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第66話 守護者

 ギルギニアの大地を北上して三日目、森はますます濃く深くなり、空の青さがほとんど見えなくなってきた。

 生い茂る巨木からは、濃密な緑の匂いが絶え間なく漂い、湿った風が肌にまとわりつく。


 「うぉっ、また出やがった!」

 茂みの奥から飛び出した大蛇がアドホクを威嚇する。

 その巨体が地面を揺らす間もなく、俺の一振りで蛇は霧散した。

 「……だから言ったろ。危険を察したらすぐ対処するって」

 「心臓に悪ぃんだよ、まったく……」


 五日目の夕刻。突如として、森全体が奇妙な唸り声を上げ始めた。

 空が歪み、足元の苔むした地面が淡く光り出す。

 「これは……マナストームだ!」

 アドホクの声に振り向くと、緑と青の光をまとった強烈な魔力の風が迫ってきていた。

 視界が揺れ、樹々が幻のように二重三重に重なって見える。


 「しっかり掴まれ!」

 俺は龍の気を全身に巡らせ、仲間たちを包むように守りながら、一直線に魔力嵐を突っ切る。

 耳をつんざくような轟音の中、イーディスの悲鳴だけが鮮明に聞こえた。

 「目がっ……目が回るぅ〜っ!」


 嵐を抜けたとき、世界は一転して静寂に包まれていた。

 「……ふぅ。危なかったな」

 「お、俺、魂抜けるかと思ったぞ……」アドホクは真っ青な顔で腰を抜かし、ぶつぶつと「二度とごめんだ……」と呟く。


 七日目、夜営の焚き火の横で、アドホクがぼそりと呟いた。

 「人間ってのは、やっぱり無茶苦茶だな。……だが、悪くねぇ」

 イーディスは毛布にくるまりながら、「うん……もう寝る……」と半分寝言で返した。


 こうして十日間の長い旅路を越え、俺たちはついにカルンドラ山脈の麓へと辿り着いた。





 視界の限り広がる山脈は、天を突くほどの鋭峰と、幾重にも連なる深い谷で構成され、圧倒的な存在感を放っている。

 湿った風に混じる岩と苔の匂いが、ここから先の険しさを物語っていた。


 俺は隣のアドホクに目をやる。


 「ここで本当に合ってるのか?」


 アドホクは険しい顔で山脈を見上げ、しばし沈黙した後、短く答えた。


 「合ってる……が、この広い山脈のごく一部だからな。ここからが本番だ」


 「……本番、ね」


 思わず苦笑しながら、俺は肩の荷を少しだけ背負い直した。

 隣でイーディスが小さく伸びをし、「さぁ、やっと本格的な探検ってわけね」と呟く。

 その声には疲れと、それ以上の期待が入り混じっていた。


 山脈の奥深くに眠ると云われるドワーフの里を目指し、俺たちは改めて気を引き締める。

 ここからが、本当の試練の始まりだ。


 しらみ潰しに探索するのも悪くは無い……が、休みも限られている為、そんなにのんびりもしてられない。


 俺は龍の気を活性化させ、背中に集中させて龍翼を展開する。

 「ちょっと待ってて」


 そう二人に告げ、高い空に飛翔した。冷たい風が全身を撫で、眼下に広がるカルンドラ山脈が一望できる。

 茶褐色の岩肌が連なり、深い谷と断崖が迷路のように折り重なっているだけで、特に目を引くものは見当たらない。


 ──その時だった。

 空を舞う俺のさらに上空から、異様な気配が降り注いだ。


 「ッ──!?」


 直感的に身を翻すと、先ほどまで俺がいた空間を、灼熱の炎柱が貫いた。

 灼け付く熱風が頬を焼き、視界の端で岩肌が一瞬にして溶ける。


 炎の発生源を睨み上げる。

 そこには、灼熱の鱗をまとい、圧倒的な威圧感を放つ赤龍が舞っていた。

 巨大な双翼を広げ、金色の瞳でこちらを射抜いている。その瞳には、侵入者への容赦なき敵意が宿っていた。


 俺は急降下し、山脈の谷間に着地する。

 「二人とも──ここで待ってろ!」


 イーディスを抱き下ろそうとした瞬間、彼女は激しく俺の腕を振りほどいた。

 彼女の瞳が怒りと恐怖で潤み、強く俺を見上げてくる。


 「守られるだけなんて嫌! 私がハルトを──ッ、私もハルトと戦う!」


 その声は必死で、胸に響いた。

 だが、彼女の背後でアドホクは対照的に沈黙していた。

 俯いたまま、握りしめた拳が小刻みに震えている。


 数秒後、アドホクはゆっくりと顔を上げ、硬い声で告げた。


 「……多分あの龍は、聖龍カルンドラ様だろう」


 「聖龍……?」


 思わず聞き返すと、アドホクは険しい表情のまま言葉を継いだ。


 「あぁ、古よりこのカルンドラ山脈を護り続ける、偉大なる龍だ。

 この地に足を踏み入れる者を試し、秩序を乱す者は容赦なく焼き尽くす……我らドワーフにとっても、決して逆らってはならぬ存在だ」


 俺は息を詰め、再び空を仰ぐ。

 赤龍──聖龍カルンドラは、山脈を背に悠然と舞い、なおもこちらを睥睨している。

 その双眸は、侵入者である俺たちの「覚悟」を値踏みするかのようだった。


 視線を交し、互いを睨みつけたまま、緊張が張り詰めた時間が過ぎていく。

 数分にも感じられたその時、聖龍カルンドラは不意に大きく翼をはためかせ、視線を外すと、再び天高く舞い上がり、やがてその姿は雲間へと消えた。


 「……助かった、のか?」


 アドホクが冷や汗をぬぐいながらおそるおそる問いかける。


 「……多分?」


 気の抜けた俺の返事に、アドホクとイーディスは同時に膝から力が抜け、その場にへなへなと尻もちをついた。

 心臓の鼓動がようやく落ち着きはじめる。


 「この山脈の上を飛んだらダメなのかな。もう翼は使わないようにするよ」


 俺が苦笑しつつそう言うと、アドホクが「あっ」と思い出したように顔を上げた。


 「あ、そういえば──聖龍カルンドラは自分と同一の存在、すなわち龍相手には超好戦的って聞いたことがあったかも」


 「……あった、かも? そんな大事な情報は先に教えろよ!!」


 怒鳴る俺に、アドホクは「わりぃ」とバツが悪そうに髭をいじりながら謝る。

 その様子を見て、イーディスは緊張の糸が切れたのか、口元を押さえてくすくすと笑い始めた。


 思わず俺も苦笑を漏らし、張り詰めていた空気がようやく和らいでいく。


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