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【第二十六話 原発はそれを見ていた】


1週間後。福井県の東尋坊から西へ海岸沿いをひた走る一台の車。窓の隙間からは日本海の青々とした潮の香りが吹き込む。美咲はガラス窓に顔を張りつけて、その景色を珍しそうに眺めている。


「美咲も嬉しそうだね。2歳の誕生日プレゼント喜んでくれたかな」


「ドライブは初めてだもんね」


「にしても福井の海がこんなにきれいだなんて知らなかった。百合子のチョイス大正解だね」


隠密に指令を実行するため、美咲の誕生日にかこつけて週末の連休を利用して旅行にきた。これなら女一人でうろつくよりよっぽど怪しまれないし、何より本気で家族旅行に行きたかった。


「ねぇ。お腹空かない?…そろそろ昼食にしよう」


「もうこんな時間か…うん」


お昼時、鄙びた漁港にたたずむ一軒の食堂に立ち寄った。


「はいよ!お二人、黒アワビ、サザエ、岩牡蠣セット!」


「うまそ!」


「で、嬢ちゃんはサザエカレー!」


「わぁ!」


美咲は小さな手をバタバタさせている。


「美味しいね」


「うん」


夏の味覚はどれも大当たりの美味さで、工作員の任務とは言え、こうやって家族旅行が出来る幸せを噛みしめていた。すると、雄一がトイレに立つ間に店のカウンターから大将と地元民の雑談が聞こえる。


「ホステス殺人事件やと、物騒やな~」


「シングルマザーか」


見つめる先には、どこぞのホステスが殺されたなどという物騒なニュースが流れていた。


「あぁ、そういやホステス言うたら、黒田さんとこの娘どないしとんのやろうな」


「黒田さん?」


「ほら、そこの旅館の横の…下の名前なんて言うたっけ。…百合子?」


「あぁ、黒田百合子な」


「!!」


私は心臓が止まりそうになる。とっさに雄一が戻ってこないかトイレの方を覗いた。


「なんか金沢で水商売してたんやっけ?」


「なんでもその後、子ども置いて蒸発したんやと。ひどい話や、もう7~8年になるかね…」


「それで言うと、ココだけ話やけどな…変な噂聞いてん…」


「何や」


ガチャ!トイレの扉が開く。


「…あ!あの!!」


全員の視線が私の方を向く。


「えーと、お会計を」


「え…まだご飯残ってるけど?」




――僕が手記をめくるより先に健人が叫んだ。


「福井の港町のサザエカレーって!ちょうど黒田百合子の正体を追っていた時に行った店じゃない?」


「え!?そんな偶然が!?」


そうだ、僕らが泊まった宿がある港町の居酒屋……若き日の母さんは、父と幼き美咲さんを連れてあの店に来ていたのか。運命を感じるな。




「ママ!うみ!」


私たちはその集落から実に2時間近くかけて、目的の美浜にやってきた。そこは名前に負けず劣らず、日本海らしからぬ南国のように白い砂と青い海が広がる場所だ。周りをクルクルと走り回る無邪気な美咲をよそに、私は冷静に辺りを見渡す。


「任務とはなんだろう…?」


砂浜に突き出たちょうどいい感じの大小の巨石…さらに奥に見える円柱状の建屋は美浜原発。これならば密入国もしやすい。やはり“接線”か…でもわざわざ指令を手渡しで伝えるぐらい警戒する理由は何だろう…?


「あそこで撮ろう」


そんな私の胸のざわつきなど気づくはずもなく…雄一はここぞとばかりに、いつの間にか手に構えていたフィルム用カメラを取り出した。そして、押し寄せる波にキャッキャと走り回る美咲を撮り始めた。私は、複雑な気持ちでそんな美咲が危なくないようにその手を掴んだ。




そして、約束の夜がきた…私は寝静まった民宿をトイレの窓から抜け出すと、隠しておいた靴と服に着替えて弁天崎に走り出した。すると原発は夜空に煌々と光り、闇夜から上陸を目論む人間の灯台となっている。


「そういう事か…」


そして約束の場所に着くと暗闇に身を潜めた。10分ほど過ぎた頃だろうか、車のヘッドランプが近づいてきた。警察かと身構えるが、その車から現れたのは高橋だった。


――動き方がいつもと違う。




「明華、はるばるご苦労様です」


「いえ……で、任務って何ですか…?そろそろ教えてくれても」


すると高橋は手元の無線を二度鳴らした。すぐそこの岩の裏に待機していたボートが美浜原発の灯りに照らされ突如、目の前に出現した。と同時に突然、車の後部の扉が開いて黒づくめの屈強な男たちが麻袋に全身すっぽり隠された人間を抱き抱え、ボートへと猛ダッシュして投げ込んだ。


――もがくその袋の奥、少女らしき悲鳴が聞こえる。背丈と声からして中学生ぐらいか。


「女の子を誘拐したんですか?」


「そうです」


「なんで?…こんな事しても祖国に利などないですよね?」


すると高橋は小さな声で呟いた。


「えぇ、得など1ドルもありませんよ…ですが、親愛なる将軍様――つまり、新たな独裁者――が日本人の誘拐にご執心なようでして」


「なんのために?」


「我々の覚悟を試している…つまり、これはただの踏み絵です」


高橋は表情を変えずその様子を見つめる。


「…は?覚悟を試す?」


「こうした誘拐は前々から、工作員がなり替わるための戸籍を奪ったり、教育人材を集めるために行われてきました。だが今はただ忠誠心を示すために行われている。だから皆、我先にと誘拐している訳です」


「忠誠心を示すために誘拐?意味わかりません!」


「えぇ、そもそも意味などありませんから。こんな事する暇があるなら、少しでも外貨を稼いで困窮する国民を救うべきだと思うんですが」


その言葉通り、高橋は政府への上納金とは別に資金の一部をプールして、政府に捨て置かれた市民の医療や食料支援へと回していた。それらも結局は、薬物の密売によるものなので決して褒められたことではないが……


「意味が無いと思うなら止めて下さい!」


「ムリですよ。さっきも言いましたが、これは踏み絵です。逆らえば消される」


――もし美咲が同じような目にあったら…とてもじゃないけど耐えられない!


「私が止めます!」


カチャ!銃を抜く音がする。


「そんな事したら、あなたも、あなたたちの家族も無事では済みませんよ」


動きが止まる。


「この国では、逆らった者がどうなるかよく知っているでしょう?」


「…」


「明華。あなたの気持ちは分からないではない…私も私なりの正義でこの仕事を選んだ。だから正直この状況に戸惑っている。ですが…今あなたの勝手な行動を許せば私がその責任を取ることになる。祖国に残した妻と子どもたちを守るためにもそれは認められない」


「…」


その間にボートは波間に消えていき、少女の悲鳴は聞こえなくなった。


――頭の中を色んな考えが巡る。漁港の食堂で聞いた“黒田百合子”は私のあのパスポートのために、北朝鮮に連れされられた…?そういえば平壌で私たちを指導したあの日本人教官ユリは…もしかして誘拐されてきた?




「どこ行ってたの?心配したよ」


民宿に戻ると、娘を抱えた旦那が駆け寄ってきた。


「ううん」


「ママ…泣いてるの?」


「美咲…」


私はただ美咲を抱きしめた。その温もりを感じながら、今北朝鮮にいるかもしれない黒田百合子に思いを馳せた…彼女にも親が、そして子がいるかもしれない。ならば…どれほど心が引き裂かれる思いだろう。そんな事実に目を背けて、今まで何食わぬ顔で彼女になりすまし、家族を作り、ひと時の幸せに浸ってきた私は……悪魔だ。雄一はひどくやつれた私を見て、それ以上何かを尋ねる事は無かった。




1982年4月5日


多摩丘陵の桜は一気に芽吹き、桜色に染まった。美咲は明日、幼稚園の入園式を迎える。


「ねぇ、今日のうちに撮っておかない?」


当日は雨予報と知った雄一が、桜の下で美咲の晴れ姿をフィルムで撮りたいと言い出した。そこで私は、チューリップの形をした赤い名札に「ながせみさき」と書き込み、制服姿の美咲の胸にそれを付けた。嬉しそうに小さな指でなぞる美咲。


「美咲、おめでとう…」


「せっかくのいいシーンなのに泣きすぎ!」


え?手で拭うと甲に湿り気を感じる。私は知らないうちに泣いていた…


「ママ…いたいの?」


「ううん、何でもない」


「さぁカメラ回そうか」


明日、入園式を3人で迎えられる。美咲の晴れの舞台が見れる。そう思うと甘酸っぱい幸せが込み上げた。




私は、数々の人を不幸にし、罪や犠牲を見て見ぬ振りし、幸せを貪ってきた。それにも懲りずに今、夢見てる。


――このままずっと雄一と美咲とこの家で一緒に暮らしていきたい。一緒に家の壊れた所を直して、一緒にご飯をたべて、たまにすき焼きなんて贅沢して、仕事に行く雄一を見送って、美咲を幼稚園へ連れて行く。そんな夢。




だがそんな私には天罰が降りた。その日の夜、電話が鳴る。


「明華…」


高橋の声だ。


「何ですか?こんな時間に」


「売られた…すぐに不正資金の証拠を消せ…すぐにだ…」


高橋が資金の一部を横領していたのが本国にバレたのだ。恐らく売ったのは彼に恨みを持つ土台人…体制が変わるタイミングを狙って失脚させようとしたのだろう。となれば高橋に加担してきた私も無事ではない。すぐさま床下から通帳の束と裏帳簿を取り出し、庭で火を起こした。そしてパスポートもそこへ放り込もうとした瞬間、ある考えが浮かぶ。この日本のパスポートさえあれば世界中どこにでもいける……ならばいっその事、雄一と美咲も連れて……


「どうしたの?」


「ごめん、美咲が興奮して寝付けないみたいで…」


物音に気づいて雄一と美咲が顔を出す。美咲の手には明日が待ち遠しいのか、赤い名札が握られている。




――そうだ。このまま逃げたとしても、私という存在が今度はこの2人を不幸にしてしまうに違いない。ならばせめて証拠を持って警察に出頭しよう。そうすれば、家族の身の安全は保障される。…だが問題は確実に警察に出頭出来るかだ。その前に工作員に捕まれば、家族は殺されるかもしれない。


「あなた…ちょっと至急で話したい事があるの」


「…わかった」


すると雄一はいつかこうなる事を悟っていたかのように、すぐに神妙な顔で向き直った。私は全てを話した。私は何者か、これまでの過去、これから雄一が取るべき行動も伝えた。彼は、そんな荒唐無稽に聞こえる私の話を1ミリも疑う素振りを見せず、真剣に耳を傾ける。ただ唯一、私が雄一と結婚した理由を告げた時はひどく落ち込んだ表情を浮かべた。だがそれでも集中力を切らさず私の話全てを飲み込んだ。


「教えてくれてありがとう」


「今の話、信じられるの?」


「もちろん。君の話は全て信じるよ。今も昔も変わらない」


「…」


「だけど、一つだけ考え直して欲しいことがある。百合子一人で出頭する事だけは考え直して欲しい。僕もついていく。じゃないと、君に何かあったら僕は…」


「それは出来ない。あなたには美咲を守って欲しい。この子は私の”夢”なの。私の近くにいればこの子が危険に晒される」


「…どうしても行くのか?」


私は静かにうなづいた。


「あなたには本当に申し訳ないと思ってる。人生を踏みにじった…」


雄一は、そのまま私の肩を抱いた。


「まさか!君は僕の”夢”。君がいたら今の僕があるんだ。君がどんな名前で生きても。君が誰でも僕は君を愛してる」


すると、そこに美咲もくっついてきた。


「私も♪」


「美咲は必ず守り抜く…だから約束して欲しい。絶対生きて。そしてまた暮らそう」


ずっと自分を騙してきた私になんでこんな優しい言葉をくれるのだろう?なんでまだ私のことを信じようとしてくれるのだろう?


「じゃあ…」


私は出来るだけの笑顔を作ると、不思議そうな顔をする美咲をギュッと抱きしめた。


「さぁ美咲、パパとこっちに来よ」


勇一が押し入れのふすまを開けると、その体を地下室へと潜ませた。


「暗いよ、怖いよ…ママも一緒に来て!」


「大丈夫だ!パパがいる。さぁ美咲おとなしくして…」


「えぇぇん…ママ!」


「…」


「じゃあ、美咲をよろしくお願いします。必ず戻ります」


彼は美咲を抱いたまま静かに頷いた。――私はまた性懲りもなく、心にもないウソをついた…『必ず戻ります』だなんて。




すぐさま通帳の束をカバンに入れると、私は夜道に出て車のエンジンをかけた。走ってすぐ駅前の大通りまで出ると、バックミラーには水銀灯に照らされた黒い車が現れた。睨んだ通り、彼らはあの家には不用意には近づけないようだ…そのまま日野警察署へ飛ばす。そして、もうすぐという所で……


キー!!!!


周囲を複数の車両に一気に囲まれた。そして、黒づくめの男たちが銃をかまえて降りてきた。…私の出頭は失敗に終わった。




あれから数日が経っただろうか。目隠しをとられた私が目にしたのは、朝焼けに浮かぶ見渡す限りの大海原。そして、周囲を囲む黒づくめの戦闘員たちだった。漁船を偽装した工作母船の上だ……。すると一人の男が連れられてきた。


「高橋さん…?」


「勝手に喋るな」


カチャ!と後頭部で銃の引き金の音と、金属が当たる感触がした。


「これは何だ?」


目の前に通帳と裏帳簿が並べられる。それを見た高橋は顔をしかめて私の方を見た。…燃やせと言ったはずだろうという顔をする。私は目をそらした。


「…将軍様の財産を横領するとは万死に値する」


そういうと男はダルそうに最後の一息タバコをふかすと、火の付いた吸い殻を高橋の腕にこすりつけた。


「うぅ…」


「資本主義に穢れたヤツらはこれだから信用ならん」


すると、それぞれの目の前にカプセルを差し出す。自殺用の青酸カリだ。


「自ら命を絶て。そうすれば殉職扱いにして家族だけは助けてやる」


高橋は躊躇無くそれを飲み込む…するとしばらくジタバタともだえ苦しみ、目を見開いたまま絶命した。男たちは高橋の胸に耳を当て、その死を確認する。


「次はお前だ」


男の銃は私のこめかみを突いた。


――全て終わりだ…さようなら、雄一、美咲。やっぱり約束は守れなかった。だけどあなたたちが生きていてくれればそれでいい。どうか幸せに……覚悟を決めて、それを一気に飲み込んだ。その瞬間…


「ケホっ!」


私は突きあげる気持ち悪さ。思わず胃の内容物ごと吐き出した。すると、形をとどめたままのカプセルは吐瀉物と混じり、甲板に散った。


「ゴホゴホ…」


「死ぬ覚悟もない未熟者が!」


違う。これは意図しない吐き気。そして、私が経験上、これが何なのかを知っている…つわりだ。私のお腹には2人目の子がいる。私と雄一の大事なこの子が。ならば死ねない!私が生きなきゃ、この子が死ぬ!守り抜く!




――僕は絶句した。「ちょっと待って。まさかそのお腹にいた子って…」


直子さんは応える。「そう…宏樹くん、あなたよ。彼女が生き続けようとした理由は、お腹のあなたを守るためだったの」


手記には強い筆圧で『絶対に生き延びなきゃ』と書かれてある。




……絶対に生き延びなきゃ!…とはいえ、銃口は今まさに私の額に突きつけられている。動けば一瞬で撃たれる…どうする?


「ん!?…」


その瞬間、私は信じられない光景を目にした。…さっき死んだはずの高橋が突進してきている。そう、彼は死んでいなかった…全員の目線が私を向いた瞬間を突いて音もなく立ち上がり、漁船に擬装するためのモリを縛られた後ろ手にしている…まずい!ここにいると私までまとめて串刺しにされる…とっさに身を翻した!




それに慌てた男は反射的に引き金を弾く。だが…銃弾はかすりもせず、銃声とほぼ同時に高橋のモリで心臓を射貫かれた。


「何やってんだ!死ね」


背後から銃を構える男が…


「死ぬのはそっちだ」


すると、今度はその怪力で男に刺さったモリを引き抜き、その勢いのまま背後のもう一人を射貫く。


「こ、こっちに来るな」


恐怖の余り銃を乱射する戦闘員…だが動揺からその焦点が定まらないとみると、高橋はモリを捨て男の真正面へ突進する。


「うわっ」


「工作員なら死ぬ覚悟を持てよ」


瞬間で手元の銃を奪い、頭に一発撃ち込んだ。さらに高橋はその銃で、他の戦闘員の心臓をピンポイントで撃ち抜いていく。甲板の上は真っ赤に染まる地獄絵図と化した。


――思えば、親不知での銃撃戦でもこの男はすさまじい戦闘力を発揮していた。一体何者なのだ…?




「はぁ…はぁ…」


高橋は戦場の男たちを一掃すると、一仕事終えたと言う風に縛られたままの死体からタバコを取り出し、それを私に持たせて器用にくわえて一服し始めた。私は気力だけで立ち上がる。


「にしても困りますよ。処分しろと言った物をそのままにされちゃ?どうするつもりだったんですか」


「警察に提出するつもりだったんです」


すると高橋はゆらりゆらりと私に近づいてくる。


「意思は変わりませんか?それだけあれば山分けしても、海外で一生豪遊できますよ」


「…私は日本から出るつもりはありません」


「合意ならず…となると、生かしておけないですね」


間合いを取るが、追い詰められる。「今度こそ殺される」…と思った瞬間、登る朝日の向こうから激しい轟音と共に突風が吹き込んでくる。


「!!」


眼前間近に巨大なヘリコプターが出現した。海上保安庁のヘリだ。激しい波に煽られたボートの上で、高橋はバランスを崩す。その隙をつき、私は手元の漁具を高橋の太もも、胸元に突き刺した。それでも高橋は地べたを這いつくばり動きを止めない。


「動くな!そのまま停船して大人しくしなさい」


ヘリから拡声器からの呼びかけが響く。




すると高橋の背後、死にかけた戦闘員の一人が動いているのが見える!


「生きていた…?」


「何!?」


その手元にはスイッチが…


「北朝鮮万歳!親愛なる指導者・金正日様万歳!」


男がスイッチを押すと同時に、船体は爆風と共に巨大な炎の塊となり、私の体は海の上へと投げ出された。





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