第74話 英雄たち
広場に足を踏み入れると、陽を浴びた石畳の上でドワーフたちが笑い合い、賑やかな声が響いていた。
その中央、巨大な像の近くに見慣れた漆黒の髪が風に揺れていた。
セレーネ。
そして、その隣には逞しい腕を組んで立つアドホクの姿がある。
胸が熱くなるのを抑えきれず、俺は声を張った。
「……セレーネさん!」
振り返った二人の顔に、驚きと、それ以上に温かい笑みが広がった。
「……やっと起きた?」
セレーネの声音は、いつもの静かな響きの奥に柔らかな温もりを帯びていた。
アドホクは笑って背中を叩いてきた。
「心配したぞ、ラインハルト。とにかく……目覚めてよかった!」
その歓迎に、胸の奥がじんと熱くなる。
俺は支えてくれるイーディスと並んで、二人のもとへと近づいて深くお辞儀をした。
「心配かけてごめん。それと、ありがとう!」
その言葉にセレーネは小さく首を振って口を開く。
「……礼なんて要らない。けれど、ここはどういたしましてと言っておくわ」
アドホクもにやりと笑いながら腕を組み直す。
「セレーネさんの言う通りだ。礼なんざ水臭ぇこと言うな。お前さんが無事で俺らも嬉しい。それに礼を言うなら寝ずに看病してくれた嬢ちゃんにだろ?」
その言葉に、隣のイーディスが耳まで赤くして目を逸らす。
そんなイーディスに俺は改めて礼を言った。
「ありがとう」
「も……もちろん。えっと、どういたしまして……」
恥ずかしいのか少し声がうわずっていた。
イーディスを尻目に再びセレーネの方に視線を向けると彼女の背後の立派な石像に目が移る。
それは、天を仰ぐように翼を広げた龍の像だった。
圧倒的な気迫を放つその姿は、聖龍――カルンドラだろう。
石でありながら今にも動き出しそうな迫力があり、長年にわたりドワーフたちの心を支えてきたのだろう。
「……これは、聖龍カルンドラの像……だよな?」
思わず声が漏れる。
「おう。俺らの守り神よ。まぁそれも、過去の話になっちまったけどな……」
アドホクは少し目を伏せて答えた。
そして――その横に、もうひとつの像があった。
それは、俺にはあまりに見慣れた姿。
長い黒髪を風に靡かせ、鎌を構える女性。
凛とした立ち姿から指先のしなやかさまで、まるで生き写しのように――セレーネだった。
土台のプレートには、こう刻まれている。
《救里の英雄 龍人セレーネ》
「……すごい。これ、まるで生きてるみたいだ」
俺が思わず褒めると、アドホクは自慢げに腕を組み直す。
「当然だろう? 俺らドワーフの誇りにかけて作ったからな。」
だが、当の本人はというと――眉をひそめ、不満げに口を開いた。
「勝手に英雄とか守り神扱いしないでもらえる?やっぱり壊そう、これ。」
「なにを言うか! 壊すだと!? これほどの出来栄え、ドワーフの誇りを無碍にする気か!」
アドホクがすぐさま声を荒げる。
どうやら二人は、この石像を巡って散々言い合ってきたらしい。
セレーネに怯えていたアドホクはどこへやら、もうすっかり仲良くなっている。
そんな光景に俺とイーディスは思わず顔を見合わせて笑った。
俺とイーディスが二人のやり取りをしばらく笑いながら見ているとアドホクは「おっと」と思い出したように手を打った。
「そうそう、大事な伝言を預かってたんだった」
にやりと笑い、俺たちを順に見渡す。
「ラインハルト、セレーネ、それにイーディス。三人揃ったら里長の屋敷に来てほしいそうだ。……村を救ってくれた礼を、ちゃんと用意してるってよ」
「……礼?」
思わず口にした俺の言葉に、アドホクは満足げに頷いた。
「おう、ドワーフは借りを返す種族だ。期待していいぜ」
軽やかな調子のその声につられて俺たちは少し口角を上げた。
四人で石畳を進み、村の奥に佇む大きな屋敷へと足を運ぶ。
周囲の住居よりも一回りも二回りも立派で、重厚な扉には精緻な紋様が彫り込まれていた。
「ここが……里長の屋敷か」
思わず声が漏れる。
「おう。まぁ、俺らの里で一番でかい家だな。」
アドホクがにやりと笑いながら先頭に立ち、扉を押し開けた。
中に入ると、磨き上げられた木の床と分厚い梁が目に入る。
暖炉の火が揺らめき、落ち着いた温もりを漂わせていた。
やがて奥の広間へと案内される。
そこには、白い髭を胸までたくわえた老人がゆったりと椅子に腰掛けていた。
その背筋は年齢を感じさせぬほど真っ直ぐで、ただそこに座っているだけで不思議な威厳を放っている。
「里長、三人を連れてきたぜ」
アドホクの言葉に、老人が目を細めてこちらを見た。
「……ほう。目を覚ましたか、若者よ」
低く、しかし柔らかさを含んだ声が響く。
俺は胸の前で手を合わせ、深く頭を下げた。
「……はい。助けていただいたこと、心から感謝します」
里長は小さく頷き、静かに微笑んだ。
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。――お前さん
たちがいなければ、我らの里は滅んでいた」
その言葉に、少しだけ違和感を覚えた。
横目で見たイーディスは少し悔しそうに俯き、セレーネは変わらずの無表情に見えた。
里長は一息置いてから、椅子の肘掛けに手を置き、言葉を続ける。
「だからこそ、我らには果たすべき務めがある。――救いの英雄たちに、然るべき礼をせねばな」
里長はゆっくりと立ち上がり、俺たちを見据えた。
「我らドワーフの誇りをかけた武具を、お前さんたちに贈ろう」
その言葉に、俺は思わず顔を伏せる。
「……俺は何もできなかった。…お礼なんて受け取れる立場には無いですよ……」
俺が口を開くと、隣のイーディスも小さく頷いた。
「わたしも……。守られただけだもん。言葉以上の物は、要らない。」
さらにセレーネが、冷然とした声音で言い放つ
。
「私には既に武器がある。あれ以上のものは存在しない」
三者三様に断る俺たちに、里長の目が鋭く光った。
「受け取らねば、我らドワーフの矜持が立たぬ。筋を通すのが我らの生き方よ。――拒むなら、それは我らを侮辱するに等しい」
その一喝に、俺もイーディスも押し黙った。
セレーネは里長の顔を見ると肩をすくめて鎌を取り出した。
「……そこまで言うのなら、見せる位はしてあげる」
黒鉄の闇が空気を震わせる。
セレーネの手から伸びた長大な刃― 冥龍王の鎌。
ドワーフの里長がその姿を目にした瞬間、頬が引き攣り、口元が固まった。
「――――」
顔を強ばらせたまま、老人は鎌を凝視する。
やがて、深く息を吐き、低く呻いた。
「……これは……まさか。冥府の龍王が振るうと謳われた、伝説の神器……まさか……冥龍王ハデスの死と共に消失したと言われておったが……まさかまだ世に残っていたとは……」
震える声に、場の空気が張り詰める。
セレーネは涼しい顔のまま、鎌を魔法陣に収納する。
「だから言ったでしょう? これ以上は存在しないって」
その言葉に、里長は力なく椅子へと腰を下ろした。
「……確かに。お前に満足のいく武器を与えることなど、我らには到底できぬようだな。」
深くため息をついた後、里長はゆっくりと視線を俺とイーディスへ向けた。
「だが――お前たちにはまだ、贈るべきものがある」
その眼差しには、決意と責任が宿っていた。
俺とイーディスは思わず顔を見合わせる。
「……でも、俺は――」
「私も……」
口にしかけた言葉は、喉でつかえて消えた。
ドワーフの“矜恃”という言葉が脳裏に蘇る。
ここで拒めば、それは彼らを踏みにじることになる。
断れない――。
その事実を悟り、俺たちは観念するように頷いた。
「……分かりました」
「……じゃあ、私も」
二人揃って剣を差し出すと、里長は目を細めて受け取った。
「ふむ……名剣とは言い難い。だが、丁寧に手入れされ、共に戦いを重ねてきた跡がある。お前たちが真摯に剣と向き合ってきたことは、確かに伝わってくる」
静かに、しかし誇らしげに告げる。
「ならば――我らが技をもって、その剣に応えよう」
その一言に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
そして再びセレーネへと視線を戻し、里長は苦笑を浮かべる。
「セレーネ殿に対しては……もはや渡すべきものなどあるまい。あの鎌に比肩する物など、世に存在せぬからな」
軽く肩をすくめて続けた。
「だから……もし里の物で目に付いたものがあれば、遠慮なく言うがよい。それが我らにできる、唯一の礼だ」
セレーネは僅かに目を細め、けれど表情を変えぬまま小さく頷いた。
里長はセレーネを一瞥すると静かに目を閉じた。
しばし沈思したのち、重く、だが揺るぎない声音で俺とイーディスに告げる。
「……この二振りは、確かにお前たちと共に歩んできた。だが――お前たちの力に見合う器ではない」
そう言って剣を返し、代わりに椅子の肘掛けを軽く叩いた。
「新しく鍛えよう。我らが誇りをかけて、お前たちに相応しい剣を。」
「……!」
「新しく……!?」
驚いて声を上げた俺たちに、里長はうなずいた。
「もちろんだ。ただし、何を素材とするかはお前たち自身に選んでもらう」
そう言って、目を細める。
「この屋敷の裏手に、我らが誇る素材置き場がある。古くは触れることも叶わぬ魔鉱石から、近年討伐した魔獣の骨や牙まで、ありとあらゆるものが眠っておる」
俺とイーディスは思わず息をのんだ。
ドワーフの宝庫――そう聞くだけで胸が高鳴る。
「我らはただ鍛えるだけだ。だが、どの素材を選び、どんな武器を望むかはお前たち次第……使い手が選ぶ事によって、真の得物となる」
そう言うと里長は立ち上がり、顎をしゃくった。
「案内しよう。――素材置き場へな」




