第77話 醜心
昨日は本当に色んなことがあった。
碑石のこと、イーディスの力の覚醒、素材選び……頭の中でぐるぐると巡っていたが、一晩ゆっくり寝たおかげで頭痛も無く、すっきりとした目覚めだった。
「……ふぅ。いい朝だ」
そう呟きながら上体を起こす。
寝台から伸びをひとつして、目をこすりながら窓の方へ視線をやった。
窓越しに差し込む光は、やけに強い。
柔らかい朝の光というより、燦々と降り注ぐ昼の日差し。
「……って、朝どころか昼かよ」
思わず口に出して苦笑した。
外はもう白々と明るく、陽はすっかり高く昇っている。
どうやら俺はかなり寝坊をしてしまったらしい。
顔を洗い、歯を磨いて最低限の身なりを整えた後、隣のイーディスの部屋に行ってみる。
コンコン、と軽くノック。
「イーディス、いるか?」
……返事はない。
再度ノックしても、やはり静かなままだ。
「外にでも行ってるのか……」
部屋には居ないと見切りをつけ、彼女を探して階段を下り、外に出てみる。
昼下がりの里は活気に満ちていた。
金槌の音が響き、鉄の焼ける匂いが風に乗って流れてくる。
どうやら鍛冶場で作業が行われているようだ。
その音に誘われるように近づくと――まだ見慣れない紅い髪が人混みの中に揺れていた。
「……目立つな。」
イーディスは鍛冶場の前に立ち、興味津々といった様子でドワーフたちの作業を眺めていた。
火花が散るたびに瞳が輝き、息を呑むようにその手際を追っている。
あまりの真剣さに、声をかけるのも一瞬ためらうほどだった。
「……イーディス?」
俺が声をかけると、イーディスはびくりと肩を揺らして振り向いた。
「あ、ラインハルト。起きたんだ」
紅い瞳がぱっと綻び、微笑む。
額にかかった前髪を指で払う仕草がどこか子供っぽくて、普段の凛々しさとのギャップに思わず笑ってしまった。
「すごいんだよ、ドワーフの人たちの鍛冶。火花の飛び散り方も、鉄の叩き方も全部違って……」
そう言って、また視線を火床へ戻す。
真っ赤に焼けた鉄を叩き締めるドワーフの腕は力強く、確かに見惚れるほどだった。
「……楽しそうだな」
「うん。だって剣ができていく瞬間なんて、あんまり見ないからね」
楽しそうに答えるその横顔を眺めながら、俺は一瞬だけ言葉を選んだ。
彼女の力――あの紅の光を纏ったときの圧倒的な力を、俺はこの目で確かめたい。
その気持ちが胸の奥で膨らみ、どうにも抑えられなかった。
「なぁ、イーディス」
「ん?」
火床の熱気の中で振り返った彼女に、俺は言った。
「……一度、俺と剣を交えてくれないか」
「……えっ?」
イーディスの瞳がぱちぱちと瞬く。
次の瞬間には、まるで予想もしてなかった、という顔で俺を見つめてきた。
「どうして急に……?」
「お前の力を、この手で確かめたいんだ。あの碑石に触れたあと……どれほど強くなったのか」
俺の言葉に、イーディスは少し視線を泳がせた。
ほんのり唇を尖らせて、困ったように肩を竦める。
「んー……私は別に、力比べしたいわけじゃないんだけど……」
言いながらも、俺の表情をじっと見つめる。
真剣さが伝わったのか、紅い瞳がわずかに揺れた。
「……でも、ハルトがそう言うなら」
小さく息を吐いて、仕方ないというように笑う。
「一度くらいなら、相手してあげてもいいよ」
その声音には、乗り気というよりも「断れない」という色合いが強かった。
けれど、剣を交える覚悟を決めた瞬間の彼女の瞳には、ほんのりとした炎が灯っていた。
俺とイーディスは、里を少し離れた開けた広場に立っていた。
風が草を揺らし、木々のざわめきが遠くに響いている。
互いに剣を抜き、向かい合う。
「イーディス」
「なに?」
「……本気で来てくれ。剣気も、無理しないくらいの全力で……」
俺の言葉に、イーディスは一瞬だけ目を細め、それからふっと微笑んだ。
「……わかった。そこまで言うなら、手加減はしないよ」
紅い瞳が炎のように輝き、次の瞬間――イーディスの全身から紅の剣気が溢れ出す。
大気が震え、熱に似た圧力が広場を包み込む。
俺も深く息を吸い込み、体内の龍気を高める。
――龍迅気を練り上げ、巡らせる。
身体能力から五感まで全てを強化する。黄金の気が全身を包み、空気が裂けるような鋭さを帯びた。
その時、ふと気付く。
「……あれ? イーディス。剣気を使う時って……詠唱が必要じゃなかったか?」
俺の問いに、彼女は少しだけ視線を下げ、紅に染まった髪を指先で触れるようにして答えた。
「うん。……でも、あの黒外套の魔族と戦った後からかな。詠唱なしで……剣気を自在に操れるようになったの」
「……そういうことか」
俺は小さく呟き、改めて剣を構え直した。
碑石のことを除いても、あれからイーディスは、確実に進化している。
俺は、全力で挑戦するだけだ。
広場の空気が張り詰め、互いの気配がぶつかり合う。
次の瞬間、俺たちは同時に地を蹴った──はずだった。
だが次の瞬間、視界からイーディスの姿が掻き消えていた。
「――っ!?」
反射的に剣を振り上げる。しかし遅い。
気付けば、俺の懐には紅い残光が差し込み――
冷たい刃の気配が、首筋に触れる。
「…………」
振り返ることもできず、ただ硬直する俺。
イーディスは微動だにせず、剣を寸止めしていた。
「はい、私の勝ち」
耳元で静かに告げられる声。
紅い瞳が炎のように燃えていて、それが冗談ではないことを示していた。
俺はゆっくり息を吐き、剣を下ろした。
……同時に飛び出したはずなのに、一瞬で間合いを詰められた。
それが、イーディスの“本気”だった。
「……すごいな、イーディス。本気で見えなかった。
これなら……あの黒外套の男にだって勝てるんじゃないか?」
そう言うと、イーディスは紅い瞳を細め――けれど複雑そうな表情で、ただ小さく「……ありがとう」とだけ返した。
言葉が途切れ、短い沈黙が二人の間に流れる。
やがてイーディスが、間に耐えきれないように話題を変えた。
「ねぇ、ラインハルト。ご飯……もう食べた?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、なんか食べに行こうよ」
そう言って差し出された手。
俺は一瞬だけ見つめ――それから視線を切り、その手を取らずに歩き出した。
「……そうだな。食べに行こう」
イーディスは差し出した手を引っ込め、寂しそうな顔をして、それでも隣に並んで歩き出した。
俺は横顔を見れずに、ただ前を見据える。
──学院祭の時は、俺の方が強かったはずだ。
イーディスが特別な存在だってことは、ずっと分かってた。
燃えるような紅のオーラを纏って、神速の剣を振るう姿は、誰よりも美しい。
完璧な貴族のお嬢様で、性格も良くて──俺には勿体ないくらいの“親友”。
……それでも。
碑石の力を得て、彼女はさらに遠くへ行ってしまった。
誰もが強くなれるわけじゃない。ドワーフの二人は触れることすらできなかったし……多分、俺もそうだろう。
選ばれた者にしか許されない力。
その「選ばれた者」が、イーディスだった。
全部を持っている彼女に対して……俺の胸に広がっていくのは、祝福じゃなかった。
嫉妬。
羨望に似た黒い感情が、じわじわと滲んでくる。
――俺は、こんな気持ちを抱くために隣にいるんじゃないはずだ。
親友の成長を心から喜べばいい。
誇らしく思えばいい。
そんな当たり前のことすらできずに、歪んだ感情を抱えている自分が――ひどく、醜く思えた。
イーディスは、何も知らずに無邪気に笑ってくれる。
その笑顔をまともに見られなくて、俺はただ……前だけを見て歩いた。




