第36話 旅立ち
学術院に通う事を決めてから数日後。
俺は霊峰の広場に立っていた。
岩場に腰掛けて空を仰ぐセレーネと、その傍らで静かに本を閉じるライデウス。
彼らにも伝えておきたい。
「……セレーネさん、ライデウス様。ちょっと話があるのですが、よろしいでしょうか。」
俺の声に、ふたりが視線を向ける。
セレーネは相変わらず気だるげに、だが少しだけ表情を和らげながら「なに?」と呟いた。
「王都セントリアの学術院から、特待生として招待されまして。
……家族の応援もあって行くことに決めました」
風が静かに吹き抜け、草がさわさわと揺れる。
セレーネの金の瞳がわずかに見開かれたが、すぐに視線を逸らし、岩に背を預けた。
「ふぅん。まぁ、いいんじゃない?
とりあえず、おめでとう?」
ライデウスは本を膝に置き、頷いた。
「うん……でも、それでひとつ、言わなきゃいけないことがあるんだ」
俺は拳を握る。
「週一の修行……もう、当分来られなくなると思う。王都に行ったら、距離も時間も、そう簡単には越えられない」
少し寂しさが滲む。
霊峰での修行は、俺にとって単なる鍛錬じゃなかった。
ここで得たもの、ふたりから教わったことは、全部、自分を支えてくれていたものだから。
セレーネは立ち上がり、背伸びをしながらぽつりと呟いた。
「王都くらいなら転移結晶と転移魔法陣で一瞬のうちに往復できるわよ?」
「いえ、最近やっと龍化で霊峰からスミカ村へ帰れるようになってやっと移動面でセレーネさんに面倒をかけることが無くなったので負担をかけたくないんです。」
「そ。……じゃあ、さよならね。あんたとこの修行、なかなか楽しかったわよ」
それはいつも通りの、ぶっきらぼうな物言い。
けれど、その瞳は、どこか少しだけ寂しげだった。
ライデウスは軽く笑みを浮かべて言う。
「道に迷ったら来い。
その時はまた道を指し示してやろう。」
「……うん。ありがとうございます。ふたりとも」
背中を押してくれた家族。
そして心身共に鍛えてくれた師。
「学術院で三、四日の休みを貰えたら、その時は転移結晶で一番に帰ってきますよ。」
「じゃ、行ってらっしゃい」
無関心そうに手をヒラヒラと振るセレーネ
「では、またな」
優しい瞳で俺を見送るライデウス
たくさんのものに支えられて、俺は今、ようやく歩き出せる。
そしてその日の夜、荷物の準備を終えた。
明日の朝、村を出て王都・セントリアに向かう。
入学試験の日程に万が一でも遅れることがないように、三日前には着くつもりだ。
特待生として招待されてはいるが、形式的な入試は受けなければならないらしい。
結果は関係ない。けれど──やるからには、きちんとやってみたい。
玄関に置いた荷物に目をやりながら、俺は心の中で小さく呟いた。
──ちゃんと、前に進もう。
ここで得たすべてを、胸に抱いて。
夜は静かだった。
けれど明日、俺の旅がまたひとつ、新しい章を迎える。
───
朝の空気は冷たくて、少しだけ湿っていた。
まだ太陽は山の向こうに隠れたまま。世界は、夜と朝のあいだで息を潜めている。
俺は、家の前に立っていた。
背中には小さな鞄に魔導杖、さらに腰には剣。荷物は必要最低限だけ。
今日、この村を出る。王都セントリア、学術院への旅。
玄関の前では、ライラ、ジェスター、ファーレス、それにメレノアが並んでいて――
その表情を見たとき、ようやく実感が湧いた。
しばらく会えないということに。
「……行ってくる」
少しだけ喉がつまったけど、なんとか言葉にする。
するとファーレスが、丁寧に包まれた布包みを差し出してくれた。
「ラインハルト様。これは道中の食糧です。冷めても美味しいように工夫してあります。……しっかり食べてくださいね」
「ありがとう。ちゃんと、美味しく食べるよ」
包みを受け取った指先が、少しだけ震えていた。
ライラが、そっと俺を抱きしめる。
柔らかくて、あたたかくて、とても優しかった。
「頑張ってね。……どこに行っても、あなたはあなただから」
「うん……わかった」
ジェスターは俺の肩をぽんと叩いて、にやりと笑う。
「王国近衛騎士にスカウトされたら父さんの事も推薦してくれよ? 」
思わず苦笑する。
だけど、こうして笑い合えるのも、今日でしばらくおあずけだ。
「お兄ちゃん、たまには帰ってくるんだよね?」
メレノアが寂しそうに目を潤ませて聞いてくる。
「もちろん。その時はメレの好きなケーキとかお菓子とかいっぱいお土産で買ってくるよ」
「え!ケーキ!!じゃあ良い子にして待ってるね!」
ケーキという言葉を聞いてパッと顔を明るくさせる。全く可愛い妹だ。
俺は、家から数歩だけ離れて立ち止まった。
深く息を吸って、心を整える。
そして――意を決して龍化する。
背中に熱が走る。
皮膚の奥で龍気が反応し、形を成していく。
光が集まり、俺の背に銀と深蒼の翼が顕現する。
翼が風をまとい、わずかに震えた。
「……じゃあ、行ってくる。少ししたら長期休暇もあるはずだからその時には帰るよ。」
家族の顔を、ひとりずつ見つめてから、俺は翼を大きく広げた。
風の感触が背中に集まる。
足元がふわりと浮かんで、次の瞬間、俺は宙にいた。
小さな村が、少しずつ遠ざかっていく。
屋根も、人の姿も、小さくなっていくけど……胸の奥には、全部がしっかりと残ってる。
(ありがとう……。俺、がんばるよ)
ちょうどそのとき、東の空が朱に染まりはじめていた。
太陽が、ようやく顔を出す。
翼に朝の光が差し込んで、薄く輝いた。
俺は、羽ばたいた。
風を裂いて、雲を越えて、まっすぐに――王都・セントリアへ。
新しい試練、新しい出会い。
何が待ってるか分からないけど、もう迷わない。
胸の奥には、ちゃんと灯ってる。
この道を選んだ俺の意思が、そして背中を押してくれた家族の温もりが確かに、ここにある。




