第8話 悔しさをバネに
いつもの広場で剣を振る。
「おはよう、ハルト」
声をかけてきたのは、いつものように朗らかなイーディスだった。彼女は木剣を手にしていて、すでにやる気満々の表情をしていた。
「今日こそ勝ってみせるよ」
僕がそう言うと、イーディスはくすりと笑った。
「言うようになったじゃない。じゃあ、いくよ――!」
木剣が打ち合う音が広場に響く。
イーディスの剣さばきは鋭く、無駄がない。僕も食らいつこうとするけれど、どうしても力に頼った動きになってしまう。
「甘い! そこっ!」
「っ、く……!」
僕の構えが甘くなった瞬間、イーディスの木剣がするりと差し込まれ、あっさり胸元を突かれた。
「はい、一本!」
「……うぅ。やっぱりイーディスには勝てないや」
僕は地面に膝をつきながら悔しそうに言った。けれどイーディスは木剣を肩に担ぎながら笑っていた。
「悪くなかったよ、ハルト。でも、剣って力じゃないんだよ。動きの意味、ちゃんと考えてる?」
「動きの意味……?」
「ふふ。ヒントはそれだけ。あとは自分で考えてみてね」
僕はその言葉の意味を考えながら、イーディスの背中を見送った。
翌日、朝の澄んだ空気が庭を包み込む中、僕は父さんと木剣を交えていた。まだ日差しは柔らかく、静かな時間帯だ。
「ハルト、剣は力任せに振るだけじゃ駄目だぞ。初級剣技はただの動きの組み合わせじゃない。狙いを持って、相手の隙をつくことが大切だ」
父さんはにこやかに言いながらも、その目は鋭く僕の動きを見ている。
「うん、わかった。ちゃんと意識して動くよ」
僕は深呼吸をして、教わった動きをゆっくりと確かめるように繰り返した。
午前中の稽古を終えると、家の中は穏やかな空気に満ちていた。母さんとファーレスさんは台所で昼の準備をしている。
僕は汗を拭いながら水を飲み、窓の外をぼんやりと眺めた。
午後になり、ドアが静かに開いた。
「こんにちは、ハルト」
イーディスが笑顔で入ってきた。彼女はいつも僕のことを「ハルト」と呼ぶ。その呼び方はとても自然で、どこか安心する響きがあった。
「こんにちは、イーディス」
彼女はリビングへ向かい、母さんやファーレスさんと楽しそうに話し始める。話題は村のことや最近の天気、近所の市場で見つけた新しいパン屋さんのことなど、ささやかであたたかな内容だ。
そんな日常の談笑を聞きながら、僕の心もゆっくりと落ち着いていった。
「ねえ、ハルト。最近はどう? 稽古は順調?」
イーディスが僕の方にやって来て、そう尋ねた。
「うーん、どうかな。順調と言えば順調だし……でもイーディスには一度も勝ててないから、順調じゃないかも」
「ふふっ、そっかそっか〜♪」
イーディスは誇らしげに笑いながら返した。からかってるようにも見えるけれど、その笑顔に悪意はない。
昼食を終えると、僕たちはいつもの広場へ向かった。ここでイーディスと剣を交えるのが、最近の日課になっている。
「今日も負けないからね、ハルト」
彼女は目を輝かせて言う。僕も負けじと真剣な顔で応えた。
「今日こそは勝つよ、イーディス……!」
剣戟が始まる。イーディスの動きは滑らかで速く、迷いがない。これまで何度も打ち合ってきたけれど、僕はまだ一度も勝てたことがなかった。
(でも今日は違う。朝の稽古で、初級剣技の“狙い”を意識することを教わった)
僕はイーディスの剣の軌道を冷静に読み、無理に打ち合うのではなく、受け流しながら隙を探る。
何度も攻撃が迫る。そのたびに僕は後手に回りながらも、しっかりと防ぎ続けた。
そして——
イーディスの剣先がほんのわずかにぶれた、その一瞬。
僕は迷わず、父さんに教わった初級剣技の「返し」を繰り出した。
「カンッ!」
僕の剣がイーディスの剣を弾き飛ばし、空中へと跳ね上がった。彼女の手から剣が離れる。
「……!」
イーディスは驚きとともに少し悔しそうな表情を浮かべた。でもすぐに、ふっと微笑んで言った。
「やるじゃない、ハルト」
「ありがとう。全部、父さんのおかげだよ」
僕は胸を張った。何度も繰り返した稽古と、教わったことを信じた結果だった。
その後、僕たちは並んで座りながら、空を見上げた。少しだけ風が吹いて、木々の葉を揺らす。
「次は負けないわよ、ハルト」
「僕も負けないよ、イーディス」
互いに笑い合いながら、次の勝負を楽しみにする気持ちが心に膨らんでいく。
家に戻ると、母さんがにこやかに迎えてくれた。ファーレスさんも穏やかな笑みを浮かべて声をかけてくる。
「今日も良い日でしたか、お坊ちゃん」
僕は頷いた。
「うん。とっても良い日だった」
そして、もう一度強く思った。
もっと強くなりたい。剣も、心も。
そう、胸に誓いながら家の中へと歩き出した。