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第21話 生きる修行

寝苦しさで朝起きると、外はまだ暗かった。

しかしセレーネは起きていて外で焚き火をぼーっと見ている。

「セレーネさん、おはようございます。」


俺が眠いまま声をかけると


「うん。おはよう。」


といつものテンションのまま感情の読み取れない返事が返る。


顔を洗い、口をゆすぎ、木の根で歯を磨いていると


「ねぇ。朝ごはんまだなの……?」


と元気なさそうに聞いてくる。


「え、セレーネさん食べ物持ってきて無いんですか?」


俺が驚きながら聞くと


「食べ物どころか手ぶらよ……」


と静かに答えた。


しかし朝飯となるものを自分も持ってきていないし、昨日襲いかかってきた獣を斃した場所からも相当歩いて来ているのと、もう腐っている可能性が高い事、そして単純に魔獣の肉は固くて食べれたものでは無い為、こう答えざるを得なかった。


「朝ごはんなんて、ありませんよ。」


申し訳なさそうに答えると、セレーネがぐったりしながら言った。


「朝ごはん持ってきてぇ〜……」


 セレーネが火の前でうなだれるようにして呟いたその姿は、まるで小動物が餌がなくてこちらにアピールしているようだった。


 「……あの、セレーネさん。いつもは、どうしてるんですか? 食事とか」


 俺が恐る恐る聞いてみると、セレーネは焚き火の炎を見つめたまま、ぽつりと答えた。


 「霊峰では……必要なときに狩ってたわ。でも昨日はあんたの戦いを見守ってたから、食べ損ねたのよ」


 俺のために時間を割いてくれてたのか……と思うと少し申し訳ない気持ちになった。


 「じゃあ、さくっと何か探してきます。果物とか、木の実とか……」


 そう言って立ち上がろうとする俺に、セレーネがちらっと視線を寄こす。


 「……果物とか、木の実とかって……」


 「え、何か問題ありました?」


 焚き火の炎越しに、彼女は少しだけ頬を膨らませて言った。


 「……できれば、肉がいいんだけど。果物じゃお腹ふくれないし」


 その言葉に、俺は思わず苦笑する。


 「わがまま言わないでくださいよ……」


 「わがままじゃないもん。ちゃんとした主張よ」


 ぷいっと視線をそらすセレーネは、いつものクールさからは想像できないほど人間味のある仕草で、少しだけ頬が赤い気もする。


 「……じゃあ、頑張って肉も探してきます。魔獣じゃない、食べられるやつ」


 「うん。期待してるわ」


 満足げに焚き火の前で膝を抱える彼女を横目に、俺は再び森の中へと足を踏み出した。


 焚き火のぱちぱちという音と、セレーネの「お肉……お肉が食べたい……」という小さな呟きが、背中越しに微かに聞こえてきた気がした。





運が良かった、と言うべきか。


 森を進んでいた俺の前方、木々の合間をゆったりと歩く一頭の鹿の姿があった。立派な角を持つ成獣。警戒心は強そうだが、距離はまだ詰められる。


 俺は息を殺し、魔力を指先に集中させる。導魔杖は使わない。あくまで精密さを求める狙撃――魔力を凝縮した小さな氷弾を生成し、目に魔力を纏わせて視界を補強した。


 (……あそこだ)


 狙いは鹿の頭部、命を無駄にしない一撃。風向き、距離、鹿の動き――全てを計算に入れて、指先から氷弾を射出。


 ヒュッ、と音もなく弾丸が飛び、鹿の眉間に吸い込まれるように命中した。


 「……よし」


 息を吐きながら、倒れた鹿へと駆け寄る。仕留めた命に手を合わせ、背負って拠点への帰路に就いた。


 道中では、食べられそうな山菜やキノコを見つけては丁寧に採集。セレーネのためにも、できるだけ栄養のバランスは考えておきたかった。


 焚き火の前で座っていたセレーネが、俺の姿に気づいてぱっと立ち上がる。そして背負っている鹿を見た瞬間、瞳が輝いた。


「……鹿!? 本当に仕留めてきたの!?」


 駆け寄る足取りは速く、いつもは無表情なセレーネが、まるで少女のように目をキラキラとさせている。


「でかい……角も立派。肉もたくさん取れそうじゃない!」


 鹿を下ろすと、セレーネはその身体をなでながら、心なしかうっとりとしたような顔をしている。


「……って、ちょっと。あんた血抜きしてないじゃない!」


「え、ええ。急いでたので……」


「まったくもう……いいわ、貸しなさい。どうせ私がやる羽目になるんでしょ」


 そう言って、セレーネは手際よく血抜きの作業を始めた。眉間に皺は寄っているが、どこか楽しげでもある。


「それと、帰りにちょっと山菜とかキノコも採ってきました」


 俺は袋を差し出す。セレーネは血抜きの手を止めて、ちらりと袋を覗き込んだ。


「ふーん……まあ、どーでも……」


 言いかけたその時、彼女の表情が一変した。


「……って、ちょっと待って! これ……」


 目を見開いて指差したのは、斑点模様のついたキノコ。


「これ! オシャベリコロスダケじゃないのよ!?」


「えっ……?」


「これ、食べたら口と喉が爛れて腫れて、呼吸困難に陥って……呪文の詠唱すらできなくなってそのまま死ぬわよ!? なんでこんなの持って帰ってきてんのよ!?」


「す、すみません、見た目で美味しそうかと……」


 俺が顔を引きつらせると、セレーネは袋の中に手を突っ込み、次々と食材をつまみ上げては地面に放っていく。


「これもダメ。これも、これも、これもアウト。……あ、これはギリギリ大丈夫」


「ええっ、そんなにダメだったんですか……」


「あんた本当に運が良かったわね。 ま、私は毒効かないけど。龍族だから。あんた一人だったら、死んでたわよ?」


 じとりとした目で見つめられる。まるで命を狙っていたとでも言いたげだ。


「……ごめんなさい、以後気をつけます……」


「ほんとよ……あんた、毒キノコで人殺すような顔してないくせに、天然でやりかねないのね……」


 呆れたように言いながらも、セレーネは袋の中身を丁寧に選り分けていく。俺が黙って見ていると、最後に彼女はふっと笑って、柔らかく言った。


「まあ……今回は見逃してあげる。鹿、おいしそうだし」


 その視線はまた鹿の方へ向き、唇がほのかに緩む。


 ――その笑顔を見る限り、どうやら本気では怒っていないようだった。


 少し遅めの朝食を終え、焚き火のそばで温まっていた俺は、ふと隣に座るセレーネに声をかけた。


「ねえ、セレーネさん。この森で五日間生き抜けっていう試練、正直すごく簡単だと思うんですけど……何か目的とか、目標とかってあるんでしょうか?」


 セレーネは焚き火をじっと見つめたまま、少し間を置いてからそっけなく返す。


「知らないわよ、そんなこと」


「え?」


「目標や目的が欲しいなら、人に聞くんじゃなくて自分で決めなさい。それに……」


 彼女はゆっくりとこちらを向いた。


「あなたにはあるじゃない。『五日間生き抜く』っていう目標が」


「それは……まあ、確かにそうですけど」


 口ごもる俺をじっと見つめたあと、彼女はわずかに眉を上げて、皮肉気に言い放つ。


「それに、『簡単だと思う』とか言いながら毒キノコを食べ物として持ち帰ってきたのは――どこの誰よ?」


「……うっ」


 ぐうの音も出なかった。


「ほんと、変なところで抜けてるのよね。簡単だと思うのは自由だけど――生き抜くっていうのは、ちゃんと生きてることが前提なのよ?」


 焚き火の火がパチパチと音を立て、風がわずかに灰を揺らす。セレーネの言葉は冷たくもなく、厳しくもなく、ただ静かに胸に残った。


 ……なんだかんだ言って、ちゃんと見てくれてるんだよな、この人。


 焚き火の炎も落ち着いてきた頃、セレーネが立ち上がりながらふっと肩をすくめた。


「まぁでも……そんなにじっとしてられないって言うんなら、探索にでも行きましょうか」


「探索……ですか?」


 俺が問い返すと、セレーネはいつもの無表情の中に、ほんのわずかだけ楽しげな色を滲ませて、頷いた。


「えぇ。探索よ」


 風に揺れる漆黒の髪を耳にかけながら、彼女はゆっくりと話し始めた。


「昔、私の側近の龍族が言ってたの。霊峰の麓……この辺りの森のどこかに、古代龍族の街の残骸があるって」


「街の……残骸?」


「ただの石積みの遺跡かもしれないし、何かの封印があるかもしれない。あるいは……なーんにも無いかも」


 そう言って、彼女は肩をすくめる。


「でも、どうせ五日間も暇なんでしょう? 冒険気分で、楽しいんじゃないかしら?」


 にやりとした笑み。珍しく、彼女が心から楽しみにしているのが伝わってきた。


「……じゃあ、行ってみますか。古代龍族の街。何があっても不思議じゃなさそうですし」


 俺の言葉に、セレーネは満足げにうなずいた。


「決まりね。荷物は少なくして、準備が整ったら出発するわよ。……あ、さっきの毒キノコは置いていきなさい」


「うっ……はい……」


 こうして、俺たちは焚き火を消して、少しばかりの期待と不安を抱えながら、深い森の中へと足を踏み出した――。


 探索初日、俺たちは朝の焚き火を片付けると、東へと歩を進めた。

 目印になるようなものは何もなく、ただ無数の木々が並び、枝をすり抜ける風と、時折聞こえる魔獣の遠吠えだけが道しるべのように続いていた。


「……本当に、この森のどこかに街の跡なんてあるんですかね」


 俺が呟くと、前を歩いていたセレーネが振り返らずに答える。


「さぁ。でも、それを確かめるために歩くんでしょう?」


 彼女の言う通りだった。

 半日、東に向かって歩き続けたが、目に映るのは見慣れたような木々と、踏み分けられていない苔むした獣道ばかり。

 その間、二度、魔獣に遭遇したが、セレーネが軽く手を振っただけで、どちらも戦うまでもなく逃げ去っていった。


 ──何もない。


 ただ、歩き、汗を流し、時折戦闘になるだけの道中だった。


 太陽が傾きはじめた頃、セレーネが足を止めた。


「ここで引き返すわ。もうすぐ日が暮れる」


 俺は小さく息を吐いて頷いた。


 来た道を引き返す。地図もないこの森では、引き返すことすら慎重さを要する。

 帰り道の途中、見覚えのある枯れ木や倒木がちらほらと現れ、ようやく拠点が近づいているのを実感した。


 そして、日が完全に沈んだ頃、俺たちはようやく焚き火跡のある開けた場所──拠点へと戻ってきた。


「……収穫、なしですね」


 俺が呟くと、セレーネは肩を竦めて言った。


「まぁ、初日なんてそんなものよ。明日は西を見てみましょうか」


 そう言って、彼女は何事もなかったように土魔術で床を整え、火を起こしはじめた。


 ――こうして、古代の街を探す探索の一日目は、何も得られぬまま終わりを迎えた。


夕食を終え、焚き火の炎がパチパチと静かに音を立てる。

 俺は湯を沸かしながら、昨日と同じように簡易の風呂場を整える準備をしていた。


「セレーネさん、今日もお風呂……入りますか?」


 薪をくべながら聞くと、セレーネは少し間を置いてから「……うん」と小さく返事をした。

 だがその視線は、どこかじっと俺を見ているようで、少しばかり居心地が悪い。


「ご安心ください。もう視線なんて感じないように、ちゃんと仕切りを作りましたから」


 俺はすかさずそう付け加える。

 すると、セレーネは小さく鼻で笑って呟いた。


「……あれで覗かれたなんて、思い込みだったってわかってても……やっぱり気になるものね」


「そ、それは……ですよね。念のため、今日は石壁を二重にしましたし……」


 俺が必死に説明していると、セレーネがふっと笑った。


「ふふ……用意周到ね、ラインハルト。……まぁ、ありがたく使わせてもらうわ」


 そう言って、立ち上がったセレーネは火のそばに置いていたタオルを手に取り、風呂の方へと歩いていく。


 行きがけに、ちらりと俺を振り返って。


「……一応、言っておくけど。万が一、今夜も何か見たら……さすがに、殺すわよ?」


 いつものジト目でそう告げたあと、今夜は少しだけイタズラっぽく微笑む。


 ──そんな笑顔を見るたびに、少しだけ距離が近づいたような気がして。

 でも、まだ「殺すわよ」は脅し文句として健在なんだな、と苦笑するしかなかった。


 俺はそっと星の出始めた夜空を見上げた。


「……覗くわけ、ないのになぁ」


 ぽつりと呟くと、遠くから湯の音と、ふわりと湯気を纏ったセレーネの鼻歌が微かに聞こえてきた。


翌朝、少し早めに朝食を済ませた俺たちは、拠点を後にして西へと歩を進めていた。


「昨日の東と違って、こっちは道も荒れてるし、魔獣の痕跡もやたら多いですね……」


「えぇ。こっちは“気配”が濃い。……何かがあるかもしれないわ」


 セレーネの金色の瞳が、木々の隙間から差し込む光を捉えて揺れた。


 半日ほど歩いた頃だろうか。森の中に不自然な開けた空間が現れた。そこには古びた石の柱が折れたまま転がり、蔦に覆われた壁面が地面に埋もれている。


「……遺跡、ですか?」


「そうね。龍族の建築様式……間違いないわ。これ、相当古いわよ」


 瓦礫の山を乗り越えながら奥へ進むと、半壊した壁の裏側にぽっかりと開いた階段を見つけた。奥は真っ暗で、冷たい空気とわずかな魔力の風が這い出してくる。


「……地下、ですね。結界もなさそうですし、封印もされていない。でも……この空気、どこか違和感がある」


 俺がそう口にすると、セレーネも腕を組んで頷く。


「魔力濃度が異様に高い……。自然のものじゃないわ。ここ、“ダンジョン化”してる」


「ダンジョン化……」


「魔力が濃すぎる場所が、長い年月の中で魔獣の巣になってしまったの。放っておけば魔力が凝縮されて、いずれ外にも影響を及ぼすわ」


 確かに、少し足を踏み入れただけで鳥肌が立つほどの魔力の濃度を感じる。


 暗く、湿った空気の中、魔力の濁流が地下へ地下へと誘うように渦巻いていた──


 苔と土にまみれた古代の石階段を、俺たちはゆっくりと下りていった。上方から差し込む陽光はすでに届かず、足元を照らすのは俺が浮かべた魔力灯のみ。セレーネは特に何も言わず、ただ静かに俺の隣を歩いている。


「……湿ってますね。かなり深いかも」


 そう呟いた俺に、セレーネは一瞥をくれた。


「ここまで来て引き返すって選択肢はないんでしょ?」


「ええ、もちろんです」


 階段を下りきると、そこには圧倒的な「魔力の気配」が広がっていた。石造りの広間。崩れた柱と苔むした床。壁にはかつての装飾の名残があるが、今では判別できない。何より、この空間全体に満ちている魔力は、明らかに異常だった。


「……完全にダンジョン化してますね」


「ええ。魔力濃度がここまで高いと、自然と魔獣も棲みつくわけね。ま、ひとりじゃ難しいでしょうから……少し手を貸してあげるわ」


 セレーネは肩をすくめながらそう言うと、口元に気だるげな笑みを浮かべた。


 広間の奥から、気配を察知した魔獣たちが姿を現す。獣のような外見に、岩のような体をしたものや、空間を裂くように出現する影の群れ。


「じゃ、始めましょうか」


 俺が魔術を詠唱する間もなく、セレーネは適当に腕を振るうだけで、光の刃をいくつも飛ばす。敵の数を一気に減らしながら、こちらに迫る敵は俺が冷気で凍らせ、撃ち落とす。


 戦いは次々に続くが、セレーネの動きはどこか怠惰で、それでも確実に魔獣たちを排除していく。


「さすがですね、セレーネさん」


「ふふ……こんなの、遊びよ」




 しかし、最奥に辿り着いた瞬間、その空気が一変した。


 空間の最奥。瓦礫と朽ちた柱の隙間から姿を現したその影に、俺は思わず息を呑む。


 魔幻獣フェンリル。

 伝承に語られる幻の魔獣。全身は夜のように黒く、その瞳は太古の怒りを宿していた。巨大な体躯に加え、異常なまでの魔力密度――それは、瘴龍すら凌駕しかねない。


 その口元から覗く、白銀に輝く牙。

 ただの牙ではない。伝承によれば、その牙は“神すらも食い破る”とされている。


「……本当に、いたんですね」


 俺がそう呟くと、セレーネは小さく笑って肩を竦めた。


「……ま、こういうのも嫌いじゃないけど」


 彼女の足元に、光と闇が交錯するような魔法陣が展開される。無詠唱、無動作。気だるげな動きで、宙へ手を伸ばすと――


 〈ゴォン……〉


 重々しい音とともに出現したのは、漆黒の鎌。刃の縁に赤い光が走り、まるで血を欲しているかのようだった。


「ちょっとだけ真面目にやるか……。そっちは、いつも通りでいいでしょ?」


 その言葉に、俺も静かに頷き、導魔杖を構える。心の奥で魔力を圧縮し、冷気の陣を重ねて展開。空気がひび割れるように冷え込み、白い息が漏れる。


 ――フェンリルが動いた。


 その巨体とは裏腹に、まるで音を置き去りにするような加速。一気にこちらに詰め寄る。足場を砕く咆哮と同時に、牙が俺の肩口へと食らいつこうと迫る。


「――くっ!」


 ギリギリのタイミングで展開した氷壁が牙を受け止めるが、砕け散った。

 続く第二撃が迫る――だが。


 「……そこ」


 淡々とした声とともに、セレーネの鎌が閃いた。音すら消えた一瞬の斬撃。フェンリルの右前脚に深く食い込み、流れるように宙へと跳躍し、尻尾を回避。


 ――しかしフェンリルは怯まない。


 四肢を踏みしめ、魔力を爆発させる。地を這う衝撃波。そのたびに天井の瓦礫が崩れ落ち、空間全体が揺れる。


「っ……なんてパワー……!」


「踏まれたら即死。油断しないで、ラインハルト」


 セレーネの声に我を取り戻し、再び詠唱なしで氷の連射を放つ。だが、フェンリルはそれすら読みきったかのように回避。代わりに残影を残して背後を取ってくる。


「……っ!」


 強引に背後へ氷を吹き出し、動きを鈍らせる。

 その隙にセレーネが真横から踏み込み、鎌を振るう。だが、フェンリルの牙が鎌を受け止め、火花を散らした。


 ――その牙はやはりただの骨ではない。


「鎌を弾いた……!? あの牙、まるで魔力の結晶みたい……!」


「ね、言ったでしょ。“神すらも喰らう”って」


 だがセレーネは怯む様子もなく、手の中にもう一つ、光の円環を生み出す。輪が空中に浮かび、そこから幾つもの幻影の鎌が降り注いだ。


 フェンリルは一瞬の迷いもなく吠え、衝撃波を放って迎撃する。鎌の半数が消し飛ぶも、残った刃がその背を切り裂いた。


「今だ、ラインハルト!」


「――はいッ!」


 俺は一気に魔力を込め、導魔杖を地に突き立てる。展開される氷陣――空間全体が凍てつく、極大の冷気魔術。

 フェンリルが咆哮し、最後の突進を繰り出す。


「終わらせる……!」


 魔力を絞り切り、氷の槍を百本、空間に生成。全てをフェンリルの動線上に集中、撃ち放つ。


 ――突進。氷槍の雨。轟音。


 視界が白く染まった瞬間、氷の奥で何かが崩れる音が聞こえた。


 ……そして、静寂。


 俺が魔力を緩めた頃には、魔幻獣フェンリルはその場に崩れ落ち、動かなくなっていた。


 巨大な体からはまだ微かに魔力が滲み出ていたが、もはや反撃の気配はない。


 セレーネは肩の鎌を回しながら、ゆっくりとこちらに歩いてきた。


「……ふぅ。まぁ、こんなものかしらね」


「助かりました……本当に」


「ふふ。あなたが仕留めたんだから、自信持ちなさいよ」


 フェンリルの死骸の奥。瓦礫の陰に、ひとつの箱があった。

 そこからは、静かだが強い魔力の波が――まるで呼ぶように、漏れ出ていた。


「……あれは、遺物……?」


俺がそう呟くと、セレーネもそっと歩み寄ってきた。


 「ふうん……まだ機能してるなんて、随分と息が長いわね。あれ、封印箱よ。中には何か、まともなものが入ってるかもね」


 「開けて、いいかな?」


 そう尋ねると、セレーネは少しだけ目を細めて、いたずらっぽく笑った。


 「好きにしなさいよ。あなたの戦利品なんだから」


 俺はコクリと頷いて、箱の蓋に手をかける。


 冷たい金属の感触――それに宿る、微かな抵抗感。魔術的な封印が施されていたらしいが、既に力を失って久しいようだ。ゆっくりと開けると、そこからふわりと、魔力の微風のようなものが漏れ出した。


 箱の中には――


 一着の、深い青と銀を基調としたローブが丁寧に畳まれていた。どこか荘厳で、けれど古びた感じはなく、不思議と時の重みにも耐えたような気配を纏っている。


 そしてその下には、一冊の本が。


 重厚な装丁、革の表紙。だが、そこに刻まれている文字は、俺にはまったく読めない――というより、見たこともない文字だった。


 「……なんて書いてあるんだ、これ?」


 俺が困惑して顔を上げると、セレーネが覗き込んで、眉をひそめた。


 「……これは、“古代龍族語”ね。今じゃ読める者もほとんどいない……。ああ、ウロボロスなら読めるわね」


 「古代龍族……」


 思わずその言葉を呟いてから、本をそっと抱えるように持ち上げた。その重さは不思議と心地よく、まるで何かに導かれているような感覚があった。


 「これも……遺物、なのかな」


 「遺物というより、知識の宝庫。何が書かれているか分からないけど、運が良ければこのダンジョンがどうしてできたのかとか、古代龍族の秘密とか、そういうのが詰まってるかもね」


 セレーネが肩を竦めながらも、少しだけ目を輝かせて言った。


 俺はそっとローブと本を抱えて立ち上がる。


 「……よし、とりあえず持ち帰ろう。持ち帰ってライデウス様に差し上げよう。」


 「そうね。ご褒美にお風呂と美味しいご飯でもお願いしておいたら?」


 「いや、それは……」


 冗談めかしたセレーネの言葉に、俺は小さく笑いながら頭をかいた。


 ダンジョンの深奥、闇と氷の眠る空間に――俺たちは確かに、何か大切な“発見”を手にしたのだった。




ーーーーー


古代龍族の遺跡での“発見”から戻ったその夜、俺たちは小さな焚き火を囲んでいた。


 セレーネは、めずらしく鹿肉をじっくり焼いていて、焚き火のはぜる音の向こうで、鼻歌のようなものを小さく口ずさんでいた。


 「……機嫌、いいんですね」


 そう話しかけると、彼女はちらと横目で俺を見て、ふっと小さく笑った。


 「ん? まあね。面白いものが見つかったし、あなたがちゃんと生きて帰ってきたし」


 「生きて、って……まあでも、セレーネさんが居なかったら死んでたかもしれないですね。」


 「ふふん、そうでしょう」


 そう言って、くるりと串を返すと、香ばしい匂いがふわりと立ち上る。俺の腹が静かに抗議した。


 「……うまそう」


 「ちゃんと焼けてからにしなさい。半生でも食べられるけど、お腹壊したら寝込むわよ」


 「それ、俺じゃなくてセレーネさん宛のセリフじゃないの?」


 「私は壊れないから。龍族だもの」


 得意げに言いながら、セレーネは鹿肉の串を一本、俺の前に差し出した。


 「ほら、感謝して食べなさい」


 「どうも」


 思わず笑って、受け取った串をかじると、外はカリッと香ばしく、中は柔らかくて肉の旨味が詰まっていた。


 「……うまいな。ほんとに、お店でも開けそう」


 「焼くだけだけど? ……まあ、でもそうね。気が向いたら、やってみてもいいかも」


 そんな取りとめのない会話を交わしながら、俺たちは焚き火の温もりの中で夜を過ごした。


 そして、翌日も――


 朝日が霊峰の稜線から差し込む頃、俺は剣を振っていた。セレーネはその近くで胡坐をかいて、何かの魔導書を読んでいる。ダンジョンで見つけたあの本ではない。彼女の私物だ。


 「……その本、面白いですか?」


 「んー、まあまあ。古代魔法の応用術式。あなたにはちょっと早いけど……まあ、いずれはね」


 「いずれって、俺が?」


 「そうよ。読めるようになりなさい。ウロボロスに聞けば教えてくれるんでしょ?」


 「……あの人は教えるっていうか、“理解”しないといけない気分になるんですよね…なんというか……」


 「ふふ、わかる。でも、それもまた成長ってやつじゃない?」


 そんな他愛のない会話の合間にも、時間は静かに、けれど確かに過ぎていった。


 四日目の夜、俺は珍しく先に眠った。セレーネは星を見ながら一人、夜を過ごしていたらしい。朝、目覚めたときには焚き火の後始末も終わっていて、彼女は何事もなかったかのように背を向けて、いつものように山を見下ろしていた。


 「おはようございます、セレーネさん」


 「うん、おはよう。……今日で終わりね」


 「……そうですね」


 俺は立ち上がって、剣を背に背負い直す。この霊峰で過ごした日々――汗と痛みと、時折の笑い。あっという間だったけれど、確かに何かが変わった。自分の中に、何かが芽生えた気がする。


 「名残惜しいかしら?」


 セレーネの問いかけに、少しだけ考えてから、俺は頷いた。


 「少し。でも……戻らないと。ライデウス様が待ってるから」


 「ふうん。なるほどね」


 その言い方に少しだけ棘があるのは、気のせいじゃないと思う。でも、俺は何も言わず、微笑だけで返した。


 こうして――


 何事もなく、しかし決して“無為”ではなかった五日間が過ぎ、俺たちは霊峰での修行の終わりを迎えた。

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