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第32話 初任給

クエストボードをひと通り見渡したが──


「……うーん、今日はもういいか」


掲示されているのは、グレイウルフの駆除やスライム掃除、薬草の採取といった地味なものばかり。

報酬に対する労力が見合っているとは言いがたい。


(この中から無理に選ぶより、明日改めて動いた方が良さそうだな。“いい案件”を狙えるかもしれない)


初日でこの成果。今日はもう十分すぎるくらいだ。


そう自分に言い聞かせながら、軽く首を回して伸びをする。

ギルドの中はまだざわついていたが、さっきまでの冷笑やからかいはすっかり影を潜めていた。

代わりにあったのは一歩引いたような、探るような視線。


“何者か分からない相手”に向ける目だ。


(……一目置かれる、ってこういう感じか)


ギルドの扉を押し開けると、傾きかけた夕日が街並みをオレンジ色に染めていた。

ほんの少し、冷たい風が頬を撫でる。


(セレーネさんに偶然会えたのも……運が良かったのかもしれないな)


懐の財布には、中銀貨四枚と小銀貨五枚。

この世界で、自分の力で稼いだ“はじめての報酬”だ。

その使い道はもう、決めていた。


街の大通りを歩いていると、ふと目に留まった看板がある。


《製菓屋・ロメロ》


描かれたケーキのイラストが可愛らしく、心を和ませる。


中に入ると、ふわりと甘い香りが迎えてくれた。

木製のショーケースには、くるみのケーキ、ガトーショコラ、ベイクドチーズにティラミス──目移りしそうなほど多種多様なケーキが並んでいる。


その中でも、豪華なフルーツがたっぷり載ったシャルロットケーキがひときわ目を引いた。

色とりどりの果実に、周囲を囲うビスキュイ。見た目も華やかで、少し値は張るがこれしかないと直感する。


「これの六号サイズ、いただけますか?」


カウンターに小銀貨五枚を乗せると、店員の女性がにこやかに包み始めながら言った。


「えらいねぇ、おつかいかしら? 誰かのお誕生日?」


「いえ……ちょっとした、お祝いです」


子ども扱いされるのは少し照れくさかったが、彼女の接客はとても気持ちがよく、自然と笑みがこぼれた。


「はい、お待たせ。中に氷も入れてあるから、冷たさはしばらく保てるわ。揺らさないように気をつけてね」


「ありがとうございます!」


手を振って見送ってくれる姿に、また何かの機会があれば買いに来よう──そう思いながら店を後にした。


***


三刻後──日が沈みかけた頃、スミカ村へと戻ってきた。


帰る前にもう一つ、村の市場を覗く。

肉屋の軒先に近づくと、快活な声が飛んできた。


「おう! ジェスターさんとこの坊主じゃねぇか!」


馴染みの肉屋の親父だ。顔を見るなりにやりと笑う。


「なんか美味しいお肉、ありませんか?」


「ばっきゃろー、全部うめぇに決まってんだろ。……ま、強いて言やぁコレだな」


カウンター越しに指差されたのは、細かいサシが美しく入った上質な牛肉の塊。


「じゃあ、それください!」


元気よく言うと、親父は顔をくしゃっとさせて笑った。


「ホントは小銀貨四枚だが……今日はサービスしとくよ。三枚でいいぜ。」


「ありがとう! おじさん、また来るよ!」


「おう!そんときゃまたサービスしてやるよ」


中銀貨一枚を渡し、お釣りの小銀貨七枚を受け取る。

手にはケーキの箱と肉の包み。どちらも、今日一日頑張った自分へのささやかな報酬、そして家族への感謝。


(……この村って、やっぱりあったかいな)


穏やかな風とともに、自宅の灯りが見えてきた。


今夜は、ちょっとした“祝宴”だ──。



玄関の扉を開けると、すぐにファーレスの声が迎えてくれた。


「お帰りなさいませ、お坊ちゃま。……まぁ、その箱は?」


「ちょっといいもの買ってきたんだ」


俺が笑いながらケーキの箱を持ち上げると、ファーレスは目を丸くしてから、ふっと優しく笑った。


「……なるほど。初任給で、ですね」


「うん。あと、肉も。ちょっといいやつ」


「まぁ! 本当に……ふふ、立派になられて」


エプロン姿のファーレスが感慨深げに言うのを、台所から出てきた義妹──メレノアがすかさず遮った。


「えっ、ほんとにケーキ!? ケーキって高いんだよね? すごっ!」


「見るなよ、今はまだ。ちゃんと最後に出すから」


「えー、気になる〜!」


騒がしく食卓に駆けていったメレノアに苦笑しながら、俺は荷物をテーブルの上に置いた。


やがて奥の間からジェスターが出てきて、豪快に笑う。


「おおっ、帰ってきたか、冒険者殿! ケガもなく、堂々の凱旋だな!」


「まぁ、初日だからね。軽めの依頼だったし」


「それでもだ。初めて自分で稼いだ金ってのは、特別なんだ。……それを、家族のために使うとはな。お前、ちょっとカッコよすぎるぞ?」


「ちょ、やめてよ父さん。そういうの……」


隣で聞いていたライラがふわりと笑う。


「ふふっ、でも嬉しいわよ。ありがとう、ハルト。今日はみんなでお祝いね」


あっという間に食卓には料理が並び、俺が買ってきた肉も、ファーレスとライラの手で見事なローストに仕立てられた。

ほんのりレアで、ナイフを入れればじゅわりと肉汁があふれる。


「おいっしいっ! これ、お兄ちゃんが買ってきたやつだよね?」


メレノアが目を輝かせてかぶりつく。口の周りをソースでべったべたにしながら、笑顔を見せた。


「うん。お肉屋さんで、ちょっと奮発してね」


「わたし、魔物ってよく知らないけどさ……倒してお金をもらえるって、すごいよね。おとぎ話の勇者様って感じ!」


「……まぁ、そんな感じ、かな?」


「うん、お兄ちゃんすごくかっこいいよ!」


「ありがとう。メレノアもお姫様みたいに可愛いよ」


「えー本当に!?ありがとう!!」


和やかな空気の中、ジェスターがコップを高く掲げる。


「よし、じゃあ改めて! 俺たちの誇り──ラインハルトの冒険者デビューに、乾杯だ!」


「「乾杯っ!」」


メレノアがコップを高く掲げ、ライラとファーレスも笑顔でそれに続く。


肉の香ばしさと温かな空気に包まれながら、皆の笑顔が並ぶこの時間が、何よりのご褒美だと実感する。


食後、いよいよケーキの時間。


フルーツが豪華にあしらわれたシャルロットを箱から取り出すと、メレノアが「わぁぁっ!」と歓声を上げた。


「なにこれ、宝石みたい……!」


「冷やしてたから、ちょうど食べごろだと思うよ」


ライラが優しくナイフを入れ、フルーツがこぼれないように慎重に切り分けていく。


「甘ーい! フルーツの味もすっごいね!」


「ほんとね……幸せな気持ちになる味だわ」


「……よかった。買ってきて」


ふと見ると、ファーレスが目を細めて、こちらを見ていた。


「……坊ちゃまは、優しい方ですね」


「そ、そうかな……?」


「はい。今日のような夜は、一生の宝物になりますよ、ご馳走さまでした」


静かな、けれど確かな言葉に、胸の奥があたたかくなる。


家族の団らん──

それは、魔物の脅威も、街のざわつきも、なにもかもを忘れさせてくれる、ささやかで確かな“幸せ”だった。



──────


翌朝、少し遅めに目を覚ました俺は、軽く身支度を整えてスミカ村を発った。

風はまだ涼しく、街道の木々が陽を受けてきらめいている。


(さて……今日はいいクエストあるといいな)


昨日と同じく、テミュリスの冒険者ギルドへ。

昨日の一件で多少名は知られたらしく、ギルド内での視線はやや変わっていた──無関心と警戒、その間くらい。


(まぁ、気にしない方がいいな)


壁際に並ぶクエストボードを見渡す。……が、内容は大して変わっていなかった。


「グレイウルフ討伐、報酬・小銀貨二枚。スライム掃除、報酬・小銀貨一枚……薬草採取は……」


昨日とほとんど同じラインナップ。どうやら日によって劇的に変わるものでもなさそうだ。


「……こりゃ、毎日来ても仕方ないな。ギルド通いは一週間に一回くらいでも良さそうだ」


目ぼしいクエストがある時に一気に片付ける方が、時間効率はいいかもしれない。

とはいえ──せっかく街まで来たのに手ぶらで帰るのも性に合わない。


(うん。軽いやつでいい、ひとつだけやって帰ろう)


そう決めて、掲示板から一枚の紙を抜き取る。


『近郊農場付近に現れる小型魔物・ホロアームを駆除。推定個体数は三〜五。報酬・小銀貨二枚+討伐数ボーナス』


(地味だけど……まぁ、悪くないか)


受付で依頼を受け取り、ギルドを後にする。


***


目的地の農場は、テミュリスの街から歩いて半刻ほど。

周囲は一面の畑と、ちらほら点在する納屋や牛小屋。のどかな風景に似合わない気配が、地面のあちこちに残っていた。


「……土が、割れてるな。こいつか」


足元に注意しながら歩くと、乾いた音とともに地面がわずかに隆起する。


「来た……!」


素早く導魔杖を構え、気配が集中する地面へ魔力を叩き込む。

地面を割って現れたのは、黒ずんだ皮膚を持つ手のような魔物──ホロアームだ。

人間の腕ほどの大きさだが、指の先は鈍い鉤爪になっており、武器を持たない農民にとっては十分に脅威になる存在だ。


「だけど……動きは遅い」


魔力を巻き上げ、地面ごと凍らせる。ホロアームがじたばたと動こうとするが、凍結した土に阻まれて動きは鈍く、やがて完全に停止した。


(ひとつ。……あと四体か)


その後も注意深く足音を抑えながら、地面のわずかな動きに集中していく。

正面から戦うほどの相手ではない。狩るべきものを、狩るだけだ。


……半刻後、五体目を仕留めた俺は、ふっと息をついて腰を伸ばす。


「ふぅ……終わり、だな」


討伐の証である鉤爪を剥ぎ取り、袋に入れて持ち帰る。


このクエストは地味で簡単だが、魔力の制御や感知力、対応の判断など、基礎が問われる。


(これはこれで、悪くない訓練になる)


ゆっくりと街道を戻る。

ギルドに戻れば、報酬をもらって、あとは村に帰るだけだ。


俺は日差しの下で、ほんの少しだけ、口元を緩めた。


(地味な一日だけど……着実に前に進んでる気がする)


まだ小さな一歩かもしれないが、その一歩は、確実に“冒険者”としての自分を形作っていく。

そう思いながら、俺は今日の一日を静かに振り返り、そして前を向いた。

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