第56話 表彰式
灼けつくような歓声が、コロシアムの上空へと突き抜けていく。
イーディスを下し、決勝戦を制した。
戦神杯、賢者杯、勇者杯。三つの大会すべてを、俺は勝ち抜いた。
その瞬間、観客の渦中で俺は“英雄”となった。
名実ともに、学術院の頂点に立ったのだ。
やがて、熱狂は少しずつ鎮まっていった。
ラッパの音が空に鳴り響き、会場を覆っていた歓声が、まるで魔法のように静寂へと変わっていく。
「これより、栄えある勇士の表彰式を執り行う。
ハインツ王国の王──リュグス・ハインツ陛下、御臨席あらせられる!」
その声と共に、黄金と深紅のマントを翻し、王が現れた。
リュグス・ハインツ──王国の頂点に立つ者。
その姿が壇上に現れた瞬間、空気が変わった。
荘厳な足取りで壇に上がる彼を、誰もが息を飲んで見つめていた。
俺は膝をつき、静かに頭を垂れる。
「ラインハルト・ファーレンガルトよ」
低く響く声が、まるで大地を打つように心に届く。
「見事な試合であった。この三大会で轟いた汝の名を、皆、忘れることはあるまい」
その言葉と共に運ばれてきたのは、三つの白銀のトロフィーだった。
戦神杯、賢者杯、勇者杯。
どれも荘厳な意匠が施され、ただの金属ではない“重み”を放っていた。
俺はそれらを両手で丁重に受け取り、ゆっくりと掲げる。
観客席から、再び嵐のような歓声が巻き起こった。
だが、王の次の言葉が、その熱を一瞬で塗り替えた。
「……だが、それだけでは終わらぬ」
王が右手をゆっくりと掲げる。
観客席がざわつき、王はゆっくりと口を開いた。
「爵位が欲しいか? ならば今日より名を与えよう。
黄金が欲しいか? 王家の金庫を開き与えよう。
美女が欲しいか? 王都一の麗しき令嬢を娶らせよう」
「選べ、ラインハルト。望むものを一つやろう。
これは偉業を成し遂げた者への、王からの称賛──そして余は汝を気に入った」
俺は、動けなかった。
あまりに大きすぎる問い。即答できるはずがない。
選べるか、そんなもの。
どれもが、即断できぬ“重さ”を持っていた。
「まさか、選べないのか……?」
誰かの声が、かすかに聞こえた。
しかし、王はそれを遮るように言った。
「……ふむ。すぐには選べぬか」
その口調は、どこか愉しげだった。
まるで、最初から俺が迷うことを知っていたかのように。
「ならば命ず──三日後の昼、二刻の鐘が鳴る時、王城の謁見の間へ参れ」
空気が一気に張り詰める。
ざわめきが、静けさを押し返すように広がっていく。
「その時、自身の答えを持って来い」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
王と目が合う。短い──けれど重たい視線のやり取り。
その中にあったのは、試すような光と……ほんの少しの信頼だった。
「……承知いたしました、陛下」
俺がそう告げると、王は満足そうに頷き、マントを翻して壇を下りていく。
「皆の者、敬礼!──国王陛下、御退場である!」
儀仗兵たちが一斉に剣を掲げ、ファンファーレが再び空に鳴り響く。
学院祭、第一日の頂点──その瞬間だった。
俺の手には、銀の杯があった。
だが、胸にはそれ以上に重たいものが残っていた。
選ばれていない未来。
どれを手にし、どれを捨てるのか。
選ぶということは、捨てるということ。
ならば──
俺は、何を選ぶ?
そして、何を置いていく?
答えのない問いが、心の底で静かに渦を巻いていた。
コロシアムを出ると、喧騒に紛れ、背後から聞き覚えのある足音と、涼やかな声がした。
「──ラインハルト」
その名を呼ぶ声に振り向くと、そこには見慣れた四人の姿があった。
漆黒の髪を風に揺らしながら歩いてくるのは、セレーネ。
その隣には、父さんと母さん、そして妹のメレノアが揃って立っていた。
「……もうみんな!王都に来てるなら言ってよ!」
まるで子どもみたいな言葉が飛び出た。でも、そんなの関係なかった。
胸が一気に熱くなって、嬉しさが込み上げるのを止められなかった。
「……驚かせた方が面白いと思って。
ていうかあんたは試合の時から気付いてるじゃない。
あのまま負けてたら多分怒ってた」
セレーネはいつものようにクールな表情で言うけれど、一、二ヶ月ぶりの再会だから口角は確かに上がっていた。
「みんなのおかげで、勝てたんだ……
ありがとう!」
そう言うと、セレーネは静かに目を細め、メレノアが小さく拍手をしてくれた。
「お兄ちゃん、かっこよかったよ! ぜんぶ勝っちゃうなんて、もう本当にすごい!」
「そうだな。かっこよかったぞ、ラインハルト」
「村の皆に自慢しちゃうかも!
あなたは私達の誇りよ、ハルト……」
父さんと母さんの声が、心にじんと染みた。
セレーネはふっと視線を外し、コロシアムから少し離れた繁華街の方向を見やる。
「祝勝会をしよう。……私はお腹が空いた……」
俺が笑いながらうなずくと、みんな自然と歩き出した。
***
入ったのは、少し落ち着いた雰囲気のレストランだった。
王都でも人気の店で、家族連れや軍人らしき姿もちらほら見え、ざわめいている。今日はそのざわめきが幸せで心地よかった。
食事を運ぶ間、皆はそれぞれに試合の感想を話してくれた。
メレノアは目を輝かせて俺の技術のあれこれを訊いてくる。
父さんは少しだけ酒を飲みながら、うなずくたびに「ファーレンガルト家の誇りだ」と何度も言ってくれて。
母さんはずっと目を細めて見ていて、時折懐かしそうに俺の幼い頃の話を持ち出した。
そして、セレーネはいつも通り多くを語らないけれど、優しく微笑んで家族の会話にも自然と溶け込んでいた。
彼女がそばにいて、家族と一緒に笑っている。
それだけで、今夜がどれほど幸せな夜なのかがわかる。
やがて食事が終わり、別れの時間が近づいてきた。
「そろそろ帰らないと。……事前に申請しないと、門限が厳しくて。」
セレーネが立ち上がると、俺も名残惜しさを胸に席を立つ。
母さんがハンカチで目元を押さえながら、俺の手を握ってくる。
「ハルト、身体だけは気をつけてね。……暇な時は顔を見せに帰ってきてね。」
「うん……ありがとう、母さん」
父さんが背中をポンと叩き、メレノアが最後にぎゅっと抱きついてきた。
「じゃあね!お兄ちゃん!帰って来る時お土産にケーキ持ってきてね!」
「ふふ、私も楽しみにしてる」
そう笑いながらセレーネが呟きながら静かに魔法陣を展開する。
淡く青白い光が地面に広がり、風がそっと吹いた。
「またすぐ会えるよ、多分ね」
それだけを言い残して、セレーネとみんなは転移魔術で光の中へと消えていった。
残された俺は、少しだけその余韻に浸りながら、学術院の寮へと戻る。
夕暮れの道は静かで、遠くで祭りの音だけが名残のように響いていた。
部屋に着いて、ベッドに身を投げる。
ああ、今日は……本当に、楽しかったな
けれど。
王の言葉が、ふと頭をよぎる。
「選べ、ラインハルト。望むものをやろう……」
選ばなければならない未来が、確かにそこにある。
選ぶということは、何かを捨てること。
それが、どんな意味を持つのか。今の俺には、まだわからない。
でも、きっと選ぶことになる。
そう思いながら、静かに目を閉じた。
心地よい疲れと、戦いの余韻、そして家族の温もりを胸に。
夜は、深く、優しく、俺を包み込んでいった。




