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第60話 たかが人間、されど人間

 白い光が溶けるように消え、次に目に映ったのは──茜色の陽光に染まる霊峰の景色だった。風が冷たく澄み、雲海の上に浮かんでいるような錯覚すら覚える。


「……着いたのか? ……ここは、どこだ?」


 アドホクが仏頂面のまま、不機嫌そうに問いかけてくる。


「着いたよ。ここは、グラストニアの端にある霊峰の頂上。人目を避けるには最適だよ」


 そう答えた直後──岩場の陰から、艶やかな漆黒の髪を風に揺らす女性が姿を現す。


「セレーネさん! 久しぶり!」


 呼びかけに反応して、女性──セレーネが微笑を返す。が、その視線がアドホクに移った瞬間、その表情がわずかに曇った。


「……こいつ、ギルギニアの奥地に引きこもってる小人じゃない」


 その一言が、アドホクの逆鱗に触れたらしい。顔を真っ赤にして睨み返す。


「なんだと! 人間が──お前らのような卑しい種族が、俺……たち……」


 吐き捨てるような怒声は、途中で不自然に止まった。


 アドホクの目が、セレーネの瞳と交わったからだ。


「……お前、龍族……か?」


 その声は、さきほどとは打って変わって小さく、怯えの混じったものだった。


「……だったら何?」


 セレーネがジト目を向ける。鋭く、冷たい視線が突き刺さるようにアドホクを射抜いた。


 次の瞬間、アドホクの身体がビクリと震え、その場に凍りついたように固まる。


 まるで蛇に睨まれた蛙のように──。



「……なにか用かって聞いてるんだけど?」


 セレーネが無表情のまま、冷えた声でアドホクに問いかける。


「いや……無い。用は……無い」


 アドホクは完全に気圧されていた。目を合わせることすらできないほどに。


 ──セレーネ、そんなに怖いか?


「えっと、セレーネさん」


「ん? どうかしたの?」


「いや、このドワーフのアドホクさんを……ここ、霊峰にしばらく、一ヶ月間住まわせてほしいんだけど……ダメかな?」


 セレーネは少しだけ目を細め、考える素振りを見せた後、あっさりと答える。


「うーん。いいんじゃない? 別に」


「ありがとう、じゃあ、そういうことで──」


 言いかけたところに、セレーネの声がかぶさる。


「ただ──ちゃんとその小人のこと、考えてる?」


「え?」


「住む場所は用意できるとして、ご飯は?言っとくけど、私はそいつの面倒なんて見る気ないし、そもそも怖がられてるでしょ?

私相手にそれなら、ウロボロスでも見たら心臓止まっちゃうんじゃない?

それに一ヶ月、何の娯楽も目標もなくここに置いとくつもり?

 」


 ……甘かった。


 セレーネに言われて初めて気づかされた。俺はアドホクのことをあまり考えていなかったのかもしれない。


 霊峰でライデウスと修行していた頃、食料は定期的に氷室に補充されていた、それはきっとライデウスが何とかしてくれたのだろう。

そして俺にはセレーネやライデウスという話し相手がいた。孤独ではなかった。


 けれど、アドホクには誰もいない。


 魔物だらけの山で狩りをしろなんて彼には無理だろうし、娯楽も修行などの目標もなく、話し相手すらいない場所で一ヶ月……それは、心を殺すに等しい。


「……すみません。浅慮でした」


「うん、分かればいい。でも、どうしてもって言うなら──」


「いえ。アドホクさんは……実家に連れて行こうと思いす」


 そう言うと、セレーネは「ふぅん」とだけ呟き、岩場の方へと歩き出しながら言った。


「……そういえば、あの試合のことをウロボロスに言ったら力の波動を感じた。彼奴は鍛錬を欠かしては居ないようだって褒めてたわよ。」


 別れ際に残されたその言葉は、何よりも嬉しかった。


 そして、セレーネは岩陰に姿を消した。


 残された俺とアドホク。セレーネが去ると、彼の身体の震えが徐々に収まり、硬直も解けていく。


「……お前、なぜ龍族と知り合いなんだ?

 龍族は、力以外に興味を持たない高位の種族……それを、人間如きが……」


「まぁ、色々あったんだよ。さ、そんなことより──俺の実家に行こう」


 アドホクは納得いかない顔をしたが、今話すと長くなる為語らない。


「どこにあるんだ? お前の家は……」


「えっと、あっちに三十里ほどかな」


 家のある方角を指さして教えると、アドホクが叫んだ。


「そんな遠くまでどうやって行くんだ!!」


 ……王都からここまでの距離は二百里。転移結晶には思い至らなかったらしい。


(……まぁ、実家行きの転移結晶なんて無いんだけど)


「“龍化”で行くんだよ」


 アドホクは目を丸くする。


 その疑問には答えず、俺は身体の奥から龍の気を引き上げ──変身する。


 金色の光の中から現れたのは、痩身の龍。


 その姿を目にしたアドホクは、全身を震わせ、硬直し──やがて目を回して倒れた。


「お前……お前……人間じゃ……」


 小さな声を最後に意識を手放すアドホク。


「人間だよ。たかが人間風情……さ。」


 呟きながらその身体をひょいと掴むと、俺は翼を広げ──実家へ向けて飛翔した。




スミカ村に着く頃には、すっかり夜の帳が下りていた。


村の少し手前で俺は龍化を解除し、アドホクを背負い直して実家へと歩き出す。


家に近づくと、明かりの灯った窓から温かな雰囲気と賑やかな笑い声がこぼれてくる。どうやら家族団らんの真っ最中らしい。その声に反応したのか、俺の背中でアドホクが小さく身じろぎをした。


「……龍族……? 人間……?」


うわ言のように何かを呟いている。混乱しているのだろう。まだ心の整理がついていないのかもしれない。


俺は扉の前に立ち、そっとノックをした。


「誰だろう〜?」とメレノアの無邪気な声が聞こえてくる。

「ティフォンさんかもね? ふふっ」と、母さんのちょっと意地悪な冗談。

「もう、奥様……」と照れ笑いのファーレスの声も続いた。


やがて、扉が静かに開かれる。


「ただいま」


「……お坊ちゃま――いえ、ラインハルト様。おかえりなさいませ」


ファーレスが目を丸くしながらも、丁寧に出迎えてくれる。その様子を見守っていた母さんが、ぱっと表情を綻ばせて駆け寄ってきた。


「あら、夜に帰ってくるなんて珍しいわね。……とにかく、おかえりなさい、ハルト」


「うん、ただいま」


俺は微笑み返しながら、扉の死角にいたアドホクを抱えたまま、一歩前に出る。


「えっと、その方は……?」


母さんが戸惑い気味に問いかけてきたが、俺は軽く手を上げて制する。


「……その話は、みんなの前で話すよ」


そう言って居間へと上がっていった。


俺の姿を見るなり、メレノアも父さんも「おかえり!」と歓迎してくれる。だが、俺の背にいるアドホクを見るなり、二人とも訝しげな表情を浮かべた。


「その子、だぁれ?」


メレノアが首をかしげながら尋ね、父さんも無言でうなずく。


その場にファーレスと母さんも加わり、家族が揃ったところで、俺は今日起きた出来事を順を追って説明した。


──王都で偶然、奴隷のオークション現場に出くわしたこと。

──イーディスと共に、奴隷にされかけていた人々を救出したこと。

──その中にいたアドホクがドワーフで、王都に留まれば再び事件に巻き込まれる可能性が高いこと。

──だから一ヶ月後の夏休みに、彼を故郷に送り届ける約束を交わしたこと。

──そしてその一ヶ月の間、この家で保護してもらいたいこと。


すべて話し終えると、両親はしばらく難しい顔をしていた。だが、やがてふと顔を見合わせ、同時にふっと笑みを浮かべる。


「……立派だぞ、ラインハルト。やっぱりお前は、父さんと母さんの誇りだ。俺が責任を持って、アドホクさんの面倒を見よう」


「……ありがとう、父さん……母さん」


そのときだった。

ずっと黙っていたアドホクが、ようやく口を開いた。


「……感謝する……人間たち……」


その言葉には、微かにだが、これまで抱いていた憎しみとは違う感情が滲んでいた。恐らく彼なりに、変わろうとしているのだろう。


その夜は、いつも通りの団らんが戻ってきた。食卓を囲み、互いの無事を喜び合い、アドホクにも穏やかな空気が伝わっていたように思う。



朝が来た。


「ごちそうさま。じゃあ俺、王都に戻るね」


朝食を終えた俺は、荷物を背負い玄関に立つ。家族全員が見送りに出てきてくれた。


「じゃあ……アドホクさんのこと、お願いします。行ってきます」


「行ってらっしゃい」と声をそろえる家族の中で、アドホクがふいに「待て」と口を開いた。


「どうかしました?」


「……お前……いや、ラインハルト。感謝する、それだけだ」


その一言に、俺は少し驚いた。けれど、自然と笑みがこぼれる。


「一ヶ月後、絶対に……故郷に帰りましょう」


それだけを告げると、俺は背に翼を展開し、王都へ向けて空へと舞い上がった。


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