第27話 成長と修行の終わり
七日目。修行の総仕上げ。
俺の剣の腕は、この一週間で飛躍的に伸びていた。
魔道人形との戦闘、そしてセレーネの的確な指導——
すべてが、確実に血肉となっている。
昼下がり、いつものように魔道人形と対面し、剣の確認をする。
構えを取って、呼吸を整えたその時だった。
背後から、気だるげな声が響く。
「ねー……暇なんだけど~。なんか面白いことないかなー」
振り向くと、セレーネが手に肉を持ったまま、やる気のない目でこっちを見ていた。
見た目は涼しげでも、口元にはしっかり肉汁がついている。
「……暇なら剣の相手をしてくださいよ。なんか、今日は掴めそうな気がするんです」
そう頼んでみたが、返ってきたのは気の抜けた返答だった。
「え~。だって、泥だらけになるんだもん。汗かくし……髪も乱れるし……やだ~」
ぐねぐねと体を揺らしながら、全身で“やる気がない”を表現してくる。
「そんな理由で……」
呆れかけたそのとき、セレーネの後ろから、重みのある声が響いた。
「暇ならば——我が相手をしてやろう。無論、剣でな」
その声は低く、落ち着いていて、どこか威圧感がある。
聞き慣れた声。
——ライデウスだった。
瞬間、セレーネの全身がピタリと固まった。
まるで空気が凍ったかのように、彼女の動きが止まる。
肉を齧る手も、口元にかかっていた髪を払う仕草も、すべてが静止した。
「……は?」
かすかに漏れる声。
ゆっくりと振り返るその背中から、なぜか緊張感が滲み出ている。
「……ウロボロス、ほんとにやる気?」
「当たり前だ。せっかくの場だ、それに、暇なのだろう?」
「はぁ、タイミングわる。」
セレーネはめんどくさそうに眉をしかめたが、その目はどこか嬉しそうでもあった。
「ラインハルト、よく見ておけ」
そう言いながら、ライデウスはゆっくりと歩み出る。
ふたりの間に風が走る。
空気が張りつめ、音が遠のいたような錯覚に包まれた。
──そして、一歩。
互いの距離が一定に縮まった瞬間、セレーネが踏み込む。
速い。
滑るように地を駆け、低い姿勢から振るわれる斬撃。
だが、ライデウスは微動だにせずにそれを受け止めた。
鋼と鋼が重なり合い、甲高い音を響かせる。
「くっ……!」
剣と剣が交差するたびに、セレーネの表情が変わっていく。
不敵から真剣へ。真剣から驚きへ。
斬り込み、跳ね上げ、返す――
そのどれもが見切られ、逆手に取られていく。
「ちょっと、手加減してよ……っ!」
「しているさ。だが、お前がそれを上回ってくるなら――応えるまでだ」
ライデウスは一歩も退かず、ただ流れるように受け流す。
淡々と、精緻に。動きには一分の隙も無い。
セレーネは奥歯を噛みしめた。
このままでは“遊び”にもならない。
「……じゃあ、本気……出すよ?」
右手を払うように振ると、魔法陣が弾けるように展開。
そこから漆黒の大鎌が姿を現す。
空気が変わる。
さっきまでの軽妙な打ち合いが、一気に緊迫感を纏う。
「ふッ!」
セレーネの鎌が唸りを上げて振り抜かれる。
曲線を描く軌道。威力も練度も、剣とは比較にならない。
ライデウスは身を低くしてそれを回避。
風を裂いた鎌の軌道が後ろの岩肌をえぐる。
「いい斬撃だ。重く、鋭い」
ライデウスは初めて評価の言葉を口にした。
セレーネの口元がぴくりと持ち上がる。
「褒めるなんて、らしくないじゃん……!」
第二撃。
鎌を翻し、上段から鋭く振り下ろす。
ライデウスは逆手で剣を差し上げ、刃を受け止めた。
だがその瞬間、セレーネの身体が揺らぎ、第三の攻撃が生まれる。
──フェイント。
刃が視線の外から回り込む。
(そこ!)
風が唸る。
セレーネの鎌がライデウスの肩を狙って奔る。
その一瞬だけ、ライデウスの想定を上回り、剣が反応に遅れる。
キィンッ!!
しかし届く寸前、ギリギリで軌道を逸らされた。
それでも、黒髪がふわりと散る。
「っ……!」
セレーネが息をのんだ。
そして、その向こうで――ライデウスが小さく笑った。
「……過去を超えたな。見事だ、セレーネ」
その声には、心からの称賛が込められていた。
セレーネは、言葉を失って数秒黙り込む。
「……今、ほんのちょっとだけど、追いついた?」
「ああ。ほんの少しだけ、だが――確かに迫った」
「そっか……やった、わたし」
膝をつき、地面に鎌の柄を突く。
満身創痍でも、表情はどこか満ち足りていた。
「完敗。でもね……今の一撃、あれは自信持っていいって思った」
ライデウスは静かに頷いた。
「誇れ。あれは、お前にしか打てぬ一撃だった」
セレーネの唇が、ほんの僅かに微笑の形をとった。
ラインハルトはそのすべてを目に焼き付けていた。
剣の勝負。力と技。そして、それを超えた“何か”を。
そして思った。
──セレーネは、やっぱり化け物みたいに強い。
だがその強さすら、導く者がいる限り、まだ進化していくのだと。
龍神の修行──最終日──
昼、空は雲ひとつない晴天。
静かな霊峰の訓練場に三人の影があった。
俺は正面に立つセレーネと対峙していた。
黒髪が風に揺れ、金の瞳が静かにこちらを見据えている。
「これが最後の修練となろう。見せてみよ、貴様の成長を……」
ライデウスの言葉に、俺は無言で頷いた。
「全力で来なさい」
セレーネの言葉は簡素だったが、そこには確かな期待と信頼が感じられた。
この一ヶ月、剣を交え、戦いを積み重ね、俺は変わった。
その成長を、今、証明する。
剣を抜く。セレーネも構えた。
次の瞬間──互いに地を蹴って駆け出した。
「ッ!」
剣と剣がぶつかり、火花が散る。
セレーネの一撃は鋭く、正確。動きに無駄がない。
だが、俺の剣ももう退かない。
打ち合い、回避し、刃を滑らせ、体勢を整える。
セレーネの攻撃を読み、反応し、わずかな隙をついて剣を振るう。
彼女の剣は以前のような容赦のないものではなかった。
だが、完全な手加減でもない。
俺の全力に寄り添うような、そんな剣だった。
(……これが、“優しさ”か)
それでも、こちらは全力を尽くす。
後退も、躊躇も、不要。
今の俺には、技術も、気力も、ある。
「……はあっ!」
踏み込んだ一撃が、セレーネの構えを崩す。
わずかな隙──そこを逃さず、剣を彼女の首元へ寸止めで差し込んだ。
静寂。
「……勝負、あり」
ライデウスの声が、空気を締める。
俺は大きく息を吐き、剣を引いた。
「……ありがとうございました」
深く頭を下げる俺に、セレーネはしばらく沈黙した後、ふっと口角を上げた。
「へえ……やるじゃない」
「……いえ。セレーネさんが、手を抜いてくれていたからです」
俺の言葉に、セレーネは目を細めた。
「……なんのことかしら」
「全力でなら何とか勝てるくらいの、いい手加減でした……」
セレーネは少しだけ目を逸らしながら、照れ隠しのように肩をすくめた。
「……ずっと負けっぱなしじゃ、自信無くすでしょ?」
その言葉に、胸が温かくなる。
この一ヶ月、厳しくも誠実に、ずっと俺を導いてくれた。
その優しさに、今、改めて気づく。
「……セレーネさんは、本当に優しい人だなって、思いました」
ぽつりと呟いたその言葉に、セレーネは不意を突かれたような顔をした。
耳が、ほんのり赤く染まる。
「……ばかじゃないの。何言ってんのよ」
俺は自然と笑った。
それを見たライデウスが、低く、しかし確かに感嘆の声をもらす。
「……よく育ったな、ラインハルト。剣だけではない。心も、だ」
風が吹いた。
霊峰の澄んだ空気の中で、俺の成長が、静かに刻まれていった。




