表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/117

番外編 温泉旅行 後編

風呂を出ると、少し肌寒い風が火照った身体に心地よかった。


脱衣所の外にある涼み処には、すでにルシルゼーレが腰を下ろしていて、湯上がりの髪をタオルで拭いていた。


「……ふふ、随分しょげてたね、二人とも」


ルシルゼーレの視線の先には、俺とエルトリオ。

体育座りで並んで座る姿を見られていたらしい。いや、見られて無いわけは無いんだけどね。


「……まさか“おじさんみたい”とか“二番手のセクハラ野郎”とか思われてるとはな」

隣のエルトリオがぼやく。


「耳を澄ませた自分達を呪うしかないな……」


俺が返すと、ルシルゼーレがくすっと笑って、コーヒー牛乳を片手に立ち上がる。


「ま、でも二人とも元気そうで何より」


そう言い残して部屋へ戻っていった。


数分後、俺たちも汗が引くまで涼んだ後に部屋へ戻ると、ちょうど女子組も風呂から上がっていたようで、アメルノアが浴衣姿で髪を乾かしながら俺たちを見た。


「ねぇ、アンタたちさ――」


「……なんでしょうか」

エルトリオが一歩引く。俺はもう悟っていた。

この流れは、絶対にあれだ。


「壁、薄かったよね~?」

イーディスがにやっと笑い、アメルノアも腕を組んでうなずいた。


「そっちが盗み聞きしてるって思った瞬間から、話題変えたんだから」


イヴが申し訳なさそうに「あの、すみません……ちょっと面白くて……」と付け加える。

正直、こっちはすでに精神的ダメージを受けた後だ。今さら責められても反論の気力もない。


「……お前ら、性格悪いな」


エルトリオが憎々しげに呟くと


「ん? なにか言った?」


アメルノアが威圧感のある笑みでそう返した。


「ふふっ、まぁでも面白かったからいいじゃない。ね、ハルト!」


イーディスが小さく笑う。俺は目を逸らしてごまかした。


その時、仲居さんが「昼食のご準備が整いました」と声をかけてきて、救われた気分になった。


「……よし、食べよう。うん、腹減ってきたし」


「現実逃避してるでしょ」


イーディスに鋭く突っ込まれたが、俺は聞かなかったふりをして席についた。


昼食は、旅館特製の地元食材を使った料理で、味もボリュームも申し分なかった。

全員がもくもくと食べ、時折「うまっ」と誰かがつぶやく。

温泉で癒されて、飯で満たされる。――まさに極楽ってやつだ。


食後は、それぞれが畳の上で思い思いにくつろいでいた。


イーディスは布団にごろりと寝転がってイヴと会話を弾ませている。


アメルノアは縁側に出て、静かにお茶を飲みながら外の景色を眺めていた。


「……うーん、眠くなるなぁ」

エルトリオが背中を伸ばしながら欠伸をこぼす。


「お前はさっきからずっと寝てるだろ」


俺が指摘すると、「温泉旅館だぞ?寝るのが正解」と返ってきた。


まあ、間違いじゃないか――と思いながら、俺も座布団にごろんと背を預ける。

午後の陽射しが障子越しに優しく差し込み、なんとも言えないまどろみを誘ってくる。


「……起きたら夜風呂行こうぜ。今度は入れ替えで、向こう側が男湯らしい」


「盗み聞きできないのが残念だな」

エルトリオが冗談まじりに言うと、すかさずイーディスの声が飛んだ。


「……懲りてないの?」


「いやいや、冗談だよ!冗談!」


あわてて手を振るエルトリオに、女子たちの視線が冷たい。



陽が傾き、空に朱が混じるころ――。


夜風呂は、昼間とは打って変わって静かだった。

昼の騒ぎが嘘のように、風呂に響くのはお湯の音と遠くの虫の声だけ。


「……はぁ、ふぅ〜〜」


木造りの露天風呂に肩まで浸かり、俺は思わず声を漏らした。


横を見ると、エルトリオも珍しく無言で目を閉じて湯に浸かっている。

盗み聞きのダメージがまだ抜けていないのか、それとも――素直に癒されてるのか。


ルシルゼーレは、少し離れた場所で湯に髪を流しながら空を見上げていた。

白い湯気の向こうで、ほんの少しだけ笑っていたように見えた。


俺はふと、さっき女子組が話していた声を思い出す。


「……“おじさんみたい”か」


ちょっとだけ湯に潜り、そっと溜息を吐いた。


(転生して十二年、転生前が十八歳だったから、精神は三十歳くらいなはずだからあながち間違いじゃない……けど。ずっと気分は十八歳なんだよな〜)


湯に潜った顔をゆっくり上げながら、空を見上げる。

暮れなずむ空には、星がいくつか瞬き始めていた。


「……まぁでもそりゃ、“おじさんみたい”にもなるか」


ぽつりと呟いた俺の言葉に、ぴちゃ、と湯の音。


「盗み聞きの……まだ気にしてるの……?」


すぐ隣から、ルシルゼーレの声がした。

気づけば、彼がすぐ横まで来ていた。


「いや、なんでもない。ひとりごとさ」


「ふぅん」


彼はそれ以上は追及せず、俺の隣に静かに腰を沈めた。

肩まで湯に浸かると、しばらく黙ったまま夜空を見上げている。


「──でもさ。おじさんでもいいんじゃない?」


「……からかってる?」


「いや……んー。どうだろ」


小さく笑って、ルシルゼーレはぽつりと続けた。


「“今”が楽しければ、"今"を生きれてたら、それで充分でしょ。少なくとも、僕はそう思ってるよ」


……その一言が、少しだけ胸に染みた。


「……そうかもな」


「うん。そうだよ」


言葉少なにうなずいた俺の横で、ルシルゼーレの笑みが、またほんの少しだけ深くなった気がした。


白い湯気の向こう、星がひとつ、流れていった。




風呂を満喫し終え、部屋に戻ると、ちょうど夕食の膳が用意され始めていた。


ぱっと目を引いたのは、湯気の立ちのぼる土鍋。ふたを開ければ、地鶏の出汁と山菜の香りが一気に広がって、思わず鼻を鳴らす。


「おおお……これはすごいな……」


エルトリオが目を輝かせる。

イーディスが箸を手に取りながら「いただきます」と小さく声を上げたのを皮切りに、全員がそれに続いた。


鍋の中には、地鶏のつくね、筍、山菜、きのこ、それに旅館特製の出汁がしっかり染みた豆腐や油揚げ。ひと口食べた瞬間、体の奥からふわっと温かくなっていくのがわかる。


「はぁぁ……これは、沁みますね……」


イヴが目を細め、両手を口元に添えて感動を表す。


その横で、アメルノアは焼き物の皿に目を向けていた。


「この川魚、香ばしい……骨が丁寧に取られて、身も柔らかく焼けてる。皮の塩気もちょうどいい」


ふだん手放しに褒めることの少ない彼女が思わず言葉にするくらいには、美味だった。


ほかにも、酢の物に、地元野菜を使った天ぷら、小鉢に盛られた味噌田楽、そして締めには土鍋の雑炊。出汁を吸った米が、また絶品だった。


「……あぁもう、今日で動けないくらい太ってもいいや」


エルトリオが箸を止めて天井を仰ぐ。

イーディスがくすくす笑いながら「明日の朝も同じこと言ってそう」と返すと、みんなの笑いが弾けた。




夕食の後は、軽く談笑しながらそれぞれが浴衣姿でくつろぐ時間になった。


旅館の部屋は広めの和室で中央には低い机とお菓子、それを皆で仲良く囲んでいる。


湯の香りがまだ体に残っている。まったりとした空気が心地よい。


「……何気ない菓子でもこんなに美味いなんて。もうここから動けない」


俺の正面でエルトリオが大の字になっていて、隣のイヴは「わかります……」とうなずきながらお菓子を口に詰めてもぐもぐと幸せそうな顔をしている。


アメルノアは扇子をぱたぱたさせながら、静かに温かいお茶をすする。


ルシルゼーレは縁側に近い場所に座り、障子の向こうに広がる庭の暗がりをぼんやりと眺めていた。


「……こうして全員でどこかに泊まるなんて、初めてだよね」


イーディスが何気なくそう言うと、その言葉になんとなく場の空気が少しだけ変わる。

この、ふわっとした温かさの中に、ほんの少しだけ“特別”な感触が混じる。


「……ねぇ、せっかくだしさ。夜って長いし、真面目な話でもしてみない?」


イーディスがぽつりと口にする。


その言葉に、地面に背中を預けていたエルトリオが上体を起こし、アメルノアが扇子を置いて視線をそちらへ向ける。


「例えば、これからのこととか……特待生として、どうしたいかとか」


全員の視線が自然と中央に集まる。

まだ話し出してもいないのに、どこか緊張のようなものが走った。


(……“これから”か)


だが、言葉を出す前に、障子の外で風が鳴った。


夜が、深まっていく。



障子の外では、風鈴が小さく鳴っている。


しん、と静まった空気の中で、俺は少しだけ息を整えてから、口を開いた。


「……俺は、王様……陛下に、直下の騎士に任命されたんだ。正式には成人したとき、ってことになるけど。だから、今の道はもう決まってる」


皆の視線が、俺へと集まる。


「魔術も剣術も、今以上に磨くつもり。もっと強くなりたい。まだまだ、上を目指してる」


「──おいおい、まだ強くなる気かよ……」


エルトリオが呆れたように笑う。


「ほんと、どこまで貪欲なの……」


アメルノアも小さく笑って、それから湯呑みに残ったお茶を一口すすった。


「……私もね、魔導師団からスカウトされてるの。だから、魔導師になるつもり」


茶を置いて、真っ直ぐにこちらを見る。


「とりあえず、あなたよりも魔術を使いこなせるようになりたい。賢者杯で負けてからそれが目標だったし」


「……お手柔らかに頼むよ」


俺が苦笑すると、今度はルシルゼーレが小さく声を発した。


「僕は……そうだな。剣が振れれば、それでいい……」


ゆっくりとアメルノアの方を見る。


「……その剣は、アメルノアに捧げるよ──」


アメルノアは何も言わなかったが、瞳の奥が一瞬揺れたのを、俺は見た。


「私は、迷ってる最中です」


イヴがそっと手を挙げるように言った。


「魔導師団にも、近衛騎士団にも、軍師としてお誘いをいただいています。どちらも光栄すぎて、正直決められていなくて……でもでも、私は──お国のために、私の能力を最大限に活かせる方に進もうと思っています」


一生懸命に語るその姿に、誰も茶化すことはなかった。


「……俺は、騎士だな」


最後に声を上げたのはエルトリオだった。


「実は俺も、陛下の直属の騎士に誘われてる。剣士として、とても光栄で、誇りに思ってる。……俺はこの国を護る。そのために剣を振るう。今はそれだけだな」


「……あれ、エルトリオもなんだ」


イーディスが軽く眉を上げる。


「じゃあ、私も言おうかな。私も、陛下の騎士に任命されてるの」


えっ、とイヴが驚きの声を漏らす中で、イーディスはにっと笑った。


「エルトリオがこの国を護るって言うなら、私は……この世界を護れるくらい、頑張るよ!」


その言葉に、誰かが笑い、また誰かが「らしいな」と呟いた。


俺たちは皆、それぞれの道を見つけている。


まだ完全な形じゃないかもしれないけど、それでも──この夜に語ったことは、どこか胸の奥で灯り続ける気がした。


障子の向こう、星が静かに瞬いていた。




やがて誰からともなく布団へ向かい、それぞれが静かに横になっていく。

湯と語らいでほぐれた心と体に、眠気がやさしく忍び寄ってきていた。


ふとんの並ぶ広間。

聞こえるのは寝息と虫の音、そしてかすかな夜風。


俺も目を閉じる。

誰かの言葉が、胸の奥でまだくすぶっている。


(……強くなる。まだまだ──)


そのまま、眠りは静かに訪れた。


 

──朝


旅館の廊下に、さんさんと朝の光が差し込んでいる。


「おはようございます〜……」


寝癖のままのイヴがあくびを噛み殺しながら現れ、エルトリオが豪快に伸びをした。


「ぐぅ〜〜!よく寝たな〜!」


アメルノアは既にきっちり身支度を整え、湯上がりのように艶やかな髪をまとめていた。


「……朝ごはんかな、美味しそうな匂いがするね」


ルシルゼーレがそっと廊下の先を見やり、イーディスが「行こっか」と皆を促す。


朝食は広間に整えられていた。

炊きたての白米、焼き鮭、出汁のきいた味噌汁。湯豆腐に、色とりどりの小鉢。


「……ああ、美味いなぁ……」


俺がそう呟けば、全員が深くうなずく。

旅館の朝は、なんてこんなにも穏やかで、贅沢なんだろう。


食後は少しだけ荷造りの時間。

忘れ物のないようにと声をかけ合いながら、それでも皆、どこか離れがたい様子だった。


そして最後の一幕──


「……お風呂、最後にもう一回だけ入ってこようかな」


そう呟いたのはイーディスだった。


「俺も行く。せっかくだしな」


「なら私も。最後の温泉、逃したら損だし」


結局、全員で再び湯へと向かった。


朝の露天風呂は、夜とは違う清涼さを湛えていた。

白い湯気の向こう、澄み渡る青空。


風が優しく肌を撫でる。鳥が鳴き、朝の光が水面にきらきらと踊っている。


言葉は少なかったが、それぞれの胸に、このひとときは確かに刻まれていた。


──この湯のぬくもりと、仲間たちとの絆を。


 


旅館を後にした俺たちは、帰りは馬車に揺られて王都へと戻った。


「また来たいね」「絶対また来よう!」

そんな声を交わしながら、王都の石畳に馬車が止まる。


ここからは、いつもの道。


学院寮へ、自宅へ、それぞれの生活へ──日常が再び始まる。


「じゃ、また学術院でな!」


手を振り合い、背中を見送りながら、少しだけ寂しさを感じる。

けれど、それ以上に胸の奥が、あたたかい。


あの旅館で過ごした二日間。

風呂の湯けむりと、語らいと、朝の光と。


──多分この思い出はずっと残るだろう。


そしてまた、俺たちは歩き出す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ん?ルシルゼーレ君が何やら意味深な…?気のせいかな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ