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第65話 故郷へ


 「今日は無理せず、ゆっくりしよう。明日からアドホクの村を目指す」


 「賛成!せっかくだから、この町を見て回りたいしね!」


イーディスが弾む声で答え、アドホクも静かに頷く。



 こうして俺たちは宿屋に荷を預け、港町を散策することにした。


 大きな通りには、樫の木を削り出した重厚な建物が並び、屋台からは海鮮を炭火で焼く香ばしい匂いが漂ってくる。

 剣や盾を扱う鍛冶屋、珍しい香辛料や乾燥果実を並べた商人たちの呼び込みの声が、活気ある市場の中を飛び交っていた。


 「見て、ハルト!」


イーディスが指差したのは、大皿に山盛りの赤い甲殻類だ。


 「ここの名物、〈スカーレット・クラブ〉だって! 殻が柔らかくて丸ごと食べられるんだってさ」


 俺は笑いながら財布に手を伸ばし、三人分を買った。

 豪快にかぶりつくと、濃厚な旨味とほんのり甘い肉汁が口いっぱいに広がる。


 「ん〜っ、これ、めっちゃ美味しい!」


イーディスが無邪気に笑い、アドホクも黙々と食べ進めている。


 さらに通りを進むと、ギルギニア特産の濃い緑色のフルーツ酒や、森で採れた蜂蜜を使った菓子も売られていた。

 俺たちはそれらを味わいながら、街並みや異国の雰囲気を満喫する。



 夕暮れ時、港に戻ると、オレンジ色に染まった海面に無数の船影が浮かんでいた。

 その光景に、イーディスが感慨深げに呟く。

 「……やっと、ここまで来たんだね」

 アドホクは腕を組み、静かに海を見つめる。「あぁ、ここからが本番だ」


 俺は改めて二人に向き直った。

 「明日、いよいよ出発だ。長い旅になるだろうけど……楽しんで行こう」

 イーディスがにっこりと笑い、アドホクもわずかに口元を緩めた。


 こうして、ギルギニア大陸での長い旅路が、いよいよ幕を開けようとしていた。





 翌朝、俺たちは宿の前で身支度を整え、まだ眠気の残る港町の通りに出た。

 潮の香りに混じって、やはり森の深い緑の匂いが鼻腔をくすぐる。

 いよいよ、ギルギニア大陸の内陸部へ向けて踏み出す時が来た。


 「じゃあ、アドホク。道案内、よろしくな」


 俺がそう言うと、アドホクは足を止め、ぽかんとした顔でこちらを見上げてきた。


 「……アドホク? 道案内、頼むよ……」


 数秒の沈黙のあと、彼は肩をすくめて一言。


 「知らん」


 「……は?」


思わず間の抜けた声が漏れる。


 「知らんって……え、何が?」


 「だから、道なんざ知らん。俺は里の外に出たことがないからな」


 なぜか誇らしげに胸を張るアドホク。

 イーディスが苦笑しながら「それ、誇るところなの?」と小声で突っ込んでいる。


 「……いや、ちょっと待て。じゃあ、そのドワーフの里の場所を示す目印とか、なんかないのか?」


 「カルンドラ山脈だ」


 「カルンドラ山脈……?」俺は頭を抱えた。

 「山脈って……範囲、広すぎないか?」


 アドホクはあっけらかんとした様子で「まぁ、そうかもな」と答える。


 どうやら本気で、里の外のことについては一切知らないらしい。



 俺たちは途方に暮れつつも、まずは情報収集を始めることにした。

 港町の市場で荷運びをしていた船乗りに声をかけると、彼は「カルンドラ山脈だぁ?」と目を細めた。


 「……ああ、あの北方のデカい山脈か。ここからなら街道を北に抜けりゃ十日の道のりだな。ただし、山に入るなら気をつけろよ。あそこは迷いやすいし、獣が多い」


 「助かった。ありがとう」


 礼を言いながら、俺はイーディスとアドホクに振り返る。


 「よし、まずはカルンドラ山脈を目指そう。それから、アドホクの記憶を頼りに里を探すしかないな」


 「……俺の記憶だけが頼りか。ふん、悪くない響きだな」


 胸を張るアドホクを見て、俺は思わず頭を抱えた。

 先が思いやられるが──こうして、俺たちはカルンドラ山脈へ向けて歩き出した。




 山脈へと向かう街道は、港の喧騒を離れるにつれて、深い緑に覆われた世界へと変わっていった。

 木々は背を競い合うように空へと伸び、陽光を透かした葉の影が道にまだら模様を描いている。

 湿った土と樹皮の匂いが、鼻の奥に濃く残った。


 「……にしても、すごいなギルギニアの森って。木々の圧が違う」


 俺が感心混じりに言うと、イーディスも周囲をきょろきょろと見回しながら笑う。


 「わかる。空気が濃いっていうか、森そのものに生命力が満ちてる感じがするよね」


 そのとき──前方の茂みが大きく揺れ、街道を横切るように巨大な影が現れた。


 「――ッ!?」


 轟音とともに飛び出したのは、胴回りが樽ほどもある大蛇だった。

 鱗が陽光を反射して青緑に輝き、鎌首をもたげた口からは鋭い牙が覗いている。


 「ひ、ひぃっ!?」


 アドホクが思わず俺の背後に飛び退き、髭を震わせた。


 「お、おい待て、あれは毒持ちの《アースサーペント》――」


 その声を最後まで聞く前に、俺は一歩踏み出していた。

 剣を抜く音すらかき消すほどの速さで一閃。

 次の瞬間、大蛇の巨体は頭部を失い、地面にどさりと崩れ落ちた。


 「……よし、終わり」


 血の匂いが一瞬だけ周囲に広がり、すぐに風に流れていった。


 「な、な、な……なんだその速さは……!」


 アドホクが顔面蒼白で俺を見上げてくる。


 「いや、ただの蛇だろ?」


 肩をすくめる俺に、アドホクはしばらく口をぱくぱくさせ、やがて「……やっぱりお前ら、人間の強さじゃねぇ」と呟いて項垂れた。


 イーディスはくすくすと笑い、「今の顔、すっごく可愛かったよ、アドホク」とさらに追い打ちをかける。


 アドホクは「う、うるせぇ!」と耳まで赤くしてそっぽを向いた。



 その後も、森の中を進むにつれ、見たこともない植生が目を楽しませた。

 頭上には太い幹から幾重にも枝を伸ばす大樹があり、幹には発光する苔が薄青く輝いている。

 時折、花弁の代わりに羽のような葉を持つ植物が、風に揺れるたびきらきらと光を散らした。


 「この森、魔力濃度も高いみたいだね」


 イーディスが掌に魔力を集め、小さな火花をぱちりと弾けさせる。


 「うん、感じる。この先強い魔物とかも出てくるかもな。」


 そんなやり取りを続けながら、俺たちは街道を北へと進み、少しずつカルンドラ山脈の稜線に近づいていくのを感じた。


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