閑話 スポンサー契約
プラチナ級に昇格して、間もない頃
冒険者ギルドでクエストをこなし報酬を貰った帰り道、俺はテミュリスの街の職人通りを歩いていた。
夕暮れの空の下、武器や防具の並ぶガラス窓をぼんやり眺めながら通りを進む。
別に買う予定はなかったけど、職人たちが魂を込めた装備を眺めるのは嫌いじゃない。
――と、不意に背後から、勢いのある声が飛んできた。
「ぅおーい! ラインハルト殿、ちっと待ってくれねぇかい!」
振り返ると、鍛冶屋らしき恰幅のいいおっさんが、汗だくで走ってくる。
「アンタ、最年少でプラチナ級になったっていうラインハルト殿だろ? 頼みてぇことがあってな! ウチの武器、使ってもらえねぇか!?」
聞けば、自分の店の武器を装備して、宣伝してほしいという話だった。
報酬は月に大銀貨三枚。新作の武器提供つき。……要するに、スポンサーってやつだ。
「ありがたいですけど……俺、今の剣に不満ないですし。
杖も、これ以上のものがあるとは思えないです。しかも俺が使っても価値、下がっちゃうかもしれませんよ?」
そう言ってやんわり断ると、おっさんは「そうか、また気が変わったら言ってくれよな!」と残念そうに帰っていった。
それから数日後。
セレーネと並んで街を歩いている時、ふと思い出してその話を口にした。
「そういえばこの前、スポンサーの話があったんですよ。断っちゃったんですけどね」
「……へえ。あんたにもそんなの来るようになったのね」
「いや、でもセレーネさんこそ、オリハルコン級だからスポンサーの申し出なんて、めちゃくちゃ来るんじゃないですか?」
「……最初はね。鬱陶しいくらい来てた」
「あ〜やっぱり……。どうやって断ってたんですか?」
セレーネは少し思い返し答える。
「妖刀・村雨を見せたの」
「……え?」
「ウロボロスから下賜された、東方剣の神器級。『これより良い剣が作れたらスポンサー受けてあげる』って言ったら、誰も来なくなった」
「……ちょっと待ってください。え、それ、めっちゃ凄い剣じゃないですか!? 妖刀って……しかも神器級……?ライデウス様から……!?」
俺の声がひときわ大きくなる。だってそんなの、普通に聞き流すような情報じゃない。
「別に、強さは必要なだけあればいいでしょ? それ以上はいらないし」
「いやいやいや……それで誰も来なくなったって、当たり前じゃないすか……」
セレーネは興味なさそうに歩く。
いやいや、神器級の武器をスポンサー避けにするって……凄いな。
と、その時だった。
「セレーネ様っ!」
――前方から駆けてきたのは、十五、六歳くらいの少女だった。手にはエプロン、額には汗。
「スポンサーになっていただけませんかっ!」
「また武器?」
セレーネが面倒そうに目を細めると、少女はぶんぶんと頭を振る。
「ち、違います! 私、小さな食堂やってて……最近はお客さんも減って、もう潰れそうで……でもセレーネ様が名前を貸してくだされば、お客さんが来るかもしれないって……!」
「……客を呼ぶのに、私の名前を使いたいのね」
「は、はい……!」
その懸命な眼差しに、セレーネは一度目を伏せ――やがて口を開いた。
「味を確かめるわ。案内して」
少女に案内されたのは、職人通りの裏にある小さな食堂だった。
内装は年季が入っており、テーブルや椅子にもガタが来ている。
出てきた料理は……やはり、どこか雑だった。
セレーネは黙って一口、二口と運び……箸を置いた。
「悪くはない。でも、“普通”」
「……っ」
「調味が単調。塩分も砂糖も入れてるだけ。出汁の工夫も香りの重ねもない。見た目も、本気でやってない」
「……そんな、でも、毎日頑張って……!」
「努力してるのは分かる。でもそれだけじゃ、味にはならない」
セレーネは少女の目をまっすぐに見て、静かに言った。
「――味で勝負しないなら、スポンサーになる価値はないわ」
少女は唇を噛みしめて、俯いた。
「……だったら教えてくれませんか。どうすれば、美味しくなるか……!」
セレーネは静かに立ち上がり、キッチンに向かう。
「……いいわ。今日だけよ。台所、借りるわよ」
その日、食堂には調理音と香りが満ちた。
セレーネが示したのは、素材の活かし方、火加減のタイミング、味の重ね方――
「焦がし玉ねぎを仕込んでおくの。煮込み料理のコクが変わるわ」
「このスープ、鶏と魚の出汁を重ねて。沸騰させずに、じっくりね」
「甘味に塩気を入れるのもひとつの技術。極少量だけどね」
少女は必死にメモを取り、手を動かし、何度も味見をしていた。
「――明日からが本番よ。あなたの味を作りなさい」
そう言って、セレーネは店を後にした。
数日後。
再び、二人で食堂を訪れると――
「え、別の店ですか……?」
看板も新しくなり、窓からは香ばしい匂いと活気があふれていた。
少女が駆け寄り、嬉しそうに言う。
「来てくださってありがとうございます! セレーネ様のアドバイス、全部実践しました! 今日の特製プレート、自信作です!」
運ばれてきた料理は、見違えるほどだった。
見た目、香り、温度、味のバランス――
セレーネは黙って口に運び、しばらく目を閉じてから一言。
「……美味しい。よくやったわね」
「っ、ありがとうございます……!」
セレーネは、頷いて言った。
「あなたの料理なら、胸を張って名前を貸せる。宣伝でも、看板でも、好きにしなさい」
その後、《ミュリス食堂》は行列のできる人気店になった。
「オリハルコン級冒険者・セレーネ様イチオシの味!」という看板が掲げられ、特製パフェやプリンは即完売。
「……セレーネさん。完全に店の救世主ですよね」
「当然よ。味には妥協しないもの」
「ていうか今、三品目ですよね? これまだ昼ごはんですけど……」
「――気にしない。今日は全部制覇するって決めたの」
そう言って、セレーネは満足げに魚のフライにナイフを入れた。