第17話 己を越えて
龍の霊峰、その頂にて──
剣戟と、荒い息遣いの音がこだまする。
雲を突き抜けるほどの高みにある霊峰。その頂で、俺は今日も魔道人形と向き合っていた。
初めてこの人形と剣を交えた日から、すでに二日が経っている。
だが──
「はっ!」
木剣を横薙ぎに振る。その一撃を、人形は寸分の狂いもなく受け流した。
即座に踏み込まれ、逆に鋭い打突を浴びる。脇腹に鈍い痛みが走り、地面が揺れるように感じた。
「ぐっ……!」
踏ん張る暇もなく、肩へと振り下ろされる追撃。とっさに剣で受け止めたが、衝撃で腕が痺れる。体勢が崩れ、再び打ち据えられ、膝をつく。
完敗だった。
どれほど打ち合っても、勝利の糸口すら見えない。
この魔道人形は、俺の魔力を読み取り、同じ能力で構築されている。
だがそれは単なる“俺”ではない。
最善の一手だけを選び続ける存在──癖も迷いもなく、理性と技術だけで構成された、“理想の俺”。
(……強すぎる)
思わず、そう呟きそうになる。
心が折れかけていた。
そのとき──
──「それとも、諦めるか?」
龍神ライデウスの声が、記憶の底から蘇る。
諦める──その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、目の奥が熱くなった。
涙がこぼれそうになる。
それほどに、悔しかった。
(この身体には……才能がある)
それは確信だった。今まで努力すればしただけ成長を実感できた。
ここで諦めたら、俺は前世と同じ中途半端なクズだ。
才能は、磨かなければ、やがて枯れる。
諦めて、なるもんか──!
俺は奥歯を噛みしめ、膝に力を込めて立ち上がった。
この才能を信じ、折れかけた心を押し留め、もう一度、木剣を握りしめる。
人形魔力を注ぎ、向き直る。
……そしてその日も、何の成果も無い敗北を重ねるだけで終わった。
──五日目。
霊峰の空気は変わらず冷たく、空は雲ひとつなく晴れていた。
今日もまた、魔道人形との戦いが始まる。
何度も打ち合い、何度も斬られ、何度も地に倒れた。
だが、少しずつ“慣れてきた”実感がある。
この人形は、俺の動きを全て知っている。いや、“俺自身が取りうる最善の動き”を体現している。
ということは──
その動きは自分の理想そのものだ。
この動きを吸収すれば、近づくくらいは出来るはずだ。
「っは!」
木剣がぶつかる。繰り返される打ち合い。
足運び、間合いの取り方、重心の置き方……どれも人形は一切の無駄がない。
正面からの打突を受け止め、後退しながら斬り返す。
だが人形はそれすら読み切っていて、寸前で回避し、逆に踏み込んでくる。
(上段……来る!)
いつものように振り回され、完璧なタイミングで振り下ろされる木剣。
今までは反応すらできなかった攻撃──だが、その瞬間、俺の身体が無意識に動いた。
「……っ!」
反射的に木剣を振り上げ、斬撃を弾く。
鋭く乾いた音が響く。
その衝突の衝撃が、まるで空気を裂いたかのように感じられた。
(……今、隙が……!)
刹那、人形の動きが一瞬だけ止まった。今まで一度も見せなかった、わずかな綻び。
その好機を逃すまいと、全力で水平に木剣を振り払う。
「はあぁっ!!」
だが──その一撃は呆気なく受け流された。
直後に返された反撃に、今度は胴を打たれ、俺は地面に尻もちをつく。
「……くっ……!」
悔しい。確かにそう思った。
けれど、それ以上に、胸の奥に火が灯る。
初めて──本当に、初めて。
完全無欠の人形に、隙を作れた。
(……やれる。いつかきっと、超えられる)
空に向けて深く息を吐き、俺は再び立ち上がった。
剣を握りしめ、もう一度──人形と向き合う。
ーーーーー
それは、剣を交えてから七日目のことだった。
その日も、変わらず打ち合いが続いた。
だが、俺の動きに明らかな違いがあった。
──人形の木剣が振り下ろされる。
寸分の迷いもない、完璧な一撃。
その動きが目に入った瞬間、俺の身体は反応していた。
「ハッ!」
手が、勝手に動く。
木剣の刃先が、軌道を読んで弾き返す。
乾いた衝突音が、空気に裂け目を作る。
それは、“無意識”の動き。
肉体が、神経が、七日間の鍛錬で覚えていた。
初めて隙を作れたあの日からも、九割は何もできずに敗北した。
斬られ、倒れ、叩きのめされた。
だが、その残り一割の中に──確かに希望はあった。
わずかな手応え。
ごく小さな隙。
その一瞬一瞬を、俺は確実に積み重ねていった。
この魔道人形は、最善手を選び取る存在だ。
一瞬の判断で最も優れた行動を実行する。
だが──その“正解”は、常にこちらの行動を見た上で導き出されたもの。
(次は──ここで、来る!)
鋭い足運びで間合いを詰める。
人形の踏み込みと同時に、振り上げられる木剣。
「せいっ!」
俺の剣が、相手の剣を打ち砕くように弾く。
その反動で生まれた揺らぎ──人形に、また隙ができた。
まだ細い。
一太刀では届かない、かすかな綻び。
だが、焦らない。
斬り結び、弾き、押し返す。
一歩ずつ、確実に追い詰めていく。
木剣が何度もぶつかり合い、霊峰に打撃音が響く。
俺の剣は、もはや単なる反応ではなかった。
積み重ねた経験が、先を読む力となって剣筋に現れていた。
人形の“正解”の一撃──それを先んじて弾く。
正解の一手を、不正解に変える。
そうして、ほんのわずかずつ、隙は広がっていく。
「──ッ!」
決定的な隙が生まれた。
人形の木剣がわずかに遅れる。
全ての重心が、俺の剣筋の中に収束する。
踏み込み、木剣を振り抜く。
「──やぁっ!!」
風を切る音と共に、木剣が人形の胴を捉えた。
確かな手応えが、手のひらを通して伝わってくる。
一瞬の静寂。
その時、人形は──初めて動きを止めた。
勝利の感触が、胸の奥に広がっていく。
(……届いた)
七日間の果てにようやく掴んだ、初めての一太刀だった。
勝利の感触が、確かにそこにあった。
打撃の余韻が腕に残り、胸の奥が熱くなる。
勝てた。あの魔道人形に──勝てたんだ。
「……やった、俺は……!」
喉の奥から、思わず声が漏れる。
湧き上がる歓喜が、全身を駆け巡る。
足が震える。膝が抜けそうだ。けれど、それは恐怖じゃない。
込み上げる感情に、涙がにじみそうになる。
無駄だと思っていた敗北は、決して無駄なんかじゃなかった……それは経験となり、勝利へと繋がったのだ。
だが──
「……待てよ」
心の奥で、微かな疑念がささやく。
(本当に……勝てたのか?)
偶然かもしれない。
俺はこの一瞬、運が良かっただけかもしれない。
燃え上がった感情を、ぐっと押さえ込む。
浮かれそうになる心を叱りつける。
「……たまたまなんかじゃない。そんなはずない……!」
俺は木剣を握り直すと、再び魔力を注いだ。
魔道人形の胸の核石が淡く脈動し、動きを再開する。
もう一度。
今度こそ、確かな証明を。
木剣が鳴る。空気が裂ける。
先ほどと同じように、人形の剣筋が俺に迫る。
今度も俺の身体は反応していた。
相手の動きを読む。
最善手を、寸前で潰す。
そしてまた、一太刀──
「せいっ!」
人形の動きが止まった。
……今度で、確信する。
「勝った。……俺の力で、勝ったんだ」
静かに、深く息を吐く。
胸にあった疑念が、雪のように溶けていく。
代わりに残ったのは、確信と誇り。
俺は、自分の力でこの魔道人形を越えた。
しばしの沈黙の後、俺は背後の岩場に目を向ける。
そこに、銀の光を宿す小さなベルがあった。
「……やっと、このベルを鳴らすことができるんだ」
ライデウスを思い浮かべ、俺はゆっくりと歩き出す。
俺は手を伸ばし、銀のベルを取る。
この七日間のすべてを、努力の果てに手にしたこの勝利を──
彼に伝えるために。
──静寂の霊峰に、ベルの音が静かに響いた。




