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第24話 剣の流派、四方剣


朝。霊峰の空は薄い金色に染まり始め、山頂には涼やかな風が吹いていた。

空気は澄み、静寂の中で鳥のさえずりが遠くに聞こえる。


ラインハルトはゆっくりと目を覚まし、寝台から体を起こす。

軽く伸びをして外に出ると、霊峰の朝特有の凛とした冷気が肌を撫でた。


昨日のこと――瘴龍リヴァイアサンとの戦い――を思い出す。

自分は戦ってはいない。ただ見ていた。それでも、心は昂っていた。龍王という最凶の瘴龍。

そして、それに勝利したライデウス。


あの光景が、ずっと頭から離れない。


「……なんてものを見せられたんだか」


ぼそりと呟き、木剣を手に草地へと出る。


剣を抜き、何も考えず素振りを始める。

いつもの朝の習慣。考えごとをするときは、決まってこれだ。


数十本ほど振ったころだった。


「朝からよくやるわね。……バカ真面目ってやつ?」


その声に、肩の力が抜ける。


振り返れば、肉の塊を骨ごとかじっているセレーネがいた。

獣の脚肉らしきものを、串も皿もなしに持っており、まるで野生そのものだ。

だが、その漆黒の髪と金色の瞳が放つ気配は、どこか神聖ですらある。


「おはようございます、セレーネさん」


「ん。起きてるか見に来ただけ」


そう言いつつ、彼女は近くの岩に腰を下ろし、無造作に肉をもうひとかじりする。

かりり、と骨を噛む音が静かな空気に混じった。


「ライデウス様はまだですか?」


「ええ。来るのはもうちょっと先じゃない?」


「……そうなんですか」


「ふふ。貴方、見てるだけだったのに緊張しすぎてたんじゃない?」


肉の骨を軽く振って指差すようにしながら、セレーネは小さく笑った。


「……はい。情けないですけど、昨日は見てるだけで手のひらが汗びっしょりでした」


「まぁ、リヴァイアサンはね……ちょっと規格外だったわね。

もしウロボロスが動かなかったら、世界が消滅してたかも」


淡々と言いながら、セレーネは最後の一口で骨の周りの肉を平らげた。

骨をぽいっと空中に放ると、空中で燃え尽きて灰となって消える。


「……戦ってないのに、なんか疲れました」


「そりゃそうでしょ。あれは、“見ることすら試練”だったわよ」


ラインハルトは苦笑して、木剣を収める。


「でも、見てよかったとも思ってます。あれが本物の戦いなんだなって、初めて思えた」


「ふーん……偉いじゃない」


セレーネは興味なさそうに言いながら、どこか満足げに目を細めた。


「……ところで。昨日のアレ、貴方にとっては“手の届かない場所”に見えた?」


「……正直、はい。遠すぎて、圧倒されました。でも……」


「でも?」


「いつかあそこに、届きたいって思いました。無理だって言われても、挑まなきゃ意味がないから」


「……ふふ、男の子だね」


セレーネは軽く笑い、立ち上がる。


「ま、挑むなら精々、壊れない程度にね。壊れたら、ウロボロスがうるさいから」


「……気をつけます」


その時、空気が微かに震えた。

風の向きが変わり、霊峰の奥から微弱な魔力の揺らぎが届く。


「来たわね、あの人」


セレーネがぽつりと呟く。


ラインハルトは一つ深呼吸して、姿勢を正す。


わずかに揺らいだ空間から、ゆっくりと一人の男が姿を現す。風も気配も従えるようにして現れたその男の名は、ライデウス。漆黒の法衣をまとい、何一つ乱すことのない気配のまま、静かに二人のもとへと歩み寄る。


「……よく、休めたか?」


その声は低く、しかしどこか温かいものを宿していた。


「はい。昨日は、よく眠れました」


ラインハルトはしっかりと立ち上がり、真っ直ぐに答える。


ライデウスは一瞬だけ目を細め頷くと、すぐに表情を引き締めた。


「今日からの修行はな、格上との戦いだ」


「格上……との戦い?」


まだ完全には目が覚めきっていない頭で、ラインハルトはその言葉を繰り返した。


「うむ、そうだ」


ライデウスはそのまま視線を横へ向ける。


「セレーネと、剣で戦ってもらう。残り十日間の修行の、総仕上げとなる」


「……はあ? なんで私が剣を振らないといけないのよ」


セレーネが露骨に顔をしかめて、声を低くする。


「剣はあんまり得意じゃないし、好きでもないって前にも言ったでしょ」


「だが、不得手であるからこそ意味がある。基礎を思い出し、土台を固め、強くなれ。これはお前にとってもな」


ライデウスの返しは、冷静そのものであった。


セレーネは一つ大きなため息をついてから、視線をラインハルトへ向ける。


「……ま、あんたを剣で叩けるなら、それも悪くないか」


「それって、やってくれるってことでいいんですよね?」


ラインハルトが小さく笑うと、セレーネはほんの僅かに目を細めた。


「ふん……勘違いしないでよね。退屈なだけよ、ほんと」


その表情はどこか呆れと諦め、そして興味が混じったような複雑なものだった。


彼女はラインハルトに視線を投げた。


「……で、アンタはどこの流派なの?」


 問いかけは唐突だったが、真剣そのものだった。ラインハルトは一瞬ぽかんとし、すぐにきょとんとした表情を浮かべる。


「……流派、ですか?」


 首を少し傾げるようにして返すその声音に、セレーネは明らかに驚いたような、いや、呆れたような顔をした。


「ちょっと待って。……本気で聞いてるの?」


「え、はい。あの……すみません、俺、そういうの全然分からなくて」


 ラインハルトの反応に、セレーネはまばたきすらせずにしばし沈黙した。そのあと、小さくため息をつく。


「……はぁ……アンタ、それで今までよく剣を振ってこれたわね」


「父の動きを見よう見まねで……ただ、ちょっと教えて貰ったくらいで、それだけです」


「信じられない……まさか、流派すら知らないとは思わなかったわ……」


 腕を組み、空を仰ぐようにして首を少し反らす。


「じゃあ、今まで何を基準に剣を振ってたの?」


「えっと……斬られないように、ですかね……」


 その返答に、セレーネは思わず鼻で笑った。


「……ある意味、それが正解かもね。実戦重視。型に囚われてない分、動きは読みにくいし、悪くない」


「……すみません。知らないことばかりで」


「別に責めてるわけじゃないわ。ただ、ちゃんと覚えなさい。流派っていうのは、自分がどんな剣を振って、何を信じて戦うかっていう“軸”みたいなものなの」


 セレーネの声は、いつになく落ち着いていた。その言葉の重みを、ラインハルトはまっすぐに受け止めようとする。


「……はい。教えてもらえますか?」


「仕方ないわね。じゃあ、特別に“講義”してあげる」


 セレーネはそう言って、軽く腰に手をあてながら、少しずつ歩き出した。


 セレーネは足を止め、一本の枝を拾い上げると、それを軽やかに構えた。


「剣術ってのは、“振れば剣術”じゃないのよ。流派と体系があるの」


 ラインハルトは自然と背筋を正す。セレーネは地面に枝の先で四つの円を描いた。


「この世界の剣術は“四方剣”。東・西・南・北、それぞれに流派がある。使う剣も、戦い方も全部違う」


「四方剣……ですか」


 セレーネはひとつの円を指でなぞる。


「まず東方剣。細身の片刃剣で、一撃必殺。“神速の一閃”が特徴。攻撃も防御も最小限。動きに無駄がない分、外せば死ぬ。……勝負は構えた瞬間に決まってるような剣ね」


「……すごい剣術ですね」


「次に西方剣。両刃の両手剣を使う、いわば“王道”。構え、受け、斬り返し、全てが基本に忠実。重い剣を制御するには全身を使うから、技と体の両方が鍛えられる。地味だけど、本当に強い奴はこれがちゃんとできてる」


 ラインハルトは、わずかに反応した。


「……あ、それは少し。僕、自分でも西方剣に近い型を練習してて」


「へぇ。どこで?」


「……ほぼ自己流です。多分父がその流派なんですけど、ずっと模倣と試行錯誤で」


 セレーネは枝を肩にかけ、ふっと鼻を鳴らした。


「続けるわよ。南方剣。これは最近とはいっても50年前くらいから広まった流派。両刃の片手剣を使って、まるで舞うような連撃で斬る。“剣舞”とも呼ばれるわ。姿勢を崩さずに攻め続けて、相手に隙を与えない。魔力との親和性も高くて、応用も利く。……見た目も華やかで、最近は一番人気ね」


「……それも、少し取り入れてます。西方剣だけだと間が重くなるんで、動きを繋ぐ工夫をしてたら、自然と近くなったみたいで」


 セレーネは目を細めた。


「なるほど。方針としては悪くないわ。でも、“認定”は受けてないのよね?」


「はい。道場にも行ったことないし、正直、自分の剣がどれほどのものなのか……」


「ふぅん……ま、そういうの嫌いじゃないわ」


 そう言ってセレーネは枝をくるりと回し、次の円を指した。


「最後に北方剣。これは……まぁ、“生き残るための剣”。流派というより、“実戦型”って言ったほうが近い。北の方は魔獣が多くて、治安も悪い。だから“使えるものは全部使う”。剣、斧、蹴り、何でもあり。型にとらわれない分、強い奴もいるけど……上品じゃないわね」


「無骨というか、実戦主義……ですね」


「そう。そして四方剣には段階がある。初級、中級、上級、秘剣、禁忌剣。認められるには、正規の道場で認定を受けなきゃダメ」


 そして、セレーネはさらりと言った。


「私は東方剣と西方剣で秘剣を持ってるわ。南方剣は上級。興味があった時期に、割と本気で取り組んでたから」


「す、すごい……」


「すごくない。努力すれば誰だって届くわよ。ただし、“やり切れば”だけどね」


さらりと言ってのけるが、魔術の段階と重ね合わせて考えて見ても並では無いことが容易にわかる。


 セレーネはラインハルトをまっすぐに見つめた。


「ラインハルト。アンタの剣は“方向性”としては悪くない。でも、自分の実力がわからないんでしょ?」


「……はい。自分の剣がどの位置にあるのか、正直……判断がつきません」


「だったら――」


 彼女は枝を剣のように構え、金の瞳に静かな光を宿した。


「私が確かめてあげる。甘く見ないでよ。ちゃんと全力で来なさい。今ここで、“自分の剣”と向き合って」


 ラインハルトの背筋に、わずかな緊張が走った。

 セレーネの目は、“剣士”のものだった


 セレーネが構えたのは、東方剣のそれだった。

 片足をやや引き、枝の先が地面すれすれをなぞるようにして止まる。呼吸が静まり、空気が張り詰める。ラインハルトはゆっくりと木剣を構えた。


 西方剣。基本に忠実な両手持ち。そこに、南方剣の滑らかな足運びが混ざっている。

 重さを殺さずに動き続けるための工夫が、確かに形になっていた。


「行くわよ」


 風が鳴った瞬間、セレーネの姿が霞んだ。


 東方剣――神速の踏み込み。一撃の斬撃を仕掛ける動き。しかし、ラインハルトはそれを予見していた。木剣を構え直すことなく、体重を乗せた斜めの受けで枝を弾いた。


 次の瞬間、セレーネの姿はもう背後にいた。ラインハルトは体を回転させながら斬り返しを入れる。重心移動と同時に剣を振るう、西方剣の基礎。セレーネは軽やかにかわしながら、今度は低く踏み込んで足払いを仕掛ける。


 ラインハルトは即座に片足を引いて跳ね、間合いを開ける。再び構える姿勢は、先ほどよりもわずかに鋭かった。


(……ちゃんと動けてる。防御の反応も、予想よりずっと冷静)


 セレーネは、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 再び交差する剣と枝。数合――いや、十合。ラインハルトの剣には派手さこそないが、崩れない重心と無駄のない踏み込みがあった。動きは素直で、誤魔化しがなく、それだけに読みやすい。けれどそれは、正統派である証でもある。


 やがて、セレーネが枝を引き、攻撃の手を止めた。


「……ふぅん。まじめな剣、ね」


 ラインハルトは汗を拭き、呼吸を整えながら問うた。


「どう……でしたか?」


 セレーネは枝を肩に担ぎながら、少しだけ目を細める。


「悪くなかったわ。ちゃんと“中級”くらいには届いてると思う。自己流って聞いた時は、もっと滅茶苦茶なのかと思ったけど……意外と、丁寧だった」


 ラインハルトは少し目を見開いた。だがすぐに、肩の力を抜く。


「ありがとうございます。……でも、やっぱりまだ、独りよがりな部分も多いですよね」


「そうね。踏み込みは浅い時があるし、変化の読みはもう一段階詰められる。けど、それは伸びしろ。今のままでも中級。ちゃんと体系的に学べば、すぐに上級も狙えるわよ」


 セレーネは、からかうでもなく、真面目な口調でそう言った。


「ただ――剣ってのは“何を信じて振るか”が一番大事。型なんかより、ずっとね。あんたの剣は、それがちゃんと芯にある。だから嫌いじゃないのよ」


 ラインハルトは照れたように笑い、小さく頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして。これでちょっとは、自分の立ち位置わかった?」


「……はい。少しだけ、自信になりました」


「なら、よし」


 セレーネは枝を放り投げ、再び歩き出す。


「さ、次行くわよ。」




 霊峰の頂――雲海を見下ろす開けた広場。風は涼しく、陽差しは強いが、肌を刺すような暑さはない。修行の合間、ラインハルトとセレーネは岩に腰を下ろし、軽く休憩を取っていた。


 セレーネは肩にかかった長い黒髪を無造作に払いながら、ふと横目でラインハルトを見た。


「……で、アンタはどこまで目指すわけ? その剣」


 突然の問いに、ラインハルトは少し戸惑った顔をしたが、やがて真剣な目で答えた。


「……まだはっきりとは。でも……誰かを守れるくらいにはなりたいです。あの人みたいに」


「……ウロボロスね」


 セレーネは興味なさげに空を仰いだ。高空に鳥の影が舞い、白い雲がゆっくりと流れていく。


「あの人、四方剣全部“禁忌剣”なんだよね」


「……全部?」


「東方剣、西方剣、南方剣、北方剣。四つとも禁忌剣持ち。頭おかしいでしょ。普通、一つ取れれば英雄。流派に一人か二人いるかどうかのレベルよ?」


 ラインハルトは言葉を失っていた。


 自分の実力がどこなのかで一喜一憂している間に、すべての流派の最上位にいる存在がいる。それも、自分の師であるウロボロス――ライデウスが。


「……やっぱり、すごい人なんですね。改めて思いました」


「人じゃないわ、あれは」


 セレーネが断言する。さらりとした口調なのに、その中に本気の評価が込められていた。


「で、アンタは西方剣と南方剣だったっけ? その構え、だいたいそのあたり」


「はい。でも、どちらも正式に学んだわけじゃないので……」


「ま、西方剣は力の乗せ方も悪くないし、南方剣もそれなりに形になってる。独学にしちゃ、ずいぶんちゃんとしてる方」


 意外にもセレーネは淡々と、だが正確に評価してきた。


「ほんとですか?」


「別にお世辞言う理由ないでしょ? ……少なくとも、形だけ真似してる奴らよりはよっぽどマシよ。南方剣のしなやかさと、西方剣の剛を両立させるのは難しいのに、あんたはよく工夫してる」


 俺は素直にうれしかった。思わず笑みがこぼれる。


「……ありがとうございます」


「でも、北方剣はやめときなさい。あれは芯がない。美しくもないし、ただの乱暴者の剣」


 セレーネはわずかに顔をしかめた。北方剣――剣術の四流派のひとつでありながら、彼女の中では評価が極端に低いようだった。


「芯がない、ですか?」


「そう。型も理もない。ただ勝つために刃を振るうだけ。剣の品格がないの。……剣を振るう者として、あれだけは嫌い」


 その目は真っ直ぐだった。セレーネにとって“剣”とは、単なる武器ではなく、自分という存在を表すものなのだとそう感じた。


「でも……そういう風に“美しさ”で剣を語れるのって、すごく素敵だと思います」


「ふぅん? ……変わってるわね。剣の話で“素敵”なんて言葉、初めて聞いたわ」


「僕、戦うのは好きじゃないけど……でも、剣は嫌いじゃないんです」


「なら、それでいい。剣を嫌いにならなければ、どこまででも行ける」


 そう言って、セレーネは立ち上がり、軽く伸びをした。山の頂に立つ彼女の影が、陽光の中に揺れた。


「さ、休憩終わり。また一振り付き合いなさい。今度は西方剣の型合わせよ」


「はい!」


 ラインハルトは跳ねるように立ち上がり、剣を手に取った。

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