第30話 家族
スミカ村の外れまでたどり着いた時、ちょうど物見櫓から声が飛んできた。
「おーい、ジェスターさん! 大丈夫だったか?」
懐かしい声に思わずこちらも反応しかけたが、ジェスターは腕に抱いたメレノアを気遣ってか、声を出さずに片手だけをあげて応える。
だが、その心遣いも虚しく、メレノアは小さく身じろぎしながら目を開けた。
「……おじちゃん。着いたの……?」
ジェスターの胸元に顔をうずめるようにしながら、不安そうな声を漏らす。
その瞳は眠たげというより、疲れと戸惑いに満ちていた。
「ああ、もうすぐだ。でも、あとちょっとだけ我慢できるかい?」
彼女は静かに、こくん、と頷いた。
目だけで周囲を見回している。知らない場所に来たという緊張が伝わってくる。
門をくぐると、村の中はざわついていた。俺たちの姿を見つけた村人たちが、次々に近寄ってくる。
「隣村はどうだったんだ?」
「魔物の侵攻はこの村には来ないか?」
「誰かケガしてないか?」
不安と焦りの入り混じった声が、ジェスターに向かって一斉に飛ぶ。
けれど彼はそれらをひとつひとつ受け止め、手短に、的確に指示を出し始めた。
「隣村は深刻な物資不足に陥ってる。うちの備蓄を少し分けよう。荷車に積んで門の外に届けてくれ。隣村の人たちがそこで待ってるはずだ」
「それと、向こうでの復興を諦めた人たちが、ここに避難してくる。空き家をあてがってやってくれ。手が空いてる奴は、開拓や畑仕事も教えてやってほしい」
堂々と、そして迷いのない口調だった。
普段はどこか頼りなくて、冗談ばかり飛ばしている父の姿と、あまりに違って見えた。
……けど、なんだろうな。
やっぱり、ちょっとだけ誇らしかった。
「じゃあ、行こう」
俺は、ジェスターの脇を歩きながらそう声をかけた。
彼は無言で頷き、メレノアをしっかりと抱きかかえたまま、自宅の方へと歩き出す。
今日から始まる。
新しい暮らし、新しい家族──その小さな一歩を、静かに踏み出した。
夜の冷気に包まれながらも、ようやく帰り着いた我が家。ジェスターが静かに扉を開けると、灯りの柔らかい光が漏れ出し、外の闇を一瞬押し返した。
「……遅かったわね。大丈夫だった?」
まず最初に出迎えたのはライラだった。
しかし、彼女の視線がジェスターの腕の中でじっとしている小さな少女に向いた瞬間、表情が凍りつく。
「……子ども?」
驚きと戸惑いが入り混じった声だった。
そしてその言葉に反応するように、ジェスターの腕の中の少女──メレノアがゆっくりと目を開けた。
「……おじちゃん。ここが、おうち?」
眠たそうにしながらも、少しだけ不安そうな声。
「ああ、ここが俺たちの家だ。安心していい」
ジェスターが優しく言うと、メレノアは胸に顔を寄せ、少しだけ震えを止めるように息を吐いた。
ライラはそんな様子を見て、困惑した表情のままジェスターに向き直る。
「ちょっと、どういうことなの……?」
「詳しいことはあとで話す。ただ、一つだけ先に言わせてくれ。この子は、メレノア。今日から、俺たちの家族になる」
ジェスターのその言葉に、ライラは目を見開いたが……やがて小さくため息をつくと、膝を折ってメレノアに目線を合わせた。
「……メレノアちゃん。私達と暮らすのは嫌じゃない?心配な事とかあったら言ってね。」
メレノアは少しきょとんとしたあと、安心したようにふっと微笑んで、小さく「うん」と頷いた。
その様子をそっと見守っていたのはファーレス。メイド服を整えながら一歩前に出て、控えめに頭を下げた。
「ジェスター様、お帰りなさいませ。そして……メレノア様、お腹が空いておられましたら、すぐに軽食をお作りいたします」
ファーレスの丁寧な口調と穏やかな笑みに、メレノアは少しだけ緊張をほどいたようだった。
そして、その時──
家の奥、暖炉の近くに座っていた男が立ち上がる。
それまで銅像のように静かだったライデウスが、無言でこちらへ歩み寄る。
そのままメレノアの前に立つと、じっとその瞳を見つめ──何も言わずに、ただ静かに頷いた。
ジェスターは一歩前に出て、深く頭を下げた。
「……ライデウス様。家族を守ってくださり、本当にありがとうございました」
その言葉に、ライデウスはごく短く、一言だけ返した。
「……よい」
それだけで十分だった。
その声音に、何の見返りも、何の執着もない。
ただ、為すべきことを為した者の、それだけの言葉。
彼はそのまま玄関へと向き、家の外に立っていたセレーネに声をかける。
「セレーネ。我らは霊峰へと戻ろう」
「了解」
セレーネは肩をすくめながらも、どこか嬉しそうに、そしてさりげなくジェスターと俺、そしてメレノアに視線を送った。
「……お幸せに、ってやつよ」
それだけ言って、彼女もライデウスの隣に並ぶ。
俺たちは──ジェスターも、ライラも、ファーレスも、そしてメレノアも──家族全員で、家の前に立って二人の背中を見送った。
夜の闇に、霊峰へと帰っていくふたりの姿が溶けていく。
静かで、穏やかで、確かな別れだった。
メレノアがぽつりとつぶやいた。
「……あのおじさんとお姉ちゃん、すごく強そうだったね」
「うん。そうだな。あの人たちは──本当に、すごい人たちだ」
俺はそう返しながら、少しだけ夜空を見上げた。
新しい日々の始まりに、静かな希望が宿っていた。
一週間が経った。
メレノアはこの村での生活にもずいぶんと慣れてきたようで、朝はちゃんと起きて、ファーレスに教わりながら身支度を整え、ジェスターに甘えるように腕を掴んで笑う。
「パパ、今日もお仕事いくの?」
そう、今ではジェスターのことをしっかりと「パパ」と呼んでいる。
最初は照れ笑いしていたジェスターも、今ではすっかりその呼び名が板についたようだ。
ライラのことは「ママ」とはさすがにまだ言えないようで、少し遠慮がちに「お母さん」と呼んでいるが、それでも声色は柔らかく、確かな信頼がそこにある。
そして、俺のことは──
「お兄ちゃん、これ見て!」
なんと健気で、そして可愛らしい義妹だろうか。
朝から小さな手に摘んだ野の花を見せてきたり、ファーレスと一緒に作ったという不格好なクッキーを差し出してきたり。
……いや、ほんと、ずるい。こんなの守るしかないだろ。
──とはいえ、俺には考えなければならないことがあった。
あの時。
「──必ず、金貨二枚を払います」
勢いと、感情と、義憤と──そういったもので突き動かされて口にしたあの言葉は、いま現実の重さを伴ってのしかかってくる。
気がつけばこの一週間、メレノアのことで手いっぱいで、金策のことなどまともに手を付けられていなかった。
のんびりしていられる立場じゃない。
俺も、もう少し稼がないと……。
だから今日は、朝からひとつ決めていたことがある。
母さんに──ライラに、冒険者について聞いてみようと思っている。
俺のような未熟者が通るべき道を、母さんならきっと知っているはずだ。
ちょうど今、朝食の片付けも終わったところだ。
タイミングとしては悪くない。
俺は居間にいるライラの背を見ながら、声をかける準備を始めた──。
「母さん、話があります」
朝食の後、まだ台所にいたライラに声をかける。
彼女はふと振り返り、優しい声で返した。
「どうしたの? ハルト」
俺は一瞬だけ言葉を飲み込む。けど、ここで言わなければと口を開いた。
「冒険者になりたいんだけど……どうやったらなれるかな?」
その言葉を聞いた瞬間、ライラは小さく、しかしはっきりとため息をついた。
「……冒険者は、やめなさい」
予想していた答えだった。でも、その口調は怒りや否定じゃなく、心から心配している母親のそれだった。
「確かに、ハルトは強いわ。剣も魔術も、昔から人並み以上にやってきた。でも、いくら強くても──死ぬ時は死ぬ。それが冒険者よ」
その言葉には重みがあった。
実際、俺は冒険者の世界を知らない。ただ漠然と「金を稼ぐ手段」として思いついただけだった。
もっと楽に稼ぐ方法なんて、きっと他にいくらでもある。
何も言い返せなくて、口をつぐむ俺を見て──母さんは微笑んだ。
「でも、ハルトがどうしてもって言うなら止めないわ」
その言葉に顔を上げると、ライラの目はまっすぐ俺を見つめていた。
「あなたの才能、そして努力は──冒険者にとどまらない。国の英雄にだってなれると、私は本気で思ってるの。だから、危険だって言葉で縛れるとも思ってない」
そう言って、母さんはほんの少しだけ笑った。
強さの中に、優しさが混じった笑みだった。
「でも……忘れないで。危険な時や、疲れた時はね、ちゃんと帰ってきて寄りかかってきてもいいのよ。私はそのためにここにいるんだから」
ああ……なんて優しいんだろう、この人は。
きっと、俺が言葉に詰まるのを見て、助け舟を出してくれたんだ。
「母さん……ありがとう」
自然と、そんな言葉が漏れていた。
胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
「それで……どうやったら冒険者になれるかな?」
俺の問いかけに、ライラは少し考えるように目を細めたあと、丁寧に教えてくれた。
「冒険者になるには、まずギルドに行かないといけないわね。ここら辺だと北に三刻ほど行ったところに“テミュリス”の街があるわ。そこに冒険者ギルドがあるの。受付で中銀貨五枚を払えば、冒険者登録ができて、ランクプレートがもらえるのよ」
「中銀貨五枚か……」
思わず呟くと、母さんはにこりと笑いながら言葉を続けた。
「ま、ここから先は受付の人に聞いた方が早いわね。ちょっと待ってて」
そう言って台所の引き出しを開け、何かを取り出して戻ってきた。
「──はい」
差し出された手のひらに、きらりと銀色の硬貨が並ぶ。中銀貨五枚。
手の上にそれが置かれた瞬間、胸がいっぱいになった。
「母さん……ありがとう!」
「まったく、もう……」
苦笑とともにため息が一つ。その中に、小さな笑い声が混じっていた。
心の奥が温かくなるのを感じながら、俺は玄関へ向かい、そして扉を開けた。
外はよく晴れていて、朝の光が村の木々をやさしく照らしている。
「行ってくる!」
誰にともなくそう言い、俺は走り出した。
風の魔術を発動し、身体を前へ押し出す。足元に疾風が巻き、景色が音を立てて流れていく。
颯爽と駆け抜ける。
目指すは──テミュリスの冒険者ギルド。
ここから、俺の新しい一歩が始まる。
二刻後、俺は“テミュリス”の街に到着した。
風の魔術を使ったとはいえ、さすがに少し疲れた……が、それを吹き飛ばすように、目の前に広がる街の光景が迫ってくる。
「……でっか……!」
素直な感想が口をついて出た。
今まで見たのはスミカ村と霊峰だけだった。山と畑と家しかない生活から、一気に文明の渦へと放り込まれた気分だ。
石造りの建物が並び、石畳の道の上を人が行き交っている。商人の声、車輪の音、香辛料の香り、魔道具の蒸気音──すべてが刺激的で、目と耳と鼻が追いつかない。
武器屋、防具屋、本屋に魔道具屋、見たこともない装飾の店や、賑やかな屋台まで並んでいる。
見ているだけで心が踊る。だが──
「いやいや、違う違う……」
俺は首をぶんぶんと振って自分に言い聞かせる。
今は寄り道してる場合じゃない。目指すは冒険者ギルドだ。
すれ違う街の人に道を聞こうとすると、明らかに怪訝な目を向けられた。服装も田舎っぽいし、挙動不審だったかもしれない。けど、気にしていたら負けだ。心の中で「田舎者はツラいぜ……」と呟きながらも、俺は街を進む。
そして、しばらく歩いて、ようやくそれらしい建物を見つけた。
「──あれか?」
それはまるで、西海岸の酒場のような外見だった。
少しくたびれた木造の壁に、大きなガラス窓。ドアの上には錆びた鉄の看板がぶら下がっており、そこには剣と盾を組み合わせたようなギルドの紋章が描かれていた。
扉を開ければ、俺の“冒険者”としての第一歩が始まる。
深呼吸して、手をかける。憧れと希望の扉が、今開かれる……




