表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/39

第20話 新しい力と次の修行

ライデウスが去り、セレーネもまた静かに霊峰を後にした。

その場に残された俺は、ひとり無言のまま、山肌に刻まれた仮の住居へと戻る。


……といっても、そこに誰かがいるわけではない。ただ風の音と、山に生きる魔物の遠吠えが時折聞こえるだけだ。


俺は疲れた体を癒すため温泉に浸かる。

身体を包む温もりに目を閉じ、今日の出来事を思い返す。


(……本当に、宿ったんだな。あの瘴龍の、核が……)


胸の奥で、何かが微かに脈打つ。熱のような、圧のような。

完全に自分のものとは言い切れないそれは、肌の内側に張り付くように、じわじわと存在を主張していた。


(慣れるのに、どれだけかかるか……)


湯から上がると、俺は布団へと潜り込んだ。

だが、身体の芯から湧いてくるような熱は収まらず、浅い眠りを繰り返すばかりだった。


そして──朝。


まだ日も昇り切らぬ時間、俺は魔術で作った冷水を桶に張り、そのまま顔を突っ込んだ。


「っ、く……!」


冷たい水が一瞬で眠気を吹き飛ばす。バシャバシャと乱暴に顔を洗いながら、自分の頬を軽く叩いた。


「……よし」


息を整え、静かに目を閉じる。


意識を集中させ、魔力を纏う。

“纏っている状態”を、常に当たり前にしていくこと。それが、まず第一歩だ。


(……あれ?)


纏い始めた瞬間、違和感に気付く。

普段のそれよりも、明らかに魔力の出力が高い。より濃密で、より重く──そして、どこか野性的な“気”を孕んでいた。


(これが……龍の力……?)


俺がその変化に戸惑っていた、まさにその時だった。


「休めたか?」


空間がゆがみ、光と魔術陣が走る。

転移魔法によって現れたのは──ウロボロスの名を持つ男、ライデウスだった。


その声は変わらず無機質でありながら、どこか温かさを含んでいた。


「はい。とはいっても、あまり良くは眠れなかったですが……」


俺は素直に答えた。


「ふむ、そうか」


ライデウスは俺の様子を一瞥し、少し目を細めた。

そして、静かに告げる。


「貴様に宿ったその力は──龍の力。我らと同種の、深き力だ」


「龍の……力、ですか」


あの瘴龍との戦い。

その末に、俺の胸に埋め込まれた龍玉。それが、今なお脈動している。


「今ならば、貴様にも“龍気”が使えるだろう」


「でも……使い方を、知りません」


正直に、そう答えるしかなかった。

力はある。だが、何をどうすればいいのか、まったく見当もつかない。


「使い方、か……まずは、“感じる”ことだ」


ライデウスはそう言い、俺に向かって静かに右手をかざした。


「視ろ。己の内にある“龍”を。聴け。血を巡る鼓動の中にある、異質な流れを」


その言葉に、俺は目を閉じる。


……視えない。


けれど、確かに“ある”。


まるで異国の地に踏み込んだ時のような、言語も文化も違うのに、肌で伝わるなにか──そんな“気”が、そこにはあった。


(これが……俺の中に宿った、龍の……)


「龍の気は、身体能力に直接作用する。鍛錬すれば反応速度も、筋力も、回復力すら底上げされるだろう」


ライデウスの声が静かに重なった。


「焦る必要はない。ゆっくりと、慣れていけばいい」


「……はい」


ラインハルトが静かにうなずいた瞬間、ライデウスは一歩引いて言った。


「では、次の修行だ」


その言葉に、ラインハルトの表情が引き締まる。


「……次の修行、というと」


「この霊峰の麓で、五日間――生き抜け」


「……それだけ、ですか?」


思わず漏れた問いに、ライデウスは肩越しに振り返る。


「……生きるとは、簡単ではない。霊峰の麓は未踏の領域。獰猛な魔獣どもも徘徊している。貴様にとっては、容易な試練ではないはずだ」


ラインハルトは静かに息を呑み、そして頷いた。


「わかりました……やってみせます」


霊峰の麓へと下山していくラインハルトの背が、やがて木々の影に紛れて見えなくなった。


静寂が訪れる。


その沈黙を切り裂くように、ライデウスがふと口を開いた。


「……いつまで隠れているつもりだ、セレーネ」


岩陰がわずかに揺れ、黒衣の少女が現れる。漆黒の髪を風に揺らしながら、セレーネは少し気まずそうな顔でこちらに歩み寄ってきた。


「……バレてたのね」


「我の眼をごまかすのは、容易ではない」


ライデウスはそう言って、彼女の方を見やる。表情に変化はないが、その声にはわずかに和らいだ響きがあった。


「見届けてやれ。暇を持て余しているのならな」


何気なく投げかけられたその言葉に、セレーネのまなじりがわずかに動いた。ウロボロス――ライデウスが、わざわざそんなことを言うのは珍しい。


つまり、それだけ“彼”のことを――ラインハルトのことを、気にかけているということだ。


だがセレーネは、黙ってうなずいた。それ以上の言葉は必要ない。


「……ふうん。まあ、暇だし。ちょっとくらい付き合ってあげるわ」


その声音には、どこか気だるげで、いつも通りの調子があった。


だがライデウスの背を見送るその金の瞳には、確かに静かな決意が灯っていた。


(魔物程度なら、わたしが本気を出すまでもないしね……)


風が吹いた。霊峰の麓へ向かう一人の影を追いかけるように、漆黒の影がその場を後にした。


霊峰の麓で、一人静かに呼吸を整えながら歩いていたラインハルトは、ふと気配に気づき振り返った。


「……セレーネさん?」


驚きを隠せなかった。


「一人で生きる修行では……?」


セレーネは涼やかな声で答える。


「ウロボロスに心配だから、ついて行けって言われたのよ」


ラインハルトは戸惑いながらも、その言葉にどこかほっとした。


「ライデウス様がですか?」


「本人は直接言ってないけど、言ってるようなものよ」


セレーネの表情はいつも通りクールだが、その声にはほんの少し優しさが混じっていた。


「驚いたけど、正直嬉しいです。ありがとうございます」


俺の顔に自然と笑みが広がる。


「まあ、見守るだけよ。」


「頼もしいです」


二人は並んで歩き出した。




 開けた林の中、露を帯びた草が風に揺れている。

 ラインハルトは静かに呼吸を整えながら、導魔杖を軽く構えていた。隣にはセレーネ。だが彼女は木陰にもたれ、相変わらず涼しげな顔で腕を組んでいる。


 と、その時だった。

 獣の唸り声――地を擦るような低い咆哮が森の奥から響き、直後、一本の大木が鈍い音を立てて倒れ込んだ。


「……来たか」


 ラインハルトは視線を前に向ける。現れたのは、体躯の大きな魔獣。角の折れた獣のような姿に、ただならぬ魔力の濁りを纏っている。


 足元の草が枯れ、空気が緊張を帯びる。


 ラインハルトは導魔杖をしっかり握りしめた。


一瞬、横目でセレーネを見る。

 彼女は無表情のまま、指で黒髪の一房を弄んでいるだけで動く気配はない。


 だが、その視線は確かに――こちらを見ていた。


 魔獣が唸り声をあげて突進する。ラインハルトの足が自然と止まる。


(いや、でも……セレーネが動くかもしれない。ここで無理に前に出るのは……)


 ――その時だった。


「……あのね」


 セレーネがゆっくりと首を傾け、金色の瞳で彼を射抜いた。


「何をもたもたしてるの? あんたの修行でしょ?」


「っ……!」


 その言葉に、ラインハルトの心が一気に定まる。甘えも迷いも、吹き飛んだ。


「――はい!」


 叫ぶと同時に地を蹴り、導魔杖に魔力を通す。杖の先端から氷の魔力が奔流のように放たれ、地面を凍てつかせる。


 魔獣は怯まず突進するが、ラインハルトは一切退かない。冷気を纏った障壁を展開し、動きを止める。そして、杖を振り抜いた。


 氷の杭が幾本も地面から突き上がり、魔獣の脚を貫いた。

 咆哮と共に、獣は倒れ伏す。ラインハルトは慎重に距離を取り、息を整える。


 静寂が戻った森で、セレーネがポツリと呟いた。


「……ま、悪くないわね。初動がちょっと鈍かったけど」


 ラインハルトは汗を拭いながら笑う。


「すみません……一瞬、動くかなと思って」


「ふーん? 私がやると思ったわけ?」


「……いえ、でも、いてくださると、やっぱり心強いです」


 セレーネは鼻で笑って、木の根元に腰を下ろした。


「しっかりしなさい。ウロボロスが選んだのは、そういう甘えた男じゃないんだから」


「肝に銘じます」


 ラインハルトはうなずき、魔獣の死骸に視線を移す。これもまた、彼の修行の一環だ。


 横でセレーネが静かに見守る中、ラインハルトは一歩ずつ、自らの力を確かなものへと変えていく。


 日が沈み、森の中は漆黒の帳に包まれていく。


 ラインハルトは開けた一角で風の刃を走らせ、草を刈り取り整地を済ませると、土魔術で簡素な小屋を作り上げた。天井には通気の工夫も施されており、寝泊まりには十分すぎる造りだ。


「……案外、手慣れてるのね」


 セレーネが腕を組んだまま、整った小屋を眺めながら言った。


「キャンプとか、してたの?」


「いえ、あまりしたことは無いです。……ただ昔、幼なじみと遊んでた時に、急な雨に降られて。雨宿りのために、こんな家を作った時があって」


 ラインハルトは少し照れたように笑う。


「それが思ったより上手くいって……それ以来、時々思い出して練習してたんです」


「……ふうん」


 セレーネは興味なさそうな顔をしつつも、ほんのわずかに目を細める。その視線には、どこか優しいものが宿っていた。


 小屋の裏手には、土と石で作られた簡易風呂が湯気を立てていた。火の魔術で温めた湯は、蒸気を静かに夜気へと昇らせている。


「あの……お風呂、用意できたんですけど。セレーネさんも、よかったら」


「ふふっ、気が利くじゃない」


 セレーネが軽く口元を緩める。滅多に見せない柔らかな表情だった。


「先でも後でも、どちらでも大丈夫ですけど……」


「じゃあ、先にいただくわ」


 そう言ってセレーネはラインハルトに一歩近づき、じっとその顔を見上げるようにして言った。


「……覗いたら、殺すわよ?」


「も、もちろん! 絶対にそんなことしません!」


 ラインハルトが慌てて顔を真っ赤にして首を振ると、セレーネはほんの少し――いたずらっぽく口元を緩めて、微笑んだ。


 それはあまりに自然で、どこか楽しげでもあった。


「……いい子ね」


 小さくそう呟いて、セレーネは湯気の立ち上る風呂の方へと向かっていった。


 その背中を見送りながら、ラインハルトはまだ少し顔の熱が引かないまま、そっと肩の力を抜いた。


蒸気が月明かりに溶けていく夜、静けさの中で、俺はもう一度だけ深く息を吸った。


 ――こんな風に、誰かと日常を分かち合える日が来るなんて、きっと昔の俺じゃ想像もしなかっただろう。


 けれど今、確かにここにある。


 この時間も、想いも、全部――俺自身の歩みに、少しずつ、変わっていく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ