【第五話 思春期とぎこちない同居生活】
ひょんな事で始まったボロボロの実家での
思春期の子どもたち(中学生の彩花と小学生の健人)との共同生活。
主人公は反抗期の子どもたちに反発されながら
パスポートに載った母そっくりの女性”黒田百合子”の正体を追う!
「やべぇ、宿題が…終わんない」
健人は朝っぱらから不格好なダイニングテーブルで、椅子をガタガタさせて、うんうん唸りながらドリルに向き合っている。それをセーラー服姿の彩花が覗き込む。
「そんなの朝やるなっての!」
「だって難しいんだよ~コレ」
僕はフライパンから焼きたてのハムエッグを皿に移す。すると彩花はそれを事務的に受け取り、3人分の味噌汁・白ご飯をよそってドリルの横に並べた。
「おじさ~ん、俺、卵、半熟派なんだけど?」
「そうか。アメリカだと子どもに生卵食べさせるのは危ないから」
「半熟とかどうでもいいから、早く宿題済ませなさい」
「そうしたいんだけどコレ全然解けなくて…」
「どれ姉ちゃんが手伝ってあげる。…田中君はスーパーで3つの商品を買いました。1つ目は120円で、2つ目はそれより30円高く、3つ目は2つ目の半分の値段でした。500円でおつりはいくらでしょう?…え、めんどくさ!!」
「あ、なんだ。155円か」
「ちょっと!あんた私のことおちょくってるでしよ」
「違うよ。耳で聞いたらスグ分かっただけ!」
「はぁ?」
僕はそんな明るい会話を聞きながら、家庭菜園の採れたて野菜を使ったサラダとキムチを並べ、エプロンを取り席に着こうとすると…
「あー、そこ“おじさん禁止”だよ!」
「あ、またやっちゃった、ごめんごめん…」
咄嗟に身を翻して席に着くと、皆で「いただきます」と手を合わせた。…この光景だけ見れば、僕はすっかり保護者として受け入れられたように見えるだろう。だがそれは甘い…あれから一週間、もちろん洗濯は別、お風呂は入る前に栓を抜かれてるし、コップもお皿も洗わずそこに存在しないかのように放置される。だが無視されるだけならまだいい…テープこそ貼られてないが“おじさん禁止ゾーン”は依然そこに存在していて、冗談のように笑顔で指摘してくる彩花の目は全く笑っていない。僕がこの家では“外様”であることをこうして毎日思い知らされている。
そして今日も同じ食卓を囲んでいるはずなのに“そこにいない”かのように会話もしないし目も合わさない。だが僕がそんな仕打ちに耐えてこの家に残った理由は一つ、この青いパスポートの謎を解くため!母は何を隠していたのか?この子たちは何か知っているのか?
ところが今日は珍しく彩花の方から話題を振ってきた。
「…おじさん?そういえば、仕事どうなったの?アメリカの」
「会社?あぁ、しばらくリモートでもいいって」
「ふぅん、アメリカの会社ってそんな融通きくんだ?」
まさか、そんなワケがない…
『いずれ戻るのか?…そのつもりなら一時的に許可する』
『今はまだはっきり答えられない』
『君がいないと仲間たちも困る。よく考えてくれ』
日本と世界を繋ぐ仕事に就くのが高校生からの夢だった。そして日本のゲームのローカライズという天職に出会ってから20年近く積み上げてきたキャリア…それが今、岐路に立たされている。だがそんな迷いを口にした瞬間、彩花にこの家を追い出されるのは必至…そうなってはパスポートに秘められた母の秘密は永遠に解けなくなってしまう。
「まぁ今の時代、辞められたら代わり探すのも大変だからさ」
「ヒュ~売れっ子みたいな言い方!俺も世界またに駆ける男になりてぇ」
「じゃああんたはもっと成績あげないとだね。って、もうこんな時間じゃん!出るよ」
「…ちゃんとやってんだけどな」
2人は慌てて玄関を飛び出すと、坂を少し下った通学路の子どもたちと合流していった。その奥には旗を持った緑のおじいちゃんが安全を見守っている。
「緑のおじいちゃん、お疲れ様です」
「どうも!今日もいい天気ですね」
遠い昔に見たホームドラマのような光景だ。
「えぇ、暑くないですか?」
「農作業で暑いのも寒いのも慣れっこです。それにこうやって毎朝子供たちを見送って、妻の仏壇に手を合わせるぐらいしか生きがいありませんから」
「ご家族を早くに亡くされたとか…あ、いえ。失礼な事を…」
「いえ、いいんです。宏樹さんも新鮮でしょ?当たり前に”いただきます”や”おかえなさい”が聞ける暮らしは…その幸せを大切に」
どことなく紳士的な振る舞いに、彼の教養の深さと歴戦の凄みのようなものを感じる。相当出来るビジネスマンだったのだろう。そんな彼の家族に何があったのか、それ以上は聞けなかった。
そのまま庭にまわりホームセンターであらかじめ切っておいてもらったガルバリウム鋼板を手にハシゴを器用に登る。真夏の太陽に照らされた屋根は今日もフライパンのように熱々で、長く居たら自分も半熟のベーコンエッグになりそうだ。
「さっさと済ませよう」
途中まで張ってある鋼板の横に新しい鋼板を並べ、傘釘と呼ばれる雨水が漏れない釘を打ち付ける。トントンというリズムが朦朧とする脳内に響くと意識が遠のいていく。そしてどれほどの時間こうしていただろう…手元の傘釘がなくなって我に返ると屋根の修復は完成していた。
「ふぅ…なんかもうちょっと達成感あるのかと思ってたけど…」
あっさりした結末。そこでせめてもの記念に張り立ての屋根に立ってみた。里山の隙間から多摩川向こうのビル群が陽炎に揺らめきひしめき合っている、この家に長年住んでいる僕も初めて見る多摩丘陵の長閑な景色。さらに奥には緑のおじいちゃんが…ふとこちらと目が合ったので手を振ってみると紳士的な表情で振り返してくれた。とその拍子に不安定な足場によろめく…
「おっと!!」
とっさに手を添えたのは一本の煙突だった。
「煙突…?」
ずっとそこにあったのにまるで意識にあがっていなかった。なんだか家で無視され続ける自分と重なり妙な親近感が湧く。
「あれ?…そういえば、この煙突どこから延びているんだっけ?」
耳をそばだてるが音はしない。うめき声のようなものが聞こえたのは、台風前後のあの日だけ。以降は一切音を立てず静かにそこに佇んでいる。
ふとポケットから例のパスポートを取り出し開いてみる。若き日の母・渥美真理の写真が載ったそのページには、黒田百合子という知らない名前が載っている。もちろんこの写真が本当に母だという保証はない……でもそれならそれでなぜ他人のパスポートが家にあるのか疑問だ。とこんなモヤモヤが一週間近く頭にこびりつき、少しでもスッキリしたい僕は”黒田百合子”についてネットで徹底的に調べあげた。だが収穫はゼロ…唯一分かったのは発行された1973年当時のパスポートは1回使い切りが基本で、今のような一冊で何度も使える数次パスポートはかなり珍しかったという事だけ。
――なぜ母はそんな珍しいものを所持していたのか?
よく考えれば母もこの家もおかしな部分がたくさんあるのに、僕は勝手に知った気になってそんな不思議に目を向けなかった。健人が見つけた『七不思議』も彼なりにこの家がもつ違和感や薄気味悪さを無意識に感じ取っての事かも知れない。
「多分この煙突も七不思議の一つだろうな」
コンコンと軽く叩いてみる。すると軽い金属音がしたと思うと、その音は内部の奥へと何度も反響を始める。コンコン…コーンコーン…コーーーンコーーーン
「え!?」
その音は止まない…ただ何度も何度も繰り返す。さすがに気味が悪くなって煙突から身じろぎした、その瞬間…
「あぁ!宏樹くん、そんな所にいたの!」
下から響いた声にビクッとする。母の旧友・鈴木直子さんだった。
「あら?屋根、全部自力で直したの?」
「あ…はい。ネット動画を見ながらですけど」
と言いながらもう一度煙突を見やるが、それはスクッと何事も無かったように静かに佇んでいる。まだおさまらない胸のざわめきを押し殺しながらハシゴを下りた。
「昔から器用だったもんねぇ…でも屋根の修理もいいけど玄関前の掃除ぐらいはちゃんとしなさいよ。蝉の死骸が何匹も転がってたし」
「蝉の死骸?」
見に行ってみるとたしかに彩花と健人を送り出した時にはなかったはずの死骸が何匹も転がっていた。
「どうなってんだ?」
それらを丁寧にちりとりへと運ぶと…
ジジジジジジジッ!
気味悪い鳴き声と共に死んだと思った蝉は羽をばたつかせ断末魔のように呻く。思わず僕はそれを排水口にはき捨てた。
「ヤダ、死にかけだったの?…最近ちょいちょい無言電話もくるし気味悪いのよ、この家。やっぱり売却する気は?ないのよね」
「…すみません」
「いや、あなたが本気ならいいの。他人が口出すことじゃないし」
こういう山林近くの平屋建てとなると何かと不用心だ。直子さんが積極的に家の売却を勧めたのは彩花と健人の安全面も考えての親切心だろう…だから僕が日本に残ると決めた当初は戸惑っていたが、今では応援してくれている。
「あ、そうだ!コレ食べましょ!冷えてるうちに」
「お!冷たいどら焼きですか」
「そう、でもちょっと買いすぎたかしら」
冷どらは全部で6つ。
「じゃあ、緑のおじいちゃんも呼んでいいですか?ほら、いつもそこの信号で旗持って立ってるおじいちゃん」
「そんな人いたかしら?」
玄関前からサンダルを引っかけるようにして緩い坂を10mほど駆け下りた。だがさっきまでそこにいた緑のおじいさんは忽然と消えていた。そそくさと家に戻ると、直子さんはまるで自分の家かのように勝手に冷蔵庫を開けて麦茶をおかわりしている。
「もう帰っちゃったみたいです」
「宏樹くんも麦茶よね?真理ちゃんも好きだったのよ、ここのどら焼き。あ、でも普通の冷たくないやつね」
「そうなんですね…母は辛党なのかと思ってました。煮物にも唐辛子は欠かさないし…結構珍しくないですか」
「まぁ言われてみれば…」
「歳をとれば味覚変わるのかもですけど」
話していて、ふとひらめいた。直子さんなら何か母の過去について知っているかもしれない。
「ちなみに直子さん、”黒田百合子”って人、知りませんか」
「…え?黒田…?知らないけど」
気のせいか、直子さんの顔から一瞬血の気が引いた気がした。
「なんで?なんで、その人の事、知りたいの?」
語気が心なしか強くなる。それで、とっさにパスポートの事は話すと先がややこしくなると感じた。
「あぁ…いや、なんとなく。昔、母の親友でそんな名前の人いたような気がしたから」
「え?え?そんなワケないでしょ~ねぇ、教えて」
「…いえ、忘れてください」
「えぇ、気になる」
こうなると直子さんはまるでスゴ腕刑事のように絶対に質問の手を緩めない。完全に聞く相手を間違えた。と、その時…
プルルル…
神の助けのように、電話のベルが鳴る。
「はい」
「渥美さんのお宅でしょうか。私、百草小学校で渥美健人くんの担任をしている水野と申します」
「どうしました?…え?健人がケンか」
神の助けはトラブルの報せであった。
さっそくトラブルが…だがこれは思春期の子どもたちとの距離を縮めて
謎解きをグッと近づける手がかりを招く事になるのです。