第35話 新たな道
十歳の誕生日から約二年後──
朝の空気が頬を優しく撫でていく。
春の陽光が山の端からゆっくり顔を出し、スミカ村を柔らかく照らし始めていた。
俺は、草を踏む感触を確かめながら村を出た。
目指すのはテミュリスの街、そして冒険者ギルドだ。
背には小さな荷と導魔杖。腰には剣。
何十回と歩いてきた道だけど、歩くたびに胸の奥が少しだけ高鳴る。
少しずつ、だけど確実に、強くなってきている実感があるからだ。
「……龍迅気、か」
自然と声が漏れた。
身体の内に流れる“龍の気”──それを一時的に活性化させ、限界を超える状態。
セレーネに教わったあの感覚は、今でも鮮明に思い出せる。
初めて発動したときは、自分の血が沸き立つような感覚だった。
世界の色が変わるような錯覚。風が止まったみたいに感じて、敵の動きがやけに遅く見えた。
頭で考えるより先に、身体が動いていた。
ただ力を出すだけじゃない。
“龍気”の流れを操る、緻密で強靭な技術。それが龍迅気だ。
……それに、龍剣技。
魔力と龍の気を刀身と身体に纏わせて、一瞬で勝負を決めるような剣技。
まだ俺はその入り口に立ったばかりだ。
だけど一つひとつの技を学ぶたびに、自分の剣が変わっていくのを感じる。
「まだ遠いな……」
セレーネやライデウス。あの人たちにはまだまだ届かない。
それでも──届かないなりに、俺の剣は確かに変わってきている。
鳥のさえずり、小川の音。草の香り。
この道は、いつだって俺を落ち着かせてくれる。
「今日も、ちゃんとやらなきゃな」
鍛錬と冒険。毎日の積み重ね。
それがきっと、いつか俺をあの人たちの背中に届かせてくれる……そう信じてる。
やがて山道が開けて、遠くにテミュリスの尖塔が見えた。
朝陽を浴びて輝くその街は、今日も変わらず俺を迎えてくれる。
導魔杖を背負い直して、少しだけ足を速めた。
ギルドの扉を開けると、いつもの木の香りと、冒険者たちのざわめきが耳に飛び込んできた。
受付のセリナが俺に気づいて、珍しく少し早足で近づいてくる。
「ラインハルト様、ちょうど良かったです。今朝届いたばかりなんです。こちら──セントリア学術院の教務課からのお手紙です」
「……学術院?」
差し出された封筒は上質な羊皮紙で、王都の紋章が金の箔で刻まれていた。
手が、わずかに汗ばんでいた。深呼吸して、封を切る。
⸻
《王立セントリア学術院 教務課より──
プラチナ級冒険者として異例の若さで昇格を果たされたラインハルト・ファーレンガルト様へ。
当学術院では特待生としてのご入学を正式にお願い申し上げます。
剣術・魔術・学問の三分野において王国内最高の教育を提供しており、
年度ごとの院内トーナメントでは、王の御前試合として王国騎士団や魔術師団による視察・スカウトも行われます。
更なる飛躍と未来への礎として、ぜひご一考いただきたく存じます。》
⸻
もう一枚の紙には、特待生としての待遇が細かく記されていた。
入学金と授業料は無償、希望すれば一人部屋の寮、学食も無料。
さらに、他の特待生たちと切磋琢磨できる特別クラス……。
「……」
自然と眉が寄っていた。
待遇そのものに不満はない。むしろ破格すぎるくらいだ。
でも──これは、ただの“選択”じゃない。
進む道そのものが、大きく変わってしまうような気がした。
「王立ってことは……やっぱり王都か」
王都には行ったことがない。
けれど話に聞く限りでは、早馬で三日。俺の翼なら、一日ってところだろう。
……王都には、イーディスがいる。
“守れる自信が出来たら会いに来る”──そう手紙には書いてあった。
もし偶然にでも会ってしまったら……彼女の覚悟を軽んじることになるんじゃないか。そんな考えが、頭をよぎる。
それでも会いたい気持ちもある。
小さく息を吐いて、封筒を閉じた。
周囲の冒険者たちが、ざわざわと声を上げ始める。
「やっぱりあれ、セントリア学術院の……」
「特待生……!? あそこってコースによっては倍率二十倍とかって話じゃ」
「でもラインハルトなら、そりゃ当然だろ。最年少でプラチナだしな……」
「王様が見るトーナメントって話も聞いたぞ。騎士団に引き抜かれたりして……」
その声は、驚きや憧れ、あるいは敬意……そんなものが混ざり合ったざわめきだった。
でも──俺の中は、まだ静かだった。
手紙をじっと見つめたまま、心の中で問いかける。
……俺は、この道を選ぶべきなのか?
霊峰での日々。セレーネ。ライデウス。
龍の気。龍剣技。その修行が、俺の芯を育てた。
じゃあ、この学術院で得られるものは、何なんだ?
その答えは、まだ分からない。
「……まずは、家族に相談してから、かな」
小さく、誰にも聞こえないように呟いた。
俺が進むべき道は、まだ──この手紙の先には、見えていない。
考えを整理するためにもクエストボードから軽めの討伐クエストを受注し、街を出る。
──────
依頼を達成しテミュリスの冒険者ギルドで討伐報告と報酬の受け取りを済ませた頃にはもう夕陽が傾きかけていた
少し冷たくなってきた風が草を揺らしながら、夕暮れの匂いを連れてくる。
──やっぱり、とりあえず話さなきゃな。
肩に掛けた鞄の中、王都セントリアから届いた封筒がずっと胸の奥に燻っていた。
これが正解の道なのか、それとも……
自分でも、まだよく分からない。
村に着いた頃には、あたりはすっかり夜の色に染まっていた。
家の窓から漏れる橙の光が、ほんの少しだけ心を軽くしてくれる。
「……ただいま」
玄関を開けると、香ばしい夕飯の匂いと、ぱちぱちと薪のはぜる音が出迎えてくれた。
居間ではライラとジェスターが湯を片手に談笑していて、メレノアはソファで横になり寝ていた。
そしてファーレスが台所から顔を出す。
「おかえりなさい、お坊ちゃん。クエスト、無事に終わったんですね」
「うん、いつも通り。……それより、ちょっと話があるんだ」
三人の視線が自然と俺に向いた。
少しだけ躊躇ってから、鞄の中からあの封筒を取り出し、机の上に置く。
金の箔押しで刻まれた王都の紋章が、わずかに灯りを反射した。
「……王都、セントリアの学術院から。特待生として招かれたんだ。
学費も寮費も全部免除で、特別クラスで専門的な教育を受けられるってさ」
しばらく誰も言葉を発さなかった。
暖炉の薪がはぜる音だけが、静かな部屋に響いていた。
「行けば、たぶん……未来は広がるし強くなれるかもしれない。
でも、それは同時に、ここを離れるってことでもある。父さんと母さん、ファーレスにメレノアとも……しばらく会えなくなると思う」
ジェスターがゆっくりと口を開いた。
「……そうか。セントリア学術院の特待生か……」
「お前がどれだけ努力してきたか、毎日見てた。驚きはないさ。
学術院で同年代と切磋琢磨するのも悪くは無い。」
ライラも頷きながら、静かに言った。
「それでも“行きたい”って思うなら、私は応援するわよ」
ファーレスが、真っ直ぐな視線をこちらに向けてくる。
「お坊ちゃん……いえ、ラインハルト様。
あなたがどれほど特別でも、どれほど大きな力を持つ存在でも、そしてどれほど離れても……私たちにとっては“家族”です」
俺は少しだけ視線を落としながら、口を開いた。
「ありがと。でも……正直、まだ決めきれてない。
行ってみたい気持ちはある。
でも、今ここを離れることが、本当に正しいのか、分からなくて……」
ジェスターが椅子に深く腰掛けて、腕を組んだ。
「正しいかどうかなんて、やってみなきゃ分からん。
けどな、行かないで“後悔”したくないなら──今、立ち止まってちゃ駄目だな」
ライラが微笑みながら前に進み、一歩、俺の肩に手を置いた。
「あなたの選んだ道なら、きっと大丈夫よ。
みんながあなたを信じている。私たちも、絶対に味方だから」
ファーレスも静かに頷き、目を潤ませている。
その瞬間、胸の中にあった重さがすっと消え、代わりに熱い決意が沸き上がってきた。
俺は深く息を吐いて、顔を上げた。
「……ありがとう。俺、行くよ。王都の学術院に──」
囲炉裏の火がゆらりと揺れ、部屋に暖かな光が満ちた。
家族の眼差しが、これからの未来を明るく照らしてくれる─




