第57話 謁見
三日後の昼頃、俺は王都の中央にそびえる王城の前に立っていた。
表彰式からの三日間、ずっと王の言葉が頭にこびりついていた。
「自身の答えを持って来い……」
地位には責任があり、美女は報酬で娶るものではない。となると、残されたのは金品だが──
(別にお金欲しいわけじゃないんだよな)
もちろん、金があって困ることはない。けれど、冒険者として稼いだ貯金にもまだ余裕があるし、今欲しい装備も物も特にない。
(だったら、孤児院とかに寄付するのが一番か……)
それなら俺にとっても悪くないし、ちょっとは“いい話”にもなる。そんなことを考えていた矢先、門兵に声をかけられた。
「ラインハルト・ファーレンガルト殿。陛下より、謁見の許可が下りました。こちらへ」
軽く会釈をし、促されるままに王城内へと足を踏み入れる。
案内されたのは、王城の奥にある謁見の間だった。
高い天井、磨かれた床、整然と並ぶ衛兵。どこもかしこも静かで、空気が重たい。軽口すら許されない、そんな空間。
「陛下は、まもなくこちらへ。どうぞ、ここでお待ちください」
そう言って立ち去ったのは、端整な顔立ちの若い秘書官だった。黒い手帳を胸に抱き、こちらには一瞥だけを送って。
俺はひとつ息をつき、示された位置に立つ。
……そして、時間が流れた。
半刻ほどが経つ。
俺は気配を感じ、その場に伏した。
──まもなく、奥の扉が音を立ててゆっくりと開いた。
静かに、王が現れる。
いよいよ、答えを告げる時が来た。
革靴の音が静かに床を打ち、堂々たる足取りが近づいてくる。
視線を上げずともわかる。そこに立つのは、この国の頂点──リュグス・ハインツ王、その人だ。
「面を上げよ、ラインハルト・ファーレンガルト」
落ち着いた、だが威厳のある声が響く。
俺はゆっくりと顔を上げ、正面を見据える。
玉座の前に立つ王と、真正面から視線が交差した。
静かな沈黙が流れ、やがて王が口を開く。
「……三日が経った。余の問いに、答えを持って来たか?」
俺は一度だけ深く息を吸い、答えた。
「──はい。答えを、持ってまいりました」
いよいよ、答えを告げる時が来た。
「──褒美は、金品を望みます」
俺はそう答えた。迷いはなかった。
王はわずかに目を細め、頷いた。
「……よかろう。宝物庫より黄金三点を与えよう。お前の手で掴んだ栄光の報酬だ」
言葉は堂々としていたが、そこで王はふと声の調子を変えた。
「だが、問おう。汝はその金を──己のために使うつもりか?」
一瞬、息が詰まる。
けれど俺は、正直に言葉を継いだ。
「……いえ。私は……この褒美を、孤児院への支援金として寄付しようと考えていました」
王はしばらく黙った。
静寂が謁見の間を満たし、その重みに俺の心がざわつく。
そして数拍の後、低く、静かに言葉が返ってきた。
「……褒美は汝のもの。どう使おうが、自由だ」
その声には、厳しさと柔らかさが同居していた。
「だが、それが“余のような王”からの褒賞ならば……」
王は一歩、前へ出る。
「たとえ心の内ではどう思おうと──懐に収めるのが、世渡りというものぞ」
その言葉に、俺の心がひやりと凍る。
──しまった、と思った。
「志を持つのは良いことだ。だが、世の中は綺麗事だけで回るものではない」
そう静かに告げる王の眼差しは、俺を試すようでもあり、教えるようでもあった。
「……心得ておきます」
俺は小さく頭を下げた。
何も言われなければ、ただ美談で済んだ話だ。
けれど王は、それを見逃さなかった──それが、頂点に立つ者の“目”なのだろう。
そしてその瞬間、俺は褒美以上の“何か”を学んだ気がした。
俺の返事──そして、それに添えた真剣な表情を見た王は、小さく頷き、満足げに言葉を漏らした。
「……よろしい」
その一言は短くも、重みのある肯定だった。
だが、王はそこで止まらなかった。少し声色を変え、続ける。
「して、余は汝を気に入っておる」
静かに放たれたその言葉に、俺の心臓が一瞬跳ねる。
「どうだ? 余直下の騎士にならぬか」
──思いがけない提案だった。
言葉の意味は理解できたが、即座に答えるにはあまりに重すぎる。
「……っ」
考える間もなく、王は俺の沈黙を読み取ったかのように微笑み、言う。
「ふむ。少し焦ったか。だが、気を悪くするでない──これは余の本心である」
王の目が真っすぐに俺を射抜いてくる。
「余は汝を評価しておるのだ。あれほどの技量と才覚、加えて愚直とも言える誠実さ。……汝のような“特別”な者は、できれば手中に収めておきたい」
その言葉に嘘はなかった。
──王直下の騎士。王に忠義を誓い、命令に従い、王の名のもとに剣を振るう存在。
それは誇り高く、身分的にも栄誉ある地位だ。断る理由など、普通ならありはしない。
だが。
俺が王都に来た理由は、就職先を探すためでも、名誉の階段を登るためでもない。
──俺はただ、広い世界を見たかった。
「……失礼を承知で、返事申し上げます」
言葉を選びながら、俺は一礼し、顔を上げた。
「私は、見聞を広めたく、この王都まで上京してきました。もちろん、この地で見たもの──陛下や王都の威容に、感動しないわけではありません」
思いは素直に。
「……ですが、私はまだ知りたいのです。世界の広さを、未知を、自分の目で確かめたい。ですので──」
一呼吸置き、まっすぐに王を見た。
「私を評価してくださり、破格のご提案をくださった陛下には心より感謝申し上げます。しかし、そのお話……できましたら、なかったことにしていただけないでしょうか」
長い沈黙が落ちた。
謁見の間の空気が張り詰め、誰の呼吸も聞こえないほどの静寂が、俺の答えに応えていた。
王は厳しい顔つきに変わった。
その双眸が鋭く細められ、次の言葉を切り出す。
「──それは、許さぬ」
その一言に、場の空気が一変した。謁見の間の空気が、重く、冷たく張り詰めていく。
王は静かに、だが確固たる意思を込めて続ける。
「汝のような才覚溢れる者を……余の知らぬ間に他国へ取られる可能性など、断じて許せぬ。国の損失であり、余の失態となる」
その声には怒りではなく、冷静な危機感と、為政者としての責務が滲んでいた。
俺は返す言葉を持たず、無言で俯いた。
王に否定されたからではない。
ただ──自分の意思と、王の真剣さとが、ぶつかり合ったまま拮抗し、言葉が見つからなかったのだ。
そんな俺を見て、王は深く息をつくと、わずかに声を和らげる。
「……だが、汝の自由を奪いたいわけでは無い」
その声音には、ほんのわずかな情が混じっていた。
「自由で良い。どこへ行こうと、何を見ようと、構わぬ。……ただ一つ」
王は一歩、俺に近づくように前へ出た。
その威光は変わらぬまま、けれど言葉は、魂に触れるように響いてきた。
「……余が汝を必要とした時に、余の剣となれ。」
その瞬間、王の瞳が俺の奥底を見据えたように感じた。
「今、ここにて。忠誠を誓え、ラインハルト」
その言葉は命令ではなかった。
だが拒めない力があった。
誇りでも、恐れでもない。ただ──己の覚悟が問われていた。
俺は──覚悟を決めた。
ゆっくりと顔を上げ、真正面から王の眼差しを受け止める。
「誓いましょう。……国に、陛下に、忠誠を──!」
言葉は揺るぎなく、心からのものだった。だが、俺にはまだ一つだけ、譲れない思いがあった。
「……ですが、まだ私は成人しておりません。正式な騎士の資格を得るには、あと三年あります。ですので──」
俺は拳を握り、はっきりと告げた。
「三年後、成人を迎えた時。あらためて、騎士の甲冑を賜ることを……許していただけないでしょうか」
王はしばし、俺を見つめたまま沈黙した。
その眼光に試されているような気がしたが──やがて、静かに頷く。
「……よい。それでよい」
厳しさの奥に、どこか満足げな笑みすら浮かべて、王は続けた。
「三年後を楽しみにしておるぞ、ラインハルト。……では、褒賞の黄金は後日、学術院宛に届けさせよう」
言葉を終えた王は、背を向け、ゆるやかに歩み去る。
その姿は、もう俺に一切の未練を見せなかった。信頼して任せた者に、振り返る必要はないというように。
……俺は、しばらくその場にしゃがんでいた。
何か大きな節目を越えた気がして、すぐに立ち上がる気になれなかったのだ。
やがて、静かに近づいてきた秘書官に声をかけられ、俺はようやく歩き出す。
案内されるまま、王城を後にした──
柔らかな陽光が、城門の向こうに広がっていた。




