第69話 唐突
最初は数人だった視線が、あっという間に十数人、二十人と膨れ上がる。
そして──
「……アドホク!? お、おい……アドホクじゃねぇか……!」
最前列にいた屈強な男が、まるで雷に打たれたような顔で固まった。
その声が火蓋を切ったように、周囲から歓声とも叫びともつかない声が飛び交う。
「生きてたのか! 半年も行方知れずだったから、てっきり……!」
「おいみんな! アドホクが帰ってきたぞ!」
「死んだもんだと思ってたんだぞ、この野郎!」
次の瞬間、アドホクは何人もの逞しい腕に抱きすくめられた。
屈強なドワーフたちが次々と背中を叩き、その音が鈍く響く。
(これ、ドワーフ以外は骨折れてるだろ……)と俺は内心で突っ込む。
そんな時アドホクの目尻が少しだけ濡れているのを、俺は見逃さなかった。
「……悪かったな。心配かけた」
「馬鹿野郎! 半年も消息を絶ったから墓も建てちまったんだぞ!」
「……墓?」
俺が首を傾げると、ドワーフの一人がニヤリと笑って道の脇を指差した。
そこには──立派な石の墓標があった。
彫られた文字は「勇敢なる鍛冶師アドホク、永遠の炉へ還る」。
その下には花と、何故か酒瓶が供えてある。
「お前……すでに弔われてたんだな」
俺の言葉で決壊したのかイーディスが堪えきれずに吹き出す。
アドホクは耳まで真っ赤にして墓に駆け寄り、花と酒瓶をどかすと、がりがりと頭を掻いた。
「ばっかやろー!早くぶち壊せこんなの!!」
その言葉に、周囲から豪快な笑い声が上がった。
笑いと涙が同時に混じる、そんな暖かい再会だった。
──────その時。
──グオオォォォオオンッ!!
山脈の空気を裂くような咆哮が響き渡り、笑い声が一瞬で凍り付く。
全員の視線が空へと引き寄せられた。
燃えるような赤鱗を纏い、巨大な影が山の稜線を越えて迫ってくる。
陽光を浴びた鱗は溶岩のように眩く、翼の一振りごとに乾いた風が地表を這う。
その存在だけで空が重く感じる――聖龍カルンドラだ。
だが、その黄金の瞳は俺たちを見てはいなかった。
視線の先――里の真上に浮かぶ黒い外套の人影に、殺気を叩きつけている。
外套の人物は微動だにせず、背から黒い炎のような翼を広げていた。
その輝きは光を吸い込み、周囲の空気を歪ませている。
人の形をしてはいるが、得体の知れぬ圧が全身から滲み出ていた。
(あれは……人間か? それとも……)
ただ一つ確かなのは――カルンドラの怒りはその存在へ向けられているということ。
この山脈はカルンドラの縄張りだ。
外套の人物がその空域を我が物顔で侵入してきたことが、聖龍の逆鱗に触れたのだろう。
「……来るぞ」
次の瞬間、カルンドラが天地を揺るがす咆哮を上げると顎がわずかに開き、口元が灼熱の光で満たされていく。
岩肌を焦がすほどの熱が空気に満ち、肌を刺す。
「──ッ……避けろ!!」
俺は叫んだ。
しかし黒外套の人物は、まるでその声など聞こえていないかのように、空中で微動だにしなかった。
次の瞬間、光が弾けた。
白熱の奔流が一直線に放たれる――カルンドラの熱線だ。
その軌跡は空を灼き、影という影を一瞬で飲み込んでいった。
「……」
黒外套がゆるりと腕を上げ、黒く輝く剣を抜いた。
刃が一閃すると、奔る熱線はまるで水面を裂かれたかのように左右に分かれ、無力な蒸気へと変わった。
一呼吸置かず、外套の人物はふわりと身を翻し、カルンドラの懐へ踏み込む。
剣閃が夜の闇のように走った瞬間、龍の巨体は悲鳴も上げられぬまま、空中で真っ二つに割れた。
轟音と共に、赤龍の上半身と下半身が山肌へ崩れ落ちる。
紅い鱗の煌めきが、地面にぶつかって鈍く散った。
土煙が里を包み込む中――
黒外套はゆっくりと降下し、広場に着地した。
戦いを終えた者の緊張も、勝利の誇らしさもなく、ただ気怠そうな足取りだ。
コツ、コツ、と乾いた靴音だけが響く。
ドワーフたちは誰一人声を上げず、石のように固まっている。
たった今、目の前で“聖龍”が屠られたのだから無理もない。
やがて外套の人物は顔を上げ、俺たちの方を見た。
口元がゆっくりと吊り上がり、愉快そうに目を細める。
男の黒い外套から覗く顔は、どこか人間離れしていた。鋭く尖った耳、蒼く冷たい光を放つ瞳、そして薄く裂けた唇からのぞく鋭い牙。魔族、というやつだろうか。
その目が俺と合うと、男は冷たい笑みを浮かべて言った。
「二度目だな、少年。今度はあの龍族の女は居ないのか?」
声は冷たく、背筋を凍らせるほどだった。
耳に届いた瞬間、全身を冷水で打たれたような感覚に襲われた。
──この声を、俺は知っている。
まぶたの裏に、押し寄せる魔物の群れ、倒壊した家々、メレノアの故郷がモンスターホードに呑まれた、あの日の光景。
『……覗きとは趣味が悪いな』
木陰に隠れる俺とセレーネに向けて放たれた冷たい囁き。
あの時、姿は見えなかったが、この声だけは耳に焼き付いている。
回想が弾けるように終わり、視界は再び現実に引き戻された。
目の前の魔族は、ふふ、と笑って俺の動揺を楽しんでいる。
──間違いない。
こいつは、あの時の声の主、そしてメレノアの故郷、そして実の母親を拷問した黒幕だろう。
黒外套の男は、俺の顔を見据えたまま、口角をわずかに吊り上げた。
「それにしても……お前も《神の碑石》を求めているのか?」
「神の碑石……?」
そんな事を前にも言っていた。
「知らないのにここまで来たのか…ふふふ。
まぁいい……どうせここで死ぬことになるのだからな」
その言葉をくぎりに怒涛の殺気が溢れだす。
外套の男に向かって俺とイーディスは構えを整える。
ビリビリと張り詰めるドワーフの里で、戦いが始まろうとしていた。




