第68話 帰郷
山脈を探索し始めてから五日間。
ただ歩いた。登った。降りた。岩を越え、痩せた木々を避け、崩れた斜面に足を取られながら。
目に映るのは、どこまでも続く乾いた岩肌。
風は吹くが、湿気すらない。喉の奥にざらついた砂を残していく。
この山脈の中には“何もない”。
少なくとも、五日間、俺たちが見てきた範囲には何も無かった。
「……無駄足、だったのかな……」
イーディスの声が、ふと漏れた。
珍しく、声に張りがない。
その後ろ姿も心なしか元気をなくして見える。
それでも、歩みだけは止めないところが、彼女の強さであり……今は少し痛々しかった。
「いや、まだだ。諦めるには早い……」
そう言葉にしたものの、俺自身もそう言い切れる自信は無かった。
歩き続けで脚には鉛がぶら下がってるみたいだ。
最初は空を飛び探索しようと思っていたが、あの赤龍──聖龍カルンドラの縄張りである空に踏み入れる事はできない。
「五日間、痕跡が見つからなかったのは問題じゃない……成果がないまま、“見つかる気がしない”って思ってることが、一番まずいんだよな」
口に出さず、心の中だけで呟く。
イーディスも、アドホクも、そして俺も。
全員がどこかで、薄々感じ始めていた。
──この山に、本当にドワーフの里があるのか?
アドホクは、口を噤んだままだった。
いつもの皮肉や軽口も出ない。
地図も無ければ、確かな記憶もない。
案内役であるはずの自分が、実は一番の不確かさを抱えている──その事実が、彼の無口さを生んでいた。
ただ、無言のまま進んでいるように見えて、時折ちら、と目を動かし、岩や地形を見つめている姿があった。
彼なりに、探している。責任を感じている。
それはよく分かった。
だが、限界は近かった。
言葉は少なくなり、笑顔は減り、空気は重くなっていく。
太陽が真上に来るころには、三人ともまともに口を開かなくなっていた。
──そして六日目の昼。
枯れ草の茂る小さな尾根の上で、アドホクが突然立ち止まった。
「……待て」
鋭い声が空気を裂く。
イーディスと俺が同時に振り向くと、アドホクはいつになく真剣な顔で、足元の岩を見つめていた。
「この岩の形、斜面の崩れ方……いや……ここ……見覚えがあるかもしれん」
「……本当に?」
イーディスの目が見開かれた。希望と、信じたい気持ちが混ざった声。
「確信はない……だが、幼い頃、親父に手を引かれてこの辺りを通った気がする。間違ってたらすまん……だが、ここは“他と違う”気がする」
アドホクの目はいつになく鋭く、揺るがない。
確信ではない。だが、それまでのどこか空回りしていたような迷いが、今は見えなかった。
「……この断層の流れ。北西に続いてる。あの岩の裂け目も不自然だ。もしかしたら、道が──」
アドホクの言葉に、胸が高鳴る。
諦めかけた六日目。
濁った空気の中、ひとつだけ差し込んだ、不確かで僅かな光。
「……行ってみよう」
俺は立ち上がり、乾いた腰に巻いていた水筒をアドホクに放って寄越す。
「……ありがとうよ」
アドホクが微笑んだ。
イーディスもその場で立ち上がる。
汗に濡れた頬が、少しだけ明るく見えた。
それは、ただの直感かもしれない。
だが、五日間抱けなかった“希望”という感情を、ようやく思い出せた瞬間だった。
しばらく歩き続けると不意にアドホクが口を開く。
「……間違いねぇ。覚えてる。ここは俺が子供の頃、兄貴と一緒に山菜を採りに来た場所だ」
「本当か……?」
俺が声をかけると、アドホクはうなずいた。
「ああ。なんで今まで気づかなかったんだろうな……この岩の裂け目、いつもそこから風が吹いてた。里の方からな」
その目は確かに“帰る場所”を見つけた者の目をしていた。
彼に導かれるまま、俺たちはその細い裂け目を抜けていく。
やがて、傾斜が緩やかになり、視界がふっと開けた。
そして、その先に────
■■■ ドワーフの里 ■■■
山の懐に抱かれるようにして広がる、石造りの集落。
小さな家々が斜面に沿って並び、煙突から薄く白煙が立ち昇る。
鍛冶炉の音がカンカンと響き、誰かの笑い声が遠くに混じっていた。
草木は少ないが、地面は丁寧に整備され、石畳の道が中央に伸びている。
その道の先、丘の中腹には、やや大きめの建物が堂々と佇んでいた。
「……帰ってきた」
アドホクが小さく、けれど確かな声で呟いた。
「……これが、ドワーフの里……」
イーディスが隣で呆然と立ち尽くし、思わず手を握るようにしていた。
俺は、しばらく何も言えなかった。
ここまでに費やした日々と、すれ違った可能性。
それらすべてが、この風景の中に吸い込まれていくようだった。
アドホクは一歩、また一歩と進み出す。
その背中は、わずかに震えていた。
だけど──背筋は伸びていた。
「──ただいま」
風に乗って、その言葉が集落へと届いた。
まるで、山がそれを聞き届けるかのように、木々の葉が音を立てた。
そして、遠くの家の扉が開いた。
次第に、集落の人々がこちらに気づき始める。
その先で何が待つのかは、まだわからない。
けれど、確かに俺たちは辿り着いた。
隠された道の先、ギルギニアの秘境、ドワーフたちの里に。




