第46話 学術院の祭
学院祭の前日──
朝から、学術院は普段とは打って変わった熱気に包まれていた。
広場では仮設の屋台が組み立てられ、各コースの生徒たちが慌ただしく資材や道具を運び込んでいる。あちこちで木槌の音や怒鳴り声が飛び交い、普段は静かな講義棟前ですら、誰かの忘れ物や搬入ミスで軽い口論が起きていた。
(……これは、もう祭りが始まってるみたいだな)
構内のあちこちに「薬学コース製・ポーション試飲可」「染色コースによる布染め体験会」などの手書きの立て札が掲げられ、仮設テントの下では忙しなく品物が並べられていく。
俺が通りかかった縫製コースのブースでは、学院生が手作りしたドレスやマント、飾り布なんかが丁寧に畳まれ、仮設棚に整然と並べられていた。派手ではないが、細部の刺繍や素材選びにセンスが光っている。どうやら毎年、目の肥えた客の中には“掘り出し物”を求めて通う常連もいるらしい。
思い出すように視線を巡らせる。
明日から始まる学院祭は、学術院最大の催し。三日目のお祭りで、学科ごとの出し物が並び、王都中から人が集まる。
──そして目玉は、剣術コースと魔術コース、そして特待生もそれぞれ出場するトーナメント。
一日目は《勇者杯》。剣と魔術を併用できる総合戦との触れ込みだが、剣か魔術のどちらかに偏る選手が多く、異種格闘の様で三大会の中ではあまり人気が無い。
二日目は《賢者杯》。魔術のみで競う大会で、派手な打ち合いが見応えのトーナメント。
三日目は《戦神杯》。剣術限定の大会で最も人気が高い。これ目当てに近くの街から泊まり込みで訪れる者も少なくないという。
大会は、学術院に隣接した屋外コロシアムで行われる。最大収容人数は三万人、さらには合法の賭博まで用意されているというのだから……学術院と名を冠する場所とは思えない規模だ。
そんな中。
「あ、あのっ! イーディスさまっ!」
ふと前方で声が上がる。目をやると、縫製コースの少女が顔を赤らめて、誰かに駆け寄っていた。
言われたその人影は、イーディス・ヴァルキュリア。
今日も制服の上に薄手のマントを羽織り、涼やかに歩いていた。いつものように笑みを浮かべ、声をかけられても嫌な顔一つ見せない。
「はい、こんにちは。どうかしたの?」
「こ、今年の衣装なんですけど! もしよければまたモデルをやっていただけませんかっ! 去年、イーディスさまが着てくださった時、すっごい反響で……!」
「──うん、それは……ごめんなさい」
イーディスは申し訳なさそうに微笑んで、そっと手を胸の前で組む。
「去年のこと、まだ覚えてるんだ。あの時、ちょっと派手なドレスを着ただけなのに……」
そう呟いた彼女の表情に、ほんの一瞬だけ苦笑が浮かんだ。
「それを見た男子生徒や大人たちが、我先にって列をつくって騒ぎになっちゃって……あれ、結局警備隊が動いたのよね。学務部にすごく怒られたし……せっかくの衣装も、あれで破けちゃったし」
「あっ……で、ですが、今年は──!」
「ありがとう。でも、トーナメントもあるし集中したいから……ごめんね? それに私が目立ちすぎると、あなたたちの服が霞んじゃうかもしれないから」
彼女の言葉はやわらかく、優しかった。だが、はっきりと断る強さも含まれていた。
(それにしても服が私で霞んじゃう……か。イーディスにしか言えないセリフだろうな、あれは……)
そして少女はがっくりと肩を落としつつも、「しょ、しょうちしましたぁ……お時間取ってしまってすみません。」と小さく頭を下げ帰っていく。
「……騒ぎって、どんくらいだったんだろう」
俺がぼそっと呟くと、イーディスは肩をすくめて小さく笑った。
「……ハルトもその場にいたら引いてたと思う。人の波に呑まれそうだったんだから」
(服とか関係なく、人だかりができるだろうな)
そう思ったが、口には出さなかった。
空を見上げると、学院の建物に魔術で光る星や花の飾りが浮かんでいた。昼でも十分鮮やかだが、夜になればもっと幻想的になるだろう。
──学院祭開幕まで、あと一日。
戦いの火蓋が落とされる前に、学術院はすでに祭の熱に包まれ始めていた。
学院祭一日目──朝
開会式の朝、学術院全体がどこか浮足立った雰囲気に包まれていた。
朝にも関わらず、学院の正門にはすでに人の波ができている。王都や近くの街からの観光客、各地の有力貴族、魔導師団や騎士団──彼らが目指すのは、学院に隣接する巨大なコロシアムだった。
観客席一万人、立ち見含め三万人を収容するその屋上開放型の闘技場には、まだ朝の冷たい風が吹き込んでいたが、すでにあちこちから熱気が立ち上っていた。
学院の中央広場には、全コースの院生が集まり、開会式の準備が進められていた。
「……すごい人の数だな」
俺は特待生席の一角から、式典の壇上を見上げながら呟いた。周囲には、剣術・魔術コースの上位生徒たちが緊張した面持ちで並んでいる。
「学院祭の初日だからね、盛り上がらないわけがないよ」
そう応じたのは、隣に立つイーディスだった。金の瞳が朝日にきらめいている。彼女はいつも通り凛としており、周囲の視線にもまったく動じていない。
さらにその隣では、エルトリオが軽く伸びをしていた。
「……まぁ、せいぜい盛り上げてやろうぜ。俺とお前で、な」
エルトリオが横目でこちらを見る。今日の《勇者杯》に出場する特待生は、俺とエルトリオの二人だ。
その言葉に対し、特に何も返さなかった。今さら意気込みを口にするほどでもない。
やがて、壇上に学院長チェゼフが現れた。マイク型の魔道具を手に掲げ、淡々とした口調で式を始める。
「えー、本日はお集まりいただきありがとうございます。これより、学術院祭を開催いたします」
静かだった空気が、拍手と歓声で一気に明るくなる。
「本学院の全コースによる成果発表と、交流を目的とした三日間。衣装縫製、薬品、鍛治技術……それぞれの専門が、皆様の目に触れる機会となるでしょう。そして──」
チェゼフの声に合わせて、背後の幕がゆっくりと上がり、巨大なトーナメント表が現れた。
「剣術、魔術の精鋭による三大杯──《勇者杯》《賢者杯》《戦神杯》を、三日にわたって執り行います。出場者の健闘を祈ります」
大歓声が再び会場を包む。
「第一日目、本日は総合戦技《勇者杯》となります。出場者は準備を進めてくださいね。
では!皆様、存分にお楽しみを!」
チェゼフが締めくくると、生徒たちは次々に所定の持ち場へと散っていった。
整列が解かれると同時に、俺とエルトリオは観戦席の下層へと続く通路へ足を向けた。コロシアムはすでに湧き立つような熱気に包まれている。周囲では各学科の生徒たちがぞろぞろと散り始め、仲間たちの姿もちらほら見える。
「ハルト、エルトリオ!」
背後から声がかかる。振り返ると、紅い髪を風になびかせたイーディスが、片手を軽く上げていた。
「ふふ、せっかくの晴れ舞台なんだから、ちゃんと盛り上げてきてねー!」
金色の瞳に悪戯めいた光が宿る。そう言いながらも、その表情には信頼と期待がにじんでいた。
「圧倒的すぎてあんまり盛り上がらないかもな?」エルトリオが返すと、イーディスは肩をすくめて笑った。
続いて、アメルノアが静かに歩み寄ってきた。黒紫の髪が日差しに揺れる。
「……まぁ、せいぜい頑張ってきなさい。」
口調は素っ気ないが、その視線はしっかりとこちらを見据えていた。
「ふん、命令口調とは相変わらずだな」
エルトリオが笑う。
「面白い試合ならなんでもいいわ」
それだけ言って、彼女はくるりと踵を返す。
ルシルゼーレは言葉こそ発さなかったが、銀髪を揺らして軽く手を挙げた。柔らかな笑みを浮かべている。言葉はいらない──そんな雰囲気だった。
そして、最後にイヴが一歩前に出て、ノートを抱えながら口を開いた。
「ふふ……観戦が楽しみです。どんな展開になるのか、ちゃんと記録しておきますね」
茶色の髪にメガネの彼女は、どこか楽しそうに目を細めていた。
「……精一杯頑張るよ」
俺はそう返して、仲間たちに背を向けた。
「行くか」
「ああ、主役の登場といこうぜ」
エルトリオと共に歩き出す。仲間たちの言葉を背中に受けながら──俺たちは控え室へと向かった。一刻後、戦いの幕があがる。




