第33話 進歩
次の日の朝。
陽が昇りきる前、俺は荷物を背負い、庭で軽くストレッチをしていた。
目的地は、霊峰──ライデウスとセレーネのいる場所だ。
(昨日のクエストも悪くなかったけど……やっぱり、今はもっと基礎を固めていきたいな)
導魔杖を背に、腰には短剣と少しの行動食。
準備を終え、懐から小さな転移結晶を取り出す。
「さて、行きますか」
結晶に魔力を流し込むと、瞬間、視界が白く染まった。
──光の粒が舞い、足元から風のような魔力が巻き起こる。
数秒後、視界が開けた時、そこは霊峰の頂──遥か眼下に雲を見下ろす、あの場所だった。
「……ふぅ。やっぱりこの空気、違うな」
澄んだ空気と、わずかに肌を刺す霊峰特有の魔力の流れ。そして。
「おはよ、冒険者のラインハルト君」
岩陰からひょいと現れたのは、漆黒の髪に金の瞳。セレーネだった。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「ふふ、ほんとに修行好きなんだね。」
「当たり前ですよ。ここには最高の師匠が二人も居るんですから」
そんなことを言うとセレーネは少し照れたようにはにかむとさらに言葉を紡ぐ
「あたりまえ、か。にしても、テミュリスで冒険者やってるじゃない、そっちは順調?」
「はい。まだ駆け出しですけど、何件かクエストもこなしてます」
「へぇ……ちゃんと動いてるのね。あんたのことだから、山に籠もって黙々と魔法だけ撃ってるかと思ってたわ」
「それも好きですけど、人と関わるのも大事だと思って」
そう言うと、セレーネさんはほんの少しだけ目を細めた。どこか、興味深そうな眼差しだった。
「ふーん……で、スミカ村に帰って、またテミュリスに行って、帰って……って?」
「そうですね。結構移動に時間かかります」
「……ってことは、あんた……まさかスミカ村から歩いて来てんの?」
「はい。一応鍛錬にもなりますし、節約も兼ねて」
「……っはあ~~~~~~~~~~!?!?!?」
セレーネさんが盛大にため息をついて、額に手を当てた。
「ちょっと待って、ほんとちょっと待って……。あんた、龍の気も一応扱えるのに、徒歩で山越えてるの?」
「ええ……それなりに身体も鍛えてますし」
「いやいやいやいや。龍化、覚えたでしょ? “ふよふよマスコットフォーム”とはいえ、飛べるじゃない」
「いや、その……まだ実用レベルじゃなくて。あのときも、鳩より遅いって言われましたし……」
「あれは事実だけど! だけどね、あんた……! そろそろ第二段階に進むべきでしょ!」
バッとセレーネさんが手を広げ、空を指差す。
「今日の修行、決まり! 龍化の精度を上げて、空をまともに飛べるようにする!」
「えっ、今から?」
「ええ、今から! 歩きで来てる冒険者なんて聞いたことない! せっかく龍の力持ってるのに、何その浪費!?」
「あの……ちょっと、怒ってます?」
「呆れてるだけよ」
淡々とそう言いながら、セレーネさんは詠唱句を書き始めた。
「さ、まずは前と同じように変身してみなさい。いい加減、マスコット卒業するわよ」
「……はい!」
「我が血潮に眠る龍よ――目覚めろ」
言葉と共に魔力を解放し、意識を内側へと向ける。
身体が光に包まれ、熱く脈打つ鼓動とともに――変化が始まった。
視界が低くなり、背中が軽くなったかと思えば、空中にふわりと浮かび上がる。
「……またそれか」
セレーネさんの乾いた声が頭上から降ってくる。
水鏡に映るのは、丸っこい体、小さな角、羽ばたく短い翼。そして、やっぱりうるんだ瞳の小さな龍。
「ううぅ……やっぱり可愛くなっちゃう……」
「“なっちゃう”じゃないのよ。こっちは何度見ても慣れないわよ、その癒しドラゴン」
セレーネさんはこめかみを指で押さえ、ため息をついた。
その後も、ラインハルトは詠唱を重ね、龍化を繰り返す。
試行錯誤の末、ついには――
我が血潮に眠る龍よ……目覚めろ
その声は、今や詠唱というより、ただの意思表示だった。
「……って、無詠唱でできてるじゃない」
「えっ!? あっ、ほんとだ……! 詠唱してなかった……!」
「あんた、ほんと変なとこで優秀ね……でも」
水鏡を展開するまでもなく、ラインハルトの視界に浮かぶ自分の手には、やっぱり小さな鱗。翼は短く、空中でぷかぷか漂っている。
「……形状、変わらず。はい、ミニドラ継続」
「うう、もう何回目だろう……」
「十二回目よ」
「記録してたんですか!?」
「そりゃ記録するでしょ、もう途中から実験みたいなもんだし。ていうか逆にすごいわよ、なんでそこまで一貫して“可愛い”のよあんた」
「努力してるのにぃ……!」
ラインハルトが翼をぱたぱた動かして悔しがる姿に、セレーネさんはやれやれと肩をすくめる。
「……わかった。ちょっと方針変えるわ。あんた、まずは“全部じゃなくて一部だけ”変えるのを目指しましょ」
「一部だけ……?」
「そう。たとえば、翼だけ龍のものにするとか。あんたの中の龍の気はもう安定してるし、全体を変えるのが難しいなら、まずは一部に集中したほうが現実的」
「なるほど……!」
セレーネさんが指を鳴らすと、背中から黒く光る龍の翼がばさりと展開された。
「こんな感じ。これなら、ある程度の移動にも使えるし、力の分散も抑えられる。見た目も人のままだから、小回りも効く。」
「すごい……! これなら僕にもできるかも!」
「じゃあ、試しにやってみなさい。翼だけ、って意識して。龍の気を背中に集中。上手くいけば、バランスもよくなるはず」
「はい……!」
ラインハルトは深呼吸をし、目を閉じる。
その意識を、身体の背面――肩甲骨のあたりへと集める。
龍の気が流れ込んでくる感覚。今までとは違い、全身を包むのではなく、限定的な流れだ。
そして、意識の先で――
「……っ、出た……!」
ばさっ、と風を巻いて、小さな黒い翼が背中に展開された。
「……って、またちっちゃい!」
「んー……でも、今回はちゃんと“翼だけ”できてる。いい感じよ。これは進歩」
「……本当ですか?」
「ええ。ミニドラじゃないだけ、前進。もうすぐ実用レベルになるわね」
ラインハルトの口元が、少しだけほころぶ。
セレーネさんはそんな彼の頭を、ぽん、と軽く小突いた。
「ほら、浮いてみなさい。バランス感覚も鍛えないと、空の上じゃ落ちるわよ」
「はい!」
この日、ラインハルトはようやく“空を目指す翼”を得た。
まだ小さな一歩だけど、確かな進歩だった。
陽が西に傾き、霊峰の空が淡い朱に染まり始める。
何度目かの飛行から着地した僕は、深く息を吐いた。
背には銀と蒼の光を帯びた一対の龍翼。小さく丸まった羽根ではもうない。
風を掴む感覚も、ぐらつくことも少なくなった。視線を少し上げて翼を動かすと、ふわりと体が浮き上がる――そのまま弧を描いて、優雅に滑空することさえできるようになった。
空を飛ぶという行為が、ただの「夢」や「憧れ」ではなく、僕自身の「力」になった。
セレーネさんが遠くでこちらを見上げ、軽く手を振っている。
僕は地面に降り立ち、彼女のもとへと駆け寄った。
「今日だけでも、かなり形になりましたね」
「ええ。これなら、実戦でも使えるくらいにはなったんじゃない?」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
初めて龍化したときの、あのふわふわしたマスコットのような姿を思い出して、思わず笑みが漏れた。
「ただのマスコットから、やっと飛べる龍になれました」
「ま、まだ“雛”だけどね」
くすっと笑いながら、セレーネさんは足元の土を軽くなぞりはじめた。
迷いのない線で描かれていく複雑な文様――その筆致は、まるで長年慣れ親しんだ舞のように、正確で美しい。
淡く蒼い光が線に沿って走り、地面に転移魔法陣が広がっていく。
「じゃ、帰りましょ。今日はよく頑張ったわ」
「ありがとうございます。また来週も、修行お願いします」
「ええ、同じ曜日にはここにいるから。勝手に転がり込んで来なさい」
はい、と頷いた僕が魔法陣に足を踏み入れると、彼女も隣にすっと立つ。
光が膨らみ――気配が一転する。
次の瞬間、足元の石畳が揺れ、空気の匂いが変わる。
戻ってきたのは、見慣れた我が家の庭だった。
転移の光がすっと消えるころ、門の前で園芸をしていたライラが俺たちに気づく。
「あっ、おかえり〜!」
ぱたぱたと小走りで近づいてきたライラは、セレーネさんの姿を見るなり目を輝かせた。
「セレーネさんも一緒だったのね!もしよろしければ……ご飯、一緒にどう?」
その一言に、セレーネさんが目を丸くする。そして、ふっと頬を緩め――
「……食べてから帰る」
即答だった。
俺が苦笑しながら「じゃあ、お邪魔していってください」と促すと、セレーネはうんとだけ頷いて、ライラの案内で家の中へと入っていった。
ふわりと、食事の支度の匂いが風に乗って鼻をくすぐる。
そんなこんなで修行の日はセレーネさんが食卓に混ざる事になった。




