第52話 戦神杯の熱
──三日目、戦神杯当日。
王都近くの小さな街。石畳の広場に面した商店通りの一角で、セレーネは立ち止まった。用事を終えた帰り道、ふと耳に飛び込んできた男たちの会話に足が止まったのだ。
「見たかよ勇者杯。あいつ……ラインハルトってやつ、化けもんだったな」
「おう、剣で魔術を斬ってたろ? あれ本当にできるもんなのかって思ったぜ」
「俺は魔術の方がヤバかったと思うね。勇者の一族の炎の大魔術をだ、あいつ……でっけえ水の龍で呑み込んだんだぞ。あれはもう、伝説のリヴァイアサンだったよな、マジで」
その名に、セレーネの足が無意識に動いた。
ゆっくりと、フードを目深に被ったまま、噂話に花を咲かせる男たちの輪に入っていく。
「……そのラインハルトって、ラインハルト・ファーレンガルトのことよね?」
不意に投げかけられた声に、男たちは一瞬驚き振り返る。
だが、問いかけた少女の目は真剣そのものだった。
「あ、ああ……たしか、そんな感じだったな」
声をかけられた男はすぐに気を取り直し、嬉しそうに頷いた。
「お嬢さんもあいつのファンかい? いやぁ、あいつはヤバいぜ! 剣と魔術の両方でぶっちぎりだし、何より落ち着いてるんだわ。あーゆーのが英雄とかになんだよな!?」
男は止まらない勢いで、身振り手振りを交えて語る。
「初日にさ、なんとなくでラインハルトに賭けたんだよ。そしたら、オッズ四倍で返ってきちまってな! マジで神に感謝したわ!」
「今日の戦神杯も出るらしいぜ? もし勝ったら、史上初の三大会完全制覇──だとよ」
「嬢ちゃんよぉ……前売り買ってねぇなら急がねぇと間に合わねぇぞ? 席なんてとっくに埋まってるだろうし、ダフ屋は高ぇからな。俺はもう行くぜ!」
男はそう言って、手を振って去っていった。背中からはまだ興奮が滲んでいる。
──三大会制覇。
その言葉に、セレーネはわずかに唇を結ぶ。
街の喧騒の中、通りを見下ろす彼女の瞳が、ほんの少し熱を帯びたようにも見えた。
(ラインハルト……)
彼の名を、誰かが誇らしげに語る。
それを、他人事のように聞いていられなかった。
路地裏に入り、魔法陣を描く。
そしてセレーネの姿が光となり消えたあと、その場には少しずつ光を失っていく魔法陣だけだった。
スミカ村──
転移陣が光を収めると、そこは懐かしき村の一角。騎士の邸宅――すなわち、ラインハルトの実家であった。
陣の縁を踏み出した瞬間、少女の声が響いた。
「おねーちゃーん!」
元気いっぱいに走ってくるのは、ラインハルトの妹のメレノア。
セレーネはどこか素っ気なく返事を返した。
「おはよう」
しかし、口の端には確かに笑みが浮かんでいる。
「ねえ、メレノア。お母さんとお父さん、それから……あのメイドは今どこにいるの?」
「えーとね、お母さんはお家にいて、お父さんはいつもの見回りだよ! ファーレスさんは……たぶん、魔術師のおにーさんのとこ!」
「魔術師のおにーさん?」
この村の顔ぶれはおおよそ把握しているつもりだったセレーネは、聞き慣れない人物に眉をひそめた。
「うん! ファーレスさんがね、一ヶ月くらい前に連れてきたんだよ。魔術でね、ちょうちょとかお花を空に浮かべたりして、すっごく綺麗だったの!」
「……それで? そんな奴のところに、あのメイドが居る理由は?」
「えっと……お母さんが言ってたんだけどね、ファーレスさん“恋”してるんだって!」
「恋、ね……」
無表情で忠実な仕事人という印象のファーレスに似つかわしくない言葉に、セレーネは肩をすくめた。
けれど、そんな変化も……案外、悪くはない。
そのとき、邸宅の前を通りがかった男たちの一団が立ち止まり、セレーネを見つけるとその中の一人がこちらに向かって走ってきた。
「セレーネさん、今日もメレノアの世話をしてくれてるのか。いつもすまないな」
ジェスターだ。ラインハルトの父であり、この村を束ねる男。
「……いえ。今日は今来たところよ。むしろ、あなたに話があるの」
「話……?」
セレーネがジェスターをまっすぐ見据えると、彼は目を丸くした。
「その前に、メレノア。お母さんを呼んできてくれる?」
「うん、わかった!」
メレノアは元気よく駆けていき、数分も経たぬうちにライラを連れて戻ってきた。
「どうかしたの? セレーネさん」
「……えーと、ラインハルトが今、王都で“トーナメント”に出てるらしくて、今日がその最終日の戦神杯っていう大会があるらしいのだけど、あなた達もどうかしら?」
少し気まずげに言葉を紡ぐセレーネ。だが、その言葉を聞いた途端、ライラの表情がぱっと明るくなった。
「ハルトが!? もちろん行きましょう!」
「お兄ちゃんの試合が観られるの!? 行きたい!」
「……そうか。あいつの戦いを、見てみたいしな……」
セレーネは小さく頷きながら告げる。
「開幕までは、あと一時間あるかないか。王都近くまで転移魔術で移動して、そこから現地に行くわよ。支度して」
「すぐ用意しょう。メレノア、行くわよ!」
「うん!」
二人が家の中へ駆け込んでいき、静かになった邸宅の前。
ジェスターは腕を組み、遠くを見つめたままぽつりと呟いた。
「戦神杯……か。懐かしいな。」
「あいつ、学院では今や英雄扱いよ。初日も二日目も大活躍だったらしいわ」
「……ふっ。あいつらしいな」
ほどなくして、着替えを終えた母娘が戻ってくる。
「もう出発できる?」
「ええ、今すぐ展開するわ。私が導くから、手をつないで」
三人が彼女を囲み、そっと手を取り合った。
その瞬間、セレーネの掌から広がる転移陣が白く輝き出す。
村の空気が微かに震え、時空が軋む音が辺りに満ちた。
そして、転移陣は光を放ち、家族を包み込んで消えた。
王都─学術院に隣接するコロシアム。その席は、朝早くから集まった観客で溢れかえっていた。
会場の外では、物売りの声や応援団の掛け声に混じって、戦神杯を観に来た観客たちが熱心に出場者の話題で盛り上がっていた。
「いよいよ戦神杯か……剣術の頂上決戦、楽しみだな!」
「おう。しかも今回は特待生が四人も出るからな。レベルが違ぇよ」
「まずは、ラインハルト・ファーレンガルト。あいつ、勇者杯と賢者杯の両方で優勝して三冠を狙ってるバケモンだぜ」
「無詠唱の魔術だけじゃなくて剣も使いこなすとか……マジで人間かよって話だよな」
「で、次がイーディス・ヴァルキュリア。戦女神の末裔、その何負けず劣らず剣術の実力は学院内で最強って言われてる……」
「ファンクラブまであるって噂だぞ。美人で強いとか反則だろ……」
「ルシルゼーレも全然あるぜ。あの銀髪の剣士、去年はイーディスちゃんに負けてたけどすげぇいい試合だったぜ。」
「見た見た!あれ前大会のベストバウトだったよな!」
「最後がエルトリオ・アークライト。バランス型だけど、上級剣士っつー実力者だってな。
勇者杯じゃラインハルトに負けちまったけど剣だけならワンチャンあるんじゃねーか?」
「んで、そいつら四人が、今日の戦神杯で激突するってわけか……。今年の大会は盛り上がるぜ!」
「俺の本命はイーディスちゃんだけど、ルシルゼーレがどこまで食い込むかも気になる……。でも正直、ラインハルトに三冠とって欲しい自分もいるんだよな……!」
「くっそ……!楽しみだぜ!屋台で軽食も買ったしはやく中に入ろうぜ!」
観客たちは胸を高鳴らせながら、続々とコロシアムの中へと流れていった。
──そして、学院祭最終日の戦神杯が始まろうとしていた。




