第78話 悲愛
──ハルトに「剣を交えてほしい」と頼まれたとき、胸の奥がざわついた。
今は手合わせをしたくない、多分私は圧勝するから。
でも、真剣な眼差しで願われると……断れるはずがなかった。
だって私は、彼のことが大好きだから。
親友である以上に、隣に立ちたいと思っているから。
だから、剣を抜いた。
けれど勝負は一瞬で終わった。
同時に踏み込んだはずなのに、私の剣は彼の首筋に届いていた。
息を呑んだハルトの顔を見た瞬間――嬉しさよりも、胸に冷たい痛みが走った。
「こんなに差がついてしまったんだ……」
勝てたことが誇らしいはずなのに、特に努力をした訳じゃない不相応の力を手に入れて、置いていってしまったことに罪悪感を覚える。
「……すごいな、イーディス。本気で見えなかった。あれなら、あの黒外套の男にだって勝てるんじゃないか?」
ハルトは笑いながらそう言ってくれる。
でも――私はわかった。
笑顔の奥に、少しの影が混じっていることを。
(嫉妬とか、悔しさ……私に追いつけなくなった焦り……)
私が欲しいのは、そんな称賛じゃない。
同じ高さで、お互いを称え合いたい――そう思ってしまう自分がいる。
でも、それを口にできず、私はただ「……ありがとう」とだけ言った。
沈黙が苦しくなり、ご飯に誘った。
一緒に笑って歩ける時間が欲しかったから。
勇気を出して手を差し出した――けれど、その手は取られなかった。
瞬間、胸の奥が焼けるように痛んだ。
まるで自分自身が拒絶されたみたいで、心臓の中心を鋭く突き刺された。
あんなに勇気を振り絞ったのに、返ってきたのは温もりではなく、冷たい空気だけ。
──ハルトにとって、私は“親友”までなんだ。
それ以上を求めてはいけない。
そう分かっているのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。
息が詰まって、笑顔を作るのが少し遅れた。
それでも取り繕わなきゃと唇を引き上げる。
けれど、その笑顔の裏で……涙が零れそうになるのを、必死で堪えていた。
⸻
昼食は里の小さな食堂で取ることになった。
二人掛けの席に並んで座ると、最初は軽い会話で笑い合ったけれど、料理が運ばれる頃には言葉が途切れてしまう。
私は箸を動かしながら、小さくつぶやく。
「……やっぱり、私、迷惑なのかな……」
(一緒にいて、ハルトは楽しいのかな……?)
ハルトは無言で箸を進める。
少し勇気を出して、もう一度口を開く。
「ねえ……私、いて……邪魔じゃないよね……?」
ハルトは箸を置き、少し強めの口調で言った。
「……邪魔とかじゃないし、楽しいって言ってる」
その言葉に、胸がぎゅっと痛む。
彼の声に距離感を感じた。
温かさが届かず、冷たく締め付けられる胸。
沈黙が流れ、ハルトは小さく息を吐き、「……なんか、ごめん」とだけ言った。
そして二人分の会計を済ませ、先に出て行く。
残された私は、胸の奥にぽっかり穴が空いた気持ちで、彼の背中を見送った。
(……ただ、一緒にいたいだけなのに……明日なら、また自然に笑えるかな……)
翌日、私は里の広場を歩いていた。
昨日の剣の勝負や、昼食のことが頭の片隅でちらつき、心の奥にぽっかり穴が空いたままだった。
ふと、見慣れた人影を見つけ目を向けると――ラインハルトとセレーネが、笑いながら並んで歩いている。
二人の笑顔は自然で、何も気負わず、ただ楽しそうに会話していた。
(……あ、あれ……)
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
昨日、あんなに勇気を振り絞って手を差し出したのに……
彼は私ではなく、セレーネと楽しそうにしている。
一瞬、息が詰まる。視線をそらしたいけれど、目が離れない。
言葉をかけたい、でも口が動かない。
ただ、二人の間に流れる穏やかな空気を、羨望と痛みで飲み込むしかなかった。
(……私は……ただ、ハルトと同じ時間を笑って過ごしたいだけなのに……)
心の奥で、それでも自分に言い聞かせる。
「親友だから……」
でも、胸の痛みは簡単には消えない。
手を伸ばせば届くはずの彼の笑顔が、少しだけ遠く感じられた。
小麦色の髪を揺らして笑うハルトを見つめながら、私は小さく息を吐いた。
(……どうして、こんなに苦しいんだろう……)
それでも、すぐに視線を下げ、足早にその場を通り過ぎる。
心の奥で、かすかに、切なさが波のように打ち寄せていた。
それからの二日間、私は部屋からほとんど出なかった。
外では子供たちの笑い声がしている。
……うるさい。
窓を閉めても音は消えず、胸の奥を苛立たせる。
「……ああもう、何やってるんだろう、私」
机の上には開きっぱなしの本。普段なら一気に読み終えるはずなのに、文字が頭に入らない。
ただぼんやりとページを眺めて、ため息をついて閉じるだけ。
(……どうして私はこんなに惨めなんだろう)
あのとき、笑顔で称賛してくれたハルト。
でも私は、彼の笑顔の奥に影を見た。
「……私が勝ったから……嫌になったのかな」
「それとも……ずっと面倒に思われてたのかな」
口にした言葉に、自分で胸が抉られる。
気づけば、苛立ちが涙に変わっていた。
(勝手に期待して、勝手に傷ついて……馬鹿みたい)
ベッドに倒れ込み、枕に顔を押し付ける。
悔しさと情けなさが入り混じって、声にならない唸りが漏れる。
「……ほんとに馬鹿だな、私。親友で満足しろって言い聞かせてたくせに」
自分を罵れば罵るほど、涙が止まらなくなる。
――そして思う。
昨日、セレーネと笑っていた彼の顔が、どうしてあんなに優しそうだったのか。
私の前では見せなかった表情が、胸を焼き尽くす。
「……あの人の隣は、私じゃなくてもいいんだ」
その言葉を口にした瞬間、心臓が潰れそうに痛んだ。
でも次の瞬間には、抑えきれない願いが零れる。
(……ハルト、来てよ……お願いだから……)
矛盾した思いが胸を掻き乱す。
憎らしいほど好きで、苦しいほど欲しくて、どうしようもなく涙が止まらなかった。




