第31話 冒険
扉はギイ、と重い音を立てて開いた。
中は思ったよりも薄暗く、空気もどこか重い。
いや、正確には「がらが悪い」と言った方が正しいかもしれない。
入口近くのテーブルでは、スキンヘッドのごつい男が大声で笑っている。奥のカウンター付近では、長髪で筋骨隆々の男が片腕だけ鎧をつけたまま、昼間から酒をあおっている。そのほかにも、いかにも喧嘩慣れしていそうな冒険者たちがズラリと並び、俺に向ける視線は──
「なんだこのガキ」
「おいおい、ここはガキのお守りする場所じゃねぇぜ」
「ママはどこだよ、ぼ〜や~?」
そんな嘲笑混じりの声が飛んでくる。
──うん、想像通り、いや想像以上に場違いだ。
俺はまだ九歳である。
あまりに幼く、あまりに無防備。目つきや態度で威圧しようにも、そもそも目線の高さが違う。
笑われている。完全に子ども扱いされている。
けれど、俺は気にしない。いや、気にしていない“フリ”をする。
(怖くない、怖くない……うん、怖くない……たぶん)
自分に言い聞かせながら、まっすぐに受付カウンターへと足を進めた。
そこには、二十代前半くらいに見える女性が立っていた。金色の髪をポニーテールにまとめ、胸元にギルドバッジをつけた受付嬢だ。俺の姿を見て、少し驚いた表情を見せる。
「はい、いらっしゃい。どうかしたのかな、坊や?」
「冒険者登録をしたいんです」
きちんと礼をしながら告げると、彼女は目を丸くして、それから少し困ったような笑みを浮かべた。
「お、お金、大丈夫……?」
その言い方がどこか優しさに満ちていて、少しだけ安心する。
俺はポーチから中銀貨五枚を取り出し、丁寧にカウンターに置いた。
「ふぅん……はい、確かに。じゃあ手続きに入るね」
受付嬢は銀貨を数え、小さな書類と名札のような金属プレートを取り出して説明を始める。
「まず、冒険者にはランクがあるの。ブロンズから始まって、順に──
シルバー、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンド、最後はオリハルコン。これはもう、世界に二十人もいないくらい、超一流の冒険者ね」
「……そんなに少ないんだ」
「うん。ちなみに、最初は原則ブロンズスタートよ。例外もあるけどね。魔術ギルドや“四方剣の道場”で上級認定されたり、王都にある“学術院”を卒業すると、いきなりゴールドからスタートできるの」
彼女はにこっと笑って、俺の顔を覗き込む。
「でも……ボクちゃんは、そういう経歴じゃないよね?」
「……うん、ない」
「じゃあブロンズね〜♪」
ちょっとからかうような調子だったが、嫌な感じはしない。
俺は黙って、彼女が用意する登録用紙を見つめた。いよいよ、冒険者としての生活が始まる──そんな実感が、胸の奥でじわじわと湧いてくる。
受付嬢に言われるまま登録書類に名前と必要事項を書き込み、それを返すと、「ちょっと確認するから、そこに座って少し待っててね」と促された。
言われた通りに待っているだけでは退屈で、俺はすぐ隣にあるクエストボードに目を向けた。
ギルドの壁一面に貼られた紙。どうやらそれが、冒険者たちがこなす仕事──クエストというやつらしい。
どれどれ、と近づいて内容を確認する。
【八刻、引越し手伝い・条件─なし・報酬:小銀貨一枚】
【四刻、畑仕事・条件─なし・報酬:大銅貨三枚】
【四刻、鍛治の石炭運び・条件─なし・報酬:大銅貨四枚】
……なんだこの日雇い労働は。
かつての前世で、俺が食いつなぐためにやっていたそのものだ。
力仕事、配達、工場作業。とにかく短期で終わる仕事を転々として、最低限の金だけ稼ぐ毎日だった。
だが──今は違う。
生きるためじゃない。お金を返すため、家族に感謝を形で伝えるため、そして俺自身の力を磨くためだ。
最低限なんてやっている暇はない。少しでも効率よく、少しでも稼げるクエストを探す必要がある。
そんなとき──目に入った。
【魔獣フェンリル一匹の討伐・条件─ダイヤモンド以上・報酬:小金貨五枚】
──ゴクリ。
一瞬で喉が鳴る。
小金貨五枚。ありえない額だ。先ほど見た日雇いクエストが、ただのゴミくずに見えるほどの差。
俺は急いで受付に戻り、登録書類を確認していた受付嬢に訊いた。
「あの、これ……フェンリル討伐のクエスト、俺でも受けられますか?」
すると受付嬢は一瞬驚いた顔をしてから、ふっと微笑んだ。
「フェンリル? うーん……無理。完全に無理よ」
「……ですよね」
「条件に書いてあるでしょ?“ダイヤモンド以上”。つまり、今のあなた──ブロンズランクだと、五つも上ってこと。しかも一番上のオリハルコンのすぐ下よ? いくら何でも無茶すぎるわ」
言い方は柔らかいが、内容ははっきりとした拒否。
だが、次の言葉で少しだけ希望が見えた。
「でもね、ランクが一つ下までのクエストなら、特例で“契約金”を払えば受注できるの」
「契約金……?」
「うん。要するに、“失敗しても文句言いません”って誓約をお金で担保するの。ま、フェンリル級だと契約金も冗談じゃない額になると思うけどね」
「……なるほど」
俺は頷いた。まだまだ今の俺じゃその領域には届かない。
だけど、目指す価値はある。あの報酬の額──それに、自分がどこまで通用するのか、挑戦する価値はきっとある。
「じゃあ、それまでは……地道にお使いクエスト、頑張るか」
俺は再びクエストボードに目を向けた。
石炭運び、畑仕事、引っ越しの手伝い……。地味で、泥臭いクエストばかりだが、今はそれが俺のスタートラインだ。
ここから始めよう。家族のために、妹の未来のために、俺自身のために。
「おーい、少年。ランクプレートできたよ。ほれ」
呼ばれて受付に戻ると、受付嬢が片手でプレートを持ち上げて見せてきた。
ネックレスのような形をしたそれは、鈍い光を放つ銅製のプレート。その表面には──
『ラインハルト・ファーレンガルト』の文字が刻まれていた。
「……わ、ありがとうございます」
まだブロンズランクだ。でも、こうして目に見える“証”を手にしたことで、少しだけ冒険者になった実感が湧いてきた。
「じゃあ、なんかクエスト受けたい時は、ボードから紙を取ってこっちに持ってきてねー」
「はいっ、分かりました!」
小さく会釈して再びクエストボードの前へ。
できるだけ報酬がよくて、なおかつ自分にもできそうな──そんな都合のいいクエストを探す。
そして、ひとつ目を引いた。
【レイジタイガー、一体の討伐・条件─なし・報酬:中銀貨二枚】
……おおっ。
条件なしの中では破格だ。他のクエストがせいぜい大銅貨数枚程度だったのに対して、これは一気に中銀貨。しかも討伐系だ。強くなった実感も得られそうだ。
俺は迷わずそのクエスト紙を受付に持っていった。
「このクエスト、受けたいんですけど!」
だが、受付嬢は途端に顔をしかめた。
「……悪いことは言わないから、やめときな。親が悲しむよ」
「えっ、そんなにヤバいクエストなんですか? 条件なしだったし、誰でも受けられるのかと……」
「レイジタイガーってのはね、確かに条件なしで受けられるけど、その理由はね、急を要する事態じゃ無いってだけ。レイジタイガーが街の近くに出たらゴールド以上になるクエストよ。ブロンズが無策で挑んだら、まず無理。返り血を浴びて終わり。あんた、まだ子どもじゃないの」
「うーん……でも、何とかなりますよ。多分」
「はあ……」
俺の楽観に、受付嬢は深いため息をついた。だが次の瞬間には諦めたように書類にサインし、クエストを受け付けてくれた。
「……私は言ったからね。討伐の証は“牙”を持ってきて。それと、もし倒せたら素材も回収して持ってきな。ちゃんと買取やってるから。じゃあ、健闘を祈ってるよー」
やれやれ、といった表情で手を振る受付嬢に軽く頭を下げ、俺はギルドを後にする。
目指すは、レイジタイガーの出没地点。
本物の冒険者として、初めての“狩り”だ。
平原に到着してしばらく歩いていると、目の前に紫色の光を宿した虎が姿を現した。
──レイジタイガー。筋肉質な体躯にしなやかな動き、まさに野生の獣。けれども、俺の心は妙に冷静だった。
「おお、確かに強そうだな……」
そう思った瞬間だった。レイジタイガーの背後──草むらが揺れ、さらに巨大な影が現れた。
同じく紫の目を光らせた、巨体の熊──これはたぶん、バーストベアだろう。
「……あれ? これ、二匹やったらちょっと報酬多く貰えるんじゃね?」
そんなことを思考する間に、俺は導魔杖を構えていた。魔力の流れに意識を集中し、風の魔術を展開。
「……斬り裂け」
瞬間、空気が裂ける音とともに、二匹の首が宙を舞った。
レイジタイガーと巨大熊、どちらも一瞬で沈黙した。
──初めてのクエストは、関係ない魔物を一匹“ついで”に討伐してのクリアとなった。
どちらの個体もサイズが大きく、体ごと運ぶのは無理だ。
仕方なく、証拠となる二匹の首だけ切り落とし、手に提げてギルドへ戻る。
扉を開いた瞬間、またぞろギルド内の冒険者たちの視線がこちらに向けられた。
「おいおい、随分早いなボクちゃん」
「ニュービーにレイジタイガーは、ちとはええよなあ?」
「本物の魔獣見て、ビビっちゃった〜?」
まるで様式美のように投げかけられる軽口と嘲笑。それでも俺は何も言わず、無言で首をふたつ──どん、とカウンターに置いた。
ぴしゃりと、場の空気が止まる。
虎の頭部。鋭い牙と紫に濁った眼球がまだ残っている。
その隣に置かれた熊の頭は、よりいっそう凶悪な迫力を放っていた。
誰もが黙った。その目が、口が、見開いたまま固まる。
「これ、倒した魔物なんですけど……買取の方、持ってけばいいですか?」
俺がそう口にすると、受付嬢は口元を引きつらせ、しばらく沈黙したままだった。
やがて、硬直した表情のまま、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ボクちゃん……いや、あんた……どうやって……?」
声が震えていた。理解が追いついていない様子だった。
いや、正直俺も、どうやったか説明しろって言われても困るんだけど──まぁ、風の魔術で一撃だったしな。
買取の方に首を持っていくと、受付嬢は少し呆けた表情のまま口を開いた。
「……クエストの報酬金と素材の買取額、それとバーストベアの討伐報酬金、一緒にして渡すから。そこに座って待ってな。」
俺は素直に「はい」と答えて、近くの椅子に腰掛けた。足をぶらぶらとさせながら、静かに待つ。が、平穏はそう長くは続かない。
「ほんとにお前が倒したのかぁ?」
さっきまで散々茶化してきた男たちが、ニヤついた顔で寄ってくる。距離を詰めてくるその足取りと目線に、警戒というより、正直言って“面倒くさい”が先に立つ。
……怖くはない。むしろ、“またか”という感じだ。
だがその時、**ガシャァン!**という音とともにギルドの入り口の扉が勢いよく開いた。
周囲が一斉にそちらへ視線を向ける。空気が変わるのが肌で分かった。
「……ありゃあ、オリハルコンの金眼の死神じゃねぇか。」
「マジかよ……ここ来るの、一ヶ月ぶりくらいか?」
ヒソヒソとした声が飛び交い、場がざわつく。目を向けると、黒いローブをまとい、深くフードをかぶった女性の姿がそこにあった。だが、その歩き方、佇まい、そして──金色に光る瞳。
俺は確信する。
「……セレーネさん?」
金眼がこちらを向いた。フードの奥から覗くその瞳は、紛れもなく俺の知っている“あの人”だった。
「……あれ? ラインハルトじゃん。なんでこんなとこにいんの?」
気軽な口調で近づいてくる。まるで山で会った時の続きかのように。
俺が答えるより早く、ギルドの空気はさらに一段階変化した。
周囲の冒険者たちはあからさまに震え、席を立とうとしていた数人はそっと腰を下ろし直す。
──オリハルコン級。
世界に二十人しかいないその存在は、ここでは“生きる伝説”だ。
そしてその一人が、どうやら俺と「知り合い」らしい。
(……ちょっと、ややこしいことになりそうだな)
俺は内心ため息をつきながら、セレーネさんを見上げた。
「えっと、僕はセレーネさんにお金を返すために、稼ぎに来てるんですよ。」
そう言うと、セレーネはふぅん、と興味なさそうに眉をひとつ動かして、
「あー……ほんとに払う気なんだ、あれ。」
「ええ、もちろん。」
俺がうなずくと、セレーネは口の端をわずかに上げたように見えた。
そんな他愛ない会話をしていると、セレーネの金の瞳が隣を見た。
「そいつ。友達?」
気だるそうに、けれど少し鋭さを含んだ声だった。俺も視線を向けると、隣にはスキンヘッドのごつい男が、椅子にへたり込んだまま微かに震えていた。
顔が真っ青だ。もう少しで泡吹きそうである。
……ここまで来ると、なんだか可哀想になってきた。
「いえ、友達ではないですけど、ここのことを教えてくれたんですよ。」
そう言って俺は席を立ち、クエストボードの方へと歩き出した。
視線でスキンヘッドの男にどっか行けと念を送りながら。
周囲の視線は依然として俺とセレーネに集中しているが、知らないふりをしてクエストを探す。
“稼ぐために”──でも、それだけじゃない。
今の俺には、“実力を示す”必要がある。
この世界で、自分の力で立っていくために。
「というかセレーネさんこそ、何してるんですか?」
俺が怪訝そうに問いかけると、セレーネは片手をひらひらと振りながら答えた。
「いやー。暇じゃん? あそこ。だから、たまに面白い魔物出てないか見に来るんだよね。あ、ほら今日もある。」
そう言ってクエストボードから一枚の紙を取り出すと、そのまま受付嬢の元へ持っていく。
──魔獣フェンリル討伐。
あの、ダイヤモンド級じゃないと受けられない超高難度のクエストだ。
それを、まるで散歩でも行くような気軽さで受付に渡すセレーネ。
周囲の冒険者たちが再びざわめくのがわかった。
羨ましいな……受けれるのか、あれ。そう思っていたら、横からセレーネがちらりとこっちを見て、
「……受けれるのが羨ましい? 顔に出すぎ」
と、少し笑っていた。
「……っ」
図星だった。恥ずかしくて思わず視線を逸らす。
心を読まれたみたいで、なんだか顔が熱くなる。
「ま、あんたなら――魔獣フェンリルくらいなら多分楽勝だしね。かわいそ」
そうぽつりと呟いて、黒いローブの裾を翻しながらギルドの扉を開け、外へと出ていった。
……嵐のような人だな。本当に。
気圧されながらもクエストボードに視線を戻す。俺は俺で、やれることをやらなきゃ。
そんな時だった。
「おーい、少年! 報酬と買取の準備できたよー」
受付嬢が手を振ってこちらを呼んでいた。
俺はクエストボードから目を離し、受付嬢の元へと向かった。
「はい、こちらが報酬の中銀貨二枚。それと……こっちが素材の買取金と熊の討伐報酬金。虎と熊、両方とも牙と眼の状態が良かったからね。これが中銀貨二枚と小銀貨五枚で、合わせて中銀貨四枚と小銀貨五枚ってところかな」
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて、銀貨を財布にしまう。思ったよりずっと稼げた。
その時──再びギルド内がざわつき始めた。
「……さっきのあの女、やっぱ“金眼の死神”だよな?」
「黒ローブに漆黒の髪、さらに金の瞳……間違いない。セレーネ様だ」
「だけど、あの子供と……あんなに自然に喋ってたぞ?」
「まさか、あの“死神”と知り合いなんて……一体何者だ、あいつ……」
周囲の冒険者たちの空気が、あきらかに変わっていた。
あの“金眼の死神”と恐れられるオリハルコン級──セレーネと、まるで友人のように会話していた少年。それが、今の俺に向けられている視線だった。
「あ、あの……もしかしてセレーネ様と、お知り合いなんですか?」
声をかけてきたのは、さっきまで俺を小馬鹿にしていたスキンヘッドの男だった。
声は引きつり、さっきとは打って変わって礼儀正しい。
「はい、まぁ……少し前まで一緒に過ごしてましたから」
曖昧に答えると、男はごくりと唾を飲み込んだ。
「う、嘘じゃ……ない、よな。あの人と面識がある奴なんて……オレ、初めて見た……」
その言葉に、周囲の視線がさらに強まる。好奇、驚愕、そして、距離を測るような探る眼。
受付嬢までもが少し表情を変えた。
「なるほどね……あんた、ただの新人じゃないと思ってたけど……まさかセレーネ様とね」
「……いや、本当に偶然の出会いだったんです」
「ふーん? 偶然であの人とあそこまで親しくなれる人、初めて見たけど?」
にやりと笑いながら、彼女は報酬の銀貨を差し出してきた。
「とにかく、これで完了。あんた、変に目立っちゃったけど……それで舐められることは、もうなさそうだね」
俺は苦笑しながら財布をしまい、ギルドの空気の変化を背に感じた。
セレーネと、いや、オリハルコン級の冒険者と関わりがあるだけで、こんなにも空気が変わるんだ。
今は午後の二刻目、中途半端な時間だがもしかしたら美味いクエストがあるかもしれない、そう思い再びクエストボードに目を向けた。




