出立 その2
「回、ありがとう」水色の布を被った占い師の男はそう言って、笑った。
かつて桜川隼大花だったこの男、今は隼のフランス語読みのペルハン・ハルコからペルハンと名乗っている、この男は目の前の青年エッツィオをかつての親友、天王寺回であると確信していた。
悲しいかな、親友はそれをまったく覚えていないようだった。しかし桜川隼大花は決して落胆していない。希望はある。彼だって思い出してくれるに違いない。そう信じていた。
何より再会がひたすら嬉しかった。
最も敬愛した師匠が記憶を取り戻してくれたこと。そのひとが今世では何故か女性の形を与えられて苦しめられていたのを助け出せたこと。一緒に旅に出られたこと。
最愛の妻に息子の思い出を話すことができたこと。隼大花自身もほんの序盤までしか知らないのだが、最序盤で去った妻よりは知っていた。今世では自分より背が高くなった妻が震わせる、自分より広い背中をさすって声を掛けられたこと。一緒に旅路を歩むと決めてくれたこと。
自分のせいで死んでしまった親友が五体満足で生きて喋って笑っていたこと。記憶が戻っていないものの、自分の話を聞いてくれたこと。その上で取引の形を取って、旅への同行を決断してくれたこと。
かつての宿敵と再会することになったのだけは少し気落ちした。かつての桜川隼大花の人生を滅茶苦茶にしたのはこの白砂星青という男に他ならないのだから。記憶が全くないというふるまいをして、かつ回が妻としてずいぶん慈しんでいるようだから、隼大花はひとまず静観の形を取ってやろうと考えた。
変なまねをしたら殺してやろう。できるだけ苦しみは少なくしてやろう。
回がこれを妻とし、愛してやっていることには大変驚いた。記憶がないがため、とはいっても二人が出会い、惹かれあい、そして駆け落ちを成し遂げる偶然、これがあまりにも恐ろしい、と桜川隼大花は感じた。
「ペルハン?」はっとすると天王寺回が不思議そうに自分を見ているということに桜川隼大花は気が付いた。
「ああ、いや……」長い黒髪を一つに結んで赤い組紐をいっぱいつけた帯を二つ頭に巻いた占い師は先ほどまでのこの場での会話を瞬時に反芻した。そして、エッツィオに微笑み、発言した。
「出発しようか」
桜川隼大花はけして改心させてやろうとかは考えていない。
かつての仲間を傷つけるものは殺してもいい。ただのそれだけ。桜川隼大花は自分が合理的で正しい判断をしていると思っている。
簡素な土色の服に目を覚ます青空のような色の布をゆるく巻き付けた占い師は首を傾げた。光を吸い込む湿った金のような色の帯が額回りをぐるりと一つ、もう一つが右目を隠してまたこれもぐるりと一周している。その帯に黒い金属の鋲で取り付けられた幾つもの赤の組紐が男の顔の右側で揺れる。占い師は市街では基本、裸足であるが、次の街まで暫く歩くということで、簡単なサンダルを履き、その上に襤褸をきつく巻いている。
持ち手に襤褸をきつく巻いた古びた黒檀色のトランクを占い師が持ち上げる。風が吹くと組紐は揺れ、空色がはためく。
占い師は足元の雑草を摘んだ。それはかつてGeranium carolinianumという名を持っていたが、この世でそう呼ばれることはない。
占い師が何かを呟くと、それは杖となった。
占い師は白髪の女性に差し出したが、女性は首を横に振った。桃色の髪の男性も、金髪の青年と黒髪の女性も同じだった。占い師は頷くと杖をついて歩き出した。
出立であった。




