【第十四話 僕たちは知らなすぎる】
直子さんから火事の一報を受けて、長瀬美咲の車で現場へ駆けつけた。夕闇に白い煙をあげる我が家の前には、幾重にも重なった消防車や詰めかけた野次馬が立ちはだかり路地の奥が見えない。
「…あぁ!宏樹くん、いたいた!こっち!」
すると、直子さんが野次馬の向こうから手招きしている。
「消防士さん!この人が家主!」
「家は?」
「不幸中の幸いで、玄関前が少し焼けたぐらいで済みました」
見ると、本当に玄関の門の前のブロック塀あたりが黒く焦げていて、火元らしいものは見当たらない。
「あの…火元って?」
「玄関前に放置されていたゴミかと思われます」
「玄関前にゴミ…」
「ほら、枯れ葉を捨てるのにゴミ袋入れて置いてたでしょ?燃え方からして放火の可能性もあるので調べないとですが。とにかく注意して下さいね」
そんなはずはない。玄関にゴミなど置いていないし、それに枯れ葉なんて集めた覚えはない。だが燃えていたのは、たしかにウチで使っているゴミ袋だった。もし愉快犯だとしたら、わざわざそこまでして放火するだろうか。
「こちらの方が初期消火してくれてなかったら危なかったですよ」
「直子さん、なんてお礼を言ったらいいか」
「とにかく無事でよかったわ…ってか、3人揃ってどこ行ってたのよ?」
「ほら、この前言ってた彩花と健人の母親と…」
「…あぁ、そうだったのね」
とにかく直子さんをこのまま帰すのも悪い。家でお茶でも出そうと誘ったが、美咲の顔を見るやプンスカと帰ってしまった。その後ろ姿を見て、ふと思う…なぜ直子さんはいつもこの家の危機に必ず現れるのだろう?とはいえ、これはこれで好都合だ。直子さんがいない方が美咲に彼女の母…黒田百合子についてや、他の疑念についても聞きやすい。僕は家に招きテーブルへ座るよう促した。
「これを見て欲しいんですが」
居間の棚から取り出した「ながせみさき」と書かれた幼稚園のネームプレートを差し出した。
「幼稚園の名札?…しかもこれって」
「あなたのものかもしれません」
「…なんでこれをあなたたちが?」
「この家の床下で見つけました。それとコレも見てもらえますか?」
柱に刻まれた「ミサキ」の傷を見せる。美咲は不思議そうにその字を指でなぞった。
「3才…私は3才までここに住んでたって事?」
「おそらく」
すると健人が感嘆の声をあげる。
「まさか七不思議の2つが、お母さんのものだったなんて」
「七不思議?」
「健人が勝手に言い出したやつです」
「そう!この家の七不思議!この柱の傷と赤い名札!あとは変な煙突でしょ…それに玄関のガラスと謎のうめき声…それと、恐怖の押入れも!」
なぜか一瞬、恐怖の押入れという言葉に美咲の顔が歪んだ気がした。だが、すぐに元の涼しげな表情に戻った。
「それと?まだ六つしか無いけど?」
「あとは…何だったっけ?」
「フフ…忘れたの?」
「あれ?あれ?」
――もう一つは、無言電話だ。だが僕はそれをあえて口にしなかった。なんとなくさっきのボヤと結びつけられると皆を不安にさせるだけだと思ったから。
と、居間から彩花のぶっきらぼうな声が聞こえた。
「こっち用意できた」
ディスプレーに映し出されていたのは例の8ミリフィルムの映像だ。美咲をソファに座らせると、デッキの再生ボタンを押した。美咲は初めて見る自分の母・黒田百合子の映像に釘付けになっている。
「さすがに3歳で記憶はないと思いますが、何か少しでも心当たりはありますか?」
僕の問いかけに振り返った美咲はその凜とした目を潤ませ、陶器のような肌をくしゃくしゃにしていた。
「いいえ。すみません。でも間違いなくこの子は私だと思います。とても貴重なものを見せて頂きありがとうございます」
僕はさらに核心に迫る。
「他にも聞きたい事があります。一つは、あなたのご両親について。もう一つは、なぜ僕の母・真理の死を知っていたのか」
その言葉に、美咲は大きく息をついた。
「私は物心ついた時から父と2人暮らしでした。父は…長瀬雄一は、私を男手一つで育ててくれました」
――長瀬百合子の夫の名は、長瀬雄一。
「じゃあ、母親については?」
「一切、記憶はありません。3歳までココで暮らしていた事も、母が百合子という名前だったのも初めて知りました」
「…お父さんは?雄一さんは、お母さんのことを何て言ってたんですか」
「お母さんは天国に行ったんだと。だから私もそう信じていました。でも今になって冷静に考えてみたら、父は母の話題を避けていた気がします」
「…」
「たまに酒がまわるとギターを弾き始めて…この曲はお母さんの好きな曲なんだよ。お母さんのピアノがまた聞きたいって。珍しく話題に出るぐらいで…」
目の前の古いピアノが目にとまった。
「…それでお父さんは今どちらに」
「私が12歳の時に亡くなりました。駅のホームで暴漢に刺されました…」
「!!」
「小さな会社で経理の仕事をしていた父は、それこそ私生活は質素で。周りの勧めにもかかわらず再婚もしないで…仕事も家事も学校の送り迎えも全部1人でこなして私を育ててくれました。だから…なんで父なんだって…。神様は不公平だなって…」
わずか12歳の美咲は、親族の家をたらい回しにされ施設に流れ着いた。
「年齢もいってたので里親に名乗り出る人はほとんどいなかったです。ただ一人だけ私を引き取りたいって人もいましたが、何となく自分の娘と重ねて見られてる気がして…私は私なのに。父の娘であって、あんたの娘じゃないって、断ってしまったんです。それで覚悟が決まって、大人に頼らずに生きていこうと思いました」
だがそれは想像以上の苦労だった。歌舞伎町で水商売をしながら、そこで出会った男性と結婚。彩花を出産したが、しばらくしてリーマンショックの余波で夫のビジネスが破綻。残された美咲はそこで男児・健人の妊娠を知るが、同時に連帯保証人にされていた。
「生活がたちいかなくなって、このまま2人を不幸な境遇で育てるぐらいならって。でもスグに後悔しました。だからちゃんと自立しなきゃって貿易事務の資格を取って定職も見つけて…だけど2人の行方は一切分からず。…もちろん最初から、一緒に暮らそうなどと思い上がっていたワケではないです。ただ一目見たい、そしてせめて仕送りしてサポートしたいと」
「…」
「でもこうして2人に会えて、正直、私の出る幕はなかったんだなって…真理さんは、こんなに素直で素敵な子に育ててくれたんですから。感謝しかありません」
彩花は目を真っ赤にしてその話を聞いている。もちろん今の話をそのまま受け入れるのは難しいだろうが、少なくとも母親が安易な気持ちで自分たちを捨てたワケではない事は理解したようだ。彼女になら話してもいいだろう。僕は覚悟を決めた。
「それでいうと…今この映像に映っているあなたの母・百合子さんは、僕の母であり、彩花と健人を育てた渥美真理と同一人物かもしれません」
「え!?…どういう事?」
「つまり黒田百合子=渥美真理、という事です」
「…だって、名字はともかく名前まで違う…?」
「はい。その辺は調査中ですが一つの可能性として、彼女は黒田百合子と渥美真理という2つの戸籍を使い分けていたかもしれません」
「そんなこと可能なんですか?」
「もちろん日本の法律では許されません…なので事実とすれば違法行為になります」
「え…母が違法行為を…」
「そして、もしそれが事実だとすると…大事なポイントが浮かび上がります」
「?」
「僕とあなたは共通の母をもつ事になる。つまり…」
「!!…私たちは姉弟!?」
僕は頷いた。美咲は目の前の中年男を興味深げに見つめる。
「…あなたは、私の弟?」
「まだ可能性の話ですが、状況を見ると可能性は限りなく高いかと」
「おじさんは本当の叔父さんだったって事だ!?」
「…なんて言ったらいいか、まだよく飲み込めないですけど」
彩花は薄々気づいていたようで落ち着いているが、健人と美咲は驚天動地といった様子で今にも倒れそうだ。なので僕は、これ以上の動揺を起こさないよう北朝鮮の工作員疑惑にまでは踏み込まない事にした。
「では、続いての質問です。あなたはどうやって母・真理が亡くなったのを知ったんですか?しかも、ずっと探しても見つからなかったというこの家にたどり着いた」
「それは…」
「…」
「ウチに手紙が届いたからです」
「…手紙?」
鞄から一通の封筒を取り出した。
「私も最初は正直、気味が悪かったです。ご覧の通り、送り主は書かれてませんし…消印も少し違和感がある気がして。ほらココ」
「…本当だ」
手書きながら不気味なほど画一された文字が並んでいる。
「これを読んで渥美真理さんが養子縁組をされていて、最近お亡くなりになったと知りました」
「母の死を…」
「それで保護者をなくして彩花と健人は大丈夫なのかと、いてもたってもいられなくなって…それでこの住所を見て…」
「本当だ、住所が書いてある」
「なら、なぜ最初、来た時その手紙について教えてくれなかったんですか」
「それは手紙の最後のところです。…この手紙については一切他言するなと」
「!!」
「正直気味悪かった。何かの詐欺かとも思いました。でも子どもたちに会えるならと半信半疑で…そして彩花がいて本当なんだと」
「誰が何の目的でこんな事を…?」
「母の葬式は家族と直子さんぐらいしかいなかったし、それを察知している人間となるとかなり近しい人物の気もするけど…ただ美咲さんの過去や今の住所を調べて、こんな手紙を送りつけられる人間なんているかな?」
「逆の可能性は?」彩花が投げかける。
「…逆?」
「そういうのを全部調べられるぐらい大きい組織の仕業…」
「…!?」
「…なんてあり得ないか、さすがに。そこまでして私たち会わせるメリットないもんね」
そうだ。不気味ではあるが、結果的に彩花と健人はこうして母親と会えた…今のところは感謝すべきなのかもしれない…




