していき、もう少しでお互いの心臓部分まで達しようとした時、急に頭上の気流が乱れた。リディスは上空に視線を向けると、目を大きく見開いた。
メリッグも視線をやや上にすると、目の前に突きつけられたものを凝視する形となった。ミーミル村で出会った帽子を被った老人が、羽が生えたモンスターの背中に乗って、鋭く尖った短剣をメリッグの目の前に突きつけていたのだ。
「やめてくださいませんか? ここで貴女を殺してもいいですが、私も少々怖くてね。今の貴女は何をしでかすかわかりませんから」
「……ここで魔法を解除したら、貴方は代わりに何をしてくれるのかしら?」
「そうですね……、ここで鍵は奪わないというところでどうでしょうか」
老人の視線がリディスへ向けられた。その冷たい視線を受けると、全身が硬直した。召喚ができない今、何かされたら、ただの女であるリディスには何も抵抗することができない。
メリッグは少しだけ思案を巡らしていたが、深々と息を吐くのと同時に両手をだらりと垂らした。するとヘラとメリッグ、リディスの動きを止めていた氷は溶け出した。やがてそれらは水蒸気となって消えていった。
「鍵に感謝をすることですね、貴女が生き長らえたことに」
「いいえ、残念だわ。ここでこの子と心中する覚悟で来たのに、邪魔されて」
苦々しい言葉を吐いていたが、メリッグの表情はやや緩んでいた。
老人はメリッグの魔法により右羽が凍らされたモンスターから飛び降り、腰を抜かしているヘラの元へ歩み寄る。モンスターはふらつきながら、その場から飛び去った。
「ヘラ、今回の攻防、貴女らしくありませんね。本来ならもっと冷静に物事を対処できたはずでしょう。殺すのなら、もっとあっさりと予言者の喉元を狙えばいいものを……。それと――」
老人の視線が再びリディスへ向けられる。
「鍵を殺そうとしましたね。亡き者にしてしまったら、貴女はどうするつもりでしたか?」
「それは……。気付かなくて、申し訳ありません。てっきりこの戦場には出てこないものだと思っており……」
「でてきましたよ? しかも覚醒までして。もし殺してしまったら、永遠に扉は開けないではありませんか!」
両手を広げて事の重大さを表現する。ヘラは俯きながら、小さな声で再度謝っていた。
だがもはや興味をなくしたようで、老人はリディスに意識を戻してくる。リディスは意を決して一歩踏み出そううとした瞬間、息が上がっているルーズニルが真横に現れた。
「ルーズニルさん……」
「無理しないで、あとは僕に任せて」
微笑みを向けられると、張っていた気が緩みそうになる。しかし、それは隙を見せることになるので、気力だけでどうにか立ち続けた。老人はルーズニルの登場に嫌な顔一つせずに、むしろにやりと笑った。
「こんばんは、リディス・ユングリガ。……いえ、リディスラシール・ミスガルム・ディオーン姫。私はゼオドア・フレスルグと申します。先日、ミーミル村にて貴女様のことを知らずに危害を与えてしまい、申し訳ありませんでした」
ゼオドアは深々と頭を下げた。下手に出られたが、リディスたちの警戒は一切緩まなかった。
「そんなに怖い顔をしないでください、皆さん。私はヘラを連れてすぐにこの場から去ります。本当ならば鍵を連れて行きたいですが、予言者との約束がありますからね……」
口を一文字にして立っているメリッグ。彼女も大人しくしており、水の精霊を召喚して、ゼオドアを攻めようとはしていなかった。
「……ほう、残りのお二方もいらっしゃいましたか。お二人にもご挨拶だけしてから行きましょう」
フリートがトルの肩を借りながら、歩いてきている。眉間にしわが寄っているのはいつものことだが、より顔色が青くなっていた。
二人はメリッグの傍に寄ると、真正面からゼオドアを睨み付けた。
「お前、ミーミル村の……!」
「おやおや、無理をなさったから傷口が開いてしまったようですね。貴方はそんな状態でロカセナと対峙するつもりなんですか? 彼はもはや貴方のことは眼中にないようでしたよ」
「……あいつが用はなくとも、俺はあいつに用がある。断られても、会いに行ってやる」
「今度こそ死にますよ?」
「それが運命だとしても、俺は変えてやる。そして――あいつの運命もだ」
フリートの視線がゼオドアの先にいる金色の髪の娘に向けられた。揺るぎのない声を聞き、リディスの胸は熱くなる。絶望しかない、辛い未来になることは薄々わかっていた。だがそれをもフリートは変えると言ってくれたのだ。こんなにも想われていたと気付き、涙が溢れそうだった。
ゼオドアは急に声を上げて笑い始めた。警戒心はさらに増し、即座に飛び出せるよう、フリートたちは武器を握り直す。
「はっはっはっ! いやはや、若いというのはいいですね。無駄、不可能であるとわかっていても、明るい未来を見ようとしていることが! ――すべては予言通りに進んでいる。もはや変えることはできないのだよ」
頭に血が上ったトルはウォーハンマーを突き出そうとしたが、メリッグが彼の手に触れてそれを制した。そして視線で訴えた、“今は何もしてはいけない”と。
ゼオドアは座り込んでいるヘラの腕を握って立ち上がらせた。遠くの方から青い嘴を持った、大きな鷲のモンスターが飛んでくる。それが上空まで来ると、ゼオドアはヘラを背中に放り投げ、自分も軽やかに飛び乗った。
「あなたたちの中に冷静な人たちがいて、こちらも助かります。無駄な労力はさきたくありませんからね。――では皆さん、また会う日まで。次に会う時まで、うっかりと命を落としませんように」
ゼオドアは不敵な笑みを浮かべつつ、鷲の頭を撫でると、モンスターは大きく羽ばたかせながらその場から去っていった。
完全に姿が見えるまで、リディスたちはその姿を見続けていた。
見えなくなると、リディスは体の力が抜けたのか、よろけそうになる。それをルーズニルが支え、ゆっくりとその場に座り込まされた。
「大丈夫?」
「すみません……。久々の戦闘、しかも飛ばしすぎたみたいで、正直かなり辛いですね」
「左腕に怪我もしている状態でスピアを振っていたのだから、倒れない方が不思議だとずっと思っていたよ。あのガルーム相手にほぼ一人でやりあったんだから」
「何ですって? ガルームを倒した、しかも貴女一人で?」
リディスの戦闘を見ていなかったメリッグは、目を丸くしている。彼女はここにいる者の中では、個人でガルームに勝てる者はいないと見込んでいたらしい。
「ゼオドアからの話によると、覚醒したって聞いたわ。さっきのヘラとの攻防といい、随分と能力が上がったのね。まだ上手く適応していないみたいだけれども」
褒め言葉のつもりだが、若干棘が入っている。少しずつ彼女も自分らしさを取り戻しているようだ。
メリッグの横にいたフリートがふらつきながらリディスの傍に歩み寄ってくる。そして隣にしゃがみ込むと、不機嫌そうな表情でじっと見つめてきた。
「召喚能力が上がったかもしれないが、体力は何も変わっていねえだろう」
「……うるさいわね。久々に動いた反動もあるんだから」
「とっとと休めよ。たとえ眠っちまったとしても、トルかルーズニルさんが診療所まで抱えていってくれるさ」
「そんな迷惑かけ――」
フリートが急に前のめりになって倒れ込んでくる。リディスは彼に覆い被される状態となった。
「ちょっと、な、何なのよ!?」
「すまない。俺の方が……限界だ……」
彼の腹に手を振れると、ねっとりとしたものが付いてくる。傷はかなり開いていた。リディスは軽くフリートのことを揺する。
「ねえ、大丈夫なの? 血が……」
「死なねえから、安心しろ……」
そしてぷっつりと糸が切れたかのように、フリートはリディスに全体重を預けた。一瞬びっくりしたが、鼓動が直に聞こえてくると、少しだけ表情を緩めた。
「フリート……」
(私ね、どんなに未来が残酷でも、貴方が最後まで傍にいてくれるのなら、それで幸せなんじゃないかと思うよ……)
瞼が重くなってくる。この場で眠ってしまったら、ルーズニルたちに余計な手間をかけさせてしまう。
だが体はとっくに限界を越えていた。ルーズニルの言うとおり、今まで立っていたのが不思議なくらいである。体力も精神力もほとんど使い果たしてしまった。
ゆっくり瞼は閉じられていく。フリートからの拘束から逃れようとはせず、リディスはほんの少しだけ幸福な気持ちを感じながら、その場で眠りについた。
第五章 水に漂う記憶の欠片 了