閑話 小さな勇者
「――お坊ちゃん、寝ましたよ」
ファーレスが静かに居間へ戻ると、ライラとジェスターは食後のひとときを過ごしていた。暖炉の火がぱちぱちと静かに燃えている。
「ありがとう、ファーレス。今日も遅くまで教本を読んでたの?」
ライラが湯呑みを置いて尋ねると、ファーレスは少し困ったように笑った。
「はい。『ここまで読んだら寝る』って自分で区切って……。時計の針が十のところを過ぎるまで、本を離しませんでした。まったく、三歳の子がすることじゃありません」
「……まるで、何かに急かされているみたいに見えるのよね。誰かに追いつこうとしてるというか」
ライラがぽつりと呟くと、ジェスターも頷いた。
「剣の方も同じだ。構えも素振りも、たしかに教えた通りにやってるが……あいつ、自分で考えて修正してきやがる。“どこをどう直せばいいか”を、考えながら修練してるんだ。」
「よく言いますものね、“父さんの言うこと、ようやく少し分かってきた気がする”って」
「ははっ……その言い方がまた可愛くてな。だが、三歳で“自分を客観視する”って芸当は、普通はできねぇよ」
「まるで、百年に一人の天才、いえ……伝説の勇者の生まれ変わりみたいだと、本気で思ったことがあります」
ファーレスの冗談めいた言葉に、三人の間に少し笑いが広がる。
「いや、案外ほんとに、大戦で王国を救った大賢者だったりして」
「ふふ、そんなことあるわけ――……」
ライラはふと言葉を止め、少しだけ寂しげに笑った。
「……でも、本当にそうだったらどうしようって思うこと、あるの。どこか、私たちの世界に“なじんでない”ようなところが、あの子にはあって」
「お前がそう思うってことは、俺だけじゃなかったんだな」
ジェスターが苦笑する。すると、ファーレスも少し真剣な表情で口を開いた。
「……でも、たとえ昔の英雄の生まれ変わりだとしても。あの子が“ラインハルト”であることに変わりありません」
「そうね。あの子が何者でも、私たちの子供。それだけは変わらないわ」
「まったく。親ってのは不思議なもんだな。生まれてきた理由が何だろうが、可愛いもんは可愛い」
三人の目が、暖炉の火に重なるように柔らかく細められる。
「……ハルトが本当にすごいのは、努力を惜しまないことかもしれません。才能は確かにある。でも、あの子は毎日、当たり前のように積み重ねている」
「そうだな。努力が“当たり前”になってる奴は、強くなるぜ」
「でも、無理はさせたくないですね。まだ三歳なんですから」
「ええ。親として、見守るのも“仕事”だもの」
静かな夜の中、三人は言葉少なにうなずき合った。
その頃、隣の部屋では――寝息を立てながらも、枕元の魔術教本を抱えた小さな少年が、明日の努力に向けて眠っていた。