第58話 日常と正義感
学術院祭から二ヶ月が過ぎ、季節は穏やかな陽気を取り戻していた。
喧騒と喝采に満ちたあの日々が遠く感じるほどに、俺たちはいつもの日常へと戻っている。
そんなある日、俺はイーディスと一緒に職人街を歩いていた。
通りには武器屋や防具屋が軒を連ね、店先では職人たちが火花を散らして鉄を打っている。
イーディスは興味深そうにあちこちを覗き込みながら、俺と並んで歩いていた。
「この武器屋はダメだね。装飾が凝りすぎてて柄が握りづらそう」
「おっ、あっちの店とかはわりと──」
そんな他愛もないやり取りをしながら、二人で剣や防具を物色して回る。
──が、結局、どの店でも何も買わないまま、中央広場まで来てしまった。
「……あんまり良いの、なかったね」
イーディスが少し肩を落としながら呟く。
「まぁ、元々使ってる剣を超えるものなんてそうそう見つからないしな」
俺が苦笑まじりに言うと、彼女は「んー……」と唸ってから、ふとこちらを見上げてくる。
「……少し、話が変わるんだけど──」
「ん? どうした?」
その声色に、何か真面目な話かと思いきや──
「……お腹空いた……」
イーディスはじとっとした目で俺を見つめ、ぽそりと呟いた。
「……それを“話が変わるんだけど”って言うほどのことか?」
「だって、言わなかったらこのまままた歩かされそうだったもん」
そう言ってぷくっと頬を膨らませる。まるで子どもみたいな仕草だった。
俺は肩をすくめて小さく笑う。
「わかったよ。じゃあ、屋台でも探すか?」
「ううん、ね、ラインハルト。あそこ行ってみたいの」
イーディスが指さしたのは、広場の一角にあるガラス張りの洒落たカフェだった。
小綺麗な外観に、テラス席ではカップルや家族連れがのんびりと過ごしている。
「……武器を見に来たはずなんだけどな」
「そうだけど、お腹が空いたから目的変更! それに、あの店、前から気になってたの。ね? 行こ?」
いたずらっぽく笑って、イーディスが俺の袖を軽く引っ張る。
こうなったらもう逆らえない。
「……まったく、しょうがないな」
俺は呆れたふりをして小さくため息をつきながら、彼女の後について歩き出す。
今日は、剣でも魔術でもなく──
ただ、日常の中の静かなひとときを、こうして一緒に過ごすだけ。
だけどそんな時間がたまらなく心地よかった。
カフェでの遅めの昼食を終えた俺たちは、満足気な表情で店を出た。
「ふぅ……おいしかったね」
「甘いもん食いすぎると太るぞ……」
「うるさい。いっぱい剣振ってるから太らないもん」
そんなやりとりを交わしながら、俺たちは中央通りをぶらぶら歩いていた。今度は魔導具の店でも覗いてみようという話になっていた矢先──
イーディスの表情が、ふと鋭くなる。
「……?」
その視線を追ってみれば、通りの少し先に黒い外套をまとった二人組の姿があった。
大人と子どもの様な、一見すれば親子に見えるが、その様子にどこか違和感があった。
「……ハルト」
イーディスが俺の耳元に顔を寄せ、小さく囁く。
「小さい子の手首、見て」
促されるまま視線を落とすと、子どもの手首には明らかに不自然な痣のような跡が残っていた。
細く、赤黒く、何かに強く締めつけられていた痕。
「……おい。あれは……」
「……人さらいが最近また出てるって、聞いてた」
イーディスの声が低く、冷えたように響く。彼女の瞳は、獲物を捉えた捕食者の眼だった。
一瞬、俺とイーディスは顔を見合わせ──同時に、うなずいた。
「──つけてみよう」
「もちろん……」
気配を殺して、黒外套の二人を尾行する。
通りを抜け、裏道へと入り込んでいくその影を、俺たちは慎重に追いかけていった。
閃紅と三冠の覇者──
この街で誰よりも強く、誰よりも正義に敏い二人が、今、一つの闇を追い始めた。
裏通りを進む黒外套の二人組は、やがて人気のない石造りの建物の前で立ち止まった。
周囲を警戒するように大人の男がぐるりと見回すが、物陰に隠れていた俺たちの存在には気づかなかったようだ。安心した様子で扉を開け、中へと入っていく。
「……あいつ、結構用心深いな」
「でも、見つけられてないなら大丈夫」
イーディスが小さくウィンクし、俺も頷く。
数分の間を置いてから、俺たちもその建物の前に立ち、ゆっくりと扉を押し開ける。
きぃ……と軋んだ音が響く先に──
地下へと続く階段と、そこに立つ一人の男の姿があった。
筋骨隆々の体格に、肩まで届く乱れた髪。見張り役にしては威圧感がある。武器こそ見えないが、油断は禁物だ。
「……合言葉は……?」
男が低い声で問いかけてくる。
「えーと。知らない。けど、通してくれるか?」
俺が軽く肩をすくめてそう言うと、見張りの男は一拍の沈黙のあと──
「ふざけるんじゃねぇ!」
怒鳴りながら一歩前に踏み出し、俺たちを乱暴に追い払った。
「ったく……」
建物の外へと押し戻され、俺とイーディスは扉の前で足を止める。
「……合言葉だって」
イーディスが肩をすくめて言うと、俺は気まずさを誤魔化すように笑った。
「知らないけど通してくれるか、って……ダメだったな」
「当たり前でしょ……」
イーディスがむすっと頬を膨らませる。その顔がなんだか妙に可愛くて、俺はまた吹き出しそうになった。
「わかったわかった。別の手段を考える」
俺は周囲を見回しながら言う。
「地下への階段があったってことは、多分すぐ近くに部屋があるはずだ。それに、ああいう構造の建物なら換気口がどこかにある。そこから侵入できれば、気づかれずに中へ入れる」
その時だった。
「……あそことか。換気口っぽい?」
イーディスが顎をしゃくった先、建物の側面──地面近くに、鉄柵で塞がれた小さな通気口があった。位置的にも階段の先と重なるような場所だ。
「……あんまり良くないことだけど……」
イーディスはそう呟くと、腰の剣を抜き、手際よく鉄柵の枠を切り抜いた。金属が擦れる音を最小限に抑えるその手際は、さすがとしか言いようがない。
切り落とされた鉄柵が落ちそうになった瞬間、俺はすかさず土の魔術でフックを作り、鉄柵を引っ掛けて受け止める。
「……落としてたらアウトだったな」
「ふふっ、ギリギリセーフ」
俺たちは顔を見合わせ、いたずらが成功した子どもみたいに笑った。
「じゃあ、行こうか」
イーディスが言うと、俺は頷いて、換気口の穴の中に土の魔術で小さな足場をいくつも作っていく。
狭い通気口を慎重に、静かに降りていく。空気は湿っていて、微かにホコリと錆のような匂いがした。
やがて足元に硬い石床の感触が戻ってくる。
降りた先には、使われていない倉庫を改造したような薄暗い部屋が広がっていた。
扉をそっと開け、静かに通路に出る。
そこから先には、小さくざわめく人々の声と、鈍い拍手の音が響いていた。
俺たちは音を頼りに壁際を移動し、奥へと進む──そして、開け放たれた扉の隙間から、その“会場”を覗き見る。
部屋の中央には木製の壇上。明かりを浴びたその上には、鎖で繋がれた少女が怯えた表情で立たされていた。
その前に立つのは、派手な燕尾服を着た男。観客に向けて満面の笑みを浮かべていた。
「──あれは……」
思わず声が漏れる。
壇の周囲には椅子が並べられ、そこに腰かけた上流階級らしき面々が、口々に値段を叫んでいた。
「まさか……オークション……!?」
息を呑む俺の隣で、イーディスが唇を強く噛みしめる。
「奴隷……?」
その言葉に、彼女の表情が怒気に染まる。
「……奴隷制度は、今の王政で禁じられてるのに……っ」
声を押し殺しながら、イーディスが低く呟く。
その肩が震えているのは、怒りのせいだ。
「法律を破ってこんなことを堂々と……これは反逆行為だよ」
その瞬間、壇上の男──司会者が声を張り上げた。
「そしてお次は〜〜! 本日のお楽しみ! 見目麗しいこちらの少女〜!」
ざわ……と会場に軽い興奮が走る。
怯えた少女が無理やり壇に引き出される。
薄汚れたドレスを着せられ、顔には化粧が施されていたが、隠しきれない恐怖が瞳に滲んでいる。
「年齢は十四! 貴族の血も少し入っているという噂〜! その割にこの価格は破格ですよ、お客さま〜!」
「……許せない……」
イーディスが吐き捨てるように言った。
「……やるか?」
俺が小さく尋ねると、イーディスは即座に頷いた。
その瞳には、確かな覚悟が宿っていた。




