誘い文句
「『入るな』か……ふふっ」
夜、おれは町外れの古びたトンネルの前に立っていた。ネットで仕入れた情報によると、どうやらここは“出る”らしいのだ。
人けはまったくなく、昼間ですら誰も通らないのかもしれない。まだ入り口だというのに、空気はじめじめと重く、どこか黴臭い。雨が降ったわけでもないのに、アスファルトにはところどころ水たまりができていた。
照明は入り口近くに立つ外灯が一つだけ。その頼りない明かりが、壁にびっしりと書かれた落書きを薄く浮かび上がらせていた。
【入るな】
【危険】
【ここに近づくな】
おれはスマートフォンのライトをつけ、壁を照らしながら、ゆっくりと足を踏み入れた。
【引き返せ】
【恐ろしい目に遭うぞ】
【やめろ】
思わず鼻で笑った。こんな言葉で怖気づくほど、おれはガキじゃない。
【まだ間に合う】
【行ったら終わるぞ】
忠告のつもりか。ご苦労なことだ。
【死】
【この先地獄】
はいはい、ありがちな脅し文句だ。
【かわいい子いるよ】
……ん?
【彼氏募集中】
【お金あるよ】
【この先にお宝あり】
なんか……。
【楽に生きたい人注目】
【モテたい人おいで】
妙な方向にズレてきたな……。
【得する情報教えるよ】
【知らないと損】
【リスクなし】
まあ、戻る気はないが……。
【簡単な仕事】
【日給五万】
【即日払い】
でも……なんだ、この感じ……どこかで……。
【ホワイト案件】
【高額バイト】
【一撃十万円】
あっ、出口だ――。
「おい、起きろ。なに寝てんだよ」
「あ、すみません……」
そうか……おれは眠っていたのか……。
目を覚ますと、そこは車の中だった。窓の外に見えるのは、静かな住宅地。みな、眠っているようだ。
「肝が据わってんな。それともただの馬鹿か。ほら、これ持て」
男が、無造作におれへ何かを押しつけた。それは、鈍く光る金属バットだった。
「住人を見つけたら、まず殴れ。殺してもいいから金のありかを聞き出すんだ。いいな」
バットの冷たさが、指からじわじわと染み込む。背筋がぞくりとし、おれは唾を飲み込んだ。
「あ、あの、これってやっぱり闇バイ――」
「もうすぐ着くぞ。逃げたら殺すからな。お前の親も。実家の住所も職場も、全部知ってんだからよ」
「……はい」
トンネルの向こう側も、また闇――。
おれは、いつここから抜け出せるのだろうか……。