閑話 無詠唱魔術の禁忌
焚き火の火が小さくはぜる音だけが、夜の静寂に溶け込んでいた。
山の空気は澄んでいて、星々のきらめきがやけに近く見える。
そんな穏やかな時間の中で、ふと気になっていた疑問を口にしてみた。
「ライデウス様。
そういえばなんで詠唱魔術が主流なんですか?
無詠唱のほうが速くて強いと思うんですけど……」
岩の上に腰かけていた龍神が、ちらとこちらに視線を向ける。
「……それは千年前の戦争に端を発する。
人族と魔族を中心とした地獄の大戦の末、魔神が封印され、やっと和平の盟約が交わされた。
その条項のひとつに、“無詠唱魔術を他者に伝えることを禁ず”というものがある」
「教えることを……禁じた?」
「うむ。無詠唱魔術は発動が速く、殺傷能力も高い。
戦争を激化させた主因のひとつとされていた。
当初は魔術そのものを禁止する案も出たが、生活の多くが魔術に依存していたため、それは現実的ではなかった。
そこで、詠唱を必須とし危険性を抑えるという落とし所になったのだ」
俺は思わず、焚き火を見つめながら呟く。
「俺、メレノアに教えちゃいました……」
ライデウスは少し目を細め、静かに言った。
「ふむ。まあ、問題あるまい。
貴様がその禁忌を知らなかったのであればな……
それに、禁忌を冒したものには雷により裁かれるはず。それが無かったのであれば問題無いのであろう……」
(あれ、もしかして俺死んでた可能性あるの?)
その言葉に安堵と寒気、そして同時にさらに疑問が浮かぶ。
「あれ、じゃあなんでライデウス様もセレーネさんも無詠唱で魔術を使えるんですか?」
セレーネもライデウスも無詠唱で魔術を使っている。ライデウスにおいては生命の魔術ですら無詠唱だ。
セレーネも俺も生命の魔術は無詠唱では使えない。
その問いにライデウスは一拍置いたあと
「我は大戦以前から生きている。
セレーネに関しては、そもそも我ら龍族は千年前の戦争にも和平の盟約にも関与していない。
ゆえに、その制約を受ける筋合いはないのだ」
「なるほど……」
俺は小さくうなずいた。
知らずに踏み込んでいた“禁忌”の領域――それは、この世界に深く根ざす歴史そのものだった。
焚き火の炎が揺れる。
無詠唱魔術の力、その本質と危うさを、俺は少しずつ理解し始めていた。